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6 再会

 

「いらっしゃいませ」


 レインの声は小さいが、よく通りお客を快く招いた。


 ジャガイモ帽子と香ばしいパンの匂いに誘われ、足を止めた年頃の女性たちが店に入ってきた。

 彼女たちは入るなり、目配せをし小声でひそひそと立ち話を始めた。

 キャッキャと話を弾ませているところを見ると、どうやら騎士を意識しているようだ。


 店内が混みはじめ、レインは騎士との話を切り上げ仕事に戻った。

 焼きあがったパンの箱を棚に並べると、出した傍からパンが売れていく。


「人気者の騎士様たちのおかげで、今日はパンが売れて助かります」


 アンナは商売人らしい礼を述べた後、遠慮がちに騎士である彼らにひとつ頼みごとをした。


「あの……、レインは一人で暮らしているので、時々気にかけてくださるとありがたいです。お願いしますね」


 その会話は離れたところにいたレインの耳にも届いた。

 レインを見やる騎士と目が合い、レインは慌てて訂正に入った。


「あ、あの、アンナさん、私は大丈夫ですから……」


 レインはアンナの袖口を引っ張り小声で言う。

 しかしアンナはレインの手の甲を心配ないとでも言うように、ポンポンと軽くたたいて、店を切り盛りすべく仕事に戻ってしまった。


「すみません。騎士様にそんなご迷惑はかけられません。今の話は忘れてください」


 レインは恐縮し、騎士達に頭を下げた。

 多忙な騎士に個人的な願いなど不敬だ。

 だが騎士達は誠実だった。


「俺は第二部隊のリアムだ」


 無欲なレインに赤い耳飾りの騎士が微笑む。


「こっちは、相棒のメイソン。この辺をいつも巡回しているから、時々様子を見にくるよ。何か困った事があったら教えて」


 レインは重い帽子を脱ぎ、二人に恐縮して頭を下げた。

 下げたことで、自らお願いしてしまったのだと気づく。


 快く受け入れた騎士だったが、慌てて頭をあげたレインと再び視線が合うと、顎に手を当てじっと考え込んだ様子を見せた。


(森で会ったことに気づいたのかしら……)


 黙っていれば失礼になる。そう思うのだがレインは言い出せない。

 反対に気づいてほしいと、胸の中に期待がわく。


 しかし解決せぬまま時間切れとなった。

 アンナから声がかかり、レインは二人を見送り厨房に戻った。




 ***




 店主のアンナは昨年夫と死別し、店を一人で切り盛りしている。

 彼女はフローラの友達だった。

 フローラがレインを引き取り、女手ひとつで育てていたのを知っている。

 アンナはフローラの代わりとなって、世間知らずのレインの世話を買って出たのだった。

 森での生活しか知らなかったレインが街で日々過ごせるのも、全てアンナのおかげだった。

 レインは商店街の人々や騎士たちにも支えられ、どうにか新しい生活を営むことが出来たのだった。




 ***




 レインは日が昇る前に、家を出るのが常となった。


 今朝は、枯れ落ちる森を朝(もや)が覆い、家の中がひどく冷え込んだ。

 レインは起きてすぐに暖炉に火を入れた。

 少しずつ燃え上がる暖炉の火に視線を落としたまま、その場に腰を下ろせば、静寂の空気に揺れる炎が心にも温かい()をともした。


 記憶の中の母が現れ、やさしく話しかけてくる。


『――あなたには絵を描く才能があるのよ。学校なんて行かなくても、それを導く師匠がいる! なんて幸せなの』


『――木枠に布を張るのも、板に紙を張るのも、よれや歪みがなくて、レインの腕は素晴らしわね』


 まるで大業を成したかのように、いつも大げさに褒めてくれる母の声。

 彼女の言葉は水面に波紋を作るように、弱気なレインの心にゆっくりと広がり自信を持たせてくれた。

 話下手で、はにかむばかりのレインに対して正すことはせず、「それでいい」と言ってくれた。

 いつも柔らかい頬と頬を摺り寄せて、まるで猫のように可愛がってくれた。


『――人とうまく話せなくても、レインは絵で伝えることができるじゃない。人の気持ちを汲み取り、絵で表現する力は相当なものだと思うわ。感受性が豊かなのよね』


『――あなたらしい絵を描いて。きっと良いものが生まれるはず』


(お母様……会いたいわ)


