14 温泉
リアムは仕事で疲れた体を湯に投げ出した。
令嬢たちの甲高い声の喧騒から、この静かな森に辿り着き、心身ともにようやく癒される。
「色男は大変だな。でもあんな美人の側仕えなんて役得だ」
「俺がこの仕事を役得と思うはずがないだろう?」
またしても「色男」と言われカチンときて言い返す。人一倍真面目に仕事している身に、あたかも軽薄そうな名を付けられれば冗談でも苛立つ。それがメイソンの思う壺だということはわかっていたが……。
湯でのぼせて気が抜けた顔で、へらへらと笑っている。そんなメイソンを、リアムは湯をかけて追い払った。
「やめてよ。わかったって。真面目なリアムが役得なんて思うわけないよな」
そう言いながら、ヘラヘラはおさまっていない。
一瞥し無視を決め込んだリアムだったが、メイソンがちらりとロッドたちに目配せをしたのを見逃さなかった。自分がいない間、三人で企んでいたようだ。
「そうだねえ~、役得と言えば――温泉を貸したレインだねぇ!」
(レインも仲間だったのか?)
メイソンが、楽しそうにわざわざ大声で森に向かって叫ぶと、対面の木立がガサガサと動いた。潜んでいた動物が驚いて逃げ出したかのように、残された小枝がゆらゆらと大きく揺れている。
動物ではなく、レインだとしたら、天然でおっとりとしている彼女が、裸の男性たちの前に飛び出して「見ちゃった!」などとおどけるマネはするはずもない。
「なんなんだよ!」
リアムがたまりかね声を荒げれば、また笑いを誘う。
子供のような屈託のない笑い声が日の落ちた森に反響する。
「あははっ、レインだよ! もうさ、目が大きく見開いたままになっちゃってさ……くっくっ……」
そういって目配せした三人は同時に、勢いよくリアムの前に立ち上がった。飛沫が飛び、見たくもない、ぺたりと肌に張り付いた下着を見せつけられる。
「俺たちは、履いたままだ。なんといってもレディの前だからな! リアムは、やっちゃったなぁ」
図体のデカい男たちが幼稚ないたずらではしゃいでいる。レインは仲間ではなく仕掛けられた側のようだ。裸を見られたことなど、リアムにとっては何ともないことだが、彼女がどう思ったか、そっちの方が気になった。
「ふんっ、役得なんだろ? 俺で正解じゃないか。連日令嬢に言い寄られ、夫人さえもが一夜のお相手にと声をかけてくる「色男」だからな。俺はお前たちよりずっと美しいらしいぞ。レインも得したな」
「自分で言うなよな!」
自負するリアムに、三人はお湯を浴びせかける。
まるでサルのじゃれ合いのようだがそれも日常茶飯事だ。
散々湯船で遊んだ若い騎士たちはのぼせ上り岩に腰かけ体を冷ました。
冷たい夜風に体を晒し、メイソンは打ち付けた腰の痣をオイルランプで照らして相棒に見せた。
「医者は何て?」
「うん、心配いらないって。ただの打ち身だ。温泉もまた利用させてもらえるみたいだし」
「そっか、ならよかったな。温泉もまた、入りに来れればいいけどな」
その言葉に、騎士達は寡黙に頷いた。
先程までの呑気なバカ騒ぎがすっと消え、それぞれが夜空を仰いだ。
リアムは同じ空の下の戦地を思い浮かべる。
赴く日が刻一刻と迫っていることを考えれば、急に体の重さが気だるく身に染みてくる。
――再びこの温泉に浸かるということは、出兵し生き残ったということになる。
戦地では過酷な日々が待っている。リアムには今も尚、十五の時に経験した地獄絵が脳裏に焼きついていた。
「今日の会議からすると、もう一度くらいここに来れるかな」
リアムの判断に相棒も「そうだな」と深刻に返す。
今朝紛争地の現状が通達され、戦況は目の前に迫っていると会議で告げられた。
「王都は平和だな。リアムの護衛も、この温泉も出兵前の気分転換だ」
森の静けさに酔いながら、リアムは今までになく王都が平和であることに感じ入った。
この場所の平和は死守したいと、心の根底に潜む疼きが切に思っていた。
雪の日の頼りない姿。誰もいないアトリエ。この静かな温泉。人知れずの森。
これ以上悲しませたくないと思う、単純で複雑な感情があった。
