16 軍神の絵
「今描いているのは、軍神ですよ」
「神様の絵なの?」
「ええ、この間騎士様たちの裸を拝見して、軍神みたいだと思ったので」
温泉に入る騎士たちを軍神に見立てて描いた絵だ。
忘れぬうちに何度も男性の裸体を素描し、先日それを画布に描き始めた。
素描の段階でやはり、彼らから視えてくる物があった。
皆に共通して視えたのは闘志。それぞれの家族や平和も視えた。
戦争を控えていたからこそなのだろう。胸が締め付けられる思いだった。
だからこそレインも真剣な気持ちで、皆の健闘と無事を祈り四人の騎士を軍神に仕上げた。
「初めて見て驚きました。男性の裸は素敵ですね」
視えたそれぞれの情景と精神、生まれ持った美しさが融合し、裸体は神秘的だった。
レインは感動から熱い吐息を交えて語った。
すると、レインの話を聞くアンナの目がかっと見開いた。
「どこで? どうして見たんだい?」
「――家の浴場ですよ。メイソン様に呼ばれたんです。感動的な経験でした」
温泉のことも秘密なためそう言うしかない。
事実を伏せながら話したレインはいつも以上に戸惑った話し方になった。
「……浴場っ!!」
アンナの顔が著しく険しくなったのも気づかずに、レインは引き続き絵について淡々と、時にはうっとりと話すのだった。
「あんなこと初めてだったんで驚いてぼ~としちゃって……。そうしたらメイソン様が筋肉質の長い腕で合図をしてくれました。その後あの美しいリアム様が、生まれたままの姿を堂々と晒して……。それは何というか、神々しかったです。他のお二人は初めてお会いした騎士様だったのですが、岩や熊のようにがっしりとした体形をなさっていて、彫刻のように筋肉が盛り上がっていてとても驚きました。皆やさしい方で、惜しげもなく私に教えてくれたんです。暗くてあまりよくわからなかったのが残念でしたが……」
レインは思い出に胸を高鳴らせ、ぽっと頬を染めた。
「ようやく男性の体の凹凸や艶やかさが知って、これでやっと正確に描けるようになりました。猛々しさというのもわかるようになりました」
一通り話し終えると、アンナとローズが口を開いたままレインを凝視しているのに、はたと気づく。
アンナからは沈鬱としたものまで感じ取れた。
「――レインの初めてを……メイソン様に手招きされて、リアム様が……?!」
アンナがなぜそんなに心配そうに問うのか不思議だったが、レインは「素敵でしたよ」と素直に答えた。
するとアンナの持っていたティースプーンが、かしゃんと音を立てて皿にぶつかりテーブルの上で転がった。
「彼らにあんたをお願いしたのは私だけども、いつの間にそんな仲になっちまったんだい? あいつらが快くレインに接しているから、微笑ましく思っていたのに!」
「あいつら?」
騎士達の事をそんな風に言うことなどなかった。訳が分からず眉を寄せるレインだったが、それ以上に、アンナは不安げに顔をしかめていた。
(やはり身分の違う騎士様と親しくしたから? 男性の裸を絵に描いたから? そうよ、女性画家は裸体をそもそも描かないもの。不謹慎と思われたんだわ)
アンナだからと安心し容易に口を滑らせてしまった。
レインは口をつぐみ、浮かれた自分を後悔した。
ことさら不愉快を滲ませるアンナは、大きな咳払いをしてレインを覗き込んでくる。
「……レイン、さっきの話は撤回だ。素行が良くない! 芸術家は奔放と聞くけど、それはだめよ。赤ちゃんができたらどうするの? 傷つくのはあなたなのよ」
「え? 赤ちゃん?」
ますますレインは首を傾げた。
(絵とどういう関係があるんだろう)
「あいつら軽薄だわ。ちゃんと気持ちを確かめたの?」
ローズまでも騎士達を忌避するような言い方をし、怒りを滲ませレインに問い質すのだった。
二人の威圧的な問いかけにレインは混乱し考えをまとめられなくなった。
「気持ちですか?」
(――皆に了承を得ずに描いている……これもいけないわ……)
