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17 お見舞い

 

 あれから自分の不甲斐なさに落ち込み、一向に体調は回復しなかった。

 もう五日も熱と咳に苦んでいる。


 こんな時には、優しく励ましてくれた母の思い出ばかりが蘇った。

 

 ハーブのお茶に蜂蜜をたっぷり入れて飲ませてくれた。

 背負って山道を下り、病院にも連れて行ってくれた。

 優しい声や温かい背中、ぎゅっとしがみついた時の匂いが思い出され、とても母が恋しくなる。


(お母様は今、天国でお父様と幸せに過ごしているのかな)


 病は気からというが、体が弱るとどうしても心が弱くなり、悲しみの淵に沈んでしまう。

 レインは暖炉の前の絨毯の上で毛布に包まりながら、ぼぉっと火を眺めて沈む心を落ち着かせていた。朝はベッドで寝ていたが、昼近くになると途端に冷え込みが厳しくなり、暖炉の前にずっと座り込だままでいた。


 (また雪になるのかな)


 静かな森をかさかさと雨粒が打ち付ける音がする。

 レインは体を起こし窓の外にみえる白い空を眺めた。

 雨音に耳を澄ましていると、それに混じる(ひづめ)の音を拾った。


 人の訪れは、いまだレインに不安を運んでくる。

 訃報の知らせを聞いた時の、地に落とされた恐怖が蘇るのだ。反対に、もしかして両親が帰って来たのか、と期待もしてしまう。

 浮き沈みの恐怖に落ち着きの無くなった心臓をさすりながら、レインはじっと玄関を睨みつけた。


 蹄の音が消え、しばらくしてコンコンとノックの音が部屋に響いた。

 ブーが玄関に駆け寄りキャンッキャンッと扉の前で威嚇する。

 レインはゆっくりと立ち上がり雨が打ち付ける窓に静かに歩み寄った。


「――レイン」


 来訪者を窓から覗き見ようとしたとき、聞き覚えのある低い声が聞こえた。

 

「リアム、さま?」

 

 ぼんやりとしていた頭が一気に回転し、慌てて玄関のドアを開け、目の前に立つ長身を仰ぎ見た。


 フードの付いた黒い外套は、あの雪の日と同じ装いだった。

 巡回の合間なのだろうか。彼の全身は既にびっしょりと雨で濡れていた。


「起こしちゃったかな。大丈夫か?」

 

 熱で赤くむくんだ顔に、彼が(はら)った冷たい雫が飛んでくる。

 黒い外套の懐から取り出される麻布がレインの前に差し出され、それを無意識に受け取った。

 それは凍てつく外気と雨から守られ運ばれたため、少し湿ってやや温かく重みがあった。そして、かすかに甘い匂いがした。


(ジャガイモパン?)

 

「あの……ありがとうございます。どうして……リアム様が?」


 どうしてではない。きっとアンナから頼まれリアムが届けにきたのだ。

 それは二人が、この間の誤解を解いたことを意味しているのではないか。


 フードを外したリアムの顔が笑みを含んでいた。


 (この間の事やっぱり知っているんだわ)

 

「寒いでしょう? どうぞ中へお入りください」

 

 外は川霧のような湿った冷気が立ちこみ、開け放たれたままの玄関扉から室内にするすると冷気が入り込んでくる。

 レインはリアムを中へ入れると扉を素早く締め、タオルを取りに奥の部屋へと向かった。タオルを持って帰ると、ブーはリアムの腕の中にいた。タオルと交換でブーを渡される。

 髪を拭い、銀髪を無造作に垂らしたリアムに、なぜか気持ちが甘く疼きレインの顔はより赤くなった。


 「ありがとう。でもすぐ帰るよ」


 拭ったタオルを差し出され、受取ろうとしたその隙に、そのタオルで顔を拭われ、レインは驚きふらついた。


 「濡れてた」


 そう言いながら、リアムはよろけたレインの腕を取る。


 「熱いな」


 腕を取られ、そんなことを言われると、その近さに逃げ出したくなる。

 寝間着にカーディガンを羽織っただけのだらしないの姿を見られるのは恥ずかしく、レインは身をよじりカーディアンの前を手で押さえた。

 

「あの……アンナさんから、その……何か……」


 聞きたくないが謝罪はしなければならない。覚悟を決め、仕置きされる生徒のようにレインはリアムの前で俯いた。すると不意に大きな手で頭を撫でられた。


「この間は、随分みんなを振り回したな。店主に叱られたぞ」


(アンナさん! 騎士様を叱ったの?!)


