挿話 ボクとレイン
賑やかなところへ行くのも、人と話すのも苦手だが、今日は仕方がない。
弟の前だというのに、ずっと手を繋いでいる二人を見たら熱が出そうでくらくらしてきた。
「姉上、メイソンさん、僕はもう部屋に戻らせていただきます。またいつでも遊びに来てください」
「おおっとぉ~! そこはお義兄様でしょ!」
「……」
「無視ですか!」
「メイソンさんは酔っぱらっているようなので、話をしても通じないかと思いまして……」
「酔っぱらってない!」
「そうですか、声が大きいのでそう思ったまでです」
「ちょっと、アレックス! メイソン様に失礼よ。彼は騎士団の先鋭部隊で剣の腕も一流なのよ。容姿だってこんなに素敵だし、性格も社交的で申し分ないお義兄様でしょ?」
「パァ~ティィィ~、ホント好き」
二人の世界に身震いを覚える。自分の眉間に深いしわが寄っていくのがわかる。
「ねぇ、アレックスさぁ、さっきレインと踊っていたでしょ?」
メイソンのギラギラした目は要注意だ。
「下世話な話なら致しません」
「下世話っ! しないよ、そんな話。でも……ん? なに? レインとそういう関係なの?」
「やっぱり酔っぱらっているんですね。そんなアホなこと常人は言いません」
「ははぁ~ん、照れ隠し?」
「……」
レインがこの屋敷で働き始めたのはメイソンがきっかけだという。この好奇心の塊が街のパン屋で、宝石を見つけ出し、姉上に預けたというのだから、その的確な行動力と判断力は認める。真反対の性格の自分は彼からそこだけは学ぶべきだとも思う。
――でも、一番苦手なタイプだ!
***
まだ夜が明けきらない早朝。
毎日、同じ時刻に咳払いが聞こえてくる。
小さな音にも敏感に反応してしまう自分は、面倒な人間だ。
眠りを妨げる咳払いの主を今日こそ確認してやろうと、ベッドから抜け出し外を覗けば、顔の半分をマフラーで隠した女の子が使用人の戸口に向かって歩いて行くのが見えた。
初めてみる顔だった。自分とそう、変わらない年齢にも見えた。小さな咳は毎日聞こえ、うるさいと注意しようと思っていたが、治まることのない咳に女の子の体が少し心配になった。
春になって早朝だけに咲く珍しい花を観察しようと、庭に出た。
口うるさいメイドたちもまだ仕事を始めていない。起き抜けのまま庭園を散歩し、その花の前でしゃがみこみ開花するのをじっと待っていた。すると、いつもの小さな咳払いが近づいてきた。
「やっと咲きますね」
彼女は夜露に濡れた庭にしゃがみこみ、じっと開きかかっている蕾を一緒になって見はじめた。
鬱陶しいと思った。
僕は誰もが無関心な薄暗い朝にひとりでいるのが好きだった。ひとりで静かに開花を見たかった。
でも息を凝らしてじっと見ている女の子にそれを言い出すことも出来ず、そのまま二人で見続けた。閉ざしていた蕾の螺旋がゆっくりと解かれる様をみて、彼女は小さく口角を上げて満足そうに微笑んだ。そして「ありがとう」と言い残し、急ぎ足で屋敷へ入っていった。空が白み温かい光が顔を出し始めると、僕の時間は終わりを告げる。僕は朝食まで寝るためにベッドに戻った。
それから時々庭で顔を合わせるようになった。僕の傍に寄ってきて、花や虫を黙って眺めると必ず「ありがとう」とだけ言って去ってゆく。
ある日彼女が「アレックス様」と呼ぶようになったので、自分のことを他の使用人から聞いたのだと思い、避けるようにした。
十四歳にもなって学校にも行かず部屋に引きこもっている自分を、わがままだと使用人たちが陰口をたたいているのを知っている。
両親はろくでなしの跡継ぎに落胆していた。
本を読んでいると、いつもの使用人ではなく、彼女が昼食を知らせに来た。
彼女は他の使用人たちのように、暗い部屋のカーテンを有無も言わずに開けて風を通し、話題を作って様子を窺ったりすることはしなかった。でも無関心という訳ではなさそうだった。
昼食を告げたあと、そのまま立ち去るだろうと思っていた彼女が突然話しかけてきた。
「アヒルがチーズを食べたあといなくなってしまって……」
と不安げに話すのだった。
はじめは何のことかと思った。しかし僕が動植物に詳しいと知っての質問だったらしい。
その日、本をあさり、必死にアヒルとチーズについて調べたがそんな文献はどこにもなく、答えられないままだった。結果、次の日彼女はにこにこしながら「元気に帰ってきました」と僕に伝えに来た。
答えられなかったのは悔しかったが、少しでも相談にのれたことがうれしかった。
ある日、使用人たちの話し声が癇に障り、叱った。
その後、気が晴れずにバイオリンを弾いていると母が、怒りと失望の混じった顔で部屋に入ってきた。
「自分の奏でるバイオリンはうるさくないの? 使用人の声の方がうるさいのなら、あなたの耳は壊れてしまっているのね。皆に不遜な態度を取り続けるのもみっともないわ。お医者様に診てもらいましょう」
