70 摘発
「――はあぁ。まあ、あいつはそれでもやっぱり英雄なんだよ。あいつがいなければ、戦争も、王都の悪党たちも、そしてレインの事件も片付かなかった」
口許を歪めながら、メイソンは鞄から小さな包みを出し机の上にのせた。
「これ、見覚えがあるかい?」
包みを広げると、その中からは小さな宝石のついた二つのブローチが現れた。
見覚えのないはずがなかった。
レインはメイソンに断りもないまま、それを思わず手に取っていた。
すずらんの花を象った銀のブローチ。
縦に並んだ五つの小さな真珠が、花の形を模していて可愛らしい。
蔦の葉をモチーフにした曲線が美しい、金のブローチには、葉の部分に翡翠が埋め込まれている。
どちらもフローラの胸元で輝いていたものだった。
このブローチは、隊員が結束して人海戦術の末見つけたのだとメイソンは説明する。リアムに敬意を払う同輩たちが、自分の任務の傍ら捜査に協力してくれたらしい。
「幻影商会って知ってる?」
「幻影商会?」
レインは問いに問いで返した。
眉を顰め、店の名を懸命に過去の記憶から探るレインに、メイソンは今までの捜査の流れを端的に話す。
貴族御用達の店「幻影商会」が盗品を売りさばいている疑惑が、ジェノバで捜査を続けているリアムから持ち上がった。その話を受け王都の騎士達が舞踏会の参加者に声をかけ、取引の実態を捜査した。
幻影商会は、美の巨匠、宮廷画家キーラ画伯のお墨付きの店だということから、若い女性に人気の店だった。その結果すぐに、幻影商会で最近購入したという貴族が現れ、購入品の確保に至ったのだという。
話しを聞いてもやはり、レインの記憶からは幻影商会という店の名は浮かんでこなかった。
***
ジェノバではリアムが騎士団を率いて、精力的に捜査に乗り出していた。
階級をはく奪され、新米騎士同然となったリアムだったが、荒くれ者が集まるジェノバ騎士団に階級などあって無いようなものだった。
リアムの人望と今までの功績が周知されているため、最下位騎士でも捜査には柔軟に口出しができた。
それどころか、粛清指示まで出し傑物的な存在を知らしめていた。
まずはボルダロッドに拘留されている、リゴー侯爵の馬車を襲った山賊たちの口から、真実を吐かせた。商会の名こそ出なかったが、盗品の取引先があの倉庫跡だと吐いた。発掘の話も倉庫跡で人づてに聞いたとも。
倉庫跡の廃退地区は、ジェノバ騎士団も以前より監視の目を光らせていた。
リアムは仲間からその経緯を聞いた。内容はこうだ。
戦争で物流が止まり倉庫への搬入がなくなると、空箱になった倉庫に人が住むようになった。
住人たちの中には、先の戦争で一緒に戦った民間兵の姿もあった。
倉庫街にはそのうち闇市が立ち並び、流通されなくなった小麦や野菜、衣料品までもが高値で並ぶようになる。それを機に、騎士団の監視が強化された。貧困にあえぎ悪事に手を染めてゆく昔の仲間の監視は、騎士達に苦い思いを抱かせた。
取り締まっても後を経たない。しかし住んでいる者たちを追い払えば、生活する場所を失い、また犯罪が増える。ジェノバ騎士団は、その対処に悩んでいた。
だが、復興が進み、生活が安定し始めると、徐々に闇市は姿を消していった。倉庫に住み着いた住民たちも、おとなくなった。
それゆえに、監視の目が緩くなった。リアムが捜査するまで、その裏で窃盗団を組織し盗品を王都で売って、荒稼ぎしていることを騎士団は気づかなかった。
元民間兵がいたからこそ、ジェノバ騎士団の動きを把握していたことも、見落としの要因だった。
リアムの指示のもと、廃退地区の実態解明にジェノバ騎士団の厳重な監視が始まった。
ジェノバ、ボルダロッド、王都での流通経路を暴き、同時にレインの盗まれたブローチが幻影商会で売買されていたという知らせを受け、騎士団ははいよいよ摘発に動いた。
摘発は夕刻を待った。
リアムとジェノバ騎士団は廃退地区の周囲に身を潜めて監視していた。
陽が傾き、長屋の前に停まった荷馬車から、フランク・ウォルツとみられる男が降りて来た。
週に三度、この時間に男が物品の確認にくることを騎士団は把握していた。
男の指示で数箱の木箱が降ろされ、中へと運ばれていく。
全ての荷が入ったと同時に騎士団は現場を押さえ男を拘束した。