「はっきりと確かめてはいません……」
レインの小さな声もアンナの深い嘆息で消えてしまう。
「――わかった。明日その絵を持ってきて」
アンナはギロリとレインを見ると、「今度、きちんと話し合いましょう」と席を立った。楽しかったひと時も思わぬ事態で終了となってしまった。
男性の裸体は神として描くこと以外はこの国ではご法度だ。
その上女流画家が男性裸体を書くのは破廉恥とみなされている。
不純だと蔑視され、裸体の素描会にも呼ばれることはない。
軍神に仕上げたとて、レインのような者が、描いてよいわけがない。
どうしようもないくらいにレインは後悔し、ショックを受けた。
アンナに失望され、悲しくて死にたくなった。
次の日、言われた通りに絵をアンナに見せた。処分してもらおうと心に決めて。
まだ色も付けていない素描だが、構図や四人の姿かたちはよくわかる。
――四人の軍神。
雲間に現れた天界の泉。筋肉質で勇ましい裸体の下半身はドレープの入った柔らかな布で覆われているが、後ろ姿の軍神だけは、腰布さえ纏っていない。
泉の岩に腰をかけ片足を折り優しく微笑む神。木立を指す神の指先はしなやかで、広い肩から延びる筋肉質な腕は、逞しさと美しさを併せ持っている。
長い沈黙。絵を見詰め、軍神の丸見えになっている尻をアンナは指ではじいた。
「こんなに鮮明に描けるほど……」
深く溜息をつくと、その絵を小脇に抱え立ち上がった。
「これはしばらく預かるわ」
レインも反省し罰を受け入れなければならない。
世間知らずの自分が男性裸体を軽々しく扱ったことへの報いなのだと自分に言い聞かせた。
偏りの激しいお互いの思考は理解しえぬままとなり、その日の晩、レインは酷く落ち込み熱を出して倒れた。
***
次の日、寝込むレインの元へローズが訪ねてきた。
アンナから森の家を教えられ、レインの様子を見てくるように頼まれたのだという。
レインは突然仕事を開けてしまったことを即座に誤った。
「そんなこといいのよ。それよりも、よ。レインに先輩として話しておきたいことがあるわ」
そう言うとローズは作ってきた蜂蜜と生姜のお茶をカップに注ぎ、レインを椅子に座らせた。
きっとひどく叱られる。そう思うと緊張し、熱でだるい体から汗が噴き出した。
レインは心もとなさに仔犬を強く抱きしめながら、ローズと向き合った。
ローズは顎に指を当て、レインを上から下まで舐めるように視線を這わす。
「う~ん、その幼げで純真な今のレインの姿を見る限り、昨日の話と全く重ならないわね……不思議だわ」
「すみません。不快な思いをさせてしまいました」
「不快というより、驚いたわ。自分をおざなりにするとあなたが損するのよ。どうして騎士達とそうなったのかきちんと教えて。騎士達にも話しておきたいわ」
世間知らずと自覚がある。
だからこそローズに詳しく自分の失敗を話し聞いてもらったほうがいい。
レインは作ってもらったお茶を全て飲み干すと、鼻を啜りながらも絵を描いたきっかけを、もう一度詳しくローズに話してみた。
落馬したメイソンが腰を痛めたことから話をはじめ、裸体を観察できたことがレインにとって大変勉強になりとても感動したことなど――。
話の最中、ローズはしきりに「え?」と何度も呆れたように聞き返すため、レインはどんどん委縮した。自信がなくなり、口ごもったまましゅんとなって俯くレインを他所に、ローズは突然ぷはっと声を出して笑い始めた。
挙動不審になるレインの様子を見ては、お腹を抱えて苦しそうに笑い転げた。
「――なに? なんなの? 温泉を紹介したの? え、初めて覗き見した男性の裸が美しすぎて感動したの? あはは、おかしすぎて、だめよ、くくくっ」
わけがわからず、レインはローズの笑いが収まるのを待った。
「男性の裸体を女性が描くことは不謹慎でした」
「そうよ、不謹慎なあなたをすごく心配したから怒ったのよ。でも怒ったのはそこじゃないわ」
とまた笑い出す。
