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土井にとって練習は苦にならなかった。初めての曲、新しい曲を練習するのは楽しかった。動画投稿以前からとはいえ、常に新しい曲を、別の曲をというのは土井にとってもはや日課となっていた。今回はそれがバンドのオリジナル曲に変わっただけというだけの話。新しい曲を弾けば面白い。弾けるようになると楽しい。弾けるようになると改めて「同い年でこれだけちゃんと曲作れてすごいなあ」と思う。そうしてそれは、土井の中の何かを刺激する。彼女たちがこれだけの曲を作れるのなら、自分も、自分だって、自分は……
「できる」というのも土井にとっては重要なことだった。土井にとって毎日は「できない」の連続だった。できないことのほうが圧倒的に多い。できることなど数えるほどもない。それは自尊心を大きく削る。けれども練習すること、練習してできるようになることは、彼の日々の中で数少ない「できる」を積み重ねられる方法だった。そうやってずっとやってきた。自尊心のため。自分を慰めるため。動機はどうでもいい。いかなる動機であろうとも、それは確かに彼にとって助けになってきた。そしてその日々は、他の追随を許さない技術を手に入れてきた。
ひたすら練習する。完成を目指す。投稿頻度が開けば飽きられてしまうかもしれない。急ぐ必要がある。習得速度を上げる。その日々が彼の能力を大きく底上げしていた。だから『yacell』の曲も瞬く間に習得した。それは他のメンバーが目をみはるほどのものだった。
「お前、マジでこの短期間で覚えてきたのか……?」
と同じギターだからこそ驚きを隠せない外田。
「はい。その、毎日やってたんで」
「そりゃ毎日やれっては言ったけどさ……何時間やってんだよ」
「時間はわかんないですけど家にいる間はずっとですかね……」
「んな真面目に答えなくていいけど」
「あ、はい……でも自分のパートはその、外田さんの方と比べると比較的簡単だったので」
「そっちはマチさんのパートだったからな……いやでも、やる気はたしかにすごいよ、うん」
「ソラも素直じゃないよね~」
と茶化すように笑う吉田。
「うっせ」
「けど私の目には狂いはなかったでしょ」
「それは確かにな……お前いつからギターやってんの?」
「俺ですか? えっと、確か九歳? くらいからですかね」
「結構早いな。そもそもなんで始めたん? 言っちゃ悪いけどお前みたいなキモオタがギターって かなり謎だからさ。その頃はまだキモオタじゃなかったのかもしれないけど。けど九歳とかだとモテたいとかでもなさそうだし」
「えっと……ピアノやってたっていうのは、前に少し話しましたよね?」
「多分。なんかそこで声楽かじったんだっけ」
「はい。でまあそもそもはそこでも極たまにかるーく、休憩の時とかにギター教わって遊んだりもしてたんですけど、それはほんと遊びで。ただ九歳くらいの頃にピアノ習うの辞めて……というのも『男のくせにピアノやってるのキモい』とか色々言われたりして……まあ他にも色々言われましたけど。なんせその頃からキモくて、コミュ障なんで」
「自分でそこまで言われるとさすがにこっちも悲しくなるわ……」
「なんかすみません……」
「いや、散々キモいキモい言っといてこっちもなんだけどさ、まあ気をつけるけど」
「はい……でまあ、そんなことがあって色々つらくてピアノ習うのは辞めたんですけど、じゃあギターならキモくないかなって。テレビに出てるミュージシャンとか、男の人とかみんなギター弾いてるしかっこいいんで。そっちなら自分も認められるっていうか、受け入れられるしキモがられないだろうみたいな、そういう不純な動機ですけど……」
「そう……なんか思い出させて悪い」
「でもさ、ここまで続けてきたってことはやっぱギター好きだからでしょ?」
と吉田が言う。
「そうですね。ピアノと違った面白さがありますし。数少ないできることでしたし。それにまあ、これでみんなに認められるとか、あと中学生とかになったらかっこいいとかモテたいとかもありましたけど、でも人前で披露する機会なんて一切なかったんでなんの意味もなかったですけどね……」
と自嘲気味に笑う土井。
「その辛気臭い自嘲自虐も禁止だ。聞いてるこっちが辛気臭くなる。そんなんじゃ人前でやるだけの自信もつかねえだろ」
と外田。
「はは、そうですね……けどまあそういう感じで、ピアノも教室行くのはやめたんですけど好きでしたし数少ないできることだったんでずっとやってきたんで。ギターも、僕、じゃなくて俺全然友達いなかったら遊ぶとか全然なくて暇で、だから一日中家で弾いてたし……やっぱり弾けるっていうのは、できることっていうのは楽しかったから。その分他のことは広がっていかなかったけど」
