12
文化祭まで残り一週間となったその日、ようやく、そして「初めて」の南戸合流の練習となった。歌うのは二曲。元々は自分が作った思い入れのある曲一つであったが、土井の頼みもあり新曲も。そちらは短いパートとはいえ新曲なので仕上げを徹底し。
土井にとっては南戸が歌っているところ、南戸が一緒に「バンド」をしているのを見るのは初めてであった。みなに歓迎されているのは当然として、そこにはブランクなどない一体感がある。南戸がみなに本当に愛されていることがわかる。それを見るとやはりどうしても疎外感、本当なら自分ではなく南戸がここにいるべきだ、ということを感じてしまう。みなもそれを望んでいる。自分は余計なのだと。
けれども、実際問題南戸はバンドにいない。今後どうなるかはわからないが戻らない可能性のほうが高い。それはみんなわかっている。しかたがないと受け入れている。自分は代わり。代わりだけど、代わりじゃない。代わりになんかなれない。
自分は自分で、自分の居場所を勝ち取る。実力で、認めてもらって、長い経験の中で、そこを勝ち取っていく。それしかないのだ。場違いなどというのは自分ひとりの妄想。いつも通りの呪いの言葉。そんなものに自分を支配されてはいられない。第一、人の本当の思いなど知るよしはないのだ。それは全部妄想だ。同じ妄想ならば、自分は真にここのメンバーになれるという妄想のほうがいい。もう十分受け入れられているだろう。そうも思うが、それとは別のケジメの話。自分はまだちゃんとバンドとして、前を向いてできていない。それをしてこそ。そして文化祭という一つの地点。目標。ターニングポイント。そこで完璧にやり切って、成功させて。それでこそ自分は、ようやく完全にこのバンドの一員になれるのだと。
迫る文化祭。練習は山ほどした。新曲もあらゆる点で完成に近づいている。演奏としてはもうなんの問題もない。あとは自分。自分の思い。自分の言葉。
削ぎ落とせ、削ぎ落とせ。痩せろ。余計なものを削ぎ落としていけ。恐怖を、不安を、不信を、緊張を。呪いの言葉を、そういう思考の体脂肪と戦い、燃焼させ、消し去れ。そうすれば本当のことだけが残る。真の自分だけが残る。
音楽と自分だけが残る。
だからそこにいくために、土井はひたすら音楽の中に埋没した。それ以外存在しない世界。それだけの世界。それだけ、それだけ、ソレダケ……
そして文化祭前最後のライブがやってきた。
*
文化祭ライブの二日前。ライブハウスでの、ちゃんとしたライブとしては一ヶ月ぶり。久しぶりのような気もするし、つい昨日のような気もする。けれどもこの一ヶ月で積んだ経験は、練習は十分であった。もちろん本番の経験は少ない。人前でということではほとんどできていない。けれども練習は、そして作曲は大きな自信に繋がっていた。ライブ前にはジョンさんの店で散髪もしてもらい、この二ヶ月ですっかり伸びたサイドも刈り上げてもらいばっちりマンバンヘアを作り上げる。外見から入るというのも、土井にとっては大きな力になる。
ステージに立つ。深く深呼吸をする。今度は初めから前を向いて。嫌でも観客の存在が視界に入る。観客の存在を全身で感じる。緊張はもはや反射のようなもの。梅干しを見てよだれが出るのと同じ。長い年月で体に染みついたもの。それはもうしょうがない。それにどう対処するかだけ。呼吸。ただ呼吸だけを意識する。集中するため、不安を消し去るため。自律神経を整えるボックスブリージング。緊張と戦うためネットで探して見つけたその方法。四秒吸って四秒止め、四秒吐いて四秒止める。その繰り返し。米軍の特殊部隊も射撃の前に落ち着くためにやるという呼吸法。ただ呼吸だけに集中し……
そしてライブが、始まった。
