6
演奏が終わる。土井の額には、緊張とは異なる達成感の汗が浮かんでいた。
「土井やったじゃん! できてた! めっちゃよかった!」
と吉田がハイタッチを促す。
「ははは……うん」
とハイタッチを返そうとするが、よく見えなくてうまくできない。
「あそっか、見えないんだった」
吉田は土井の手を取って固定し、もう片方の手で手を合わせる。
「いえーい!」
「……ふひっ」
「ふひじゃねーんだろそこは! いえーいだろいえーい!」
と外田がキレる。
「す、すみません! 思わず!」
「思わずって……まーでもよかったよ。できたじゃん」
「そ、そうですね……見えないからとにかく失敗できないって、集中して、そのおかげで余計なもの全部削ぎ落とせましたし……」
「『痩せる』だな!」
と古石もぐっと親指を立てる。
「まーとりあえず形はどうあれ第一関門は突破だな。どっすかみなさん。みなさんからもなんかあります? 土井に関して」
「良かったぞー!」
「うめーじゃん!」
「お前よりうまいぞ多分」
「るせー俺は技術じゃなくてパッションなんだよ」
「そこ三名のは役立たないんでカワさんたちお願いします」
「なんだとこらー! 先輩なめんなよテメー!」
と文句を言う高井。
「とりあえず緊張せず人前で弾けるかってテストだったんでしょこれ? だったらそこは普通に合格じゃない?」
と奥馬が言う。
「とりあえず今はギター弾くだけだけどさ。こっから色々増やしてくとなると厳しいだろうけど。あと見えてない状態じゃさすがにトラブルあった時対応できないしね」
「そだねー。あとはー、後ろ向いて丸まってたから存在感なくて逆に女子三人のとこ邪魔してなかったんじゃない? 場合によってはいるの気づかないくらいで」
と代々木も言う。
「それは、まあいいっちゃいいですけど今だけですけどね……」
「うん。あとはー、これ言っちゃっていいかっていうか関係あるのかわからないけど、土井くんはそのままやるの?」
「……え、はい?」
と土井が見えない目で声の方を見る。
「格好。服装。さすがにそれ服ダサすぎでしょ~」
と土井のいかにもキモオタな服を指差す。
『あ』
と声を漏らす『yacell』の女子三名。
「忘れてた……他のことで忙しかったから忘れてたよチクショウ! そうだよこれはさすがにやべえじゃん! いくら見た目じゃないつってもこんなキモすぎるオタクファッション!」
と頭を抱える外田。
「男子とか関係なくあまりにもバンドの毛色に合わなすぎるな……浮きすぎる。てかキモい」
と古石。散々な言われようであったが、あまりに事実だったため土井は一人悲しみのオタクスマイルを浮かべる他なかった。
「やべえじゃん。今日はもう間に合わねえし……」
「任せな外田ちゃん!」
「上だけなら俺たちの着替え貸してやるぜ!」
「イカしたバンドTシャツをな!」
「あのクソだせえの……」
「ダサくねえよ! かっけーし!」
「まあ今日のところはそれでなんとか間に合わせるしかないか……今後のことは考えないとな」
「なんなら俺らの着なくなった服とかあげる?」
と上津。
「それならパンツとかもあるし。見たとこサイズはそんな変わんなそうだし。フリマで稼げないのは痛いけど後輩のためなら人肌脱ぐぜ!」
「なら私も穴空いて部屋着にしてるのとかあげるわー」
と高井。
「ただのゴミじゃないですかそれ」
「ゴミじゃねーよSDGs! ファンなら金払ってでも欲しいもんだっつーの!」
「まーなんだろうとタダでもらえるのはありがたいか。よかったな土井」
「はい。え、でも、というかほんとですか?」
と土井は思わず『懺悔』の方、といってもろくに見えてないので多分であったが、そちらを見て尋ねる。
「ほんとほんと。やるよ」
「……ありがたいんですけど、なんでですか?」
「え、なんでって?」
「理由といいますか……なんで僕なんかにこう、会ったばかりで知り合いでもなんでもないのに……」
「……これはジェネレーションギャップかカルチャーショックか」
