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62 鍵の部屋 上

 

「――お城だわ」


 侯爵位を持っている外交官だと父に告げられていたが、その偉大さは日頃温厚な父からはあまり感じ取れなかった。

 だが今、目から入る簡潔な情報がそれを明確にする。

 目の前にそびえ立つ城と、小さな森の家はあまりにも差があり彼の二面性にレインは驚愕した。

 森の家の大きさと変わらない程広いエントランスには、多くの使用人たちが主人を出迎えるために整列していた。

 その中の筆頭にアトリエを訪ねて来た執事の姿があった。

 紹介もされず、自ら挨拶もせぬまま、立ち尽くすレインにその執事から声がかかる。


「昨日からお待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 手紙ではここ数日の到着予定を記していた。それは伝わっていたらしい。

 だがもてなしが必要な客人として待っていた様子は全くない。

 覚悟はしていたが、いざとなるとその態度に足が竦んでしまう。

 屋敷の使用人たちの視線は冷たく雰囲気は硬かった。ニコリともしないメイドに案内され豪華な応接室へと通された。

 部屋に向かう中央階段の踊り場には、歴代当主や家族の肖像画が飾られていた。末尾を飾るのは、シャルル・リゴーの姿だった。

 レインはその前で歩を緩め絵を鑑賞しようとしたが、案内のメイドはそれに気遣う様子も見せず先を歩いていってしまった。気のせいでは無い冷淡さがどの使用人たちからも感じられた。


 ここまでの長い道中、かみ合わないながらも、侯爵とは馬車の中で、話を進めていた。

 森のアトリエはひと月後の明け渡しに決まった。

 二人の墓は想像していた通り一緒には弔われていなかった。

 シャルルの遺体は、リゴー家の墓地に埋葬され、フローラの遺体は、大聖堂に引き渡した末、昨晩立ち寄った小さな村の集合墓地に入れたということだった。あの教会でフローラを感じたのは気のせいではなかったのだ。


 シャルルが建てた教会に埋葬したことが、彼女への唯一の情けだったと侯爵は平然と話していた。

 昨日説明した森での暮らしや血縁関係などは、刷り込まれた積年の恨みによって侯爵からは消されていた。


 ――自分が事故の時に即座に行動できていれば、両親を雑に扱われることは無かったのかもしれない。

 侯爵が素知らぬ顔で車窓を眺める中、レインの胸の内では腹立たしさと後悔が後を絶たなかった。




 *




 応接室のドアが開き、ふわっと香水の甘い香りが漂った。

 レインが挨拶をすると、侯爵の隣に立つ婦人からは冷ややかな眼差し向けられた。


「なぜ呼んだの? シャルル様を騙した悪女の娘に何をお話しになるのかしら」


 まさしく親族や屋敷の使用人たちを代表して夫人が問う。

 その答えを早速示そうと、侯爵は執事を呼びつけた。


「では、皆さまどうぞこちらへ」


 応接室を退室し、別の部屋へと促される。

 大きな窓に面して、仕事用の机と本棚が置かれた書斎室に入ると、レインは感覚的に父の残り香を受け止めた。彼がつけていた(こう)のにおいと、本の匂いが彼の面影を浮かび上がらせる。

 本が好きで、夢中で読んでいた。時々文字を目で追いながら、ひとりくすっと鼻を鳴らす姿が目に浮かぶ。

 よく見れば、この部屋には、森の家と同じいくつもの見覚えのある品が揃っていた。

 暖炉の前の赤い円形の絨毯と猫の置物。美しい青年の肖像画。その隣には新緑の風景画が飾られてる。

 黒を背景に浮かび上がる、中世的で柔和な笑みの青年。

 夏空のように鮮やかな青い瞳に陽の光のような白金の髪。やさしい眼差しは、描いている画家に向けているようだった。


 (若い頃のお父様ね――)


 輝き、濃く、淡く、陰影を落とす緑。まるで踊り子が躍る舞台のように、明るい光が差す森の風景。

 その風景の端に、愛馬のララァを繋いでいた木立が描かれていた。

 ララァが繋がれる帰宅の日を待ちわびているような、恋しさを感じる絵だった。


(――お母様の(タッチ)だわ)


 絵に魅せられ佇むレインに執事がそっと、問う。


「あの鍵をお借りできますか?」


 言われるまま、胸元に下げていた鍵を手渡した。

 その鍵を受け取った執事は、暖炉の奥、この部屋の隅にある見過ごしてしまうような扉に鍵を挿し入れた。


「この部屋は今まで誰も立ち入ることが出来ませんでした。極私的(プライベート)な隠し部屋です」


 執事はレインの隣に立ち、小さな声で話す。

 ガチャンという重厚な鍵の音と共に、ドアが開かれ、リゴー侯爵から順に中へと入る。


「もう二十年も前、シャルル様にフローラさんとレインさんのことを打ち明けられ、誰も知らない秘密を託されました。自分が何かあった時には渡してほしいと託された物がありました。私があの森にそれを届けることはないだろうと思っていましたのに……」


 執事は手に持っていた鍵を再びレインの手に返した。以前届けられた、白い箱もこの部屋にあった物だと言う。長年仕えていた執事もまた、いろいろな想いを背負い、あの時は悲しみに暮れていたのだろうと思った。


 こんな別れがあってよいものか……突然打たれた終止符に、レインもあの日絶望した。

 そして今も悲しみは消えることは無い。










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