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41 願い袋 


 リアムはここ数日、寝食を忘れ思考の大半をレインの事件に費やしている。

 にもかかわらず、犯人の足取りは何もつかめていなかった。

 

 一週間前に貴族の屋敷から馬が盗まれた。

 犯人がその馬を乗っているのならば、彼らの犯行は計画的だ。空き巣に入るよりも、馬を売った方が大金がすぐに手に入る。

 レインをあえて狙った犯行なのか、裂かれた絵に遺恨が感じられた。

 遺恨があるとすれば、シャルル・リゴー卿の親類が関係しているとも思えたが、彼らがそこまでするとは考えられなかった。レインを襲ったことが世間にばれた時、隠していた醜聞を自ら暴露することになるだからだ。




 ***




 森への侵入者や犯人の痕跡に目を瞠り、アトリエ付近の見回りをしていると、人影を捉えにわかに緊張が走った。

 

 大きな肩掛け鞄に吊りベルト、麦わら帽子をかぶった中年男性が汗を拭きながら、ポーチの階段に腰を下ろしていた。犬が男を警戒していないところを見ると、不審者ではないようにも思えた。


 リアムとメイソンは男の退路を断とうと、挟み撃ちにして男の前に立ちはだかった。驚き尻餅をつく男に、見下げたまま何用かと問えば、男はドアに挟んだ紙を指さした。


「リ、リゴー侯爵、ボルダロッドのマーティン・リゴー閣下の手紙を届けに来たものです」


 リアムは男が届けに来た手紙の封蝋を確認する。


「レインさんが来月にリゴー侯爵の元を訪ねるとのことで、その道中のお供を任されました。そのことについて少しお話しできたらと思っていたのですが……」


「は? レインがボルダロッドまで一人でか?」


 リゴー侯爵の領地ボルダロッドはリアムの故郷ジェノバの手前だが、王都からは馬車で二日はかかる。その上、紛争地に近くいまだ安全とは言い難い。


 仕事も辞め、家を返却し、レインはどうしようとしていたのか?

 誰にも打ち明けず、長年住んだ森を出て、どこへ行こうとしていたのか?

 厭われている侯爵の屋敷になぜ一人で尋ねる必要があるのか?

 

 容赦なくレインとの関りを断ったリアムは何も知らなかった。立ち止まり、己の愚かさを振り返ることをしなければ、きっといつの間にか彼女はこの地から居なくなっていた。

 あり得ない将来が、すぐそこにあったことにリアムは恐怖を覚え、唾を飲み込んだ。

 

「リアムは知らなかったのか?」

 

 肩越しから覗き込む相棒は、躊躇いもなく、嫌味な言葉を吐き非難の目を向けてくる。歯車を狂わせた責任はリアムが負うべきものだ。修復できるかは分からないが、未来で何らかの答えが出るまでリアムは真摯にすべてを受け止めるつもりでいた。相棒との関係もしかりだ。


「知らなかった。だから後で知っていることは教えてくれ」


リアムは真面目な顔でメイソンに返答すると、再び手紙に視線を落とした。


「リゴー侯爵の紋章に間違いない。驚かせて悪かった」


「レインさんは不在でしたので、また出直そうと思いますが、どうかなされたのでしょうか?」


 リアムは慎重に男と接するつもりでいた。にもかかわらず、メイソンは独断で警戒を解き、事件のことをあっさりと男に告げた。


「ええ! ど、泥棒ですか!」


 男は身の潔白を晴らそうとでも思ったのか、聞いてもいないことまでべらべらとしゃべり始めた。


「私はシャルル様の時から侯爵邸に庭師として仕えております。実家が王都の南にあり二度ほど、レインさんに手紙や荷物を届けさせていただきました。レインさんからはお茶をご馳走して頂いたり、手作りジャムや……絵……などのお土産を頂いたりと、懇意にさせていただいております」


 歯切れよく声を張り上げていた男が『絵』の部分で声が裏返り言い淀む。

 リアムが疑念を感じ、眉を顰めて男を一瞥すると、男はビクリと肩を揺らした。

 

「レインからもらった絵があるのか?」


「へ? へえぇ……」


 へらへらと笑いごまかすくらいなら、黙っていればよかったものの。男は口が軽いらしい。


「絵はどうしたんだ」


「あ、えっと、貰った帰りに、酒場で飲んで酔っ払って……。欲しいと言ってきた男に売ってしまったんです。ずいぶん気に入って……、探している画家の絵だと言い出して、……高い値段で買い取ってくれたので……」


「どんな男に売ったか覚えているか? 彼にレインのことは話したか?」


「あ~、え~、酔っぱらっていたのでその……どんな男か忘れちまって。……ただ、有名な画家の絵だと、言い出すから、騙して売るような感じになってしまっては困ると思って……。レインさんのことは少し話しちまったんです。森の中にアトリエを構える見習いの女流画家が描いた絵だということぐらいですが……」


 この話が事件に繋がるかどうかわからない。

 しかし、森に住む若い女流画家がいるということが、何者かの耳に入ったことは、懸念された。


「何でもいい、売った男の特徴など分からないのか?」


 男は帽子を脱いで、緊張から吹き出る汗をぬぐった。


「ああ、たぶん平民の金持ちか、貴族ですね。紳士な話し方でしたし、靴がきれいだった」


「靴?」


「ええ、あの酒場は労働者があつまる場末なところで、汚れていない靴を履いているやつなんか見たことがないですからねぇ」


 男はもう、勘弁してくれとばかりに、「自分はあやしい者じゃありませんよ」と何度も口にした。


「そう言えば、庭師と言っていたな」


 リアムは男をその場に待たせ、思いついたように裏手にある小さな納屋へ向かった。事件後、見つかった証拠品。アトリエに落ちていた鎌を見せ男の反応を確かめたかった。男は鎌を見るなり、庭師らしい反応をした。


