12 仲間
――温泉は腰痛に効くだろうか?
それ以前に温泉の場所を教えても大丈夫だろうか?
信頼できるメイソンだけならまだしも、他の騎士もいる。
秘密を明かしてまで縁を持ちたい、そう思える騎士達だったら良いのだが、いくら今彼らに希望を持ったところで、答えが出るわけもない。迷いがあっても、ここは気持ちの傾くままに答えを出すしかない。
「あの、もしよろしければ、近くに私の知る温泉がありますのでそちらで養生されてはいかがでしょう」
せっかくできた知り合いのために役に立ちたい、そればかりでなく仲間として必要とされたかった。雪の日以来、秘め事を持ち続ける寂寥感が少しばかり解け、レインの気持ちは弛緩していた。
「温泉なんてこの近くにあるの?」
メイソンの傍らに立つ騎士達は顔を見合わせレインに問いかけてくる。
安易には答えられず、まずは理解を得てから招待しようとレインは口を開きかけた。しかしメイソンが忌々しいという素振りで同僚に首を振りレインを制した。
「レイン、そこは、君の個人的な場所だろ。駄目だよ!」
レインの葛藤などつゆ知らず、他の騎士達は気軽にメイソンを説得する。
「なんだよ。いいじゃないか。彼女のご厚意だぞ」
メイソンは仲間の騎士を手でパタパタと追い払った。
「温泉に行ったら、リアムが怒り狂うぞ。彼女はもうリアムに射抜かれてる。ジョシュアみたいな軽い男は特に駄目だ」
髪を後ろに撫でつけ、ニンマリとした笑みを浮かべた騎士がジョシュアらしい。
「ふうん。リアムは何でも要領がいいな。この間の令嬢だけじゃないのか。こんな可愛い町娘までねえ」
聞こえてきた騎士たちの話に眉根を寄せ、レインはメイソンの背中をトントンと叩く。
「あ、レイン、これは男の話だ。聞かない方がいい」
聞かなくてもいい話だったが聞こえてしまった。振り返るメイソンに、さすがのレインも抗議の色を濃くして睨みつけた。
「リアム様が怒る相手は、でたらめを話すメイソン様だけだと思います」
「レインの為だよぉ」
味方になって忠告してくれたメイソンの誠実さに、絆されていたレインだったが、今は少々信用できない。
それに何気に聞いてしまった、リアムの恋愛事情に気持ちが騒めいて嫌な気分だ。
内容はともかく、仲間意識が強い騎士達を信頼し、レインは話を元に戻し考えを口にした。
「私的な事情もあり、見知らぬ人の温泉の利用は私も対処に困ります。ですからご案内するのはメイソン様とそちらの騎士様だけです。温泉の場所はどうぞ内密にお願いします。出兵を予定される騎士様たちの身体を休めて頂くことが出来たら私もうれしいです。どうぞ、よろしければいらしてください」
騎士にはそれぞれ相棒がいて、休日や夜間の居場所はお互い確認しておく義務がある。今回の温泉のことは、メイソンと相棒のリアム、そして今知り合った二人の騎士の四人共通の秘密となった。
仔犬を抱えた騎士はロッド、気障な騎士は先程メイソンが言った通り、ジョシュアと名乗った。二人とも筋肉質の大柄で腕や足は丸太のように太い。やり取りを見る限りみな親友であり同僚のようだ。
王宮の裏に広がる森の奥に家と温泉があることをレインが告げると、ロッドが思わぬことを口にした。
「あの裏山は長い間立入禁止になっている」
王宮が放置している森と聞いていたレインは『立入禁止』という話は初耳だった。
これはやはり、彼らに話すべきではなかったと、緊張が走る。
王宮の騎士を前に素性を告白すれば、侯爵にも迷惑が掛かり、その上刑罰を受けるかもしれない。
徐々に不安な表情に変わるレインを他所に、ロッドはぺらぺらと話を続けた。
「皆は知らなかったのか? あそこは随分前……二十年くらい前に『精霊の森』と定められて立ち入りが禁じられたんだよ。まあ、この王宮に神秘性を持たせるためにそんな言い方をしたんだが、要は裏手からの不審者の侵入を防ぐために森を閉鎖したにすぎない。団長がそう言ってたな」
レインは今の話を聞いて、森に侵入者が全くいなかったことを理解する。
すべては王宮で栄達した高位貴族である父が仕組んだ話なのだと思えた。
二十年近く前といえばレインが引き取られたころだ。父の力があったからこそ家族はあの森で生活できていたのだ。
父の力がなくなった今は、執事から言われているように、やはり自分が住んで良い土地ではないのだ。親の保護下にある子供ではないのだから、残滓として追い払われるのも当然のことだ。
「おい! ロッド!」
メイソンに咎められたロッドははっとし、口をつぐんだ。
「す、すみません。あなたが不法に温泉に入っているような言い方をしました。メイソンとも知り合いのあなたを非難したわけではないのです」
言われて考えの甘かったことに気づいたレインも反省すべきだった。
