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4 別れ

 

 侯爵家の執事がレインの元を訪ねてきたのは、二人が隣国へ出立してからひと月後のことだった。

 レインは両親の遅すぎる帰宅に、心配を募らせ騎士団のところへ伺いを立てに行くべきかと迷っていた。その矢先だった。




 この場所を知る者などいないはずだった。

 警戒しつつ玄関扉を開ければ、疲労と悲愴を深く刻んだ壮年の男性が立っていた。


「レインさんでいらっしゃいますか?」


 問われ頷くと、男性は冷めた目を向けてきた。

 レインの戸惑いに配慮することもなく、事務的に淡々とした口調で事実を打ち明けてきたのだった。


「シャルル様とフローラさんは隣国からの帰り道、事故に合い急遽いたしました」


 嫌な予感を感じていた。

 何かあったのだろう、と不安を感じていた。

 でもこんな結末は想像していなかった。

 目に見えないものを、信じることなどできない。

 だが確かめることも出来ない。

 話しが受け止めきれず憤ることにも追いつかない。

 レインは当惑のまま彼の声を遠くで聞いていた。


「私はシャルル様のお屋敷に仕えている執事です」


 彼は鞄から紐の付いた鍵を出した。


「この鍵の付いた部屋に入室できたのはご本人と私だけでした。部屋にはシャルル様が大切にしていた絵が置かれています。心境が落ち着き、時間が出来たらぜひボルダロッドの屋敷にいらしてください。遺品の始末や今後のことなどをご相談したく存じます」


 無意識に手を差し出せば、手の平の上にそっと住所の書いた紙と紐の付いた鍵がのせられた。

 しかし鍵は震える指の隙間から滑り落ちてしまった。

 執事はそれを拾い再びレインの手の平に収め直し、深い溜息をついた。


「残念でなりません……」


 その一言がレインには攻撃的に聞こえた。

 悲しく溜息をつく男性の姿が憎らしく思えた。


(やめて)


 自分の知らぬ間に起きたことを勝手に過去のものにされて悔しさが込み上げた。

 すでに死を肯定して、仕方がないことだと諦めている彼の言葉は酷くレインを侮辱していた。


「――これは……本当の事ですか? 二人は今どこにいるのですか?」


 困惑と悔しさから奥歯を噛みしめ問いただす。


「既に埋葬致しました」


 聞きたいのは、そういうことではなかった。

 本当に死んでしまったのかどうかだ。

 二人は一緒にいるのかということだった。

 鍵を握り締める手を見詰めながらレインは、今何が起こっているのかを必死に考えた。

 どうして、どうしてと頭の中でこだまとなって繰り返す。

 二人の死を前提に考えなど及ぶはずもない。


 この男性がここを訪れたということは、アトリエに住む歪な家族を知っているからなのか。

 この鍵のように侯爵家には無用なのだと知らしめるためなのか。


 (――ほんとうにお父様とお母様は死んでしまったの? ただ、この関係がばれてしまって引き裂こうとしているの?)


 侯爵家の部屋に残されている絵はフローラの絵に違いない。

 侯爵家にとって受け入れられない女性の絵。


 尋ねて来た男性の眼差しはずっとレインを疎まし気に見つめている。

 しかし、両親に守られて育った娘には、今置かれている境遇が明確に見えていない。


「――シャルル様の、お屋敷に、私が伺っても、……良いのでしょうか?」


 快く招かれているわけではないことぐらい、認識している。

 だがはっきりとした自分の立場を知りたかった。

 侯爵家は自分のことをフローラの弟子と思っているのか。それともシャルルの娘と思っているのか。


 問うこと自体愚かしいと思っているのだろう。

 執事はレインに、悟れ、というように、はっと短く息を吐き苛立ちを見せた。


「シャルル様は、愛したフローラさんとレインさんを迎え入れるためにご用意していたものがあります。シャルル様の思いを尊重すれば、勝手に廃棄するわけにもゆきません。ですから、あなたが後継のマーティン様と相談できる機会を作りました」


 (愛したフローラとレイン……)


 シャルルの愛情を受けた存在として侯爵家に伝わってるようだ。


「シャルル様の後継者には養子のマーティン様がなられました。彼はシャルル様の甥御様に当たる方です。シャルル様は家督を継ぐことを放棄されております」


 ――父の捨てた物は大きかった。

 それでも家族三人の未来を選択し描いていたのだった。

 レインは父の覚悟を知り、ずっと堪えていた涙をとうとう溢れさせて泣いた。


「屋敷には私たち使用人と、マーティン様のご家族しかいらっしゃいません。シャルル様のご両親は既に亡くなっておられます。ただ、急な不幸で屋敷は混乱しております。お互い落ち着いた時にお会いし、お話ができたらと思うのです」


