7 雪の日
“視える”女流画家 × 選択ミス英雄
巡りゆく季節とじれじれの恋。
切なあったかラブファンタジー
王都に珍しく雪が舞った。
朝はまだ、炭を擦り付けたような厚い雲が空を覆っていただけだったが、いつの間にか風花が舞い、レインの帰宅する頃にはうっすらと白く積もり始めていた。
昼時だというのに、繁華街の人通りは少ない。今日はパンも売れないだろう。
レインは厨房を手際よく片付け、帰り支度を始めた。
窓の外の雪を垣間見ながら赤いケープを羽織る。
早く雪に触れたいと騒ぐ好奇心が、リボンを結び直す時間も拒んだ。
歪んだリボンを頭巾で隠し、レインは慌ただしく雪降る外へと飛び出した。
「はぁ、寒い。やっぱりタイツの上にズボンも履いてくればよかったわ」
今朝、迷った挙句お洒落を優先したことを後悔した。
仕事終わりの解放感と雪景色に舞い上がっていたのはどこへやら。
降りしきる雪の冷たさにレインの華奢な体はあっという間に降参した。
レインは咽やすい肺を気遣い、用心深く白いマフラーで口元を覆いゆっくり息を吐いた。凍てつく空気を吸い込むと、肺の内側を冷気がくすぐり、苦しくなるのだ。
「寒いけど、きれい……」
自然が作り出す美しい造形には、純然たる尊さがあった。
舞う雪に手をかざすと、繊細な造形の結晶がはっきりと見えて、心が震えてくる。思わず舌を出してその味までも確かめようとしたが、それはさすがに恥ずかしくなった。
気を散らして転ばぬようにと石畳の路地を踏みしめて慎重に歩く。その間も雪は白い空から、こんこんと落ち、道を白く染めていった。
「山の道は滑るかしら?」
マフラーから覗く、耳と鼻先がジンジンと痛い。
この様子ではいつも通う山道は、歩けるかどうか分からない。かと言って、王宮の周囲を迂回すれば時間がかかり身体が冷えて体調を崩してしまうかもしれない。
独り身のレインにとって、体調を崩すことが何より怖い。
結局、石橋の袂から裏山へ延びる道に向かった。
石橋に差し掛かると、幾重にも舞い散る牡丹雪が、潔く川へ消えてゆく景色に引き寄せられた。自らも欄干に積もった雪を丸めて川に投げ込んでみる。
雪が王都の街を白く覆い隠す。
静かな白い街にレインの赤いケープだけが色を添えていた。
(みんなどこでこの雪を見ているのかしら)
万人の頭上に降る雪。
今年の雪を見ることのできなかった両親。
森ではない、街で見る雪景色。
(今度降る雪を、私はどこでみるのかな……)
雪を丸める手はいつの間にか止まっていた。
心細さと不安に、辺りを見回し人を探す。
すると雪で霞む橋を二頭の馬が渡ってくるのが見えた。
――白い世界に浮かぶ黒い人影の美しい陰影。
雪の音に交じる聞き覚えのある声が、少し笑いを含んで問いかけてくる。
「レイン、遊びは終わった?」
遊び、と言われ恥ずかしくなり、欄干に残る形跡をササッと横に掃いてごまかした。
「こんにちは、リアム様、メイソン様。お勤めの帰りですか?」
レインは思いがけない出会いに愛好を崩して馬上の騎士に淑女の礼をとった。
美しい雪景色を共有できることが、たまらなくうれしい。
「雪がひどくなってきたから、そろそろ王宮に戻るところだ」
リアムの言う通り、雪が先ほどより激しく降り始めている。
レインも少し焦りを覚えた。
「レインも帰る途中なの? 家はどこ? 送るよ」
メイソンは、お目付け役のアンナがいないと、態度も随分軟化する。
だが悪い気は全くしない。むしろ隔てのない気安さがうれしかった。
「この山の奥に住んでいます。ご心配いただかなくても大丈夫です。騎士様たちも早くお帰りになられた方が良いですよ」
「山?」とリアムが大きく反応する。
彼は雪化粧の小高い山を仰ぎ見ると、今度は馬上から身を屈めレインを覗き込んだ。
「ああっ!! やっぱりそうだよな。君、俺と森で会ってるよね?!」
覚醒したとばかりに生き生きと問う。
リアムが明確に思い出したならば答えないわけにもいかない。
「……あの、はい。前に一度、射抜かれました。黙っていてすみませんでした」
言い出せず黙っていたことがやましく感じ、いたたまれなくなる。
目を合わすことが出来ず小声で答えれば、メイソンが何やら騒ぎ立ててくる。
「ええっ! なにその意味深げな言葉。射抜かれたって……リアムに? ええ~!」
メイソンの言葉が意味不明だったため、レインは否定せずにいた。
黙り込むレインを見てメイソンがますます目を輝かせると、リアムは聞こえよがしに舌打ちし、釘をさした。
「やらしいな。メイソンはほんとアホだな」
「やらしいだって!」
「まあっ」
「レインも射抜かれたって言うな」
(……なんで?)