「どっちもどっちじゃね? 子供なんて知らないおじさんからものもらっちゃダメって教わってるだろうし」
「まーいいや。土井、お前は今までそういうのなかったかもしれないけどさー、でも俺たちにはこれが普通なのよ」
「そうそう。なんでもシェア。金ないしそういうコミュニティだから。まあ文化? とにかくなんでも分け合ってさ、そうやってお互い成長していくのよ」
「お前らに成長はないだろ欠片も」
と奥馬。
「してるし! 年齢とか」
「生きてるだけでとってくもんじゃん」
「とにかくなんでもシェアすっからさ、なんかあったらいつでも遠慮なく言ってくれよな!」
「俺たちゃ頼れる先輩だからな!」
「新しい男子の後輩できたからって調子乗ってんなお前」
「しゃーねーじゃんお前らのせいでここも女子の比率上がってんだし! 男子高校生だって貴重よ!」
「それよりどうするのー? このあとの本番。やっぱそれでいく?」
と代々木。
「まあ今日のとこは成功体験のほうがいいですからね。今よか断然客も増えるわけですし。どうよ土井」
「俺は……正直、ちゃんと見えてたほうが安心もしますしそっちのほうがいいですけど、でも失敗できないんで今の方がいいとも思いますし……なので最初はこう、メガネ無しで入って、いつでもメガネかけられるようにしておいて。それで最初だから後ろ向いといて、って感じでいければ……どうでしょうか」
「じゃあとりあえずそれでいこっか。本人の意思が一番だからね!」
と吉田も言う。
「じゃあ時間も使っちまったしそろそろ引くか。そのうち客も入ってくるだろうし」
そうして、土井のテストもかねたリハーサルは一旦幕を閉じた
*
そして迎えた初ライブ。『yacell』はトップバッター。客がまだ集まっておらず、場も温まってない状況、場はともかく人数の少なさは土井にとっては助けになった。
『懺悔』のメンバーから借りた服に着替え、バンドTシャツでファッションもギリギリバンドマンのようになる。とはいえ、
「メガネはもうどうしようもないけど髪はなんとかしねえとな……」
と外田が土井のボサボサの髪を見る。ろくに切ってない。微妙に長い。若干テンパ。何より前髪が長すぎて目元にかかっている。しかしそれは当然顔を隠すため、視線を隠す、視線を避けるためのものであった。
「とりあえずその前髪が鬱陶しい。全部まとめたほうがいいでしょ」
「おーじゃあやるやるー! 人の髪いじるの楽しいよねー」
とワックス片手にはしゃぐ吉田。
「いいけどお前よくこいつの髪触ろうと思えるよな……」
「え? なんで?」
「いや、いいけど……私は絶対お断りだわ。汚そうだし」
「ちゃんと毎日風呂入ってますよ!? シャンプーしてますし!」
「当たり前のこと偉そうに言うな。コンディショナーは?」
「……リンスですか?」
「いいわ。ヒデコ任せた」
そうして慣れた手付きの吉田による土井の髪型「魔改造」が始まる。紙を全部後ろに持っていく、団子を作る。そうすると長い髪で隠れていた顔を全面に現れた。
「は、恥ずかしい……」
「女子かよ! キモいわ!」
「でもめっちゃスッキリしたじゃん! やっぱこっちのほうが絶対いいって!」
と笑いかける吉田。
「そ、そうですか……? ふひっ」
「キモ……顔全部出して見えちまう分なおさらキモいな。それでちょっとメガネ外してみろ」
「はあ……」
「……まあオタクっぽさはだいぶ薄れたけど、眉毛がなあ。マジでオタクって眉いじらねえんだな。顔剃ってねえのはもうどうしようもないけど眉までいけっか……」
「ばっちこーい!」
と道具を取り出す吉田。なんでそんなもの持ってるの? と思いつつも、女子に、吉田にされるがまま、さわられ放題という至福から逃れることなど考えられず、土井はされるがままに眉毛の処理までされる。目をつぶってるしそもそも裸眼で見えないのが悔しかったが、それでも触られている、というより「触っても平気」と思われていることが土井にとっては何よりも救いだった。そして、ここまでされるとよくよくわかる。ここまでされれば確信もする。
オタクに優しいギャルって実在したんだー!
