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35 すれちがい

 

「――話してほしい。君のこと」


 レインとの関係は反発する磁石のようになった。

 森の片隅で息を潜めて暮らしている理由がレインを苦しめている。

 傍で支え、守ってあげたいと思っても、リアムにその決断は出来ない。

 自分の決断にやりきれない思いがあった。

 だからこそ、遠ざかり、そして近づく方法を考える。

 ただの騎士として、職務として彼女を見守る。

 正しさを問い、迷い、見い出したそれがリアムの答えだった。




 リアムはシャルル・リゴー卿とフローラ・シェフィール画伯の事故を調べるため、保管室へと足を運んだ。だがそこには数枚の紙が紐で閉じられ、既に知った情報以外は記されていなかった。事実、事故として解決しているのであれば、この報告書は妥当なものだ。

 事件だとしたならば、情勢への恨みを持った者の犯行と疑惑があったが、レインの話を聞いた今、個人的な恨みも考察範囲に加わった。大使と画伯の関係を知る者の企てもあり得た。


 戦時中、彼女の身に何も起こらなかったことに、リアムは今更ながら安堵した。


 手に取った意味のない報告書。

 レインの思いはどこまでも軽んじられていた。

 否、誰にも伝わってはいない。

 三年前、レインはいつも穏やかに微笑んでいた。

 だから、彼女の本質を――吐き出せなかった気持ちを、リアムも聞こうとはしなかった。


 教会に飾られた絵に縋るレインの姿をリアムは思い出す。

 彼女は両親を失った悲しみを、あの絵の前で癒していた。

 ――ひとり心の内で。




 ***




 夜会の終わりを告げるように、雨が無数にある王宮の窓を叩く。

 飛沫(しぶき)に霞む庭園は、先程まで松明(たいまつ)に照らされ華やいでいたのが嘘のように様相を一変させた。

 突然轟く雷鳴に女性たちは悲鳴を上げ、パートナーにしがみ付く。

 天が怒り狂ったかのような激しさとは裏腹に、王宮の夜会会場は甘い雰囲気さえ漂っていた。


 腕の中にダイアナを囲い、リアムは滝のような雨に目を向ける。

 焦点の合わぬ双眸は思索にふけり、闇夜の中に輝かしい蒼い森を映していた。

 暫くすると、思考が雨によって淘汰され、リアムは改めて腕の中の女性を見下ろした。

 彼女と目が合うと、リアムは形ばかりの笑みを向け、抱いた肩から手を降ろした。


 参加者たちは止まない雨を眺めることに飽きたのか、再び談笑を再開する。

 リアムの姿をチラチラと窺い、彼を話題の対象にする者も少なくはない。


 丈の長いコートを纏い、さらりと銀の長髪を背中に流す英雄の姿は、見惚れるほど艶があった。銀の髪は黒い上着の上で月光を浴びた白滝のように輝き、その妖艶な姿に女性たちは感嘆する。戦地を駆け抜けた無双の騎士の名はかすみ、魔物のよう、はたまた、妖精のようだと口々に噂した。


