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68 反撃 上

 

 旅から戻り半月がすぎた。

 事件の報告があるとメイソンから連絡を受け、レインは彼の屋敷を訪ねている。


 夫人のパトリシアとのお喋りに花を咲かせ、遅れているメイソンの帰宅を待つ。

 焼き菓子やケーキに舌鼓を打ちながら、お互いの近況を報告しあった。

 パトリシアは、若奥様として嫁ぎ先になじみ、屋敷と領地を手際よく取り仕切っているようだった。今は、(じき)に生まれてくる赤ちゃんの部屋と遊び場を整えるのが、楽しみらしい。

 地に足のついたしっかりとしたパトリシアの人生と己の浮き草のような人生。話を聞けば焦りを覚えたが、今までのような絶望感はない。ようやく訪れた転機を前に、レインには今後の人生への、期待と希望が芽生えていた。

 

「私は相変わらずだけど、あなたが元気そうでよかったわ」


 いろいろあったことを含んで告げる、友人のやさしさにレインは無邪気に微笑んだ。


「私もパトリシア様を見習って頑張りますよ」


「そうよ、ネッリ画伯の手伝いなんて普通の人は出来ないのよ。頑張って!」


 パトリシアから柔和な微笑みが返される。彼女は口角をあげたままテーブルに置かれた茶器に視線を落とし、ティーカップに手を伸ばすと、ふとまたレインに視線を戻した。


「う~ん、でも、やっぱり心配ね」


 そう付け足すと、尖らせた唇に紅茶を運んだ。


 引っ越し先はまだ未定。旅行で一文無しのうえ、今は無職。希望だけはあると微笑んでも、誰が聞いても心配になる話だ。レインは頼りない苦笑いだけをパトリシアに返した。


「大丈夫ですよ。どうにかなります。引っ越し先も、先日作業場を見に行った帰りに見当付けてきましたから」


 のほほんと応えたレインに、パトリシアは眉を顰め(げき)を飛ばした。


「どうにかってなによ! 不安じゃない。レインも結婚しなさいよ。そうすれば心配もなくなるわ」


「っけ、結婚ですか?!」


 驚きで紅茶に咽せかえる。レインは慌ててカップをテーブルに戻した。

 パトリシアはおそらくずっとこれが言いたかったようだ。

 してやったりの顔をレインに向けている。

 唐突に投げ込まれた刺激の強い言葉にレインは翻弄される。

 すると、その言葉に反応しチラリと浮かんでしまった顔があり、脳内で二度驚いた。


 『俺が君にしてあげられることはあるのか?』


 脳裏に響く力強い声が、瞬時に体を煮立てるように熱くする。

 旅から帰ってきて以来、レインはおかしくなっていた。

 旅に出る前は、完全にリアムから気持ちが遠のいていたはずだった。にもかかわらず、再び素知らぬ顔をして甘く疼き出したのだ。ふと気づけば、彼がいないと心細いという気持ちになっている。


 ――両親のような、例外的な結婚を受け入れる価値観が、住む世界が違う人との恋をいつまでも夢見させてしまうのか。

 レインは、世間ずれしている恋心を抱える自分が、とても不道徳に思えて仕方がなかった。

 パトリシアに心境を見透かされぬよう、すまして取り繕うが、聡い彼女は違和感にすぐ気づく。

 

 耳を赤らめ、汗をぬぐうレインを、友人はいたずらに諭した。


「あらら? どうしたの? 今日はそんなに暑くないわよ」


 ぎょっとした顔を俯いて隠すレインの耳元で、パトリシアは囁く。


「ふ~ん、……リアム様?」


 ボンッとレインの体内で爆発が起こった。


「違いますっ!」


 声を張り上げて否定するレインを見て、パトリシアはクツクツと込み上げる笑いを必死に耐えている。

そんな彼女と目を合わせぬよう、背を向け、視界に入るドアにレインは懇願した。


(もう! メイソン様、早くお帰りになって!)


 窮地の願いが通じたのか、念じた直後コンコンとノックの音が響いた。だが現れたのはこの家の主人ではなくメイドだった。


「失礼します。ダイアナ・サラ・ジェノバ様がみえております。お約束はないようですが、いかがいたしますか?」


「ダイアナ様が?」


 話しが筒抜けだったような間の良さに、レインは嫌な予感を覚えた。

 意外性に戸惑うパトリシアと神妙に顔を見合わせる。

 パトリシアはリアムとは懇意でもダイアナとは疎遠なのだと漏らす。


「今リアム様のことを噂したからかしら?」


 いたずらっぽく耳打ちするパトリシアに、レインは口を手で押さえ、小さく横に首を振った。冗談でもけして笑えない。怖いもの知らずの友人を諭す気持ちで、もう一度首を横に大きく振る。