男は抗うことなく、戦後の復興の立役者同然の顔で堂々と連行されていった。
頭首と共に家の働き手を失い、残された住民たちは恨みの眼差しを騎士団に向けていた。
主犯格の男の取り調べが、騎士団長とリアムによって行われた。
がっちりとした体格に白髪の混じる壮年の男、フランク・ウォルツは元傭兵だった。戦争や紛争を渡り歩き、ジェノバ戦線でも騎士団と共に戦っていた。傭兵は激戦が続く始めの一年間のみ雇われ、その後緩やかな戦闘が続く長期戦になると、報酬が負担となるため領主から切り捨てられた。
ジェノバは昔からこういう輩の巣窟だった。
男は繰り返す戦とその隙間に出来る闇での商売をうまく両立して長年のさばっていた。
レインのみならず、リアムの母の事件の関与も否定できない程だ。
呆気なく捕まったウォルツだったが、レインの家に押し入った経緯はまったく、しらを切っていた。
***
王宮の裏山は、雨がしとしとと降り朝から蒸し暑い。
木々も枝を下げ、けだるそうにしている。
レインは椅子に腰かけ、手元に戻ってきたブローチを丁寧に磨いていた。
真珠がついたブローチは、海に面したどこかの国で父が土産に買ってきたものだ。
『私も行ってみたいわ、その街を描いてみたい』
父の訪ねた地に、思いを馳せる母の姿にレインもまた思いを馳せる。
「戻って来るとは思わなかったな」
胸に手をあて、目を閉じレインは念じる。
けっして諦めず事件と向き合ってくれた、騎士達にレインは感謝を伝えた。
(――ありがとうございました。いつもいつも助けてくれて、騎士様たちに出会えた私は幸せ者です)
レインはブローチを箱にしまい、新しい家に持っていく鞄に詰めた。
アトリエには侯爵の屋敷から持ち帰った、フローラの絵が梱包を解かぬまま置いてある。飾ってあった置き物なども整理され、家の中はさっぱりとしていた。
引っ越しの準備は進んでいるが、この家と別れる心の準備がまだだった。
三人で過ごした日々の思い出を辿るように、父の隠し部屋から持ち帰った日記にレインは手を伸ばす。
綴られた内容に気持ちが揺れすぎないように、大きく深呼吸をして頁をめくった。
日記には仕事のこと、日々の生活での気づき、シャルルの旅先での出来事、レインの様子などが、数日おきに記されていた。
綴られたどの言葉にも、なんとなく思い浮かぶ光景があった。
両親の声が頭の中で日記を読みあげる。
日記の中にはレインの知らぬ事実もあった。
文字をなぞっていた指が理解しようと彷徨った。
――式典に出かける二ヵ月前の記録。
――式典の絵描きの候補が、フローラとキーラ画伯になった。彼は支持者が多いから手ごわいね。
――王妃様がフローラを推してくれた。殿下はあなたが描いた“白百合の乙女”が大のお気に入りだからね。どの絵よりも素晴らしいってさ。
――キーラ画伯とは昔から馬が合わない。彼は文化交流のために外交も携わっているからね、よく意見が衝突するんだよ。今回の式典も自分が出席して、その上、記録絵も残したかったらしく、あの丸まった髭を触りながら睨まれたよ。
レインの指がある文字の上で止まる。
「キーラ画伯……」
日記に記されたその貴族の名にレインは胸騒ぎを覚えた。
彼は幻影商会を人気店にした広告塔だ。
自分とキーラ画伯の接点を今一度レインは探り、思い出す。
結婚式の日に、パトリシアの父である伯爵と特徴的なひげを蓄えた紳士が自分に手を振っていたことを。
その後二人は屋敷の中へと入って行った。エントランスの絵をみせようと、伯爵は友人を誘い、たまたま目に留まった作者の自分に手を振ったのかもしれない。
「あの方が、キーラ画伯だったのかも……」
飾られていた絵がフローラの絵の技巧に似ていることなど、絵描きならすぐにわかる。
レインは翌朝、騎士団に赴きメイソンにその日記を見せた。
貴族社会でキーラ画伯の評判は極めて良好だという。
名画伯であり、賢人だとも。
盗賊と手を組みレインを襲う企てを立てるようには思えない。まして意味もない。しかし――。
「キーラ画伯は、舞踏会で俺たちにレインの絵を褒めていたことがあった。彼はレインを知っている――」
メイソンはそうレインに告げると、日記を携えその足でリアムのいるジェノバへと旅立った。




