42 あきらめ 上
緊張感に苛まれ、窓を開け空気を入れ替える。
レインはベッドの淵に腰かけ、酷い痣が見えぬように顔を伏せ騎士を待っていた。
やがて騎士が病室に訪れると、彼は部屋に入ることなく息をのんだままドアの前で立ち尽くした。
「わざわざ、……来ていただき、ありがとうございます」
事件の聞き取りに来たメイソンに、ベッドの脇に置いてあった椅子をすすめる。
騎士が座ったのを確認すると、レインは前置きもなく矢継ぎ早に事件について話を始めた。口の中が腫れて話しづらいが、取り乱して話せなくなる前に、早くこの状況を終わらせたかった。
就寝中に物音がしたこと、見知らぬ三人の男がアトリエで絵を切り裂いていたこと。ブーが蹴り飛ばされたこと。壁にかかっていた絵を取り返そうとして殴られたこと。
それから――。
続きを離そうとすれば、喉が塞がれた。
男性に話すには恥ずかしくためらいの方が勝り、レインは顔を手で覆ったまま動けなくなる。
「――あ~、その……無理にさ……話さなくても……ね」
メイソンが強張った表情を無理やり解し、レインに向ける。
しかし彼の気遣いも、融通の利かなくなったレインには、無用だった。
「――すみません」
椅子から腰を浮かせているメイソンに、レインは腫れた顔を向け、気丈に言葉を滑り出させた。
「……馬乗りにされ、男に襲われました。……か、身体は、触られましたが……でも……そ、それ以上のことは……されませんでした」
それ以上のこと――そう自分で口にして恐ろしさにレインは身体を震わせた。
押さえつけられた力、手の感触、髭を生やした男の顔が忘れられない。
膝の上に置いてある手が無意識にこぶしを握っている。それを見つめながら、レインは、大丈夫、大丈夫……、と口の中で唱え自分を奮い立たせた。
「ブーちゃんが……その人の太腿に噛みついてくれたので。その人は転がりながら逃げていきました。大きな雷鳴に、強盗は皆外へ出て行って、そのまま……戻っては来ませんでした。……その後は、しばらく動けなくて……でも、ブーちゃんが気がかりで……探しに外へ出ました。そしてそのままこの病院に辿り着きました」
聞こえてきた嘆息にレインは長い睫毛を揺らしながらメイソンを見た。肩を落として溜息をつく彼に少し話を……悔しさを語りたい気持ちになった。しかしリアムに引かれた一線が、レインを頑なに守らせた。知り合いでも、仕事として赴いた騎士に、心情までも吐露する甘さがあってはならないと。
「――以上、です」
そう強く告げれば、俯いていたメイソンの顔が上がる。
彼は咳ばらいをつき、しばらく思考をまとめているようだった。ようやく口を開くも、レインと目が合った瞬間に、いつも見せる巧みな話術は切れ切れになった。
「あ~、その、……勇者のブーちゃんは、家に戻っているよ。えさ……、そう、毎日餌をあげているから安心して」
レインは胸のつかえがひとつ解消され、感嘆の息を漏らしながらメイソンに頭を下げた。
「――ありがとうございます。姿が見えなくて……本当に心配だったので無事でよかった」
大切な物を失うのはもう、耐えられなかった。
ブーが戻って来ただけで、この事件についてはもう、解決でもよかった。
「はやく会わせてあげたいけど、家の中が荒らされたままだ」
レインの心情を他所に、騎士は捜査の中断などするはずもなく、事件について話を続けた。
記憶にない両親の部屋の惨状がメイソンから語られ、レインは盗まれたであろう物を想像し語った。
両親のクローゼットに隠していた大金もきっと盗まれているに違いない。そう思い至ればレインはふと、男たちの不自然に気づいた。
「――男たちは、家族の物がたくさん置いてあるにもかかわらず、私が独りだという確信があったようです。それに……絵を破くのを、早く済ませてしまおうとも言っていました」
自分の、そしてフローラの作品を、男たちは草を刈るように鎌で次々と裂いていった。
焼き付いた惨状が、思考を渾沌とさせ闇へと誘う。しかし、レインはそれを押しのけ強く空を見据えた。
強盗の浅はかさに今さらながら、怒りが湧いてくるのだった。
「――男たちはアトリエで絵を切り裂いていました。ドレスよりも絵の方が価値があることを男たちは知らなかったのですね」
アトリエに置かれた絵はフローラの絵もまざっていた。
彼女の絵は人気がある。故人となった今は相当な高値で取引されるだろう。
盗むべきはドレスよりも絵の方だった。
「男たちは作者を知らずに、絵を切り裂いていたんだな。または、誰かの指示を実行したにすぎないかだ。……絵を切り裂くその目的はなんだろうな。思い当たる節はある?」
レインは首を横に振って、分からないと告げた。
「レインの才能に嫉妬したのかな」
レインの手にメイソンの視線が落とされると、レインもまた自分の右手じっと見つめた。
(――まだ価値のある絵は生み出してないもの……)
他にも、男たちの容姿や切り裂いた道具のことを話し合ったが、犯人と自分との関係性が全く思い当たらなかった。他人から恨まれることなどした覚えはない、だが、レインには絶えず気にしていることがあった。
「貴族でもない女性が……絵を描くことに偏見を持ち、忌み嫌う人たちはたくさんいます。彼らもきっと……」
世の不条理を否定できず二人で口を引き結ぶ。
事件の動機にしては弱いが、弱い者いじめを繰り返す腐った輩には動機などあって無いに等しい。
メイソンは疑問を挟むことも出来ず、ただ風を孕むカーテンに視線を向けている。
穏やかな静けさは、一方でレインの心に渦巻く悔しさを膨れ上がらせた。しかし、その静寂が廊下から聞こえてくる声を拾い、膨れ上がる憎悪に一瞬で蓋をした。
「レインがこんなことになるなんて……」
姿は見えない。だがパトリシアの声だった。親友の訪れに驚き、レインはメイソンを見やった。
「俺に話せないこともあると思って……。彼女はレインの素性は知らないからさ、強盗にあったとだけ伝えたんだ」