「冗談よお」


 にこやかに肩をポンポン叩かれ、別室で待っているように告げられた。


「承知しました」


 そそくさと腰を上げ別室へ移ろうとしたレインだったが、一歩遅かった。


「ちょっと、あなた」


 廊下で鉢合わせ、かしずいた状態から(おもて)を上げたレインを、豪華なドレスに愛想の仮面を被った姫君が、侍女と共に露骨に見据えている。


「なんて偶然なの。丁度よかったわ」


 高圧的に感じる彼女の尖った気質が、強く表れているように思え、レインは僅かにたじろいだ。

 伯爵令嬢から問い(ただ)される理由に、身に覚えがあるからだ。先程の会話、それ以上にもっと深刻なことがある。


 ――先日の旅行を咎められるのかもしれない。


 それが真っ先にレインの脳裏に思い浮かんだ。


 緊張を隠しきれないレインを廊下に立ち止まらせたまま、ダイアナはパトリシアへの挨拶も後回しに、話をはじめた。控えていたメイドから布の包みを受け取り、その布を堂々とめくる。瞬間、鮮やかな緑がその場にいたものの目に飛び込んだ。


「これ? あなたが描いたものかしら?」


 驚くレインを見やり、ダイアナは確信した顔をする。レインは嘘のつきようもなく素直に答えた。


「はい、私が描きました」


「まあ! やっぱりねぇ」


 ダイアナはほくそ笑み、威圧感をより強めた。

 やり取りを横で見ていたパトリシアは、只ならぬ雰囲気を読み、皆を部屋に促した。ダイアナにはソファーをすすめ、レインを後ろに隠すように控えさせた。


「ダイアナ様、御用とはその絵に関してのことですの?」


 パトリシアの問いに、ダイアナは頷きながら姿勢を正し微笑み返す。そうして落ち着いた口調でようやく正式に訪問の挨拶をのべた。


「突然のご訪問、大変失礼いたしました。――そうなのです。パトリシア様のメイドが絵描きだと窺っておりましたので、もしかしたら彼女の絵ではないかと思い、一度見て頂こうとお伺いしましたの。彼女はリアム様と親しいようですし……。でも、丁度良かったわ。本人に問うことが出来ましたもの」


 パトリシアは、後ろに控えていたレインを呼び寄せ、隣に座らせた。突然始まったこの事態をレインは固唾を飲んで見守るしかなかった。


「あなたに質問よろしいかしら?」


 対峙する画家の顔を指さす横柄な態度。レインは気圧され無言で頷いた。


「なぜあなたはリアム様の絵を描いたの? それに、このリアム様が着ている甲冑はジェノバ騎士団のものよ。それも古いもの。彼のお祖父様の頃のものね。彼があなたに昔話を話すほど、あなたたちは以前から仲が良いのかしら?」


 危惧していたことだった。リアムと旅を共にした時から、この事態は必至なのだと覚悟していた。

 レインは潔白を証明できるように懸命に頭を整理する。不器用な己を必死に奮い立たせた。


「この絵は、戦前に描いたものです。リアム様にお話を伺い描いたものでもなければ、依頼されて描いたものでもありません」


 誤解を伴わぬように慎重に真実を話した。


「まあ、勝手に描いたの!」


「家の近隣で写生をしていた時、偶然にリアム様に出会い、私が勝手に風景の中に騎士の姿を絵に加えました。甲冑も想像で描いたものです」


「あなたがリアム様に熱を上げて描いたってことね」


 レインは返答に窮した。その気持ちがまったく思い当たらないとはいえなかった。


「ね、熱を上げてなんて……そんな……」


 先程もパトリシアにからかわれ、今度はダイアナに内心を露呈される。

 だがパトリシアのようなからかいではない。彼女は公に罪を暴こうとしている。

 

「新居の寝室に置かれていたの。リアム様の部屋って何も飾り気がないのよ。この絵以外は。だから余計気になったのよ」


 寝室に出入りできるほど親密な仲を匂わせる、ダイアナの対抗心をレインは感じ取り、愁いに染まる。愚かにも反省を忘れ、嫉妬心を抱いた自分に対してレインは失望し落ち込んだ。


(――みっともないわ)


 どろどろと自分を卑下する感情が流れ出し、全ての罰を受け入れようとした。潔白を主張しても論外なのだと思い至る。


「――盗難にあい、その絵も盗まれました。捜査の担当となったリアム様がそれを取り返してくださったと、先日伺いました」


「先日?」


 ダイアナは敏感に反応すると、フンと、疎ましというように鼻を鳴らした。











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