「――お前その顔もしかして今オタクに優しいギャルは存在するとか思ってか?」
「ふひぃ!?」
「図星かよ……ほんと期待を裏切らねえな」
「おーっしとりあえず完成。どう?」
「かなりキモオタっぽさは減ったな。さすがヒデコ」
「もちー。けど土井も素材がオッケー! かっこいいじゃん!」
「そ、そうですか? ふひっ」
「その顔でふひされっともうなんも言えねえわ……」
「す、すみません……というかせっかくやってもらったのに全然見えなくて」
と目を細め睨みつけるように鏡を見る土井。
「そっちのほうが雰囲気でるよねー。眉間にしわ寄せて睨んでるの。見えないからしかたなくなんだろうけどキモオタ感は減って」
と古石。
「表情としちゃな。とはいえ何も見えないんじゃこれからきついし。それ覚えとけ」
「あと土井絶対コンタクトにした方がいいって。お金はあるわけじゃん?」
「はい。コンタクトですか……あれ入れるってのがちょっと怖いんですよね」
「いいからしろ」
「はい……じゃあとりあえず……」
と眼鏡をかけて改めて鏡を見る。
「……これほんとに眉毛剃っただけなんですか?」
「剃るっていうか剃ったり抜いたり切ったり書いたり。ほんとはちょっとくらい化粧もしたかったんだけどねー」
「吉田さんほんとにすごいですね……眉毛だけでこんな変わるんですね。というかこれ見るとすごいメガネ邪魔ですね。わかりにくいっていうか」
「ちょっとメガネ外してこっち見ろ」
外田に言われ、土井はメガネを外して外田の方を見る。自然眉間にしわ寄せ目を細め。
「これなら見えるだろ」
そう言われ差し出されたのはスマホの画面。そこには裸眼の自分の顔が映っている。
「……これが、私……」
「女子かよ」
「ほんとの私デビュー……」
「調子づいてきたなおい。それコンタクトにした時言うセリフだろ。とにかくこれならお前だって気づく人間も少ないんじゃね? 見た目ってのも自信にとっちゃ大事だろ。これでギター弾いてりゃお前のことキモオタだって思う人間もいないんじゃね? まあ姿勢はちょと悪いけど」
「そうですね……みなさん、ありがとうございます! これで俺も、少しは自信持って、一目気にせずやっていけます!」
そうしていよいよ、ライブ本番がやってきた。
*
舞台袖。今度は眼鏡はかけたまま、ステージに出る時、土井は極力客席の方を見なかった。それでも確かに人の気配は感じる。男が聞こえる。声がする。『yacell』に、女子三人への声援も飛ぶ。それと同時に、音だけで声だけでわかる困惑。第四者、男子の存在。土井の存在。なんだあいつ。あいつ誰? と。明確に言葉として聞こえなくても、雰囲気でわかる。土井の心臓は高鳴る。場違い。自分はここにいてはいけない。自分は求められていない。自分は余計な存在。視線をそらし、下だけ見ていてもそういう言葉に襲われる。
持ち場に立つ。機材のチェックをする。問題なし。ふと顔を上げると、最後方のドラムの古石と目が合う。古石は黙ってぐっと親指を立てる。先程の言葉、「私だけを見てな」を思い出す。背を向けている以上、見えるのはそれだけ。そしてメガネを外せばそれすら見えない。土井はふひっと笑みを返し、メガネを外した。
すべてがぼやけた世界がやってくる。なにも明確なものなどない世界。なにも見えない世界。ここからは楽器と音と体がすべて。それ以外は、存在しない。
楽になる。帰ってきた気がする。楽器と音と自分だけ。それは元来彼の世界。土井がずっと生きてきた世界。ただその音は、これまでと違い一人ではない。皆で作る、バンドの音。
土井はふと背を伸ばし上を見上げる。照明。ただ光だけがわかる。霧のようにぼやけた光。見上げるそれは、なんだか天上の景色のように思えた。
