19 心もとない
「つらそうだな。薬は? いつもどうしているんだ」
「棚の上に常備してあります」
リアムは立ち上がると、棚の隅に置いてある薬と水を持ってきてレインの前に並べた。
「俺の無事より、レインの無事だな」
食後の薬を飲み終えたレインは、リアムに腕を取られ暖炉の前へと移動させられる。体の節々も痛みだし、赤い絨毯の上にレインは頽れぺたりと座り込んだ。
「もう、寝たほうがいいな。俺もそろそろ帰るから」
レインの肩に毛布を掛けながら、リアムは暖炉の灯を確認する。「もう少し足しておく」と暖炉の横の薪を一本くべた。
(帰っちゃうのか……)
「――今日はありがとうございました。リアム様が具合が悪くなった時は、私が駆けつけます」
「俺は……めったにないな」
「――じゃあ、落ち込んだ時は応援します」
酩酊する頭の中で気持ちが素直に走り出す。
普段よりも馴れ馴れしい口調になるレインに、リアムは泰然と微笑みを返し、幼子をあやすようにレインの頭をくしゃくしゃとなでた。
身分の高い人は町娘の生意気など聞きはしないが、リアムはまったくそうではない。レインは彼に傾倒してゆく自分を頭の中で傍観していた。
「わかった。よろしく」
外は相変わらず冷たい小雨が降り続いていた。
吸い込まれそうな静寂と薄灰色の空が、幽玄な空間を作っている。
窓の外のその光景に、レインは彼が帰った後の心許なさを思い怖くなった。
見送ろうとしたレインの膝の上にポスっと子犬が置かれ、続いてソファーに置いてあったクッションも運ばれてくる。
「ここで横になっていれば、温かいし楽だろ」
仔犬を抱え座ったまま、レインは玄関先で身支度をはじめたリアムを眺めていた。玄関まで見送らなければいけないと気は回るが、熱の気だるさと、別れを拒む気持ちで身体が動かせなかった。胸に覚えたのはどうにもならない、恋しさと虚しさだ。
パンの御礼とアンナへの伝言を告げていると、彼は唐突に玄関のドアを開けた。
「どうしましたか?」
リアムは口に人差し指を当てて雨の外を注視している。
「アヒルの鳴き声がした。あいつまた俺を監視しに来た」
そう楽しそうに告げると、リアムは不意にしゃがみ込こみ、白い羽を摘まみ上げて座ってるレインに見せつけた。
リアムがモットを疑う姿がおかしくて、レインは咳まじりに肩を小さく震わせた。
モットの姿は朝から見てない。
散歩に行って帰って来たら馬があることに気づいて、彼は悲鳴を上げたのかもしれない。また隠れてしまったということは、もしかするとリアムの後を追うつもりなのかも。
「お帰りはモットさんがお見送りするようですね」
そう言ったとたん遠くでモットの鳴き声がまた聞こえたため、リアムは素早く外をぐるりと見渡した。
「いないな。どこにいるんだ?」
モットの習性はレインにも分からないところがある。彼は忽然といなくなったかと思えば、近くで寝ていたりする。今もたぶん、煙る森のどこかでこの家を除いているのだろう。レインも首を傾け窓の外を覗いてみた。
「あそこに下がっているのは?」
モットを探していたリアムが、軒下に揺れる布に興味を示す。
雨ざらしで汚れたそれを下げたままにしているのは、見た目も良くない。でもレインはそれをずっと放置している。
「――願い袋です。雨の日に、自分の大切な物を布で包んで軒下に吊るすと願い事が叶うそうなんです」
リアムは窓に近づきその袋をじっと見た。
「何が入っているんだ?」
「大きなドングリだったり、きれいな石だったり、四葉だったり」
「子供の宝物だな」
「それは二年前の物です」
深く考えないようにしていたのに、自分で言って記憶を呼び出してしまった。
遠い異国へ仕事に赴く父が無事に帰って来られるようにと願ったものだった。
年中、様々な土地に出向くため、この願い袋は外さないでいた。
だが半年前にこの願い袋の効力も切れてしまっていたのだろう。
願いは届かず、父は母と共に隣国から帰って来なかった。
二人が旅立ったあの日に、新たに願い袋を作って吊るしておけばよかったと後悔した。
だが今は願い袋を作ることも躊躇うようになってしまった。
願いが叶わなかった時の恐怖はもう味わいたくない。
そうして軒下の古い願い袋も、手が付けられないままになっている。
「――二年前か。十五歳の女の子の宝物がどんぐりじゃ子ども過ぎるだろ」
そう言うリアムも、子供のように大きな声で笑い出した。
それは、妙に明るくわざとらしかった。
リアムはレインの顔色を窺うように瞳を動かし、目が合えば微笑んだ。
二年前の願い……、そこから半年前の悲劇を想像したのはレインだけではなかったのかもしれない。
リアムのやさしさに救われ、レインも沈んだ顔を隠した。
「子供の願い事がちょうどいいんです。けっこう叶いますよ。明日は、晴れますようにとか、雨が降りますようにとか、パンが売れますようにとか。そうだ、風邪が治りますようにと、これから作って吊るしておくのもいいですね。調度雨ですから」
明るく冗談を交えれば、リアムはほっとした表情を浮かべた。
「今日は作らず、養生しろよ。ちゃんと食べて寝て力をつけるんだ」
時計を見れば昼を過ぎていた。薄暗いから夕方にも思えたが、意外に時間は経っていなかった。
レインは座ったままリアムに向かって小さく手を振った。
「雨、まだ降っていますね。お気をつけてお帰り下さい」
「雨はレインの力になるんだろ。やまない方がいいな」
明日の巡回時にアンナに体調の様子を伝えておくと言い残し、リアムは森の奥へと消えていった。
いつもの部屋が急にがらんとなり、心に穴が空いたように寂しくなった。
レインは微笑みを崩し、顔を手で覆った。
涙がとめどなく出て仕方がなかった。




