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23 樹海

 

 前線では大河に架かる大橋を制圧すべく、争いが続いていた。

 山から流れ込む川の水は初夏のせせらぎとは程遠く、冷たくそして荒れていた。

 まるで神がこの戦いを愚かだと阻止しているようだった。

 渡ることのできない川を前に思いつくのは両国同じだ。

 この大橋を奪った方が勝利に近づくのだ。既に半年以上もこの状態でいる。

 ただ川向こうの兵士を監視し動きがあれば矢を放ち大砲を打つ。

 今は死人こそ少ないが、常時硝煙が立ち込め長い緊張が終始続いていた。


 この大橋をジェノバ騎士団が守り、そして国境付近には王宮騎士団の指示のもと、民間兵や傭兵が集まり日々隣国の監視を行っていた。

 侵入口となる小さな橋や道をすべて破壊し、時には剣を交え、血の匂いに咽る戦いも行われていた。武力では一進一退となり、戦いは緩くそして長く続き兵士たちを疲弊させていった。



 その状況に頭を抱えたシェノバ軍、王宮軍の幹部たちは緊急招集を開き今後の作戦の見直しを計っていた。

 王宮の文官たちから進展の報告も得られない。和解の話し合いも決別状態のようだ。


 参謀たちの前で若い騎士は意見し跪いていた。

 鋭い眼差しに晒されても尚、己の意志を貫こうとする騎士に辺境伯がようやく重い口を開く。それは若気の至りなどと馬鹿にしたものでもければ、若者への賛辞でもない。


「それを出来る可能性があると言うのか? 君が幼い頃から危険を顧みずあの樹海に潜入していたのは知っていたがね……」


 辺境伯の傍らに腰を下ろしていたシェノバ騎士団長は、我が息子の申し出に顎を摩り唸った。


「いくらお前でも、あの樹海は危険だ。あの漆黒の森に入り敵陣営に辿り着ける確率は少ない。あそこは迷宮であり地獄への落とし穴がある。それでも行くか?」


 リアムはまっすぐと上官を見据え頷く。意思は変わらないというように。

 ジェノバの幹部たちは無言のままリアムの赤い耳飾りに視線を向けている。

 その意味を王宮騎士団の幹部たちは知らない。

 訝し気に見詰め足を組み、黙ってその様子を窺っていた。


「橋を奪われる前に牽制しなくてはなりません。俺なら樹海から敵陣を見下ろせる位置に出る経路を見つけ出せます!」


 この地は生まれ育った土地。リアムは誰よりも地形を熟知していた。国境を跨いでそびえる山は両国の侵入口になる。だからこそ、幼き頃より山の裾野に広がる樹海へ秘密裏に入っては、地形を覚え自分なりの地図を作った。それが今、活かされる時だった。山の斜面から敵陣に向け長弓を射掛け、怯んだ隙に橋を制圧し攻め込む。リアムは一兵卒ながら、その作戦の実行を自ら申し出たのだった。


 長期戦は限界に近づいていた。王都からの供給も途絶え始めた。負傷者たちも増え不衛生の中、十分な食料も治療も受けられずに亡くなってゆく。戦いはもう、終わらせるべきだった。


 ジェノバ軍がリアムの申し出に躊躇することに疑問を持ち、王宮騎士団の団長が、皮肉交じりに口を開く。


「樹海は迷宮ということは理解できる。だがそこまで敬遠する理由はなんだ。凶暴な野獣や魔物でもいるっていうのか?」

 

 野獣や魔物などもちろん存在するはずもない。だが目に見えるそれらの方がよっぽど楽だと、この樹海の秘密を知る者は思ったに違いない。

 具体的な話は、辺境伯に委ねられ、実情を知る者は重く口をつぐんだ。


「あの樹海は磁石の針も狂う。迷えば出てこられないことも確かだ。さらに多数の穴が存在しそこから有害な物質が出ているのです。穴に落ちて死に、有害物質を浴びれば体調を崩し錯乱する。ですから五十年前から立ち入りが禁止されています」


 ――辺境地ジェノバの迷宮 樹海――



 五十数年前に遡る。


 ジェノバ領の山ではいくつかの鉱石が出ることがあった。

 紛争の絶えないジェノバでは防衛のための資金が必要だった。そのため鉱石の発掘に当時の領主は目を付けた。

 今は迷宮と称される樹海も当時発掘調査団が入り、鉱石の調査が行われた。


 手付かずの山は少人数で秘密裏に調査された。

 樹海には地震によって地盤が崩れてできた無数の陥没穴があり、誤って落ち命を落とす者もいた。そしてその穴に近づいた者の多くが原因不明の病に倒れた。それでもその穴に皆が執着したのは、炎のように揺らめく光を放つ赤い鉱石が眠っていたからだ。

 だが結果として、調査隊のほとんどの命が奪われた。僅かに残った者たちも、錯乱をおこして樹海の奥で迷い行方不明となった。その中で絶壁から川へ転落した、生き残りがごく僅かな赤い鉱石を領主のもとへ持ち帰ることができた。