暗くなった空に細い三日月がポツンと浮かんでいる。
暗い森。レインの日常を垣間見ているようだった。
「立派な浴場だな」
ロッドがふと呟く。
その言葉の裏を騎士達は理解しているかのように誰も答えなかった。
――なぜ、レインのような平民の若い女性がこのような浴場を構えることができたのか。
リアムは浴場をぐるりと見まわし、レインの話を思い起こした。
――彼女はあっさりとしか自分の身上を語らなかった。
「孤児であり、画家に拾われ育てられた」彼女はそう言っていた。
この浴場を造れるほどの画家だったということか。
労力と金が無くてはこんな立派な浴場は造れるはずもない。
「レインちゃんてさ、リアムと仲いいんだって?」
浴場について探っているのか、もしくはお気軽なジョシュアのいつもの戯言か。リアムが怪訝な顔を向けても、ジョシュアは気にせず続けた。
「いい子だよね。可愛いし。――謎が多いけど」
(やはり、そうなるか)
自分の時もそうだったが、容易に男性に警戒を解いたレインの純粋さが無性に心配になる。
「俺も彼女のことはあまり知らないんだ。だからって、お前がレインを詮索するなよ」
その言葉にロッドが反応する。
「詮索しない方がいいのか?」
ロッドは回想の中で閃いたことがあるのか、もったいぶるようにリアムに訪ねてくる。リアムが返答に詰まれば、答えを待たずに、得意気な笑みを浮かべその閃きを明かした。
「レインさんの絵の師匠は、たぶんフローラ・シェフィール画伯だな」
数日前からリアムの頭から離れない女性の名が思わぬところで登場した。
――フローラ・シェフィール。
芸術の世界に疎いリアムは、その名を調べるつもりでいた。だが仕事に追われ、おざなりになっていた。
「どうしてそう思う?」
リアムの声色から真面目な質問だと読み取ったのか、ロッドは自分の考えを流暢に話した。
「先ほど彼女の絵を見せてもらったんだよ。あのおとなしい彼女が描いたとは思えない程繊細で大胆な構図の絵だった。俺は身震いを覚えたよ。そして思ったんだ。この空間の使い方や色の置き方はフローラ・シェフィール画伯の絵に似ているなって。見る人が郷愁を覚えるような印象が残る絵だ。王宮にフローラ画伯の代表作『聖女の涙』が飾ってある。白百合を持った聖女の横顔に光る涙が、観ている者に様々な物語を与える素晴らしい絵だよ。リアムも一度観に行くといいよ」
ロッドには迷いがない。暴かれて明確になってくる真実。隠したレインの心境はなにゆえか。
「何より、レインさんはフローラ画伯が描いた教会の可愛い天使にそっくりだ。フワフワと全体的に柔らかそうで、瞳は大きくガラス玉のようにきらきらしている。丸い輪郭に桃色の頬は本当に天使の様で可愛いよね」
固唾を飲んで聞いていた話の結末に、リアムは思わず舌打ちした。
同時に仲間の好奇の目が鬱陶しく光り出した。
「え、なに? かわいいでしょ? それともレインさんと本当に何かあるの?」
「どうだろうな」
ロッドに先を越され不服だが、レインの境遇や背景の糸口ができたことも事実だ。
「フローラさんに弟子がいることは世間に知れていたのか?」
「いや、たぶん知らないと思う。フローラさんがアトリエや工房を構えていたとも聞いていない。画家としても、貴族出身じゃなかったからそこまで有名ではなかったしな」
「有名ではないのに、式典の絵を任されたのか?」
「式典に参加する外交官のシャルル・リゴー卿が彼女を推していたのはもちろん、王妃様が彼女の絵を好んでいた。それに、フローラさんは修道女だったんだ。和平の式典には適任だ」
自分のあずかり知らぬことだが、アンナからレインを託された以上、彼女のことは知っておいた方がいい。
それ以上に『責任感』の裏に隠れている強い感情がこの問題に執着する。
「――時間がないな」
のぼせた身体を岩に預けリアムが呟く。
騎士達はそれぞれに時間を惜しみ今ある幸福と緊張を噛みしめた。
辺りはすっかり陽が落ちてしまい、レインが置いていったオイルランプが脱衣所の隅で、ポツンと灯をともしている。




