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73 転落


 戦前は見習い騎士、預かり騎士だったリアムも、今では英雄として、諸手をあげて王宮が迎え入れる。

 今回の辺境伯の護衛を最後に、王宮騎士団に戻る彼には、王や宰相から舞踏会への招待状……いや、参加要請が届いていた。

 キーラ事件から、“貴族の結束力”が王宮の合言葉になっている。ゆえに、事件を解決させた英雄の登場でより結束力を高め決起したい目論見があるようだ。しかし、それはそれ。リアムは貴族社会を捨てている。いや、捨てさせられている。英雄の敵はいまや戦地ではなく舞踏会にいる。

 向こうを張るダイアナと同じ舞踏会に参加することなど堪えがたい。

 まして“たらし英雄”の名は健在だ。

 身体に突き刺さる女性たちの視線の痛さを思い浮かべ、リアムは身震いをしながら、回廊の陰に身を潜める。丁重に断りを入れた舞踏会に、ジェノバ騎士団として城主の護衛に徹していた。

 

 駆け引き飛び交うの舞踏会で、ダイアナは婚約が破談となった深窓の令嬢をうまく装い、たくさんのお相手候補からダンスを申し込まれていた。ご満悦の元婚約者を、誰にも気取られぬよう柱の陰で、リアムはひっそりと窺い、ほくそ笑む。

 子息の中でも幼少期から付き合いのある、宰相の次男が次の婚約者候補に挙がっていた。

 とりあえず、このまま彼と上手くいけばよい、とリアムは密かに、そして猛烈に願っていた。




 ***




 夜半過ぎ、月がひっそりと浮かぶ暁闇(ぎょうあん)の空は、もう少しすれば白み始める。

 民衆は働くために起床する時間だというのに、一方で遊び疲れ就寝のために高級住宅地へ帰る貴族の馬車は後を絶たない。


 王都で最大のアーチ橋を、数台の馬車が通過している。そのひとつ、最後尾に付けた馬車にジェノバ辺境伯と令嬢が乗っていた。

 カッカッカッと規則正しく響く(ひづめ)の音。だが橋の中央、弧の天辺に差し掛かった時、その音は狂い出した。馬が不自然に鼻息を荒くし、徐行をはじめる。御者は手綱を持ち直し、騎士達は闇に目を凝らした。


「おいっ、何かいるぞ!」


 緊張が走る。突如、欄干から飛び出す人影に、騎士達の声が交差した。言うが早いかリアムはその影に飛び掛かった。

 刃物を持った男だった。だがその体は細く貧弱で、覆いかぶさったリアムにあっけなく馬乗りにされ、地面に背をつけたまま殴られた。

 殴られながらも刃物を掴んだ手が抵抗する。だが振り回した男の手から、握っていた小刀が滑りあらぬ方向へと飛んでいった。

 馬の尻をかすり、馬は突然の痛みに大きく嘶き荒れ狂った。

 痛みを(はら)うように前後の足をバタつかせ、キャリッジごと浮き上がらせる。放り出される御者に替わり、騎士達が即座に馬の手綱を掴もうと近寄った。

 しかし、馬が暴れ手綱が躍り、掴めない。そうこうしているうちに、馬は傾くキャリッジを引きずりガシャンガシャンと音をたてながら、アーチ橋の斜面を滑るように走り出した。


 騎士たちは懸命に馬車を追い、キャリッジのドアに手を伸ばす。瞬間、ドアの取っ手が外れ勢いよくドアが開け放たれた。左右に大きく蛇行した馬車は、開いたままのドアから、辺境伯と従者を放り出した。馬とキャリッジを外そうと騎士たちが奮闘するも、容易には外れなかった。

 開け放たれたドアから侍女の手が覗いて見ていた。騎士はその手を掴み並行する馬の背に引き上げることに成功する。だがダイアナが残っていた。

 