「雨足が落ち着いたら帰りましょう」


 荒れ狂う雷鳴や雨音が聞こえぬように、顔を伏せているダイアナにリアムは耳元で告げた。すると朱に染まった小さな顔が上を向く。


「今日は、私たちの新居に帰るの? それともお父様の町屋敷(タウンハウス)?」


「新居はまだ整っておりません。いつもどおりご自宅へお送りします」


 ダイアナの意思ははっきりとしていた。新居で夫婦としての生活を望んでいる。

 新居とは、リアムが武勲を立て賜った小さな屋敷のことだ。

 決して結婚のために用意したものではなかった。

 だが、今後、領地と王都を行き来する二人には丁度よい屋敷でもある。

 いずれはその屋敷でダイアナとの生活が始まるのだとリアムも理解している。

 彼女が描く愛や恋が芽生え、根を張り、人生の至福の時を刻むのだろうと思ってはいる。

 だからこそ、ダイアナを大切にしようと夜会や買い物、社交場へと共に赴き寄り添っていた。様々な人と交流を持ち、二人の将来に生かそうとダイアナの協力を仰いだ。


 ダイアナは、夢見る表情でリアムからの甘い言葉を待つ。


「リアムと早く一緒に暮らしたいわ。今のお屋敷は暗くて私好みじゃないの。その上こんな天気でしょ。ひとりでは怖いわ」


 結婚への憧れや理想。ダイアナはそのことについては口を開くが、他には興味を示さない。

 リアムは、今回も曖昧に頷くだけだった。




*




「リアム!」


 窓辺に佇む二人を見つけ、メイソンとパトリシアが寄ってくる。


「さっきの雷はすごかったね。落ちたのかもしれないな」


「森の方に落ちてなければいいのですが……」


 メイソンに続き、パトリシアも案じたように顔を曇らせた。


「街より森に落ちる方が良いのでは? 何かおありなの?」


 ダイアナの問いに、パトリシアが気もそぞろに答える。


「ええ、友人が住んでおります」


「ご友人が森に? 何をしている方なの?」


「画家です。ドレスや髪形などのあしらいも、とても上手なのですよ」


 パトリシアはそれ以上のことは話さなかった。貴族意識の強いダイアナを警戒しているようだった。リアムもこれ以上話を盛り上げレインの名を出してほしくはなかった。しかし勘の鋭いダイアナは、リアムやメイソン、パトリシアが知る共通の人物と理解するや否や答えを出した。


「ああ、あの方ね。新年会の馬留めのところでお会いした方でしょ?」


 赤い唇が薄く笑いながらリアムを見た。眇めた目が嗤っている。

 この半年、赴く場所でリアムはこの瞳を何度も見ている。


「あの方なら心配ないと思うわ。パトリシア様の前で話すのも気が引けますが、彼女は結構、神経が太い方のようですわ」


「神経が太いとは思いませんが、辛抱強いとは思います」


 ムッとした表情を浮かべるパトリシアにもダイアナは遠慮ない。


「あの方、貴族が集う店を覗いてたのよ。新年会にも顔を出したり、所作など気を配っているようだけど、随分と背伸びをしているわ。リアムに近づいてくるのも下心があるせいかしら。画家なんて気取ってるけど、売れないから下働きなのでしょう? 結局自己分析できない無神経な人だと思うわ。あの方なら、何が起こっても大丈夫じゃないかしら」


 喋喋(ちょうちょう)と悪びれる様子もなく話す婚約者に、リアムは言いようのない憤りを覚えた。レインがダイアナに蔑まされることなど微塵もない。そのうえで、下心などと理不尽にレインを貶めている。理解の度を越えていた。


「的外れなことを」


 低い声で凄むリアムに、ダイアナはどうしてと言ったように、小首を傾げた。そして嘲る。


「まあ、あなただって、彼女をそんな目で見ていたのではなくて? 勘違いでしたかしら?」


「俺はそんな風には思ってはいない。あなたの知性を疑うな」


 ダイアナはリアムの言葉に、不服を露わにして睨みつけてくる。

 婚約者の態度に、どうでもいい、と投げやりになるときがある。同類であることに酷く疲れ己にうんざりする時も。その究極にリアムは追い込まれた。

 ダイアナの指摘にリアムは傷口を摩られたような痛みを覚え身体にカッと熱を灯した。

 レインからすれば、自分もダイアナも変わりなく、貴族特権に胡坐をかく愚か者なのだ。


 動揺を滲ませたリアムにダイアナは「ほらね」といったふうに小首を傾げほくそ笑んだ。

 背を向け合う二人の間に、面白がるようにメイソンが割り入ってくる。


「まあ、色々あるようだけど、二人は()()()()だね」


 そう言って、黙っているリアムの肩を強く叩く。相棒の情けなさに気合を入れたのか、または不服を見せたのか、メイソンの手にはかなりの力がこもっていた。


 メイソンはリアムの婚約には反対だった。

 ジェノバ領を継ぐ決断は賛成だったが、婚約には異議を唱えていた。

 『おまえらしくないな』

 そう言われても、リアムには自分らしさなど問う必要などなかった。ただ先にある自分の将来とジェノバの未来にリアムは希望を見ていただけだった。


 


