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「ということで! さっそくだけどごたいめーん! 私たちのバンド『yacell(ヤセル)』のメンバーでーす!」


 とスタジオで紹介されたのは、二人の女子であった。


「まずこっちがギターの外田空(とだそら)!」


 と吉田が紹介したのは、比較的背の高い強面の女子。目付きが悪く、というか明らかに不機嫌そうな顔で土井を睨みつけている。


「でこっちがドラムの古石春(こいししゅん)ちゃーん!」


 と紹介されたのが背が低めの前髪ぱっつんの女子。チュッパチャップスを舐めており「ども」といった具合に軽く手を挙げる。


「そしてベース・ボーカルの私吉田日出子の三人で『yacell』やってまーす! ということでソラ、シュンちゃん! 彼が新メンバーに勧誘した土井無限くん!」


「ムゲン?」


 と外田が訝しむような目で返す。


「そう。無限大、永遠の無限。ヤバくない?」


「色んな意味でな」


 そう言いつつ、外田は「こいつが無限?」と言ったような目で土井を見る。


「ど、どうもはじめまして……土井です」


「土井はね、なんとギターもキーボードもボーカルもできます! マジすごいんだから!」


「へー。まーそれは置いといてさ」


 と外田が返す。


「二つ、言っとかなきゃいけないことがある」


「なに?」


「なんで男だ! 女子三人のとこに男一人なんてな、そんなんバンド崩壊の定石みたいなもんだろ! どんだけのバンドが男女関係で解散してると思ってんだよ!」


「ちょいちょい、待ちなよソラ」


 と隣の古石が静止する。


「ソラが言うことはわかるけどその前に土井くんをよく見てみなよ」


「あ?」


「彼と誰かが恋仲に発展する可能性があると?」


「……ねえな」


「ふひっ」


 と思わず声を漏らす土井。


「ふひじゃねーよ! マジキモオタまんまじゃねえかきもちわりー! てかマジでそんな音発するオタクいたのかよ!」


「まーまー落ちついて。ていうかふひ面白くない?」


 と吉田。


「おもしろくねーよ! きめーよどこまでも! お前の感性がおかしいんだよ!」


「そうかな……まーでもほら、シュンちゃんの言う通りっていうのもあれだけどさ、ソラの言うこともわかるけど大丈夫だって! 土井全然ソラのタイプじゃないでしょ?」


「たりめーだ。キモオタとか絶対お断りだっつーの」


「シュンちゃんは?」


「ないねー」


「ほら」


「ふひっ……」と小さく漏らさざるを得ない土井であった。


「そういう問題じゃねーよ。こっちのことはハナから心配してないっての。問題はそいつだろ。いかにも勘違いして惚れっぽいキモオタじゃねーか。女に耐性なくてちょっと優しくされただけで自分のこと好きだと勘違いするようなさ。だから今ものこのこ来てんじゃねーの」


「そんなことないって。土井もバンドやりたいって来てるんだし」


「ほんとにー?」


 外田はそう言い、やはり訝しむような目で土井を見る。当然縮こまるしかない土井。


「それで二つ目は?」


「そいつだよ。男だってこと抜きにしてもそいつはねーだろ。いかにもコミュ障のキモオタじゃねーか。ねーだろマジで」


「それは見た目の話?」


「見た目もそうだけど全部だよ。そいつマジでギターなんか弾けんの? キーボードもそうだし。ましてや歌とかありえないっしょ。バンドとかさ」


「甘いねーソラは。それは決めつけがすぎるよ」


 吉田は「チッチッチ」といった具合に指を振りしたり顔をする。


「土井のうまさは私が確認済みだからね! ぶっちゃけ言うけど正直ソラよりうまい!」


「ああ?」


 とやはり気分を害したかのように土井を睨みつける外田。


「キーボードは誰もいないから替えが効かないにしても、歌も私より上手い! しかもなんと男声女声両方出せる!」


「は? 男声女声って声のこと?」


「うん。めちゃくちゃ声域広いんだから」


「嘘くせー。別にお前が嘘ついてるとかは思わないけどさ、そんなん聞いたってさすがに信じられないって」


「じゃあ確かめればいいじゃん」


 と古石が言う。


「ヒデちゃんがここまで言ってるならなんかしらの根拠があるんだろうし。さすがに確かめもしないで拒否するのはフェアじゃないでしょー」


「なんだよお前、お前は賛成なの?」


「いや? むしろ反対というかないよねー派だからちゃんと確かめるべきで」


「お前も結構酷いよな……まーでもよ、ヒデコがそこまで言うなら確かに一回くらいは聞かないとな。諸々はともかくキーボードできるってんならそれだけで音はめっちゃ広がるし。それでもやっぱそいつは嫌だけど」


