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11 パンの配達

 降ったり止んだりを繰り返していた雪雲が去り、今朝ようやく陽光が顔を覗かせた。


 待ち望んだ日差しに、人々は意気揚々と動き出す。

 店先には色鮮やかな衣類、新鮮な野菜などが並び、寒空の下に活気と彩りを添えている。


 しかしレインはというと、陽光の喜びも束の間、気分は一向に晴れないのだった。大量に焼き上がるパンを前に、気持ちはますます萎えて溜息まで零れる始末だった。


「配達任せたわよ。騎士団からの注文なんて大口よ! あなたのおかげね」


 店主のアンナは上機嫌だ。その一方でレインはエプロンを外しながら厨房から不安そうな顔を覗かせた。

 しぶしぶと会計口にある大きな(かご)を覗き、中を覆う布巾(ふきん)をためらいがちに開けて確認する。


「そんな、何もしていませんよ。……あの私、やっぱり配達は緊張しちゃって……」


「何言ってるのよ! そんなんじゃ商売は勤まらないわよ。具合が悪くないのなら、早くいってらっしゃいな。今日はそのまま帰っていいわよ」


 威勢の良い店主に大きな篭を持たされ、店先に押し出された。

 というのも、先日メイソンから依頼されたパンの配達に行かなければならなかったからだった。





 道端にはまだ、雪が解けきれずに残っている。

 日差しの下は暖かいが、日陰に入れば空気が冷え込み身体が締め付けられた。

 初めての王宮訪問に緊張も相まって身体全体がカチコチに固まり動きも鈍い。

 背負っている籠の中には昼食用のジャガイモパンとサンドイッチが三十個ずつ入っているためかなりの重量だ。手で持つとあっという間に腕が棒になるため、布を巻いた太い紐を篭に取り付け、背負えるようにした。

 だが、この姿も非常にかっこ悪かった。


(はぁ~王宮かぁ、それも騎士団の詰所に一人で納品に行くなんて……)


 小高い丘の上にそびえ立つ白亜の城を眺めると、極度の緊張に眩暈を起こす。

 そんなレインを吹き抜ける北風が追い立てた。

 まずは王宮の通用口の衛兵に入城許可をもらう。見るからに無害なパン屋の小娘は門衛に顎で促され、すんなり王宮内へ入ることができた。

 王宮に足を踏み入れると同時にレインはその圧巻の美しさに魅了された。

 まさに一流の芸術作品を目の当たりにし、湧き上がる高揚感にため息が漏れた。


 庭園は陽の光が注がれ残雪は姿を消していた。

 冬だというのに均等に配置された花壇には白い小さな花が品よく咲き誇っている。左右対称に整然と整えられた薔薇の生垣、そして中央には三段になった器から、水が尾を引いて零れ落ちる大きな噴水。その配置は全く隙が無く見事としか言いようがなかった。

 中央には、前足を持ち上げ、羽を広げる躍動的な天馬の像。それはレインが憧れる老齢作家の代表作だ。その眩い像の背景には、アーチ形の窓が無数に並び、視界に収まりきれぬほど長大な、白亜の王城がそびえ立っている。


「――すごいわ」


 両親も歩いたであろう王宮の庭園を、まさかパンを担いで歩くとは想像もしていなかった。


 木陰に身を寄せて感慨にふけっていたレインは、騎士に先導される豪華な馬車に目を瞠った。

 騎士は白い羽の付いた帽子に金の刺繍で縁取られた純白の軍服、その上に金朱色の飾帯、群青色の長いマントを肩からなびかせ、腰元には金の装飾が施された細い鞘の剣を佩いている。街で見かける騎士よりも華美で華々しい。