「でもそれのおかげで今こうやって私たちとバンドもできてるしお金も稼げたんだから結果オーライって考えたほうがよくない?」
と吉田。それに外田が、
「金って?」
「おーっとー? お金―? はそのー、なんていうかー? 気のせいじゃなーい?」
「誤魔化すの下手すぎんだろ……いいよ聞かなかったことにすっから」
「助かるー。まあとにかくさ! 過去は色々あったかもしれないじゃん? でもそのおかげで土井はそれだけのものを身につけたわけじゃん? それは絶対これからも役立つしさ! それこそ音楽でお金食べてけるレベルだって! 子供の時期に長い就活やってたとでも思えばよくない?」
「そうですね……でも実際俺が音楽仕事にするなんてできるんですかね」
「できるくらいになるために今やってんだろ。ライブできるようになりゃなんだろうと仕事にできるようになるだろうし。別に人前でやんのが音楽の全てでもないんだから」
と外田が答える。
「そうですね……みんなはその、プロっていうか、このバンドでプロとか目指してる感じなんですか?」
「もちじゃん!」
吉田はそう言ってピースする。
「絶対メジャーデビューして武道館だかんね!」
「今どき武道館って古くね?」
「私はコーチェラ!」
と古石も言う。
「コーチェラはさすがにでかすぎんでしょ……」
「とにかくさ! そうなったらその時は土井もいるんだからね!?」
「はひ? お、俺もですか?」
「決まってんじゃん。このまま続けてくなら。そういう長い目も見て土井に声かけたんだし。やっぱメジャーで勝負してくってなったら他と違う点必要じゃん? バリエーションっていうかさ。強みとかおもしろポイントないとなかなか飛び抜けらんないからねー」
「つっても女三に男一なんて聞いたことないぞ。逆はよくあるけど」
「そういうバンドは得てして潰れている……」
と古石が言う。
「いや、まあ結果的にはそうかもしれないけどさ、そもそも女だけのとこに男一人のバンドなんかはそういうとこまで上がってくる前に潰れてんのかもしんないし」
「それだ」
「それだじゃねーよ! いやでも実際、どっちがきついんだ? バンギャとかよく言うじゃん。それ考えると男のとこに女ひとりでいる方がやっかみとかキツそうだよなー。逆ってどうなんだろ。想像つかねえなー」
「ひらめいた! 土井、君は女になりなさい!」
と古石。
「は、え?」
「オネエ系、もしくはドラァグクイーン! じゃなけりゃ完全に女装してやる!」
「一気に特殊性上がりすぎだろ。第一そういうのはそうじゃない人が目的のために偽ってやっていいもんじゃねえし」
「でもグリーでカートが女子グループの中にいるのはめっちゃ自然じゃん?」
「あれはカートがカートだからだろ。なんにしてもまあ、紅一点の逆ってのもそれはそれで大変だろうからな……がんばれよ土井」
そう言い外田は「わかってんだろうな?」といった具合に土井を見る。それはすなわち「間違ってもサークルクラッシャーみたいなことはするんじゃねえぞ」という念押し。「は、はひ!」と縮み上がる土井。わかっている。そもそもそんなことは起こりようもない。自分には今のこの状況だけで奇跡なのだ。これ以上を求めることなどありえるわけがない。こんな奇跡的な状況を、自分の手で壊すなど……
「でもさ、これだけ上達早かったらライブで実践してみてもよくない?」
と吉田が言う。
「それって次の?」
「うん。さすがにいきなり全部はあれだからギターだけで。ギターだけならもう完璧にいけそうじゃん」
「まあ歌うよかだいぶ緊張はしなさそうだけど。でももうちょっと慣れてからのほうがよくね?」
「でもうちらの前じゃもう問題なく弾けてるじゃん」
「見知らぬ客の前とじゃ別でしょ」
「そっかなー」
「そうだって」
「じゃあやってみてダメだったら引っ込んでもらえばいいんじゃない?」
「お前もたまに優しいんだか非情なんだかよくわかんない発言するよな……それこそこいつのなけなしのプライドズタズタだろ。もっと成功体験積ませてからのほうがよくね?」
「どうやら我の出番のようじゃな……」
古石がそう言いふっふっふと笑う。
「我が助言を授けてしんぜよう……」
「おうカモンカモン」
「ガシャーン! ガシャーン! 折・衷・案!」
と両手で何かを合体させるジェスチャーをする古石。
「これはつまりだね、『奴ら』の出番でしょ」
「奴ら?」
「いつものメンツ……略して『いつメン』!」
「……わざわざ一回言って略す意味なくね?」
外田の指摘は、至極真っ当なものであった。