 俺の何がここまで人を拒否らせるの? などと思いつつも、でもそりゃ普通そうだよね最近全然人と関わってなかったし吉田さんが例外過ぎてなんか勘違いしてたけど、と悲しいオタクスマイルを浮かべるしかない土井。


「それマジやめろ。キモいから」


「はひ……」


「ごめんね土井。ソラはちょっと口悪いけどさ、でもめっちゃいいやつだから」


 これでちょっと? というか友達が言う「いいやつ」って絶対信用ならないやつじゃんそれ、と思いつつも吉田に対しては全面的な安心の笑みを返せる土井であった。


「じゃあさっそく見せてあげなよ! どのみち今日から一緒にやる予定だったからさ! 土井昨日渡した曲は練習してきた?」


「あ、うん、一応は」


「さっすがー。でも別に最初から完璧に合わせろなんては言わないからね。今日はあくまでスタジオついでの顔合わせってことで」


「うちらの曲練習してきたってことだろ? とりあえずそれやってみてよ。もちろん一日で覚えてるなんてありえないけどさ、ついでに上達速度もわかるし。あとやる気とかどれだけ真面目に練習するかもな」


 と外田も言う。


「あ、はい、じゃあその、僭越ながら……」


 土井はそう言い、ギターを取り出しアンプに繋げる。そうして一つ息をつくが……


「……もう始めていいぞ」


「は、はい……」


 視線。かつてない緊張に襲われる。体がまるで自分のものでないかのように動かない。人の目。誰かが、見ている。考えてみればそんなことは、生まれて初めてだった。


 土井はこれまで一度たりとも人前でギターを弾いたことがなかった。ピアノはもう何年も前。それも「男のくせに」「キモい」などがトラウマになり、人前でなど弾けなくなったし弾こうとも思わなくなった。それは歌も同じこと。学校での合唱など以外、歌うことなどない。それだってほとんど口パクに近い超小声。一人で歌うなどもってのほか。それは動画でもある意味同じこと。これまでネットに上げたのは、ネットの先の人間に見せたのはすべて「録画」。生ではない。常に自分一人で、失敗が許される環境。このような、人前で、生でなどというのは、人生始めての経験だった。


 滝のような汗が流れる。どうしても視線を意識せざるを得ない。極度の緊張で体が震える。大丈夫だ、できる、俺はできる。できるだろ。知ってる。これまでがあるだろ。


 それでも、それは、自分ひとりの宇宙のある意味「外部の根拠」が何一つない自信で……


「――す、すみません吉田さん……」


「どしたの?」


「……い、今更なんですけど、ぼ、僕、人前で弾いたこと一度もなくて」


「そうなの?」


「は、はい、それで、こう、めちゃくちゃ緊張っていうか……」


「ダメじゃん。問題外すぎんだろ」


 と外田。


「まーまーまー。要するに初めてのソラとシュンちゃんがいるから緊張するってことだよね? 一人だと全然弾けてたわけだし」


「は、はひ。そうですね……」


「よし、わかった! じゃあ一旦二人は外出てて」


「はあ?」


「ようするに土井の実力ちゃんとわかればいいわけでしょ? なら動画でもいいよね」


「いや、そうだけどそうじゃないでしょ。初対面とか関係なくたった三人の前でも弾けねーようなやつがライブできるわけないじゃん」


「そこは初めてなんだからしかたないでしょ。今すぐライブするってわけでもないんだし。その時までに練習して慣れてけばいいんだから。ソラだって初めからできたわけじゃないじゃん?」


「私はできてたな。お前もそうでしょ。シュンだって」


「……ま、まーそこは人それぞれだし? とにかく! できるようになるの待つにせよその判断だって実力見ないことにはじゃん! 見れば絶対待とうってなるから!」


「……どうするシュン?」


「まーそこまで言われたら見たいけど、でも待つにしたってどこまでって話だよねー。結局ライブだってやらないことには慣れないんだし。やるとなったら練習だって四人で合わせるわけじゃん? ならそんな待ってはいられないよねー。時間無駄なるし」