 レインは風に靡く頭巾を押さえながら、馬車の騎士見たさに首を伸ばした。軍服の色の違いで務める部隊が違うと聞いているが、リアムやメイソンだったらと期待する。

 馬の首に着いた鈴がシャンシャンと子気味よい音を鳴らしレインの傍まで近づいてきた。馬車の窓から細い手が伸ばされると、並走した騎士が身体を傾け、車中の女性に丁寧に相槌を打つ。その首筋には赤い耳飾り揺れている。

 貴人を護衛しているのはリアムだった。

 馬車は速度を変えることなく、あっという間にレインの横を過ぎ正門を出て行った。


「うわあっ!すてき……」


 思わず大きな感嘆の声を上げた。

 馬車の中の女性は白い毛皮の外套と帽子を纏っていた。

(きっとどこかのご令嬢だわ。リアム様とお似合いだわ)


 煌めく豪奢な王宮、凛々しい騎士、そして美しい深窓の令嬢。今にも物語が始まりそうな光景だった。

 しかし、なぜか素敵と思った二人の物語を想像するを躊躇った。馬鹿みたいに令嬢と自分を比較して惨めになっている自分がいるのだった。


(――お父様も、お母様も、そしてリアム様も……なんだか遠いわ)


 気分も重いが、背中のパンも重い。


(せめてパンではなく画材だったら……)


 騎士達と対面しても自分の誇れる何かを持っていれば、恥ずかしいと卑下する気持ちも無かったはず。

 考え始めたらきりがなく、レインは(かぶり)を振って鬱々とした気分を散らした。


 人をうらやましがらない。全ては自分次第。

 それはもう随分前に割り切り心に留めたことだ。


「よいしょっ」


 重い篭を気合を入れて背負(しょい)い直し、約束の時間に間に合うよう足早に騎士団の詰所を目指した。





 庭園を横切ると体格の良い男たちとすれ違うようになった。

 軍服や甲冑、訓練用の白いシャツと身なりは様々だが皆、眼差しが鋭く騎士であることは間違いないようだった。すれ違いざまにジロジロと見られレインの足は竦み怖気づく。


 それでも、おずおずと第二部隊の詰所の前に辿り着くと、気合を入れ守衛に声をかけることが出来た。

 レインがパンの配達に来たと伝えると守衛は、承知していたのか、すぐにパンを受け取りサインをするようにと帳面を差し出てきた。

 篭の中を確認されている間は身ぐるみはがされたように心細かった。


 (はぁ~早く帰りたい)


 身の置き場のないレインの背後から賑やかな声がし、さらにぎこちなくさせる。

 レインは近づいて来る集団に目を合わせず小さく会釈をして身を潜めた。


「あれ、レイン! 早速、パンの配達に来てくれたんだね」


 集団の中にいたのはメイソンだった。


「メイソン様!」


 天の助けとばかりにメイソンの元へ駆けよれば、様子がおかしいことに気づく。


「えっ! あの、どうかされましたか?」


 彼の隣にいる一際(ひときわ)体格の良い騎士の腕の中には、キャンキャンと高い声で鳴く仔犬が押さえつけられるように抱かれていた。


「いや、訓練中にこの野良が迷い込んできてさ、避けようとしたらバランスを崩して落馬したわけ……。情けないことに、腰を打ってしまってね。歩けないほどじゃないんだけど、……うん……痛い、かな」


 メイソンは苦笑いしながら腰をさすり、仔犬を恨めしそうに()みつけている。


「気持ち悪くなったりしていませんか? 骨は?」


 仔犬の鳴きわめく甲高い声にレインの声も通らない。耳を塞ぎたくなるほどだった。

 仔犬に意識を惑わされつつも、メイソンの具合が気になった。顔色こそ悪くはないが覇気がない。自分に何かできないものかと考えると、フローラの口癖が頭にひらめいた。


『万年の腰痛と肩こりは売れっ子の絵描きの勲章よね。さ、温泉にいくわよ』


 肩や腰をトントンと叩いたり揉んだりすると、気持ちいいと喜ばれた。その後は決まって、二人で温泉に入ったのだった。











読んで頂きありがとうございます。


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