 リアムにぴしゃりと鞭を打たれレインは飛び跳ねた。


「た、大変失礼いたしました!」


 まとめていた亜麻色の髪がパサリと肩に落ちるほど、深く頭を下げた。


「言葉足らずもいい加減にしないとな」

「す、すみません……ご迷惑をおかけいたしました」


 今の一撃で泣きたくなった。だがそんなレインを前にしても、リアムはこれでもかと、企んだ微笑みを返してくる。弱みを握られたレインに慈悲すら与えず、むしろ愉しんでいるように見えた。


「あははっ。でもなあ、アンナさんも変な想像がよくできたものだよ」


(変な想像!! やっぱり全て伝わっているわ)


 恥ずかしさに、意識が遠のく。そうなればいいとも思った。


「……でもさ、男を美しいとか、裸に感動するとか表現する方も変だよなぁ」


(もうやめてぇ!)


「俺の裸も見たんでしょ? 何で逃げ出したの?」


 常識に欠けていることは解っている。自分は非難されるべきだとも。


(――でも、ヒドイ!)


 気落ちして、益々うな垂れてゆくレインの変化に気づき、リアムもようやく笑うのをやめた。

 魂が抜けたとはこんな状態を言うに違いない。

 横にふらふらとレインの身体が揺れ出すと、悪魔な騎士が慌ててその打ちのめされた体を支えた。


「ごめん、ごめん、大丈夫だよ。もう、笑い話で終わっている」


(終わってる話を、また今笑ってたじゃないですか!)


 心の声は激しくリアムを怒っている。


「だから、ほら、こうやってパンの差し入れまで頼まれているんだ。オレンジも買ってきたよ。果物好きだろ? 中に入ってる」


 リアムは、片手でレインを支えながら、先程レインが食卓に置いた包みを指差した。


「本当にごめんなさい……」


 唇を噛んで見上げればリアムの顔が引きつった。

 とたん、「やべっ」と声が漏れ、肩を掴んだ手が慌てて上下に動き摩り出した。


「レイン、もう笑わないよ。ほら、パン食べて元気出せ、な?」


 リアムは素早く羽織っていた外套を脱ぎ、玄関の横のフックに掛けると、部屋にレインを押し入れ、テーブルにつかせた。


「お茶を入れてやるよ」

「え?」


 直後、額に大きな手が触れた。冷たくて厚い手の平が触れ、レインは眩暈を覚えた。一度伏せた瞼を再び上げれば、痛ましいものを見るようにリアムが覗き込んでいる。


「かなり熱いじゃないか? 大丈夫なのか?」


 額から手を放し、「ん?」と、もう一度覗き込んでくる。


(だめだわ……なんだか心臓も苦しくなってしてきたわ……)


 もう何が何だかわからなくなってきた。


(でも、この状況はおかしいわ。リアム様はお客様なのに)


「――だ、大丈夫です。お茶は私が入れますのでどうぞお座りください」


「でもずっと寝込んでいるんだろ?」


「ハーブのお茶をたくさん飲んで、汗をいっぱいかいて寝れば、朝方には熱が下がって治るはずです」


「じゃあ、すぐそうした方がいい」


 まるで自分の家かのように、リアムは勝手構わず炊事場に立ちお茶を探し当て、湯を注いだ。

 世話を焼かれている。それを申し訳ないと思うも抗えない。

 ぼぉとしたまま手持無沙汰になった手で、ほつれた髪を一度全部解き、三つ編みに編みなおす。襟元を整え、鼻をかんだ。

 自分以外の人間がこの家にいるのを不思議に思いながら、レインは彼の背中をじっと目で追った。


 テーブルにパンとオレンジが並べられた。

 リアムはレインの向かいの椅子に腰を掛けると、華奢な注ぎ口のティーポットからお茶をカップに手際よく注いだ。

 

 「ありがとうございます。ご馳走になります」


 入れてもらったお茶に口をつけると、乾いてかさついた喉が、清涼感のあるハーブのお茶で潤ってゆく。


 「美味しいです。喉が痛かったのですっきりしました」


 東の国の文様の入ったカップを眺めながら、レインはゆっくりとお茶を飲んだ。

 このカップは異国から戻った父が土産にと購入したものだった。

 食器はいつも三セットづつ揃えられた。色違いの時もあれば形が少し違うものもあったが、それぞれのお気に入りを選び、使っていた。


 リアムが何となしに持って来てくれたカップは、レインのカップだった。

 そして彼が使っているのは、父のカップだ。

 

 父のカップを手にするリアムに父の面影は感じなかった。

 彼には彼の存在感があり、父とは異なる癒しが感じられた。


 からかわれて、笑われて、宥められた。

 後悔して、悲しくて、でも悔しくて不貞腐れた。

 いろんな気持ちを投げ出したレインをリアムは笑い、受け入れてくれた。

 熱の頭が勘違いを起こしているのかもしれないと思いながらも、ひとりで抱えていた疎外感とたくさんの不安が、この場から姿を消してゆくのをレインは感じていた。

 

 大きな手がオレンジの皮をむいて、ひと房ずつ、皿に並べている。


 「ほら」


 差し出された一粒を食べて酸っぱさに頬をすぼめると、彼も一つ口に入れて同じ顔をした。











読んで頂きありがとうございます!


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