「だな。めんどくせえしスタジオの時間ももったいないからさっさとやってよ。それでダメ、サヨナラ、どうぞお帰りに、で終わり」


「オッケー。見てもらえるならそれでいいよ。元々こっちが無理言って引き入れたいっていってるんだから。二人が反対ならそれでしょうがないし。土井には悪いけど」


「んじゃさっさとよろしく」


 外田はそれだけ言うと古石と共に部屋から出ていく。


「よし、じゃあ早速やろっか。私撮影するね」


「あ、はひ!」


「……あーっと、もしかして私もいないほうがいい?」


「い、いや、その」


 吉田の視線も、無論気になる。けれども吉田は、別なはずだ。吉田は他の二人とは違う。吉田は「自分」を知っている。あの自分を。女装コスプレ、「イド」の自分を。もう見られてしまっている。知られてしまっている。ある意味さらけ出してしまっている。それと同時に、それはすでに自分の「演奏」も知られているということだ。見られているということだ。


 吉田は、自分を知っている。「できる」自分を。土井ができるということを。ならば何も、問題などないはずだ。


 土井は、深く息をつく。


「――最初だけ、一回目だけは後ろ向いてやります」


「オッケー」


 土井はカメラに、吉田に背を向け、スコアを広げる。彼女たちのバンド『yacell』のオリジナルだという曲。誰が書いたかはわからない。けれども素直にすごいと思う。よくできたかっこいい曲だ。自分は作曲などしたことはない。試したこともない。けれども同い年の人間が、すでにこれだけの曲を作っている。それを演奏させてもらえるありがたさ。感謝。自分も、そのメンバーになっていいのだという吉田の言葉。

 土井は、また一つ息をつき弾き始めた。


 昨日の放課後、吉田にスコアを渡されてからまだ数時間しか練習していない。もちろん曲も一つだけ。それでも練習したのがこの曲だけだからまだなんとかなる。


 全部覚えてるなどありえない。スコアを見ながら。当然ミスもする。けれどもそれは関係ない。一夜、たった数時間でいきなり完璧に弾くなど無理なのだ。それは相手もわかっているはずだ。重要なのはそこではない。どこまで真面目にやるか。真摯にやるか。向き合うか。集中し、今のベストを出せるか。


 今のベストを、自分にできることを。吉田の期待に応えるため。何より自分が、そうしたいから。

 そうして土井は演奏を、撮影を続けた。



     *



「お待たせー。入っていいよー」


 と吉田がドアを開け二人を迎え入れる。


「時間かかったな」


「んとねー、うちらの曲途中までと、それだけじゃ実力分からないしちゃんと実力わかる難しい曲、あとキーボードも、それに歌も男女どっちもやりながらだったからね。それでも結構短くまとめたよ。音聞こえてた?」