 持ち帰った男の証言から、危険の伴う発掘調査は中止となり、魔の森として立ち入りが禁じられた。




 そうして樹海が封鎖されてから数年後、再びその赤い鉱石が取り上げられた。

 きっかけは隣国との紛争だった。


 国境を跨ぐ川を挟み攻防が続く中、リアムの祖父は単騎で川を渡り敵の将軍を捕虜として捕まえた。

 しかし、その直後、不思議なことに晴れていた空から突然豪雨が降り注ぎ、みるみるうちに川を氾濫させたのだった。


 氾濫した川は人を寄せつけず、陣営をも飲み込んだ。そして恐ろしくも血のように赤く染まったのだった。原因不明の赤い川の氾濫は人々に恐怖を植えつけた。

 川の氾濫と赤い血染めの川を見た敵の民は、将軍を捕虜としたことを神が怒りジェノバ軍に天罰を下したのだと騒ぎ立て、反してジェノバの民たちは捕虜にしたことで戦を勝利に治め、これ以上の戦いは無用だと神が示した奇跡なのだと叫んだ。


 その赤い川の氾濫は三日三晩続いた。赤い水に飲み込まれた田畑は全て枯れ果てた。人への被害はなかったが、両国の住民たちは赤い水を恐れ、川を利用することを止めた。


 そして水が引き、両国民が戦争の終結を求め、交渉が早急に行われた。

 その間ジェノバ騎士団は赤い川の要因を探りに川を調査した。

 広大な川の底から深紅の輝きを放つ石を見つけ手に取ったのは、またしても敵陣に乗り込み英雄となったリアムの祖父だった。


 持ち帰ったその石は、魔の樹海で発掘された鉱石にそっくりだった。

 リアムの祖父がその石を見つけた時、石の周辺の水が僅かに赤く染まっていたことを告げれば、赤い川と鉱石の関連性が注目され、調査が行われた。しかしその後、石を調べても赤く溶け出す成分はおろか、悪性のものは何も検出されなかった。だがわかったこともあった。樹海の鉱石を掘り出した土に多量の有害物質が含まれていた。それが雨によって流れ出たのではないかと推測された。しかし川の水の接種による人的被害がなかったため、判断できずに原因は解明されなかった。

 川が赤く染まったのもしかりだった。


 魔の森の有毒物質を含む土は埋められ、樹海は領主の権限により完全に封鎖され、今に至っている。




 ***




 リアムは今、眼下に望む赤い川を眺めていた。

 力強い夕焼けが川を赤く染め上げ、目が痛むほどの輝きを放っている。

 瞼を閉じ冷静を取り戻せば、瞼の裏で赤い輝きの残像だけが映し出された。


 リアムがジェノバ兵の頃、数年かけて陥没の位置を示す樹海の地図を描いた。頭に叩き込まれたその地図を頼りに、早朝から馬を駆り、夕刻にようやく敵陣を臨む地に辿り着いた。時折感じる異臭を吸い込まぬように、口元には薄布を重ねて巻き、注意しながら駆け抜けた。


 そして今、敵に気付かれぬよう、連れ立った騎士達を分散させ、各々が暗い木々の根元に身を潜めその時を待っていた。


「――赤い川」


 幼い頃から憧れた偉大な騎士。その騎士から譲り受けた、赤い鉱石の耳飾り。それに触れれば、彼から言われ続けた言葉が再び、脳裏に投げかけられる。


 『――ジェノバの民を救うために、武力だけではなく知恵を鍛えろ。地形を把握し戦法を考え、情勢や民の声を聞け』


 彼は血を流すことを嫌っていた。だからこそ、敵将を殺さず捕虜として攫ってきた。


 この作戦もまた、相手の不意を打ちその間に攻め込み、敵将を捉える策だ。

 だがここは、敵兵だけが敵ではない。長時間この場に留まれば身体が蝕まれるやもしれない。

 懐には念のための解毒剤が入っている。

 その懐に手を添えれば、銀の甲冑がガシャリとぶつかり小さな音を響かせた。


 音に連鎖し不意に甲冑姿の祖父が現れ、リアムに支持を出す。慎重にやれ、とリアムの隣で囁いている。


 古く重厚な鎧……そして葦毛の馬。

 刹那、祖父の面影は記憶に留めた大切な物と交差してゆく。

 ――森の騎士の絵。

 ――そこに描かれた騎士と葦毛の馬。


 (――レインは俺に、お祖父様の姿を視ていたのか)


 彼女は願望が視えると言っていた。まさにリアムの幼き頃からの願望は、祖父のようになりたいということだった。


 リアムは戦場だということも忘れ、絵を見せ恥ずかしそうに微笑む画家の姿を思い浮かべ、穏やかにほくそ笑んだ。




 レインの住むの森とは似ても似つかない、洞穴のような暗く湿った樹海に、蜘蛛の糸のような陽の筋がわずかに差し込む。

 眼下には、無事過ぎ行く一日の終わりに息をつく敵陣営がある。


 配置についた騎士たちに合図を送ると、皆が一斉に弓を構え各々が的を定めた。


 「撃て!」


 矢は音を立て幅広の大河を優に越えながら弧を描き、敵の頭上で直角に下降する。連続した矢は鋭利な筋を描き、目標を確実に仕留めていった。


 程なくして、地鳴りのような勝鬨がミティア国軍から響き渡った。












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