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 先の戦争で死期を早めた代償に賜った屋敷。

 その屋敷で永年(えいねん)暮らせる保証が騎士にはない。


 有事に赴き、いつ何時、(むくろ)になるかわからない。その覚悟が騎士とその家族につきまとう。


『戦の地で育ったダイアナならその覚悟も十分だ』


 婚約が決まった時、そう辺境伯から告げられていた。


 リアムも当然そう思っていた。

 母もそんな覚悟を語ったことがあった。

 しかしその理屈も、瀕死のレインを前にして、覆された。

 残された者の悲しみも苦労も顧みない、自己本位で傲慢な言い草だと。

 

 大切な(ひと)を残して死んではいけない。

 大切な(ひと)ならば守らなくてはいけないのだから。


 甘かった。結婚に対して真摯に向き合っていなかった。 

 辺境伯に示した理解と覚悟は、偽善と自己満足にすぎなかった。




*



 暗い寝室に導かれた月光が、ベッドの上に置かれた絵を浮かび上がらせる。

 ダイアナへの罪悪感を感じていながらも、リアムはその絵に、レインの安らぎを願う。


 この歪みを正さなければならない。安易に婚約し、そして身勝手に投げ出すことを、ダイアナに謝罪しなければならない。


 リアムは帰宅したばかりの部屋を後にする。贖罪を始めるために。

 

 


 *



 明るい光と女性たちの笑い声が、宵のひと時を雅に演出している。

 辺境地を出てからのダイアナは、日々茶会やパーティに参加し、貴族たちと交友関係を深めているようだった。

 それは、将来のために周囲との信頼関係を築いているようにも思えた。しかし見栄の張り合いに散財もひどかった。

 意識が高く社交的で美しい婚約者だと羨む者もいるが、リアムは彼女から共感できるものを見出すことが出来なかった。仮面を被る息苦しさと、感情の不協和音を、お互いが感覚的に感じていたように思えた。

 

 

 リアムの突然の訪問にも関わらず、使用人たちは声を弾ませ、主人の婚約者を迎え入れた。

 メイドがドアを開けると、煌びやかなドレスが一斉に動く。

 

「リアム、来て下さったの!」

 

 小さな顔が華やかな笑みを見せた。

 だが、とたんにそれも曇る。

 

「どうなさったの? あの美しい髪は?」

 

 ダイアナはリアムの銀糸のような長髪を気に入っていた。

 夜会ごとに自分のみならず、リアムの服装や髪形を見立てては、社交界での一幕を飾りたいと躍起になっていた。

 

「髪は仕事の邪魔になり、切りました」


「――そう、あんな素敵な銀髪は王族にもいないのに……」

 

 ダイアナは残念そうに唇を尖らす。

 だがそれも僅かで、気を取り直すとすぐさま、リアムの手を引いて部屋へ招き入れた。

 

「お仕事がお忙しいとお聞きしていましたのに……。とてもうれしいわ」

 

 甘い声を出すダイアナを先客の若い女性たちが、きゃあきゃあと冷やかしにかかる。

 リアムはそれを意識せず冷静に女性たちと挨拶を交わした。

 しかしダイアナの方は、ここぞとばかりに女性たちをあおった。

 

「贈っていただいたドレス、いかがかしら?」などと、わざわざ自慢するように仄めかすと、リアムの腕に手を絡ませた。

 胸元に大きなリボンがついた萌黄色のドレスはリアムが彼女の為に贈った一着だった。

 ダイアナと良好な関係を築こうと、頻繁に贈り物をして彼女に尽くしたつもりでいた。しかし上辺(うわべ)のだけの愛情表現では意味がなく、リアムは内心、己の行為に辟易していた。


 リアムがダイアナに話があることを告げると、令嬢たちは気を利かせ、それぞれが豪華な馬車で自分の屋敷へと帰っていった。

 花が枯れ落ちたように味気なくなった部屋で、リアムはダイアナとソファーに座り向き合った。


「リアムが私を半月も放っておくから、寂しくて、毎晩お友達をよんでお喋りをしていたのよ」

 

 ダイアナの寂しさを思いやれなかったことを反省する一方で、リアムの核心部分には冷めた感覚がいすわっている。

 

「頻繁に顔を出せず、失礼しました」


 共に歩もうとしても、ダイアナとリアムの歩調は合わない。

 話せばお互いが見当違いなことを主張した。

 そうしていつも、あやふやなまま話は終わってしまった。不快なものが、消え去るまで時に委ねた。

 

 リアムはダイアナに冷酷な誠意を向け口火を切った。

 握り締めたこぶしを膝の上に置き、ダイアナを見据えると、ダイアナは何を感じ取ったのか、降ろした腰をずらしリアムから距離を置いた。

 

「今日お伺いしたのは、今後についてお話ししたかったからです」


「今後? 結婚式の話?」


「いえ、そうではありません。私たちの関係を見直したいと思っています」

 

 ダイアナはリアムに小首を傾げた。

 その仕草は人形の首がぽきっと折れたような、そんなぎこちなさがあった。

 怒りと動揺が既に彼女に混在しているのだと思われる不気味な仕草だ。

 

「見直すって?」

 

 空気が不穏な波紋を広げるが、リアムは淡々と口にした。

 

「婚約を解消しましょう」

 

 突きつけられた極端な選択に、ダイアナは眉をしかめる。

 

「どうして? あなたは私の為にたくさん贈り物してくれたじゃない。社交界では一目置かれお似合いだと言われているわ。王都は楽しくてやりがいもあるから、私は気に入っているのよ」

 