王宮の森なのだという認識が抜け落ちていた。
「温泉も家も王宮から離れたところにあります。家は正当な方法である方からお借りしています。私的事情とお話ししたのもそういったところです」
レインが話せるのはここまでだった。あとは騎士たちの判断に委ねた。
「レインの言うことは本当だよ。王宮の森だけどすぐ裏手ってわけじゃない。それにこんな女の子が王宮に害を与えることなんてある訳ないだろう?」
「それもそうだ」と調子のよい返事をする仲間の騎士に、メイソンは秘密厳守を徹底させる。
「温泉、楽しみにしています」
ロッドは手に抱えていた仔犬をグイグイ押さえつけながら、レインに「これ、いりますか? かわいいでしょ。もしよろしければ……」と差し出してきた。失言した詫びのつもりでもあるようだ。
抑え込んでいた仔犬はロッドの太い指に牙を立てて噛みついているがロッドはまったく意識していない。柔らかそうな茶色の毛に垂れた耳。肩幅と顔の大きさが同じでコロコロしてとても可愛らしい。黒くまん丸の目と目が合うと、ハアハアして赤い舌を出してくる。
レインは無意識にその犬を受け取り胸に抱きかかえた。一度抱えてしまえば、このぬくもりは手放せない。答えは一択しかなかった。
「大切に、飼わせていただきます!」
「よかった。犬も、温泉もよろしくお願いいたします」
ロッドは頭をわしゃわしゃと掻きながら、照れくさそうにレインに握手を求めた。
***
帰りは、パンの入っていた篭に、仔犬を入れて一目散で家路を急いだ。
ロッドの話のおかげで事実が明確になり、レインは気が引き締めなおした。
新しい家族も加わり、今後の暮らしに張り合いができた。
「モットさん、いますかぁ?」
玄関先でモットを呼ぶと餌箱の横で丸まって寝ていた彼がひょこひょことやってきた。
背中をなでると日向ぼっこをしていたのか羽が温かい。
「じゃっじゃーん」
篭を背から降ろし、モットに見せるが、覗こうともしない。
仕方なく篭の中のやんちゃな仔犬を抱えあげて、彼の顔に近づけてみた。
モットの黒いお豆のような目が仔犬をじっと見ると、散々鳴いていた仔犬はしゅんと黙ってしまった。
「まあ、モットさん、そんな睨みつけたらこの子が可愛そうよ。これから一緒に暮らすんだからよろしくね」
モットは珍しくじっとその場に居座り興味深げにレインの話を聞いている。
「え~仔犬の……え~と……何ちゃんがいいかな?」
レインは帰り道に考えた名前を並べてみる。
「騎士様にパンチしてたから、ポコ?」
「……」
「コロコロのコロンちゃん?」
「……」
「可愛いからブリリアントのブーちゃん」
「グワッ!」
「そう、じゃあ決定です。新しい家族のブーちゃんです。よろしくね」
顔合わせも無事終了してみれば、不思議なことにアヒルと仔犬は、まったく喧嘩もせず仲が良くて安心する。
「ここは不思議の森よ。みんな仲良しになれるのね。そうそう、また知り合いが出来たのよ。騎士様たちが温泉に入りに来るわ」
そう言ったレインを、モットがお豆のような瞳でもの言いたげにじっ~と見ていた。
***
木々の隙間に桃色と紫の美しい雲がたなびく夕空の頃、騎士の三人が家にやってきた。リアムは仕事があり後から来ると言う。
レインが早速温泉を案内しようとすると、ロッドが何やら玄関扉を塞ぐほどの岩のような体をモジモジとさせていた。
「と、ところでここはアトリエと伺いましたが、レインさんは絵を描かれるのですか? ぜひぜひ、見せて頂きたいのですがよろしいでしょうか」
照れ笑いを浮かべレインに乞うロッドは、容姿こそ、無骨なタイプに見えたが、その岩のような体格に似合わず、絵や彫刻など美しく繊細なものにとても興味があるのだと言う。
「ええ、どうぞ観てください」
レインは皆を家に上げる前に、飾ってある『森の騎士』の絵を布で隠した。
アトリエに人を招くのは初めてで緊張したが、騎士達は終始感嘆の声を上げて絵を褒め湛えてくれた。ロッドは絵の細かな部分まで評価してくるほど絵画に詳しく、レインも気分が舞い上がった。
このドレスの模様やレースの質感が素晴らしいだとか、背景の構図、余白に至るまで、しっかりと彼は考察していた。そして絵の具の調合に至るまで話題は尽きなかった。
メイソンとジョシュアは黙って聞いていたが、長い話に飽きたのか、床に座り込み、仔犬を相手に遊んで待っていた。
二人は壁に飾ってある、古い農業鋏などを見ては、「なぜ、古い農業鋏を飾っているのか?」と首をかしげている。
「古く錆びたハサミってかわいいと思いませんか?」
レインの言う意味がさっぱりわからない、と言った顔をする。
ロッドだけは目を細め「あ~わかるなあ~」と、にこやかに相槌を打った。