「こんばんはー『yacell』です。最初に一つだけ。新メンバーの土井でーす。みんなよろしくねー」
と吉田が紹介する。自分の名前が呼ばれ一瞬ドキッとする。そうか、そりゃ紹介くらいはしないとか。自分は、どうすればいいのか。普通はちゃんとお辞儀をする。振り返って。でも振り返ってしまったら、今いる場所からズレてしまう。立ち位置が、角度がズレてしまうかもしれない。大丈夫だとは思うけれど、それでミスに繋がったら元も子もない。
振り返れない。無理だ。とはいえ無視もできない。土井は、後ろを向いたまま手を挙げ、ただその場でお辞儀するしかなかった。
「あーごめんごめん。別に失礼とかじゃなくて今ちょっと裸眼でー、見えないから向きかえたりすると大変なんでそのままで。まーライブやるには関係ないからね。見ればわかるし。じゃあ早速いきまーす」
吉田がそう言い、少しだけ振り返って古石を見る。古石は黙ってうなずき、スティックを叩く。ワン・ツー・スリー・フォー。それが合図。それだけが合図。それで十分。
『yacell』のライブが始まった。
集中。削ぎ落とされていく。今度は本番。絶対にミスはできない。土井の集中は高まる。自分の腕に、手に、指先に。それでいて耳ではしっかり皆の音を聞く。早すぎず遅すぎず。とにかく合わせる。合わせるのだけは土井にとっても経験の少ないこと。一人でやっているわけではない。みんなで音を作るのだ。
何もなくなっていく。音だけが存在する。自分は消えていく。痩せていく。
汗を感じる。次第に疲労も感じていく。酸素が足りなくなっていくのも感じる。酸欠など経験がなかったのでそれが酸素が足りないことによる現象だということもわからなかったが、少なくともなんだか少し息苦しい、普段とは違うということはわかった。多分呼吸。もっと息を吸って。裸眼で視界がぼやけてる以上、酸欠で視界が白むというのもわかりようがなかった。
三曲やって休憩、MC。水、喉が渇いた……水……そこで思い出す。ズボンのポケットのでかい感触。裸眼でも問題なく水分補給ができるよう、ペットボトルをポケットに突っ込んでいた。土井はそれを取り、蓋を開け口に運ぶ。裸眼でもそれくらいの作業は問題なくできた。ライブが、本番がこんなに喉が渇くとは。けれどもその乾きもありがたい。演奏していなくても客の存在など忘れてしまう。自分が今どこにいるのかも忘れてしまう。乾き、疲労、汗。タオルで拭う。それでまた自分が裸眼で髪も縛っていることを思い出す。なんだ。なんだか全部、本当に忘れてるみたいだ。全部よそに置いてきたみたいだ。音楽以外の、すべてを。
そうしてまた演奏に戻る。二曲弾いて、終りを迎える。汗、疲労。荒い呼吸。周りに促され土井は思い出したようにメガネを掛ける。撤収。その時、ふと客席に目をやった。
今日初めて見る客たちが、そこにいた。
あ、なんだ、いたんだ……そういえば、いたっけ……
けれども、もう関係ない。終わった今はもはや関係ない。拍手を送っている。ああ、拍手だ、と思う。でもそれも別に特別だとは思わない。だってあれは、拍手くらいは当然のものだから。
思考が働かない。反応できない。疲労、暑さ、汗、乾き。とにかく早く移動して休みたかった。座りたかった。水分を取って呼吸して汗を拭いて一息つきたかった。これがライブ、これが本当の疲労……
他の何かを考えている余裕など、どこにもなかった。
「お疲れー! めっちゃよかったよ土井!」
と吉田が笑顔でハイタッチを求めてくる。
「あ、そうですか……」
土井はそう言い、あまり深く考えずハイタッチを返す。
「おいおい、随分テンション低いな」
と外田。