「ああ、これは刃が欠けちゃってますね。ずいぶん研いでいないんでしょうね。何か硬い物でもぶつけました? も、もしや、俺に今砥げということですかい?」


 男の様子を見る限り、ある意味動揺はしていなさそうだ。男の物では無いらしい。


「いや、そうじゃない。この鎌の用途を知っているか?」


 そう問えば男は頷きながらも、少し考えるふりを見せた。


「麦、ですかね。でも王都ではもっぱら柄の長い大鎌ですよ。こういった丸いのはボルダロッドより北の方ではよく見かけますね。俺も持ってます」


 俺も持ってるとは警戒心のない男だった。だが、良い情報を得た。


「そうか、ありがとう」


 話しの意図がわからずきょとんとしている男に、リアムは鎌を仕舞いながら自分の名を告げた。レイン宛ての手紙を男から預かり、責任をもって自分が届けることを男に了承させる。


「では、手紙をお預けします。しかし、リアムさんって……。あなたがこの間の戦争で活躍なされた方でしたか」


リアムの名を聞いて興奮気味になる男に、「おいおい」とメイソンが胡乱な視線を向ける。


「これから酒場に行って、裏山で英雄に会って事件捜査に協力したなんて言いふらすなよ。お前も一応、犯人リストに上がっているからな」


 男は頭に片手を置き、「へぇ」と小さく首を垂れ縮こまる。そんな男の肩をリアムはグイっと掴み引き寄せた。

 

「そうだな、一緒にその酒場にいこう!」

「ええ!一緒に? どうして?!」


 リアムは絵を買った酒場の男を探ってみるつもりでいた。

 事件の全容が見えず気は焦るが、地道に手がかりを探すより方法が無かった。




*




 男と約束を取り付け、見送った後、ポーチで寝ていた賢い犬に餌をやる。

 犬を中に入れ玄関の戸締りをすると、リアムはふと、軒下にぶら下がる薄汚れた(かたまり)に引き寄せられた。


 手に取れば、自然とレインが脳裏で話し出した。


『願い袋ですよ。大切な物を入れてお願いをすると叶うんです』


 三年前、そう言ってレインは熱でぼおっとしながら、雨の降る窓の外を見ていた。朗らかに話していた顔が曇り少し寂しそうな表情を浮かべたのを見て、レインの願いはきっと、叶わなかったとあの時思った。

 

 レインの具合を見て、すぐに帰ろうと思っていた。しかし、弱った捨て猫のようなレインをいったん目にすれば、置いて帰れなくなった。

 本当はひとりで心細かったのか、話下手な彼女がよく自分のことを話してくれた。具合が悪いのに、柔らかそうな頬を赤く染めて、花が咲いたように話していた。


 照れながら見せられた絵は、いつもふわっとして頼りないレインが描いたとは信じがたい力強さがあった。

 彼女は『森の騎士』と題した絵を恥ずかしそうに差し出し、ぼそぼそとその絵の秘密を唐突に告白してきた。


『これは、リアム様です』


 中央に描かれた騎士を指してそう言った。

 そして描いていると相手の願望、執着が視えてくるのだと不思議なことを語るのだった。

 

『リアム様はきっと、この絵のように英雄になるはずです』


 いつも、自信なさげに話すレインが、どこに隠していたのか強い意思をみなぎらせていた。

 そんな彼女に魅入ってしまい、恥ずかしさ故に視線を逸らし、絵だけを必死に凝視していたことを覚えている。


 他人のことを心配してもレインは自分の心配はさせまいとする。咳込む身体が苦しくても愚痴をこぼすこともしなかった。彼女の謙虚さがあの時は性格なのだと思っていた。だが生い立ちや事情を知った今は彼女が痛ましく思えて仕方がない。

 

 帰り際、熱が上がってきた彼女が心配で、なかなか立ち去れないでいると、レインは座ったまま潤んだ瞳で微笑み、小さく手を振って見せた。

 気丈に見せるその寂し気な姿が、長く心に留まって離れなかった。

 

 結局、見舞いの日が別れの日となり、リアムはレインに手紙を残した。

 アヒルと犬を躾けろ――などという手紙にしたのも、レインに対する執着心の現れだった。

 メイソンに頼みパトリシアと交流を深めさせたのもそうだ。

 不在の間、レインを変な輩に奪われたくなかった本音があったからだ。

 あの時から、リアムにそんな下心があったことなど、レインは知らないだろう。

 

 


 一陣の温かい春風が、軒下の願い袋を揺らした。

 薄汚れたそれを手に取り、何気なく裏返せば、レインの字で願い事が書いてあった。


 ――無事に帰ってきますように――

 

 戦地へ旅立った日付と共に書かれた願い事。

 布に包まれた宝物をふと覗いてみたくなり軒から外して紐を解いた。

 布を開けば、小さな瓶が現れた。

 瓶の中には湿気と乾燥でよれて黄ばんだ紙が入っていた。


 ――レインへ――


 彼女の名を綴った自分の筆跡。

 切なさを感じる不条理にリアムは言葉を失くした。


「ただいまくらい、言ってあげればよかったんだ」


 愕然と佇むリアムにメイソンが呟いた。











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