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22 アンナとの別れ

 

 木々や草花が芽吹き、森が潤い華やかになる一方で、レインの食卓は今まで以上に質素になった。

 食卓に春の恵みのベリーや山菜が並ぶのを楽しみにしつつ、レインは硬いパンをかじっている。


 ブーは陽のあたる絨毯の上で桃色のお腹を出し、昼寝ばかりしている。朝、夕の散歩以外はほぼ眠いようだ。ずいぶんと大きくなり、手足も太く背中も広くなった。乾いた土のような薄茶色だった毛も、白に変わり伸び始めた。


 朝食を終えてレインがアトリエに戻ろうとすると、ブーが起き上がり後を追ってくる。


「ブーちゃん、どうしたの?」


 黒く丸い瞳でレインを見詰め、舌なめずりを何度もする。

 これはご飯を求める仕草だ。


(ブーちゃんはモットさんと違って呑気なのよね)


 番犬としての素質は皆無に等しい。

 ためしにレインは重たくなった愛犬を抱きかかえ、耳元で「誰か来たわ。どうしましょう?」とぎゅっと腕に力を込めて怖がってみせた。だが案の定、呑気な犬はハアハアと赤い舌を出し、うれしそうに目を細めるだけだった。


「……まあ、かわいいから、いいか」


 リアムの手紙に書いてあった通りにはいかなそうだ。

 モフモフのお腹を摩りながら、レインはアトリエに飾られた『森の騎士』に声をかける。


「だめそうですよ~」


 この絵に話しかけるのもレインの日課になっていた。

 王都は平穏無事だが、戦場の彼らはどうしているだろうか、と日々絵に問う。

 騎士たちが温泉に入りに来たころが既に懐かしく思えた。アンナに勘違いさせたことを思い出し苦笑い浮かべながら、レインは作業台の上に置いた素描の紙を手に取った。


「おかえり」


 あの時取り上げられずっと行方不明のままだった絵が、昨日ようやくレインの手元に戻って来たのだった。




***




 ――昨日。


「レイン、まずこれを受け取って頂戴」


 抑揚のない口調で告げたアンナの手元には、十数枚ほどの金貨が置かれていた。

 それはレインの三か月分の生活費よりも多かった。


「このお金は?」


 問いながらも、最後の給金なのだと思った。来週には店を閉める予定だとアンナに聞かされていたからだ。しかしそれにしては多すぎる。

 レインはお金には手を振れず、アンナの話を待った。すると一枚の大きな紙がパサリと金貨を覆い隠す。


「あなたの絵が売れたの。その売上金よ」


 置かれた絵は版画だった。手に取って確認するとその構図には見覚えがあった。アンナにお仕置きとして取り上げられた下絵にそっくりだ。


「レインが描いた軍神たちの末路。戦勝祈願として巷で売れに売れているそうよ。若い女性に人気なんですって。レインは見たことなかった?」


 絵を直視したまま頷いたが、すぐさま首を横に振り直した。

 版画は見たことなかったが、軍神たちの末路とは、どういうことか。疑問がありすぎた。


「ど、どうして、こうなったのですか?」


 アンナはレインの戸惑いにふふんっと得意顔を返すと、手のひらを顔の横で見せ、その指を一本ずつ折って説明をはじめた。


「一つ、レインの才能。二つ、私の機転のよさ。三つ、題材……そ、裸体ってことね。四つ、工房のおじさんの企画力と技術。そして五つ、今の情勢よね」


「はっ?」


「時代に合ったってことよ。レインの絵が」


 ――つまりこういうことらしい。

 この絵は運よく()の時代が求めていた物と合致し認められたと言いたいらしい。どの時代も絵描きとして皆に認められるのはごく一握りだ。才能があっても時代にそぐわなければ注目をされることも無い。今のようにふらふらとあてどもなく、ただ絵を描いているレインにとっては僥倖(ぎょうこう)なのだ、というのだが…………やはり解せない。


「画家を生業とするのならばこのような売り方もあるのだと勉強にはなりました。でも、私としてはこの絵を商業目的に描いたつもりはありません……。ごめんなさい」


 恩あるアンナに口答えするのは(はばか)れるが、言葉を選びながらもはっきりと自分の意思を示す。


「騎士様たちにもお知らせしていませんもの」


 スッと目を逸らすところをみると、どうやらアンナも罪悪感があるのようだ。しかし……。


「…………騎士達に全然似てないでしょ。報告することもないわよ。レインの絵は下絵、いえ、参考になっただけよ。でもやりすぎると良くないから、もう、刷らないように銅板も買い取ったわよ。お仕置きもおわり。ほほほっ」