 ダイアナの言い分を聞き、リアムは自分の不甲斐なさに溜息を洩らす。

 婚約者に思い出も真心も贈らなかった。だから彼女もこうとしか言いようがないのだろう。

 

「――あなたが今話したように、私たちの付き合いは形ばかりだ。このまま続けてもきっと行きつく先は今と同じです」

 

 ダイアナはフッと底意地の悪い嗤いを見せた。

 

「政略結婚だもの、好きになるまでに時間がかかるわ。現状に不服ならジェノバに一人で帰っていいのよ。私はお父様の言うように、こっちで自立した女性を目指すわ。でも寂しいから時々会いに来てくれると嬉しいけど」

 

 婚約には伯爵の期待が込められていた。

 その意義をすり替えているダイアナに、リアムの問いは理解できない。

 辺境伯が語った“騎士の妻の覚悟”を彼女は自立と考えているようだが、ひとり羽を伸ばして遊ぶ自由と穿き違えているようだった。

 

「単に俺ひとりがジェノバに帰っても意味がない。今の話を聞く限り、あなたも俺と同様に結婚に対して考えが浅いと思う」

 

 リアムは一旦話を区切り、ダイアナに真剣なまなざしを送った。

 彼女の瞳は揺らいでいた。しかし愁いてはいない。惜しんでいるだけだ。今後の自身の計画が崩れぬように。

 

「今を逃せば、この先もっと後悔する。身勝手に放棄するからには、俺も覚悟を持ってここで話をしている。あなたを半年もの間、翻弄させたことを、本当に申し訳なかったと思っている」

 

 述懐したリアムにダイアナの眼差しは険しい。

 不興を買うのは承知の上。リアムには彼女の不満も受け止める覚悟がある。だが、レインの事だけは隠し通す。

 婚約者がいる身で他の女性を想うのは罪だといえるが、好意を持たれた女性には関係のないことだ。

 ダイアナがレインに悪意を抱けば、彼女の気質が容赦なく、レインを貶めるだろう。


 受け身で構えるリアムの態度に、ダイアナは聞こえよがしな溜息をついた。

 

「――ほんと身勝手。駄目に決まってるでしょ。あなたは辺境伯にならなくていいの? 私の夫にならなくていいの? 私とあなたはお似合いなのよ。見惚れるほど美しいって皆がそう羨んでいるわ。さっきのお友達もそう言ってくれたわ」


 ダイアナの本音は、今に聞いた話ではない。身分を盾に取引のようなことをする。リアムが口を開こうとすれば、答えは不要だと首を振り、ダイアナは癇癪をおこした。


「いまさらよ! 家格も釣り合わない騎士と破談になったなんて、みっともなくて外も歩けないわ。それに王都からあんな田舎に引き戻されるのはいやよ。どう責任取ってくれるの?」

 

 彼女の怒りは恋慕の裏切りとは違う。()()()()()()()()という言葉はダイアナからは聞こえてこない。彼女の矜持がそうさせているのかもしれないが、それがリアムには救いだった。

 

「あなたを嗤い者にはさせない。全て俺が引き受ける。あなたの将来に(きず)はつけない。俺があなたと伯爵から愛想をつかされたのだと言い触れます。社交界に姿を現すこともしない」

 

 ダイアナは荒々しく立ち上がりリアムを見下げる。

 

「そんなの当然よ!」

 

 ソファーを弾き「はっ」とリアムに息を吐き捨て、彼女は窓辺に佇む。

 窓の闇に映された彼女と目が合えば、不敵な笑みを返される。

 

 ダイアナの挑発と感じても、怒りをあらわにするのは道理に合わない。むしろ、そんな顔を婚約者にさせてしまったことにリアムは苦い後味を感じている。

 

「本当にすまなかったと思う。了承してもらえれば、伯爵にもこの話を手紙に綴ろうと思っている。そして審判を受けるため、後日ジェノバ城砦へ伺う予定だ」


「準備万端なのね。まさか、恋人でも既にいるのかしら? 私よりも優先する女性ってことは、あなたに利がある高貴な婦人? それとも、哀れな町娘に絆されたのかしら。でも残念ね。こんな美人を逃すなんて、馬鹿よね。騙されたまま、抱かれなくてよかったわ」

 

 話の端々に彼女の価値観が露わになり、令嬢らしからぬ品の無さが浮き彫りになる。ジェノバ兵の下世話な話を耳にする環境が原因なのかと、彼女自身を擁護したくなるほどだ。

 

「――騙して抱くなんて俺がするわけない」


 そんな雰囲気になったこともない。

 伯爵令嬢と騎士に戻ることはおろか、決別に等しい二人の間は忌むべき間柄となった。

 

「笑えるわ……。英雄で美しいあなたがいいと思ったの。でも不埒で向上心のない人は大嫌いだわ。ジェノバの騎士の大半がそうだけど、あなたも同じだったってことね」


「――ならば話は早い。伯爵に婚約解消を願い出る」

 

 リアムの鋭利な眼差しもダイアナは鼻であしらい臆することは無い。

 

「安易ね。あなたのせいなのだから、あなたがもっと転落していかなきゃ気が済まないわ。……ジェノバの一兵卒として働きなさい。私の騎士にしてこき使ってやるわ。それから、……そうね、私に新たな婚約者ができるまで、あなたは結婚してはだめよ。私を欺いたのに幸せになんかさせないわ」

 

「わかった。伯爵にそのことも伝え、了承を得てくる」

 

 リアムはこの変易に、感慨を抱く。

 ダイアナは怒りのままにリアムを睨みつけ、扉を自ら開けて部屋を出て行った。












 

 








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