「いや? シュンとよそ見に行ってたしだべってたから」


「そっか。じゃあ聞いて驚け見て笑えだね!」


「笑っちゃだめだろ。オタク見ても笑えないんだよ私。キモくて」


「そんな? ソラはこう、キモいの閾値が低すぎんじゃない? そんなんだから虫でもなんでもキモいーって騒ぐんじゃん」


「うっせー虫はキモいだろ」


「虫はかわいい! カブトムシはキモいけど」


 と古石。


「カブトムシとかのほうが平気じゃん。かっこいいし」


「硬すぎるし黒光りがキモい! 厚みもキモい! 薄い分クワガタのほうがまだマシ!」


「お前もよくわかんない感性してるよなー。なんだっていいけどこのキモ男だよ」


「土井ね」と吉田。


「なんだっていいよキモオタの名前なんて」

「仲間になったらそんなこと言ってられないよー」

 吉田はそう言いつつ、スマホを動画を再生する。それは、外田と古石が初めて目にする「土井無限」の演奏であった。


「――どう?」


 吉田のしてやったりな顔とは対象的に、外田は苦虫を噛み潰したような顔をしている。先に口を開いたのは古石の方。


「やるじゃん土井。うぇーい」


 とハイタッチを求めるように手を差し出す。


「あ、は、はい、どうも……」


 躊躇しながらもそっと表面だけソフトタッチを返す。


「おぉ……挙動がキモオタ……」


「ふひっ……」


「見てるこっちが悲しくなるキモオタスマイルとのコンボ……」


「……すみません」


「謝んなってー。こっちが悪いことしてるみたいじゃん」


 悪い自覚はなかったのか? と思いながらも当然指摘などできずキモオタ愛想スマイルを浮かべる他ない土井であった。


「それでソラさんのほうはどうよ」


「……チッ」


 舌打ち!? と思わずビクッと体を震わせる土井。


「ソラの舌打ちは最大の賛辞だねー」


「うっせえ。まあ、うまいんじゃない? 最初のうちらの曲は一日にしちゃよくやってるよ。ちゃんと練習したんだな。それはまあ褒めてやる」


 なんでそんな偉そうなの? と思いつつも女子に褒められ素直に「ふひっ」と喜びが漏れる土井。


「だからそれやめろマジで。そのあとも、ギターも確かにうまいよ。まあライブはできるくらいには十分だな。キーボードも。そっちに関しちゃ経験ねえからちゃんとは言えないけど、聴いた限り問題はねえんじゃねえの」


「歌は?」と吉田。


「……色々あっけど、まずこのきめえ女声(おんなごえ)どうなってんだよ」


「そ、それはその、昔、少しだけ声楽を習ったおかげといいますか……」


「声楽? マジかよ……けどこの顔でこの声はマジでキモいな」


「は、はい、キモくてすみません……」


「いや……まあでも、さすがにこんな声出せる男は見たことないから素直にすごいとは思うけど……これでちゃんと歌えてるってのもまあね。ただ正直、かくし芸みたいなもんっていうか、そこから先にはいかねえんじゃねえかな。物珍しいってだけで」


「でも音痴のソラの代わりに歌えるよ」と吉田。


「うっせ。男声の方もうまいよ。それこそ当然音痴の私なんかよりはさ」


「じゃあ全部オッケーってこと?」


「……実力があるのは間違いないかもな。でも! 何度も言うけどそれライブでできねーと意味ねえからなマジで!?」


 と土井を指差す外田。


「は、はひ!」


「初対面とは言えこんな狭い密室のスタジオの中でうちら三人相手にもできねえつうなら何十人っているライブハウスでなんかできるわけねえだろ! ましてや何百人っている文化祭なんかじゃよ!」


「は、は、はい?」


「あ? なんだよいきなり」


「……き、聞き間違えだったら申し訳ないんですけど、ぶ、文化祭でやるんですか?」


「ああ」


「……学校の?」


「そだよ」


「……うちの高校の?」


「それ以外あっかよ」


「ぼぼぼ、僕もですか……?」


「メンバーになるなら当然だろ」


「……じ、辞退は」


「ストーップ! 土井! まだ三ヶ月後! まだ一〇〇日以上先だよ文化祭!」


 と吉田が割って入る。


「ひゃ、一〇〇日……」


「そ! おまけに夏休みもある! 練習時間山程!」


「や、山程……」


「だから大丈夫! 土井は今目の前でやってたじゃん! 目の前で完璧にできてたじゃん! 二人だってそれ見て認めたんだから! だからあとはバンドの曲練習して、人前に慣れるだけっしょ!」


「ひ、人前……」


 そ、それが一番大変なんですけどぉ! と土井は、顔をひきつらせる他なかった。


「……ヒデコ、悪いこと言わないから諦めたほうがいいぞ。こいつができんのは認めっけどさ、でもこんなのさすがにダメだろ。少なくとも一ヶ月以内にライブできるようになんなきゃ話にならないぞ」


「一ヶ月後ならオッケーってこと?」


「というより現実的に考えてギリギリのラインじゃん」


「……わかった。最終判断は一ヶ月後のライブ! シュンちゃんもそれでいい?」


「オッケー。まー別に文化祭なんて文化祭だしー、いつものうちらの曲やるだけだから二ヶ月もあれば余裕だしねー」


「だよね。てことで土井! 一ヶ月後、ライブだから!」


「は、はひ?」


「大丈夫! それまでもステージ上がれるよう色々練習するし! 一発勝負じゃないからさ! あくまで最終判断ってだけで、そこに間に合えばいいってだけだから!」


「は、はい……」


 自分の預かり知らぬところですべてが決められていく感覚。とはいえこの女子三人の中で、たった一人の男子、おまけにコミュ障の土井には異論を挟むことなどできるわけもなく。


「けどそれってどういう形でやんの? 先にちゃんと決めといたほうがよくね?」


 と外田。


「形って?」


「お前はさ、そいつをギター兼キーボード兼ボーカルしかも男女どっちもってつもりでスカウトしたわけなんでしょ? 一ヶ月後にそれ全部やんの? 単にライブだけ、文化祭ってだけならギターとかキーボードだけでもいいわけじゃん。でもそれじゃお前が思ったもんとはちがうわけだろ? したらそもそもこいつである意味ねえじゃん」