「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど……なんか呆然っていうか、あんま実感ないっていうか、必死で……」
「そういうのか。最初だしな。見えてないとなおさらか。まーでも、一発目であれなら上出来だろ」
「そうですか? ならよかったです。ほんと、ミスしないように必死で……ていうかみなさんあんまり疲れてないですね」
「疲れてはいるけど慣れてるからな。曲数少なかったし」
「すごいですね……自分なんかほんと体力のなさ実感して、ヘトヘトで……」
「なら体力トレーニングだなやっぱ。走る! 筋トレ! 水泳!」
と古石が親指を立てる。
「そうですね……体力トレーニングはほんと、実感しました……俺も走らなきゃなって」
「いい傾向じゃん。運動は大事だよ。動いてたほうが色々考えなくて済むしさ。自信もつくでしょ。お前なんかどうせ引きこもりみたいなもんなんだろうし。バンドマンもやっぱ体力勝負よ」
「土井動けそう? そろそろ次始まるけどせっかくだから見たほうがいいじゃん」
「あ、そうですね……大丈夫です動けます。次って誰ですか?」
「ジョンさん」
「あ、あのおじさん……」
おそらく平均年齢は二十前半という中で、一人五十代っぽいおじさん。しかも一人。別に仕事があるらしく、「店」をやってるらしい。そういう人がどういう音楽をやるのか、土井にも興味はあった。普段なら自分は絶対に聴かないような音楽。出会わないような人。せっかくこういう「現場」にいるのだから、そういうものは全部見ないと。こんなことをしているのだから元来音楽好き。土井は重い腰を上げ、皆に続き客席に向かった。
「ジョンさん」さんが演るのは、まさしくスキャットマン・ジョンだった。スキャットマン・ジョンののコピー。その超絶「舌テク」。まくしたてるような歌。「吃音」であるスキャットマン・ジョンが編み出した歌唱法。「スキャット」の使い手。それを「ジョンさん」は、完璧にマスターしていた。
すごい、すごすぎる。どうやってあれを真似しているのか。どうしたらあんなふうに口が動くのか。土井はひたすらに感心する。楽器を演奏しているわけではない。というより口自体がもはや楽器。自分とはまったく異なるジャンルであったが、ゆえにその術がわからずただひたすらに驚愕する。
「ジョンさん」は格好もスキャットマン・ジョンの真似だった。スーツに山高帽。そしてスキャットマン・ジョンのコピーだけではなく、独自の日本語の曲も。
すごい。すごすぎる。こんな人が、こんなおじさんがこんな小さなライブハウスにいるなんて。土井は音楽というものの広さを実感するのであった。
ジョンさんのライブが終わり、小休憩。その間に土井は客の数人に「『yacell』のギターの子だよね? めっちゃよかったよ」などと声をかけられることもあった。けれどもあまり実感は持てない。褒められている。それはわかる。けれども今目の前にあるステージで、自分もほんとうにやっていたのか。必死過ぎて外部の一切がなかった。けれどもそうして声をかけられていると、「あれは本当だったんだ……自分も、確かにあそこにいたんだ……」と客観的にわかってくる。世界は確かに外部に繋がっていたのだと。
次に出てきたのが『懺悔』の二人。ギターにベース、間にバスドラ。それを挟んでフットペダルが二つという、なかなかお目にかかれないセット。そうして二人はひたすらに「懺悔」を歌う。その歌詞は聞いていた通り、ひたすらなる懺悔。罪の告白。それをハードコアなメロディに合わせてひたすらシャウトしていく。
「高校の時の名前も知らないあいつチャリパクって乗ってごめんでもあれは借りてただけなんだ借りてただけでも悪いけど俺には俺の理屈もあってでもあれは悪いことだし何より窃盗! 懺悔しますごめんなさいごめんなさい神よお慈悲を!」