小首を傾げるレインを横目に、リアムは面倒くさそうに事の成り行きをメイソンに説明した。
「夏の朝、弓の鍛錬をしに、森に入ったんだ。人がいないと思って放った先に、彼女がいたんだよ。彼女の近くに矢が飛んだが、大事には至らなかった」
「……そうでした。射抜かれてはいません。すんでのところでした。すみません」
「……」
なぜか、沈黙したリアムが、変な顔をして見詰めてくる。
少し幼さを感じさせるリアムの仕草に、出会った時の大人っぽい面影が色あせる。遠い存在だった彼に親しみやすさが生まれ、レインは和んだ気持ちのままに微笑み返した。
「天然だね」
メイソンの一言にリアムが頷いている。
レインは言われて初めて自分の性格を言っていることに気づき驚いた。
「けど、あの時は今みたいな反応も無くて、心配だった」
リアムは思い返し眉根を寄せた。
「君はずっと俯いていたし、元気もなかった。逃げるように帰ってしまったから、顔もあまり覚えてなくて……。その、申し訳なかったな」
レインは弁解を口にしようとしたが、洗いざらいに自分のことを言う訳にもいかず、口ごもった。
レインはあの日、リアムによって見つけ出された迷子のような状態だった。
見つけ出してくれたことへの感謝。ここで笑い合える幸せ。それだけでも、リアムに伝えたいと思ったが、それさえも上手く話すことが出来ず、レインは無難な返答をした。
「こちらこそ、……あの時は驚いて、失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。店で初めてお会いした時から、弓の騎士様だと気づいていたのですが、恥ずかしくて自分から名乗るのも躊躇われまして……」
「そうか、だからいつもそわそわしてたのか?」
「あ、いえ、これは(性格だと思います)……」
リアムは白い息を纏いながら笑った。
レインも気が抜けて笑いがこぼれた。
「ふ~ん、そういうことね。期待してたのよりつまんないね」
そう言いつつも、メイソンは外套の雪を掃いながら、いたずらな笑みをレインに向けてくるのだった。
明るい金髪に青い瞳。けろっとしたお調子者の彼はいつも何か企んでいるように見える。
彼はレインにとって面白い話題を提供する、とでもいうように、リアムの話を自慢げにした。
「リアムはさ、第二部隊の中でも一番弓が上手い。銃の腕もいい。剣は俺の方が上だな。一年前に入団してこいつ修行中なんだよ」
「お前もだろっ」とすかさず、リアムに突っ込まれる。
二人はずいぶん気が合うようで、ほほえましい。
修行中と聞き、年を訪ねれば二人とも十八だという。
レインと一つしか離れていなかった。
体格は良いが、時折見せる少年じみた仕草にも納得がいった。
立ち話を長々としていると、徐々に雪が吹雪き視界を遮るまでになってきた。
メイソンは、「さてっ」と気合を入れると、リアムと並走していた自分の馬をレインを挟むように反対側に回して先を行こうと促した。
リアムは白い空を見上げ、不意に馬から降りてレインに歩み寄る。
何気ない仕草でレインの頭の雪を払いのけると、交わった視線を馬へと向けた。
視線の先に見た、一枚の絵画にレインは凍てつく寒さも忘れて魅入った。
馬の背に乱舞する雪が一瞬止まり、印象的な風景を描いていた。
「降ってきた。ほら、帰るんだろう?」
腕を強く引かれ、レインはよろめき我に返ったとたん、無造作に脇の下に手を入れられ、荷物のようにひょいと馬に乗せられた。
(きゃぁぁ~!)
レインは、口から飛び出しそうな心臓を手で押さえ、心で悲鳴を上げた。
動揺やら羞恥やら今までに感じたことのない騒めきが沸き上がり、大混乱になる。
瞠目したまま、雪を掃う騎士の手際の良さを眺めていれば、リアムがグイっとレインの背後に回り込んできた。目の前には手綱を握る大きな手が現れる。
背中が温かい、そう思った矢先に馬はゆっくりと動き出した。
「おっと!」
突然のことに体制を崩し落ちそうになったレインを、すかさずリアムが受け止めた。
腹部に回る手に、心の中で大絶叫した。
飛び出した心臓はもうどこに行ったか分からない。
「馬は初めて?」
耳元で聞こえるリアムの低い声。
混乱の大渋滞に身動きが出来なくなったレインは、会話もしどろもどろだ。
「いいえ、あの、乗せてもらったことがあります。……あの、……送っていただけるのですか?……すみません。ありがとう、ございます」
「問題ないよ。それより落ちるなよ」
父にもそう言われたことがあった。
これ以上にギュッと体を抱きかかえられて、家の周りを乗せてもらった。
自分で乗馬を楽しみたかったが、危ないからダメだと過保護な父からは了承を得られなかった。あれから随分、馬の背には乗っていない。
馬はレインの誘導で山道をゆっくりと登り始めた。
道は細く、リアムの馬が前を、メイソンが後方に並び進んでゆく。
木々が雪を遮っているためか、地面はさほどぬかるんではいなかった。
程なくして、辺りの木立が鬱蒼とし、薄暗さを感じる寂しい道となる。
白い空が時おり、木々の天窓から覗き、雪をちらちらと舞い落とした。
森の中は街よりも、冷気を含んで寒い。
だが今は、リアムに包まれた背中がとても暖かい。
安心感からか気持ちもほかほかする。
「いや~こんな道、知らなかったよ」
メイソンの声が静かな森に際立ち凛と響いた。
彼はこの森に初めて入るらしく、終始辺りを観察している。
この辺りは針葉樹ばかりで年中薄暗く寂しい。
この道で人に会ったことは無く、出会うのはもっぱらウサギやキツネ、シカなどだ。
「この道は、家から街にすぐ出られるように、随分昔に作ってもらった道なんです」
父が人を雇い、家とこの道を密かに造らせたと聞いている。
――両親も居なくなった今、家の場所を秘密にすることもないのかもしれない。
実際に今日、二人に知られてしまうのだから。