 バチっと爆ぜた火の粉に逃避していた意識が戻り、いまだ溢れてくる恋しさに溜息をついた。


「お母様……」


 レインは母に縋る。


「私に本格的な絵の依頼が来たのよ」


 どうしようもなく臆病な自分を母に慰めて欲しかった。


 揺れる炎に向かってレインは自慢げで泣き出しそうな笑みを見せた。

 パン屋の仕事は慣れたが、絵の仕事は戸惑いも多い。

 画家の母からの言葉が欲しかった。




 ――先日のこと。


 宿屋に飾られているレインの静物画を見た食堂の店主が、改装した店に飾る自身の肖像画を描いてほしいと依頼してきた。宿屋の絵は、店舗が寂しいとぼやいた店主に、レインがプレゼントしたものだ。

 今回はプレゼントではなく正式な依頼だ。


 レインは緊張しつつ、どんな絵が良いのか店主と話し合った。

 話下手だが具体的な言葉を聞き出そうと、(つたな)いながらもレインは質問した。

 『高級感があり、でも入りやすい雰囲気になる絵』と漠然としたことを言われレインは頭を抱えて悩んだ。

 しかし、直接店主と話しができたおかげで、彼の素朴な人柄を感じ取ることも出来た。


 帰宅後、まずは店主がワイングラスを持つ絵をさらりと描いてみた。

 すると、ちらり、ちらりと頭の中で揺らぐものが()()始めた。

 広大なブドウ畑、そしてそれを収穫する農家の人々の風景が()えた。

 ――()()()

 この不思議は今に始まった事ではなかった。

 これは感性が想像した結果だとレインは思っていた。

 フローラがいつも褒めてくれた『人の気持ちを()み取る力』が発揮されたのだと。されど、それだけではないことも、心の奥で感じていた。




 レインは何枚かの構図を描いて再び店に赴いた。

 すると店主がブドウ畑の素描を手に取ったまま瞠目(どうもく)した。


「あ……いや~君に話しただろうか。いや、話していないよねぇ。私の故郷はこんな感じなんだよ。ブドウの収穫時期は毎日忙しくて……でも懐かしいなぁ」


 顎をさすりながらひたすら絵を見つめている。そして笑みを湛え、改めて依頼してきた。


「決めたよ。このブドウ園を背景に、僕の絵を描いてもらえるかな」


 店主はワインセラーからワインを一本持ってきてレインに手渡した。


「絵の中の僕にはこの地元産のワインを持たせてほしい」


 ワインを受け取りつつ、レインは驚きを隠しきれなかった。

 このワインもなんとなく見覚えがあった気がしたからだ。


 絵を描けば起こるこの不思議を、レインは幼い頃から気づいていた。

 しかし、家族三人の狭い世界で描いていたものは、全てが共有されたものばかりで、両親も出来上がる絵を前に辻褄の合わない不思議な絵だとは思っていないようだった。

 むしろレインの強い洞察力と感受性が生み出しているのだと信じ感嘆していた。




 ***




 『あなたらしい絵』


 フローラの言葉を頭の中で反芻する。

 見たままの構図をレインは描くことは無い。

 その頭に思い浮かび、視えてきた光景を構図に描き加える。

 対象となる人の表情すら視えた光景に寄せていく。

 それがレインの絵だった。


 以前描いた『森の騎士』の絵も“感受性”だけでは補えないものが視えていた。

 レインは初めて、()()()ことの理不尽を自分に問い詰めた。











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