72 五年目
国王はジェノバに戒厳令を発令した。
それによって、盗掘者たちはジェノバ騎士団に片っ端から取り押さられた。
樹海も封鎖され、立ち入りが見つかれば、すぐさま捉えられた。
隣国との抗争に身を挺して先陣を切ったのは、あの若き英雄だった。彼は武力で隣国を制し、知力で国内を制した。
ボルダロッドのリゴー侯爵に協力を仰ぎ、練った策を実行させたのも彼だ。
五十年前の掘削による有害物質が川を汚染した事実を書面にし、リゴー侯爵の演説と共に各地に配布した。
――樹海を掘れば、有毒物質が土から流れ出し、川を赤く染め、人々を死に追いやる。
その話は、隣国へも伝わり、侵入者も減少した。
実際の侵入者から行方不明者が多数出ていたため、話には信憑性が備わった。
稀に樹海から盗み出すことのできた鉱石は、騎士団がひとつ残らず押収した。だが押収した赤い雫を確認した結果、リアムの耳飾りとは似て非なるものだった。深紅ではあるが、輝きは鈍く中心は黒ずんでいた。研磨せずとも透明度が高く澄んだ紅を放つ、耳飾りの輝きからはどれも程遠いものだった。
赤い雫騒動の発端はダイアナだった。
リアムを辱めようとしたのだと、彼女自ら辺境伯の前で告白した。
赤い雫を発注した宝石商も、幻影商会だったことが明らかになっていた。
依頼を受けた幻影商会は、ダイアナから指示された場所でたまたま掘り当てることが出来た。その後、味を占め、人を雇い再び秘密裏に樹海に入ったが、ほとんどの者は樹海で迷い、戻らなかったという。
秩序の観念がまるで欠けている娘に、以前から気づいていた辺境伯だったが、今回ばかりは容赦なかった。
ダイアナは、知り合いの厳しい婦人の元へ行儀見習いに出された。
だが、腐ってもジェノバの姫であり、擁護できるのも父である彼しかいない。娘の馬鹿げた過ちは全て辺境伯が捻じ伏せた。
盗掘から始まった抗争の鎮圧は一年もの時間を要した。
***
一年後。
季節は巡り、国花となる白い花が咲き誇る王都の街を、ジェノバの紋章をあしらった豪華な馬車が通り過ぎてゆく。
前後左右に四人の精悍な騎士を並走させ、行き交う人々の注目をさらっていた。
馬車にはジェノバ辺境伯と反省期間を解かれた令嬢か乗っていた。二人は紛争終結の報告、及び社交も兼ね、遥々ジェノバより王都を訪れたのだった。
城下は、丁度この時期開催される『花まつり』の準備で活気に溢れていた。
花壇を整え、家々の窓辺には鉢植えの花々が、そして玄関扉には花の精霊のタペストリーが飾られた。
辺境伯を乗せた馬車とジェノバ騎士団の姿を見かけた人々は、皆一様に歓喜の声を上げて馬車を見送った。
国境を守り抜き、『赤い雫事件』の健闘を称え、ミティア国最強城砦の城主とその騎士を一目見ようと沿道に人が押し寄せた。
なんと言っても麗しの若き英雄が悠然と目の前を通り過ぎる姿は、絵のように美しく、皆が見惚れた。尊敬の眼差しはおろか、拝む者まで現れた。
「リアム、王都はいいな。女がキャーキャー声援をおくってくれる。ジェノバじゃ団長が厳つい顔で、怒鳴ってくるだけなのになぁ」
黒の軍服を纏う、恰幅の良い男たちは、久しく味わえなかった柔和で穏やかな生活に、むず痒いほどの解放感を味わっていた。
「そうですね。来週末は花まつりがあって街が若い男女で賑わいます。ぜひ参加したらどうですか? きっとモテますよ」
花まつりは、穀物の豊穣を祈る祭りだ。
生育や繁殖の季節に行われるこの祭りに参加することで、結婚や子宝に恵まれるという風習がある。
「それはいいな! お前も一緒に行こう。お前が居たら女も寄って来るだろ?」
他の護衛騎士たちも巨体を揺らし、小さくうんうん、と頷いている。
「俺は……他に訪ねたいところがあるんで遠慮しときます」
「なんだ、女のところか? 手が早いなあ」
クツクツと笑い、下品な話に持ってゆこうとするのは常のこと。リアムは一応場をわきまえ、そこは答えず真面目を装った。とはいえ、内心は実にレイン一色だった。王都の街景色の中に、特別な女性の面影を夢中で探していた。任務など放りだしてすぐにでも、会いに行きたかった。
旅先で別れて以来レインと会うことは叶わず、音信も途絶えていた。
事件が解決した直後、手紙が二通、王宮騎士団から転送されてジェノバ騎士団に届いた。綴られていたのは旅の同行と事件解決の謝意だけだった。
リアムが送った手紙への返信は一切なく、レインに届いたかすら不明だった。
彼女の近況を聞いたのは半年前だ。