「レインが裸の男性と、感動的な経験をしたっていうからよ! だから勘違いしたのよ。その、騎士様たちと興味本位でそういう関係になってしまったと思ったのよ」
「そう言う……関係?」
レインはレストランでしゃべった言葉を頭に並べて読み返した。
『赤ちゃんができたらどうするの?』その言葉が鮮明になる。
「――!ええぇ~!」
ブーが声に驚き腕から飛び出した。
「わ、私と騎士様が……そ、そんなこと……す、すするわけ、ありません!」
頭の中は肌色一色だ。リアムが全裸で頭の中をウロチョロしだす。
彼の肌がきらきらと輝き、いきなり色香を放ついやらしいものに変化する。
「うっうわ~~!!」
恥ずかしさに吠えるレインに、子犬も驚きキャンキャンとテーブルの周りをグルグル回る。
「お義母さんにきちんと話をしておくわ。きっと彼女も笑い転げちゃうわよ」
ローズは、目尻にたまった涙をぬぐいながら、夕食にと持ってきたとうもろこしのポタージュスープとパンを食卓に並べた。そして、しばらくレインの様子を見舞い、今週の仕事は休むようにと告げ、帰って行った。
レインは、誤解されていたことの内容に、羞恥が収まらずその晩もひどい高熱にうなされたのだった。
***
一方、レインが誑かされたと思い込み、怒りが収まらないアンナは、預かった絵を持ち行動に移していた。
「まずは騎士達をとっつかまえて言ってやろうか。いや、その前に証拠隠滅されても困るわ」
レインから預かった絵は、騎士達に真実を吐かせる証拠になる。
アンナは絵を小脇に抱え、城下の街を闊歩し騎士達を探した。
だがこの絵を見せたところで彼らは怯え反省するだろうか?とアンナはふと思い立ち止まる。
怒りで冴える思考が、寒空に揺れる軒下の看板を目にした途端、妙案を思いつかせた。
(逃がさないわよ。この裸をばら撒いて辱めてやるわ)
看板を掲げた店の中へとアンナは躊躇いなく入った。
軍神の絵――いや、騎士の裸の絵を版画にして巷にばら撒く。
巷にばら撒かれた自分たちの裸を見て恥ずかしさに反省すればいい。
レインを軽視したのだから、慰謝料代わりに儲けてやろうとも思っていた。
もしも赤ん坊が出来たら……アンナはそんなことまで考えていた。
「裸の男たちを題材にした絵なんて珍しい! だが、ちょっとまて。『第二部隊の騎士』なんて名目で売ったら捕まっちまう。その上名前ものせろって? そんなおっかねえことできねえよ」
持ち込んだ工房の主は、まともな商売人だった。
歯止めの利かなくなったアンナは、すんでのところで命拾いをした。
アンナはレインの意図したとおり“軍神”として扱えばいいと店主に助言した。すると工房の主は「名案だ」と乗り気になった。話は一変、絵に手を加え、巷で販売し儲けようと意気投合するのだった。
「下絵がいいから色付けて、お手頃価格で売れば人気が出るだろううよ」
そう言われれば、アンナもほくそ笑んだ。
(騎士として暴露しなくても、自分たちには己の裸身とわかるだろうから少しは屈辱になるかしら。まあここは儲けてやるしかないわ)
目論見が成功すればいいと期待を寄せアンナは店を跡にした。
その帰り道、間が悪のか、良いのか、巡回する騎士の青年に出くわしたのだった。
ここぞとばかりに、アンナは鼻息荒く二人を馬から降ろた。
人気の無い路地で昨日聞いた話をありのまま伝え、二人を問い詰めた。
そして、――二人を絶句させた。
いや、結局のところ辻褄の合わない話に勘違いが解け、三人で絶句したのだった。
「レイン……馬鹿娘がとんでもないこと言い出すもんで……失礼しました!」
アンナは無礼を詫びて、そそくさと自分の店に戻った。
そしてまた、ローズから騎士から聞いた話と同じ話をされ、バタンと会計机に突っ伏すこととなった。
絵は既に工房の主の手に渡っている。アンナはそのことを騎士たちに明かさず胸の内に秘め、しらばっくれたのだった。
――半年後、版画は、大いに巷を賑わせたのだった。――