「そうだよねー。うーん……」


「だいたいさ、そもそもうちらの曲はキーボードなんてないからそれ入れるならそこの作曲は一からだし。ボーカルもマチさんとこにとりあえずこいつの女声でいれるわけ? 男でやんならさすがに新しい曲でしょ」


「お、それは作ってくるってこと?」


「じゃねえよ。それ関係なく作るし。けど頭にあんのとないのじゃ別じゃん。こいつが残れる保証もないわけだし。こいつ想定の新曲やるにせよ作るコスト考えんならそれは全部こいつがやったほうがよくね? てかお前曲作れんの?」


 と外田が土井を見る。


「こ、試みたことは、あります……」


「完成させてないってことか」


「……はい」


「じゃあとにかく自分の分は自分でやってこい。既存のにキーボード入れんならそれで。もちろんできる範囲でだぞ? メインはギターなんだし。聴いてやって合格出せんなら出すし。あとは自分で歌いたいなら、男声入れたいならその曲も自分で」


「は、はい……その、で、できなかったら……」


「できないならないだけだろ。やりたいならやれってだけで」


「そ、そうですね……あの、みなさんはその、みんな曲作れるんですか……?」


「私とヒデコとマチさんは。マチさんってのは前にいたギターボーカル」


「私はやらないぞ! ドラマーに作曲頼むなんて間違ってるからな! ドラム以外楽器できないし!」と古石。


「それでもやるドラマーもいるだろ」


「そんな一部の狂人と比較されてもね。代わりに私は編曲でみんなの曲にドラムのビート叩き込むんだからそれでオッケー」


「はいはい。んでよ、お前としちゃどうなのよヒデコ。マチさんとこそのままこいつにやらせる気なの? 聴いたけど実際どこまでできんのよこいつ。お前一人でやったほうがまだいいんじゃない?」


「できるか若干心配なんだよねー。それにさ、男子があのマチさんみたいな声で歌ったほうが絶対おもしろくない!?」


「おもしろいよりこっちはそっちが心配だよ……」


「そこでじゃ。土井っちに我々のライブ映像を授けよう」と古石が言う。


「は? 何いってんのお前」


「マチさんが歌ってるところをじゃよ。男であの声出せて声楽かじってるならある程度音域真似できるんじゃない?」


「……そんなんできんの?」


「あ、い、一応……色んな女性ボーカルの声、真似してるんで……」


「そう……なんで?」


「……歌うの好きだし、歌うからには近づけたいから? とかですかね……」


「……なんか若干キモい気配もするけどまあいいや。感じ掴むにも動画見んのはいいだろ。音源も。練習とかライブのだけどさ。まーとにかくかき集めてこい。こっちとしちゃマチさんとこをマチさんの声でこいつに真似されて歌われんのはすげーきちーけど」


「しょうがないでしょいないものはいないんだし。それより新しい環境でどんな新しいことしていくかじゃん?」


 と吉田。


「そうだけどさー、それとこれとは話別だろ」


「わかってるって。私だってもう一回でいいからマチさんとやりたいし。文化祭一曲でいいから出てくれればいいんだけどねー。ギターやらなくてもいいし」


「だな……まあ打診だろ。それくらいなら練習必要ないし。あっちの親だってんななんも言ってこないだろうし。バレてもそれくらいなら、だけど被んのは全部マチさんだかんなー」


「まーまーお二人さん、去った人間のことはそれくらいにしといて。現実三ヶ月、一ヶ月しかないってわかったんだから今はその未来のことだけ考えときましょうよ。実際時間ないわけだし」


 と古石が言う。


「そうだね……じゃあさっそくやろっか! スタジオ時間も限られてるし!」


「こいつのせいでだいぶ削られたけどな。んじゃキモオタ、私ら通しでやっからちゃんと見とけよ。自分のパート見ながらよ」


「は、はひ!」


 そうしてようやく『yacell』のスタジオ練習が始まった。



     *



 練習後。


「お前スクワイヤーのストラトなんだな」


 と外田が言う。


「あ、はい」


「なんつーか普通だな。ぶっちゃけイメージと違うけど」


「そ、そうですか……?」


 土井はそういい自分のギターを見る。スクワイヤーのストラトキャスター。色は「クリーム色」に近いアークティックホワイト。この色が黒を好むキモオタに似合わないということだろうか……