「アーーーーーーーーーメーーーーーーーーーーン!!!!!!」
それは、音楽なのか。歌なのか。曲なのか。しかしフロアは今日一番の盛り上がりを見せているのも事実。すごい。そして素直にかっこいい。こんな大人がいるなんて。こんな大人に、なってもいいのか……
音楽というものの度量の深さ。ライブハウスというものの度量の深さに多様性。それを感じずにはいられない土井であった。
そして最後に出てきたのは『gokohh』の三人。今日一番の歓声。ステージに上がっただけで貫禄が違う。ビジュアルが違う。オーラが違う。確かにひとつ上のバンドというものを感じさせるもの。ギターの高井。使用しているのはあの騒々しい酔っぱらいの姿からは想像もつかない水色のVariax JTV-69。代々木が使うのはフェンダーのジャズベース。そしてドラムの奥馬。一見ただのバンドだが、その歌唱はまったく異なる。ラップ。バンドメンバーで、バンドの機材にメロディで、ラップをする。三人全員がラップをする。その、かっこよさ。クールさ。「都市」を感じさせるもの。圧倒的な完成度。「そのうちメジャーに行く」というのもよくわかる。あまりに別格。ラップは当然うまく、かっこよく、リリックもいい。メンバーによってラップの重さも違う。軽く軽快な代々木。重く輪郭がはっきりした高井。その両方を併せ持ち実直な奥馬。各自楽器を弾きながらラップをする。その難しさ。土井には経験などなかったが、それはよくわかった。多分想像よりはるかに困難なそれ。それを簡単なことのようにやる三人。
すごすぎる。こんな人達が、こんな近くにいたなんて……こんな人達が「先輩」だなんて……自分なんか、全然まだまだで。まだ何も掴んでいなくて。何者でもなくて。
世界の広さ。自分の小ささ。何より音楽の「可能性」。それを確かに実感した夜であった。
*
ライブ後。メンバーは場所を移し打ち上げに参加していた。
「最初に言っておきますが、ぜーったいに未成年者に酒を飲ませるなよお前ら! 飛奈に上津に人間! やったらマジでお前ら一生出禁だからな!」
という奥馬の警告により始まる打ち上げ。とっくに酒が入っていた三人だが、あっという間に出来上がる。
「ほんとよかったぞ土井ー!」
「あの腕上げるだけなのもイカしてたぜ!」
「土井ちゃんよー、最初はマチの代わりに男ー? とか思ってたけどよー、少なくともギターは良かったぜ! 合格だ合格ー!」
と土井の肩に腕を回しガハハと笑う高井。
「そ、そうですか……ありがとうございます……みなさんも、本当にかっこよかったです」
「だろー!? 知ってる知ってるー! あとでサインやるよハハハー!」
と酒をあおる高井。それは土井が初めてまともに遭遇する「酔っ払い」だった。
「トビちゃんウザ絡みしかしないなら叩き出すよ~」
と代々木。
「やだ! 寂しい! けど後輩に絡まないならなんのための打ち上げだ!」
「……今すぐ帰るのと飲ませまくってそっこー潰すのどっちがいい?」
「はい……水飲んでます……普通に絡むから! 普通ならいいでしょ!?」
「普通だろうと絡むな。普通なら普通に会話しろ」
「……後輩と普通の会話って何? えー土井さん……土井さんは男子高校生のようですが、オナニーのほどは日に何回ほどで」
「死ねお前!」
と奥馬がバシッと高井の頭を叩く。
「だって男子高校生と普通の会話なんて知らないもん! ちんこの話以外何あんの!?」
「ちんこの話ですらねーだろてめーのは!」
「えぇ……んじゃ土井くん、君は三人の中で誰がタイプなのかな?」
「やめろアホ! ただでさえ女子三人の中に男一人なのにこじらせるようなこと煽んじゃねえ!」
