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1 出会い


 淡い陽が森の木立にようやく届き始めた早朝。

 少女は画板を片手に、ひとり森を仰ぎ見ていた。

 遠くで鳥たちが一斉に飛び立つ羽音がする。

 だが、描く構図を夢中で模索している少女には、そんな音はまったく耳に届いていなかった。

 

「この辺がいいかな」

 

 切り株に腰を下ろすと、親指と人差し指で枠を作る。

 その枠に収まる理想の風景を、片目で覗き込んで探していた。

 その最中(さなか)だった。


 ――ズサッ。


 切り取った風景に鈍色の何かが風を切って割り込んできた。


「ひっ!」


 衝撃に背をのけぞらせたため、少女は腰かけていた切り株から転げ落ちた。

 何事かと見やれば、それは腕の長さほどもある鋭い矢だった。

 矢は大木の幹に突き刺さり、小刻みに揺れていた。




 ***




 ここは王宮の裏山、人知れずの森。


 高い城壁の一角に、森へ抜ける小さな裏門がある。

 この裏門は長い間閉ざされたままになっており、今では森に入る者はいない。

 裏門から森に続く道は草木で覆われ、貴族たちの狩場だったこともすっかり忘れ去られていた。

 もちろん、その森の奥で暮らす少女の存在など誰も知る者はいなかった。


 少女の名はレインという。

 幼い頃からこの森で両親と共に幸せな生活を送っていた。

 しかし、早春の頃、仕事で隣国へ旅立った両親は馬車の事故に合い、帰らぬ人となってしまった。


 その事実を知った少女は、熊の冬眠のように森に身を潜めて時を過ごした。

 精も魂も尽き果てるまで悲しんで、悲しんで……、今朝ようやく闇のトンネルを抜け出したのだった。


 やせ細ってしまった体を陽の光にさらし、軋んだ四肢を緩和させた。

 それから心に空いた穴を埋めるため、森に癒しを乞いに出掛けた。

 慣れ親しんだ森は(しお)れたレインに息吹を与え、青い顔に血色を施し、肺に溜まった澱んだ空気を入れ替えてくれた。


 そうして持ち前の豊かな感性が引き出され、ゆっくりと絵を描く活力をレインは取り戻した。

 絵を描くことが一番自分を前向きにさせると少女はわかっていた。


 レインは静謐(せいひつ)な森を見渡し、木立が光と風に揺れて織りなす色合いを、頭の中で調合した。

 これから描く絵は、今までとは違う特別な思いを込めるつもりでいた。


(ーーわたしを毎日励ましてくれる絵にしたい)


 静寂の中蒼い輝きを放つ森に、レインは躍動感を探し求めた。

 覇気のない今の自分を奮い立たせるために。

 木々の合間に揺れる鮮やかな花や、森で暮らす動物を構図に加えて想像した。


(ーー躍動感か)


 そう心で呟いた時だった。

 その心情を読まれたかのように、まさに躍動的な鈍色の矢が目の前に現れたのだった。




 ***




 腰を抜かしたままレインは呆然としていた。

 すると、背後から駆ける馬の(ひづめ)の音と(いななき)きが聞こえ、慌てて振り返った。

 冴え冴えとした青毛の馬に目を瞠ったその隙に、その背から飛び降りた男が素早く駆け寄り、レインの傍らに(ひざまづ)いた。


「まさか、人がいるとは思わなくて! すまない。大丈夫か?!」


 人と接するのが苦手なうえに、男の大声に気圧(けお)され、レインは息を詰めて身体を強張らせた。

 男はその様子に不安を感じたのか、「怪我は?」と心配気に声を小さく震わせた。


「……あっ、あの」


 か細い声が少し漏れただけで、言葉が続かない。

 それ以上は頭の中で、「大丈夫だ」と応えることしかできなかった。


 男はレインの様子をじっと観察していた。

 その視線に、益々焦りと恥じらいが生じ、レインの体は熱く火照り出した。

 男がいる左側はすでに蒸気が出そうな状態だった。


 レインは男に気づかれないようにそっと小さく深呼吸をし、震える心臓に手を当て自分を落ち着かせた。

 ゆっくりと体勢を整え、汚れた尻を手で払い立ち上がると、尻もちをついた拍子に投げ捨ててしまった画板を拾い上げた。

 同時に男もつられて立ち上がり、二人の間に少し距離が出来た。

 レインは動揺を隠しながら、改めて彼と向き合った。


(まあ!)