 遠くで響く遠雷の音に、四人は耳を傾け、吐き気がするような淀んだ場から意識を反らしていた。

 ゴロゴロと唸り迫ってくる音は四人の奏でる不協和音のようだ。


「いやだわ!まだ鳴っているわ!」


 会場からも悲鳴が上がり騒めくなか、メイソンは腕に逃げ込んできた妻を愛しそうに抱きしめた。

 落雷を恐ろしがるパトリシアの様子に、メイソンのみならず、紳士が唐突に宥めに入った。


「そんなに怖がらなくても、もう雷は遠いところに去りましたよ」


 落ち着いた紳士然とした声で語りかけるその人に、メイソンは姿勢を正した。


「お久しぶりです。キーラ画伯。披露宴同様、今日も素敵な夜会を楽しませていただきました」


 尖っていた空気も、紳士の登場によって(なら)らされる。

 特徴的な髭を触りながら、画伯と呼ばれる紳士はメイソンの隣にいたリアムを見て微笑んだ。

 中央から左右に分けて、毛先をくるりと丸めた髭の紳士にリアムは敬い、会釈をかわした。


 メイソンの披露宴が彼との初対面だった。パトリシアの父マキーノ伯爵の友人とだけ名乗り気さくな人物に思えたが、後に彼の功績を知り驚いたのを覚えている。

 彼はこの国で最も高名な宮廷画家だった。彼の活躍は画家だけに留まらず、王宮の催事全般を取り仕切り、その上、臣下として国の文化や芸術の発展、さらには他国との文化交流にも尽力を注いでいる人物だった。にもかかわらず、その大業に相反して、メイソンとパトリシアの披露宴も(よしみ)みで力添えをするなど、謙虚で懐が深い面を供えた人格者だ。


「今夜は生憎(あいにく)の天気になってしまったね。でもこれも一興だ。あなたたちはもう、お帰りですか?」


 各々に目くばせをしながら、画伯は柔和に話しかける。

 ダイアナのことはジェノバ辺境伯の令嬢として一目置き彼女を敬った。

 それが自尊心の強いダイアナを安易に愉悦にしたらせた。


 リアムが止める間もなく彼女の口から、軽々しい言葉がこぼれだす。

 初対面にもかかわらず高名な宮廷画家に対して、積極的に依頼を懇願した。紹介状もなく、王族でもないダイアナは、本来ならば依頼など軽々しくできない。


「ご無理を申し上げ失礼いたしました」


 リアムが婚約者の無礼を詫び、その場を収めた。


「いいや、英雄様と辺境の姫を描けるなんて光栄です。いつでもご依頼ください」


 物腰が柔らかく気さくで容姿も垢ぬけた彼は、敵を作ることをしない。細い目をさらに細め、にこりとダイアナに微笑む。だが、それ以上の約束をするわけでもなく、話をあっさり切り替えた。


「そういえば、あなたたちの披露宴で肖像画を拝見しましたよ。使用人が描いたと伺いましたが、とてもいい絵ですね」


「あ、ありがとうございます! 彼女は屋敷で働いておりますが、友人なんです」


 パトリシアの顔に笑みがさす。しかし会話の続きを攫ったのはダイアナだった。


「まあ! 使用人ということは、森に住んでるあの方のことでしょ? 無名の絵描きもお誉めになるキーラ画伯は寛大な方なのですね」 


「住み込みではないのかい? ではやはり画家として自立を考えているのかな。若くて才能のある画家は楽しみだ」


 


 キーラ画伯が去ったあとパトリシアはメイソンに抱き着き歓喜した。


「すごいわ! レインの絵はキーラ画伯にも認められたわ」




 嵐はいつの間にか過ぎ去り、澄んだ夜空には星が瞬いていた。











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