 アンナに悪気がないこともわかる。


「お仕置きって……誤解は解けたはずです」


 ことの発端は自分だということも理解している。


「お仕置きのつもりだったけど、全然彼らに迷惑かかってないじゃない。この絵でひと儲けできたのも偶然よ」


「たしかに、騎士様たちにお顔は似てませんし誰も迷惑が掛かっていません。……でもやっぱり私自身が裏切ってしまったようで心苦しいです」 


 そうレインが物憂げに言えば、アンナは肩を落とし溜息は吐く。

 無知で世間知らずの自分の反論は、ただの我儘にすぎない。版画だって大衆画として確立した分野であり、世に出せたことは素晴らしいことだ。


「あ、あのアンナさん……アンナさんが私を思ってしてくれたことだと、わかっていて愚痴をこぼしてしまって……私は気が小さいし、無知なのでその……ごめんなさい」


 すると、アンナがテーブルの上に置いてあったレインの手をぴしゃりと叩いた。


「これっ! 謝るのは私よ。私が仕出かしたこと。レインは純粋で計算高い商売に向いてないことも知っていたわ。騎士様たちとレインの誤解が解けても、版画の制作を取り止めなかったのは、やっぱり儲けられるとやましく思っていたからよ」


 未熟なレインにアンナは処世術を教えてくれている。

 レインの可能性を潰さないように考えてくれている。

 ジャガイモパンのアイデアも喜んで受け入れ商店の皆に自慢してまわっていた。

 看板も、頼まれた絵も、仕事に繋がればいいと一生懸命皆に見せて宣伝してくれた。

 そんなアンナの気持ちを知っているのに謝罪などさせていいわけがない。


「アンナさんが私に謝るなんて。本当にごめんなさい。それからありがとうございます」


 眉が下がりっぱなしのレインの頬をアンナはやさしく摘まむ。


「レイン、私こそありがとうね」





 パン屋の奥。二人が話している休憩室を西日が明るく照らしはじめた。

 絵が置かれた机を挟み、打ち解け合った二人はすこし照れくさく、窓の外に視線をしばし移した。


 教会の鐘の音が大きく響いている。その鐘の音と差し込む西日がレインに懐かしく温かな時間が思い出させた。


 幼い頃、アンナに預けられたことが度々あった。

 鐘が鳴るとフローラが依頼先から帰ってくる時間になる。

 このパン屋の奥の部屋で窓の外を眺めながらアンナと二人で母の帰りを待っていた。

 アンナは鐘が鳴るといつもレインに言う言葉があった。


『もう帰っちゃうのね。もっと一緒にいたいのに寂しいわ。またいつでも来てね』


 昔を思い出しアンナを見れば、彼女も鐘に耳を傾けていた。そしてふと視線が重なり微笑んだ。


「鐘が鳴ると思い出すわね。フローラは髪を振り乱して急いで帰ってくるのよ。絵も描きたいし、レインにも会いたいしで、ここに飛び込んでくるの。ぶきっちょなのよ。でも彼女はいつも一本筋が通っていて素敵だった。あなたもそっくり」


 アンナと同じ光景を共有していた。昔もそして今も。

 アンナの手が金貨をつかみ、レインの目の前に積んでゆく。


「私もぶきっちょなの。そしてちょっとずる賢いかしら。この金貨はレインの潤沢な資金よ」


 ――資金。

 アンナに田舎へ一緒に行こうと誘われていたが、レインは断っていた。両親と過ごした王都でもう少し頑張りたかった。両親の事故のことも未解決のままだが、王都にいれば何かしら情報が得られるかもしれない。なによりこの歳でアンナの世話になるのも心苦しいかった。

 資金とは今後の生活資金ということだろう。本来ならば、世話になったアンナに自分が何か恩返しをしなければならないはずなのに。


「資金なんて……。アンナさんにはお世話になりっぱなしで……。これはアンナさんが貰ってください」


 アンナだってレインに餞別をあげるほど裕福ではない。このお金は、アンナこそが今後の為に使うべきだ。


「私のことは気にしないで、あなたが受け取りなさい。今後の仕事、どうするの? 工房に入るなら、その版画を作った工房に口を利くわ」


「いいえ……これから自分で探します。もう、アンナさんにはたくさんしていただきました。感謝しかありません」


 レインの手を取るアンナの顔は、昔と変わらぬ優しい母の顔に変わる。


「何言っているのよ。本当はあなたともっと一緒にいたいのよ。別れるのはすごく寂しいわ。だからまた会いましょう。もし、王都が戦渦に巻き込まれそうになったら、すぐに私のところへに来るのよ」


 教会の鐘がまた鳴った。アンナとレインは窓の外を眺め、眩しい西日に目を細めた。

 レインはアンナに気づかれないように、顔を伏せてそっと涙を拭った。




***




 一週間後、アンナは店を閉めた。

 そしてレインはパトリシアの屋敷での下働きの仕事を得た。


 閉店のお知らせの看板を店先に掲げていると、丁度パトリシアが訪ねて来た。

 パトリシアは閉店を驚いていたが現状を把握すれば仕方がないと、とても残念がっていた。今後のことを問われ、決まっていないことを話すと、パトリシアの家のメイドとしてレインを雇いたいと申し出てくれた。



 仕事終わりに郵便局に立ち寄れば、リゴー侯爵から手紙が届いていた。

 侯爵領地は紛争が激化しているジェノバに隣接しているため、非常に危険な状態らしい。よって終結までは会うことを控える、と綴られていた。


 身寄りのないレイン同様、フローラにも身寄りはない。遺品の引き取り手はレインしかいないのだ。

 レインは弔うことのできない母を思い、虚ろな気持ちでその手紙を握り締めた。











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