メイソンが第二部隊を率いてジェノバ騎士団の応援に駆けつけた時だった。
レインは犯人逮捕の知らせを受けた後、衝撃と落胆で心労が重なり一時期伏せていたという。ダイアナに言いがかりをつけられ絵を破られたとも。
ネッリ画伯に指南を仰ぎ、王都から離れた場所に移り住んだというが、住所もわからずそれきり、メイソンとも交流が途絶えたらしい。
リアムはこの一年間、側で支えてあげらることのできないもどかしさに、堪えるばかりの日々を送っていた。戦況が悪化しジェノバを離れることが許されなかった。辺境伯から取り戻した信頼を、安易に放り出し王都へ戻ることなどできなかった。
「おいリアム、だまっちゃって、図星だな?」
話し途中で濁したリアムを、からかいの声が追い回す。
「どんなこだ? その娘の友達を紹介してくれよ」
他の騎士も「俺にもなっ」などと声が馬車を跨いで飛び交った。
品行方正とは真逆のジェノバ騎士団ならではの光景だ。
「アァ~、ンッ、ゴホン、ゴホン」
無駄話を、馬車の中から咳払いで咎められる。
職務怠慢、それ以上にその話題は禁句だった。
しかし男たちは悪趣味にもそれを心得て話をしていた。
馬車の中ではダイアナが顔を歪めているに違いないと、騎士たちは悪い笑みを浮かべるのだった。
リアムとの婚約が解消され、城に戻されたダイアナを団員全員で機嫌を取り、褒めたり、へつらったりと試みた。しかし終始機嫌の悪いダイアナは騎士達に言い放った。
『馬鹿で体が丈夫なだけの男は大嫌い!』と。
ジェノバ騎士団にそうじゃない男は一人もいなかった。
以後、ダイアナのご機嫌取りは止め、ただ機嫌を損ねぬように努めた。行儀見習いから帰っても態度にまったく変化のないダイアナを見て、リアムへの同情ばかりが集まった。
「うるさいわよ!」
車内から金切り声が飛び、騎士達もそれ以上の話は慎んだ。
そのうち馬車は、城下の中心部に入った。
大聖堂前の広場は祭りの準備に人だかりができていた。
ここは花の精霊たちが集う場所となり、夜はダンス会場にもなるため、ランタンを吊す作業が大勢で行われていた。
大聖堂の前には大きな板に精霊の姿絵が飾られている。
その絵はまるで装飾写本を百倍ほど大きくしたような構図で描かれた珍しいものだった。いわゆる、看板となるものだ。
だが看板にしては大作であり、もったいないの一言に尽きた。その出来栄えに、道行く人々が足を止めて魅入っている。
花まつりと描かれた装飾文字の下に、白布を体に巻いた精霊が大きな花冠を頭にのせて、木立の下に座っている。その横に、小さな装飾文字で花の精霊の物語が記されていた。
しなやかな肢体を滑らかに覆う布、そして精霊の透き通る白い肌や、艶やかな髪の毛はまるで生きているように美しい。
(――レインにそっくりだ)
心で感嘆を漏らしたリアムの視線が、唐突に釘付けとなった。
見詰めた看板の端で脚立に乗り、作業をする女性の姿に、一瞬で心を奪われた。
リアムは、心の中で必死に彼女の名を呼び、彼女を振り向かせようとする。
広場に集まった人々が、馬車と騎士団に勝利の祝福を送り手を振った。
御者が気を利かせ速度を落とすと、辺境伯も窓を開けて皆に手を振り返す。
その騒ぎに、絵を描いていた女性も筆を持ったまま振り返った。
見つめていたリアムと視線がふと触れあうと、彼女は息を飲み瞳を瞬かせた。
頭巾からこぼれ落ちた、クルンとした後れ毛が風に揺れ、頬をなでている。
彼女の瞳が揺れて、小さな唇が何かを呟いた。
短い響きはたぶん、自分の名だと思った。
リアムは馬上から、大きく片手を振り上げた。
すると穏やかな双方と赤い小さな唇が大きく弧を描く。
丸く柔らかそうな頬をキュッと上げ微笑む彼女を、抱きしめたい衝動に駆られ、またしても騎士は堪えなければならなくなった。
(――よかった。元気そうだ)
騎乗するの馬の背をトントンと叩くとレインは頷きながら、「ルー」と口を動かして見せた。
出会いは一瞬だった。
二人の距離はあっという間に引き離された。
「おい、リアム、護衛が人混みで、警戒を怠ったらだめだろ? まったくニヤつきやがって」
そういう方がニヤニヤと含み笑いを見せている。ずっと見られていたようだ。
「申し訳ありません」
リアムは素知らぬ顔で馬を駆る。
「なんだよ、さっきの顔見せてせてみろよ。あんな顔見たことないぞ」
いつもならそんな言葉に無視を決め込むリアムも、この時ばかりは、顔の綻びを隠しきれなかった。