 泣いているレインを少しは慮っているのか、執事の声は先程よりも平坦だった。

 彼は自分の言葉に頷くと、不意に鞄から白い木箱を取り出した。


「こちらは、その鍵の部屋から出てきたお金です。あなたの為に個人的に蓄えていたのでしょう。この可愛らしい箱を見てそう思いました」


 木箱には蔦と鳥の模様が描かれていた。

 少女が好みそうなオルゴールの付いた木箱だ。

 幼い頃からこれによく似た模様を手紙の淵に描いて、両親に渡していた。

 家族だけが知っている、レインの(しるし)だ。


「私は……」


 急激に込み上げた感情を飲み込む。

 シャルルの()なのだとはっきりと主張したかった。

 この模様の思い出を執事に堂々と話して、この箱は私の物だと叫びたかった。

 お金は父が私に残してくれたものだと言い張りたかった。


 もちろんお金が欲しいわけではなかった。

 そう打ち明け父が残してくれたものに思いっきり泣いて縋って感謝したかった。


「これを受け取れるのはもう、あなたしかいませんから。それと……」


 執事はレインが受取ろうとしない箱を足元に置き、静かに涙する彼女にもうひとつ重要なことを告げた。


「この家は侯爵家が王家の信頼を得て建てさせていただきました。申し訳ないのですが侯爵家と無縁のあなたにはここを立ち退いてもらわなければなりません」


 執事が言うことは当然の権利だとも理解できる。

 だが今すぐには難しい。


 即答できずにいたレインに、執事は冷やかに背を向けた。


「すぐにではありません。あなたも自立しなければいけないでしょう。それに今は情勢が危うい。それらを垣間見て屋敷に来ていただいた時に、立ち退きの時期を決めましょう」




 侯爵家の執事は、後に手紙を送ると言い残し、森を後にした。

 彼が去った後、レインはしばらくの間、食卓の椅子に座り込んでいた。


 住所の紙も、鍵も、お金もなぜ手元にあるのか。

 ――考えることを放棄した。


 実感がなく悲しみの深さも解らなかった。

 何が起こって、どうすればいいのか。

 もっとあの執事に聞くべきことがあった。


 どうして、事故が起こったのか?

 どうして、二人は死んでしまったのか?

 私はこれからどうすればよいのか?


 レインは途方に暮れ、再び両親の帰りを待った。

 来る日も来る日も、アトリエの椅子に座っては、窓の外、森の木々の様子をただ茫然と眺めていた。




 ***




 時に押し出されるようにひとりの生活が唐突に始まった。

 たおやかに育てられたレインにとってそれは苦労の連続だった。

 内気な性格も邪魔をして、全てに緊張と恐怖が付きまとった。


 幼い頃から人との交流が苦手だったため、教会の学校に通っても、気が滅入るようになり半年ほどで辞めてしまった。

 フローラはそんなレインを理解し、絵の道に導いてくれた。


 『一人で静かに絵を描くことが好きなら、それが“レインらしい生き方”なのね』と、無理強いせずに守ってくれた。

 しかし今の状況で、その“レインらしい生き方”をしていればこの森で野垂れ死んでしまうだろう。


 抜け殻のようになった体を元に戻し、そして生き直さなくてはいけなかった。

 三人で暮らしていた頃の生活に戻すことにも時間がかかった。

 朝日と共に起き、掃除洗濯をして、パンを捏ねる。

 畑を耕し、裏庭で栗を拾いジャムを作る。

 それらが徐々に整うと、満を持してレインは隔離された森を踏み出し、不慣れな街へ降りた。


 絵の技術を活かして、徒弟として街の工房で働くという選択肢はあった。

 だが男ばかりが働く工房の門戸を叩き、堂々と入ってゆく勇気など欠片も持ち合わせていなかった。


 教会の司祭が手を差し伸べ、フローラの代わりに装飾写本の仕事を引き継がないかと打診されたが、やはりこれも自信がなく断ってしまった。


 自分の絵に対する熱意に反して技量に自信がなく、委縮してしまうのだった。

 時が経てば経つほど、世の厳しさを肌で感じるようになり、悠長な仕事探しもしていられなくなった。




 そうして風が少し冷たくなり、木々の葉が色づき始めた頃、レインは街のパン屋にいた。


 早朝から昼までの間、親しくしていたパン屋で都合よく雇ってもらえたのはとても幸運だった。

 仕事が終わると午後はアトリエで絵の勉強もできた。


 随分遅くなってしまったが、近況を綴った手紙を侯爵に送り今後のことを確認した。

 仕事と生活が整うまで時間がかかり、訪問は少し先になることや、それに伴い当面の間、森のアトリエに住まわせてもらう許可をもらった。


 返信の封筒には、承諾の手紙と事故についての報告書が入っていた。

 事故現場には無惨に壊れた馬車と、積み荷が散乱していたと書かれていた。

 二人の死については、即死としか書かれていなかった。


 追記として、侯爵の文字で事故として片付けられたが、真実は不明であると締め括られていた。












読んで頂きありがとうございました。

毎日投降いたします。

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