 途端(とたん)、せっかく落ち着いた心臓が再び跳ね上がった。

 それは素晴らしい名画を見たような衝撃だった。 


 長身に広い肩幅と長い手足。その肩に弓を抱え佇む姿は隙がなく、凛としていた。対峙すれば、どんな覇者でも怯むだろうと思われる、前線で戦ってきた者の威圧感があった。

 だが、相反して面立ちは少し少年のあどけなさを残しており、危うい無鉄砲さを感じさせた。

 その不釣り合いな対比が、絵画のような美しい容姿をより際立たせていた。


(美しい……騎士様だわ)


 見詰めてくるその双眸は、光を孕んだ新緑を思わせた。短く整えられた銀の髪は、絹糸のように細く輝いている。そして何よりも彼を印象づけているのは、赤い耳飾りだ。その透き通る赤が彼の艶やかな肌に反射している。


 レインは若い男性と、こんなに近くで接したことなどなかった。

 知る男性といえば、血の繋がらない父親ぐらいだった。

 中世的な雰囲気の父からは、目の前の騎士のような男らしさを感じたことはなかった。だからか、レインは彼と話すことが少し怖くもあった。


 しばらく不躾に見詰めていたため、気づけば騎士はレインに怪訝(けげん)な顔を向けていた。

 レインは気まずさに思わず視線を逃がした。

 俯き自分の足元に視線を移せば、汚れた素足を収めた視界に、踏み出された騎士の長靴が映った。

 はっと、顔を上げると、先程よりも近くで騎士と目が合った。

 がっしりとした首筋や腕に朝露が光り、骨ばった大きな手には、いつの間にか抜き取った一本の矢が握られていた。


 朝の森は少しずつ熱を持ち、緑の匂いに蒸されてくる。

 騎士の傍に居ると、この森のようにじわじわと身体に熱が昇ってくる。


 レインははっきりとに返答しようと気ばかり焦った。

 この息苦しい状況は耐えがたかった。

 それよりも、気を揉んだままでは彼もここを立ち去れないだろう。


「――ずいぶんと顔色が優れないようですが、体は大丈夫ですか?」


 レインの顔色が悪いのは、今に限った事じゃなかった。


「……あっ、だっ、大丈夫です。驚いて尻もちをついただけですから、お気になさらずに……。こちらこそ、その……ぼおっとしていて、すみませんでした……」


 たどたどしいが騎士と意思疎通ができ、騎士の顔にも笑みが浮んだ。


「――そうですか。よかった。ですが、君が謝ることではない。むしろ、怒るべきでは?」


 安堵からか、騎士の声には少しからかいが混じっていた。

 

「おっ、怒る!? ……そ、そう矢が飛んできて死んでしまうところでした」

「俺の不注意だ。本当に当たらなくてよかった」


 詮索するつもりなどレインには無かったが、騎士は誠実に、今に至る経緯を苦笑しながらも語りだした。

 王宮騎士団に所属してまだ日が浅く、王都を散策がてら弓の鍛錬ができる場所を探しているうちに、ここに辿り着いたのだという。


「絵を描いていたんだろう? 絵も無事だった?」


 前に抱えた画板に騎士の視線が注がれた。騎士は画板を覗き込んだが、レインは絵よりも何より、画板の下の汚いエプロンと、泥の付いた裸足が彼に見られることが恥ずかしかった。

 慌てて放り出してあった靴に、汚れた素足を突っ込み、画板でエプロンの汚れを覆い隠した。


「ええ、絵も大丈夫でした」


 まだ、何も描いていない画板をさっと、見せて再び前に抱え込んだ。

 口下手なレインに、話題を返すことなどできるはずもなく、二人の間には森の静けさだけが強調された。

 騎士は沈黙に急かされ、この出会いの終わりを早々に告げてきた。


「これからは、弓の鍛錬は別の場所でします」


 穏やかな眼差しをレインに向けると、騎士はそのまま馬の方へ視線を流した。


「……い、いえ、私の方こそお邪魔をし、ご迷惑をおかけしました」


 別れを意識すれば、じんわりと気持ちが重くなってくる。

 この偶然出会った騎士との別れさえも、心が敏感に切ない気持ちを奥から引き出してくるのだ。

 三カ月前に、見送った両親の姿がレインの脳裏に焼き付いていた。


 押し寄せる胸の詰まりに耐え兼ね、レインは騎士より先に別れを告げる。

「では、これで」と一礼し、彼が来た道と反対へ続く道を逃げるように走った。




 慌ただしく立ち去ってゆく少女を、騎士は呆然と見送った。

 白い画板が緑に映えて、少女の位置を小さく消えるまで印づけていた。


 仄明るい森に金の陽光が混じり始めると、我先にと葉が陰影を落とす。

 その美しい模様を、ひとり取り残された騎士はぼんやりと眺めていた。


 傍観していた鳥たちが飛び去ったのか、白い羽がひらりひらりと風の道を辿り、ゆっくり騎士の前に舞い落ちてきた。











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