「ある意味堅実っつうか、逆にオタク臭いのか。それ新品でしょ? 自分で買ったの?」


 なんで会った初日でそこまで言われなきゃいけないんだろう、と思いつつも答える。

「そうですね」



「金持ってんな……」


「いや、まあちょっと……外田さんのはギブソンのレスポールですけど」


「これは借りもん。ギターなんて高校生がそうそう買えるもんじゃないだろ」


「そ、そうですね……吉田さんのは、ベースは全然詳しくないんでわからないんですけど」


「私のはねー、フェンダーのAJB_DX!」


 と吉田が掲げて見せる。黒のボディで使い込みが激しく、一番下のノブにいたってはテープで固定されている。


「そうなんですか……すいませんフェンダー以外わからないですね」


「ベースはそうかもねー。AJBっていうのはエアロダイン・ジャズベースだったはず。私のこれもお古なんだー」


 借り物にお古ということは、二人共家族や親族に音楽経験者がいるのかもしれない、と土井はなんとなく想像する。


「ま、とにかく帰ったらちゃんと練習しとけよ。全体で合わせられるスタジオ練習も限られてっからな。これから寝る時間も削って練習だぞ」


 と外田が言う。


「は、はい!」


「それとは別に人前慣れる練習も必要だよね。色々考えとかないと。まー大丈夫っしょ。うちらがついてるからさ!」


 そう言って笑いかける吉田。土井は思わず何度目かわからないオタクスマイルを浮かべ「ふひっ」と漏らさざるを得なかった。


「お前そのふひやめろ。マジでキモいわ」


「は、はい……すみません……」


「それとそのオドオドしてキョドって敬語でしゃべんのもやめろ。むかつく」


「はい……」


「……それとよ、今一度ちゃんと忠告しとくけど」


 外田はそう言うとずいと顔を近づけ、土井の胸に指を突きつけ小声で言う。


「ぜってーサークルクラッシャーみたいな真似はすんじゃねーぞ」


「……は、はい……」


 サークルクラッシャー……それはつまり、この俺がオタサーの姫……ってこと?


 いや、ない。ないことはわかっている。それでも人生においてそのような立場に置かれたことはない。そもそもこれだけ女子に囲まれているという状況がありえない。経験がない以上そもそもどう振る舞えばいいかなどわからない。わからないのだからクラッシュなど起こしようがない。いや、わからないからこそ無意識にクラッシュを起こすのか……人間関係など経験がない以上、何が引き金になるかもわからない。知っているのは色恋沙汰ということ。そしてわかってはいるが、古石の言う通り自分が好かれる立場などありえない。このようなありえない状況下であっても、それくらいの判断はできるくらいには正常である。だから問題は自分。自分が、何も起こさないこと。誰も好きにならないこと。


 ――て言っても、このコミュ障キモオタに吉田さんを好きになるなというのは無理があるでしょ……


 土井は頭を抱える。しかし外田のあの睨みつける目を思い出すと恐ろしさに間違っても好きになってはいけないと縮み上がる。それに自分自身、そんな理由でこのチャンスをぶち壊したくない。自分が、ようやく、好きな音楽で、得意な音楽で、人と関われるチャンス。人前に出られるチャンス。人に認められるチャンス。


 それにしても、と土井は思う。外田さん、怖すぎる。ヤンキーだ。こういうのはパワハラなんじゃないだろうか。女子とか関係なく本当に怖い。けれども、不思議とその対応に怒りや不快やストレスを感じることはない。ただ慣れずどうすればいいかわからず怖いだけ。どれだけ強かろうと、自分にとっては同年代の女子。しかもかわいい。自分に話しかけてくれるだけで、それは天女のような存在であった。


 とはいえ、さすがにこの調子でずっと怒られていてはきつい。コミュ障はともかくバンドの部分では早く認めてもらわなければならない。そこで結果を出せば対応だってもっと柔らかくなるはずだろう。メンバーだと認めてもらえるだろう。


 練習をしよう。練習。ただひたすらに練習。それは別に今までとなんら変わりない。今までの生活との違いなどない。目標の曲を、完璧に弾けるようになるまでひたすら練習する。自分の日々など、それしかなかったではないか。


 そのおかげで今、自分はここにいるんだろ。


 帰宅後。土井はすぐさまスコアを広げギターを手に取った。そうして一人弾き続けた。何時間も、何時間も。音を出さなくたって、頭でそれを聴くことができた。



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