母の後ろには、丁度、昼食を伝えに来た彼女もいた。彼女に聞かれたくなかった思いもあり、カッっと怒りが湧き、弓を母に投げつけてしまった。母も目を見開き、怒りで顔を歪ませた。
「あ、あの……」
母の後ろにいた彼女がおっかなびっくり仲裁に入ってくる。
「何用ですか!」
母の怒りは収まらない。
「アレックス様は耳が悪いのではなくて、良すぎるのではないでしょうか……」
思いがけない解釈に母は言い返す言葉に詰まった。
「アレックス様は人よりも感性豊かで、お耳が繊細だからこそ、バイオリンも見事に弾きこなしますし、人のこそこそ話も酷く癇に障るのではないでしょうか?」
その言葉に母は初めて核心を得たように、はっとした顔をしていた。しかしやはり納得がいかないようだった。
「アレックスに気を使う必要ないわ。この子が駄目になってしまうもの」
母の強い眼差しは彼女を後退させるほどだった。
それが悲しかった。
彼女を怖がらせてしまったと虚しくなった。
「母上、もうやめてください。僕が今後改善してゆきます」
初めて改善するなどという言葉を使い自分でも驚いたが、母の方も目を丸くしていた。
それからだった両親は僕の生活を否定しなくなった。
初夏の爽やかな朝。彼女は部屋にきてカーテンを開けてもいいか、といった。
日差しは嫌いだったが、彼女の言うことは否定しない。
彼女から嫌なことをされたことなどひとつもなかったから。
「アレックス様にお礼です。ほら、あそこの木に、鳥の巣が出来ました。私が帰るこの時間、いつも餌を運んでくるんですよ」
「お礼ってなんの?」
「朝早く、美しい物を見せてくれました。仕事が始まる前にみるとホッとします」
「――だからいつも、『ありがとう』っていってたの?」
彼女は情けない顔で笑った。
気が小さくて臆病なのだから、仕事も緊張するのだと恥ずかしそうに笑った。
燦燦と降り注ぐ日差しに木の葉が揺れる。
そしてピーピーと鳴く鳥の声はうるさくて僕の苦手なものだったが、彼女を通してみると何とも優しい景色になる。
「ほんとだ!鳥の巣だ。今から調べに行こう」
彼女の仕事終わりを待って、日差しの中に飛び出した。屋敷の皆がそれを見て驚いていた。
――何かと関わるとつらくなる。自分の世界が壊されるし、喧しい。それならはじめから交わらなければいい。
彼女もそう思っていたという。
「一人になってそうはいかなくなりました。でも困ったときはいつも誰かが助けてくれます」
「そうだね」
彼女の話に頷いている自分がいた。
***
メイソンは、にやにやといやらしい顔を向けてくる。それを無視して立ち去ろうとした。すると、メイソンの席の前に現れた壮絶に美しい騎士とぶつかりそうになった。
「あ、アレックス待って、紹介するよ。俺の相棒。第二部隊の英雄様ね」
メイソンの不要な付け足しに、美丈夫の騎士は軽くメイソンを睨みつけた。
どうやらメイソンみたいなお調子者ではなさそうだ。
「リアム・ランクと申します。以後お見知りおきを」
「パトリシアの弟、アレックスです。こちらこそ、お会いできて光栄です」
リアムと聞いて覚えがあった。以前レインが話していた男の名だった。
「アレックスはレインと仲がいいんだ。見た? 面白いダンスしてたでしょ」
メイソンがまたレインを持ち出してくる。英雄は別に興味が無さそうなのに。
「楽しそうに踊っているのを拝見しました。レインはこちらでどんな仕事を?」
興味無さそうにしていた英雄が、尋問するように問う。
メイソンとは違う種類のしつこい目を向けて、何やら探ろうとしてくる。
意図するものは分からないが、素直に答えてやった。
「――毎朝夜明けに来て、掃除洗濯を午前中にこなして帰るのが基本ですよ。その後頼んだ絵を仕上げたりしています。センスが良くて姉のドレス選びなども手伝っているようです。具合が悪そうな時でも、毎日真面目に働いていました。姉と仲が良くて、あなた達の帰還の一報が入った時は二人で大喜びしていましたよ」
英雄は話の途中で一瞬だけ、遠くに見えるレインに視線を運んだ。
レインが話した『親切にしてくれた騎士』はこの男とメイソンのはずだ。
今の話を聞いて悦に入ったのかと思うと、悔しくなる。
「アレックスはね、レインに親切で優しい男だよ。仕事じゃなく親切にしている」
へんな言い回しだが、メイソンにしては良いことを言った。
美丈夫の騎士のほうは、訳が分からないと言った感じで顔を歪めている。
レインが関わると、感情がまとまらなくなる。
今までのような思うようにいかない苛立ちに似ているが、非なるものだ。
だが今、その答えは出た気がする。
あの男達への嫉妬だ。凛々しく麗しい英雄の姿が無性に気に食わないのだ。