 完膚(かんぷ)無きまで殴りつけられた男は既に気絶していた。

 リアムは男を放置し、馬に飛び乗り馬車の後を追った。


 石造りの欄干(らんかん)にキャリッジがぶつかり、ドアが割れ飛び散った。

 その強い衝撃にダイアナは、悲鳴を上げながらも必死に座席にしがみつく。

 白目をむき、狂ったように体をうねらせる馬には何の指示も聞こえない。

 馬車はまるで風に揺れる(こずえ)のように、引きずられ蛇行を続けた。

 

「ダイアナ!」

 

 追いついたリアムは瞬時に馬車と欄干の間に入り込み、ダイアナに手を伸ばした。彼女の伸ばした腕を掴むと、力を込めて引っ張り出す。飛び込んでくるダイアナを抱え馬の背にしがみつかせた。だが反動で己の身体が浮いた。


 バランスを崩した騎士は馬の背から滑り落ちる。


「くそっ」


 ダイアナを巻き込まぬように、握り締めていた手綱を自ら離すと、リアムは地面ではなく、谷底の闇に引き寄せられていった。


 ダイアナを託されたルーは、馬車と欄干の間を全速力ですり抜けた。

 刹那、暗闇に巨大な木の樽が転がり潰れたような轟音が響き渡る。

 暴走した馬は、橋のたもとで加速した荷台と共に横転し、そのまま動かなくなった。

 ガラガラガラと横転した馬車の車輪の回る音が、急速に訪れた静けさの中、不気味に響いてていた。

 

 いまだ細く残る月が、橋を仄明るく照らしている。

 騎士達は迅速に辺境伯やダイアナを救護にあたり、気絶している男に縄をかけた。


「大丈夫ですか? 怪我人がいるのですか?」


 駆けつけてきたのは、先にそびえる大聖堂の修道士たちだった。

 修道士たちは持参した松明やオイルランプを傾け、現場の惨状をそれぞれが確認して対応にあたろうとしている。


「大怪我はしていないが、こちらの五人を診ていただきたい。頼めますか?」

 

「わかりました。あなたたちは?」


「俺たちは問題ない。今から橋の下に仲間が落ちたので救助に向かうつもりです」


 騎士が橋の下を指し示すと、修道士たちも欄干に身を乗り出して何も映さない闇を見つめる。横たわる黒い闇からは水音が僅かに聞こえ、唯一そこが川であることを誇張している。

 

「ここの川幅はさほどなく、藪が生い茂っている。藪が緩衝材になっていればよいが……」


 修道士の言葉に騎士たちは多少安堵したものの、橋には高さがあった。

 リアムが落ちた付近から騎士たちは下を覗き込み声を張り上げた。

 

「リアム! おーい! 返事しろ」

 

 騎士たちの声に反応するものは無かった。

 ただ一人、駆け付けた修道士に混じっていた女性だけが、その名前を聞いたとたん、短い悲鳴を上げ、慌てて欄干に身を乗り出した。

 女性は真っ暗な橋の下に目を凝らし、丹念に見回しながら突如声を張り上げた。

 

「リアムさま、そこにいてください。今、助けに行きますから!」

 

 言うやいなや、橋の(たもと)に向かって女性は走り出した。

 まるでリアムの姿が見えているかように、その視線はめざす先を真っすぐ見つめている。


「おやめなさい! この暗闇では探しようがありません! 彼は職務を全うしただけです。今は捨て置きなさい」


 突然発せられた指示に、女性は足を止め振り返る。

 松明たいまつに照らされた、女性の横顔に令嬢は冷たく目を眇めた。


「――あなたね」


 令嬢は修道士の支えを振りほどき、婚約者を奪った女を睨みつけた。だが今までのように女は怯まない。ダイアナを睨み返す。


「もう少しすれば水かさが増します」


 松明がジリっと焼いた音を立て、レインとダイアナの足元に火の粉を散らす。


「まだリアムを追っていたの? 身の程知らずもたいがいにして頂戴。この時間に徘徊しているってことは、夜を生業にしている仕事してるのね。パトロンのリアムがいなくなって、絵も続けられなくなったからかしら?」


「――だとしたらなんなのでしょうか?」 


 レインはダイアナを論外と言わんばかりに無視し、暗闇の中へ消えていった。










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