「違う違う! お姉さんたち三人の方! だいたい私が何もしなくたってこんなんそっこーサークルクラッシュするでしょ!」
「やめろアホ!」
「チッチッチ、甘いですよトビさん」
と古石が指を振る。
「私たちが誰か一人でもこのキモオタとどうにかなるとでも?」
「……ねーな」
「ふひっ……」
「ふひっ! ふひって! オタクってマジでんな笑い方すんのかよ! マジウケんだけど!」
と大爆笑の高井であった。
「ほんと悪い土井……こいつはゴミクズだからこいつの言うことは一切聞かなくていいから」
「い、いえ大丈夫です……慣れてますし、キモオタなのもキモいのも事実なんで……」
そういって悲しみのオタクスマイル。
「そんな悲しそうな顔すんなよ……見てるこっちが悲しくなるわ……」
奥馬はそう言い、心底同情する表情をするのであった。
しばらく後。『yacell』の高校生四人のところにジョンさんがやってくる。
「やあみんな。飲んでるかい?」
「飲んでないっすね」
と外田。
「だよねえ。こりゃ失敬。今日も大変よかったよ君たちのライブ」
「ありがとうございます。ジョンさん帰んなくていいですか? 家の人待ってないんすか?」
「……男には外で飲む時間も必要……」
「ダメな大人だ」
「い、いえ! ダメな大人なんかじゃないですよ! ジョンさんほんと、かっこよかったです! すごかったです! めちゃくちゃ感動しました!」
と土井がフォローする。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。君もとてもかっこよかったよ土井くん」
「ありがとうございます……あの、スキャットマン・ジョン、あのスキャット、ほんとすごかったです。あんなできる人初めてみて……ほんとにスキャットマン・ジョン好きなんだなあって」
「ありがとう。私の憧れだからね、あの人は。憧れで理想で模範だよ」
「そうですか……相当練習されたんですよねあれは」
「そうだね。実を言うとね、私は吃音なんだよ。スキャットマン・ジョンと同じで」
「え、そ、そうなんですか?」
「ああ。今は普通に話しているように聞こえるだろうけど、相当改善してね。けれども昔は強くてね。子供の頃はそれで随分いじめられもしたよ。けれどもスキャットマン・ジョンに出会ってね。彼も吃音だって知って、それで自分でも同じようになれるんじゃないかと勇気をもらってね。それから毎日真似したよ。ひたすら練習して。それに従って吃音もね。もちろんそれ以外でも吃音を減らす訓練はしたけど、結果的に今の私がいるわけだ。すべてスキャットマン・ジョンのおかげだね」
「そうだったんですか……あの、僕も、そんな大層なものじゃないんですけど、どもって、なのでそういうのはわかると言いますか、すごく励みになりますし……僕も、歌ってる時だけは、全然どもるとかなくて、だから歌うのも好きで……」
「そうか。それはいいことだね。歌うことで自分を好きになれる、自分を好きになるために歌う。そういうのはすごく大事だと思うよ」
ジョンさんはそう言うと土井の方にぽんと優しく手を置き、山高帽を直し立ち上がった。
「では私はそろそろお暇するよ。家族も待っていることだからね」
それだけ言い残し、その場を後にする。
「――かっこいい……」
「お前ああいうのがタイプかよ」
「いや、かっこよくないですか実際!? ダンディな大人の代表っていうか! 俺もあんな大人になりたいなあ……」
「お前があれはちょっとな……けど実際いい人だよあの人は。すごいし。さすがにキャラ作り過ぎだと思うけど」
外田はそう言いウーロン茶をすする。そうして夜も更けていくのであった。