最初は下だけを見る。下というより手元。機材。なるべく客は視界に入れない。やっていればノッてくる。温まってくる。削ぎ落とされていき、言葉がなくなる。我を忘れていく。そうすればもう緊張など、不安など、恐れなど……
そうして歌唱パートがやってくる。土井は、顔を上げた。
視界に入る客、客、客。人間たちの顔の群れ。瞬間ゾッとする。けれども見ない。そんなものは見ない。見る必要はない。そんなものは関係ないのだ。音楽には、なんの関係もない。
土井は一度目をつぶり歌う。そうだ、音楽だけを見ろ。音楽だけだ。そこにあるのは音楽だけ。人間の顔でも言葉でもない。人がノッているのは音楽があるから。だからその目で捉えるのも、目には見えるはずのない音楽だけ。誰も自分など見てやいない。みな音楽しか見てないし、音楽しか聴いていない。そこは同じだ。同じなんだ。そうやってこの場は、みんなは、一つになってるんだ。それこそが音楽で、ライブだから。
土井は目を開ける。先を見る。壁を天上を。そうして意を決し人の群れを見る。
その目には、確かに音楽が見えていた。
これ、これだ。すごい。自分の、自分たちの音楽で、ライブでこんなに盛り上がって。人々が音楽としてそこにある。そういう環境、そういう時間。自分のギターで、自分の歌で、みんながこんなにも盛り上がって……
受け入れられている。認められている。けれども多分最初からそうだったのだ。自分だけが見ないようにしていただけで。最初からそれは、そこにあったのだ。自分がひたすらに目をそらし逃げていただけで。
自分は最初からこの場所にいたし、最初からここにいてもよかったんだ。音楽をするから。音楽をする限り。音楽が、ある限り。
笑みが溢れる。笑みが張り付いてゆく。いつものキモオタスマイルとは違う、狂喜の笑み。心の底から湧き上がる笑み。
見える、見えてくる。見てなかっただけだから、ちゃんと見てそこにあるから、見えてくる。いつものメンツがいる。いつメン。高井さんが、人間さんが、上津さんが。いつもの「三バカ」がノリにノッて暴れている。その表情に嘘などない。奥馬さんと代々木さんもノッている。笑顔で拳を突き上げている。そして壁際には後方腕組み彼氏面といったジョンさん。いつものようにジェントルを気取っている。しかしその頭は、体は揺れているのが確かにわかる。その山高帽の下にある笑みも。あの店長だって、最初は懐疑的でこいつでほんとに大丈夫かよと見てた店長だって、舞台袖で感心するように笑みを湛えている。
いいのだ。これでいいのだ。自分はできるのだ。確かにここにいるのだ。だからもっと、歌え、叫べ、かき鳴らせ。もっと自由に、全部を見ろ。
ステージの上、仲間たち。『yacell』。古石さんは他などお構いなしに暴れるように叩いている。外田さんは狂喜の笑みを湛えて没入している。吉田さんは、どこまでも笑顔だ。本当に、心底楽しそうに。
一瞬目が合う。笑いかけてくる。土井もそれに、笑顔を返した。
ありがとう。ほんとにありがとう。俺をここに連れてきてくれて。誘ってくれて。おかげで俺は今、こんなにも命を使えていて……
だから少しでもそのお礼に、俺は俺が今できるすべてを、ここに注ぎ込んで。
土井は、ようやく自分が本当にいるべき場所に帰ってきたような気がした。
*
「てことでお疲れ様のかんぱーい!」
高井がグラスを高々と突き上げる。ライブ後の打ち上げが近所の居酒屋で開かれていた。
「いやーよかったぜー土井―! 新曲もあれお前が作ったんだって? やるじゃんめっちゃよかったぜー!」
と土井の肩に腕を回しガハハと笑う高井。
「はい、ありがとうございます!」
「ああ! ちゃんと前向いて歌えてたしな! 声もばっちり、もう緊張なんてねーだろ!? 文化祭も大丈夫だな!」
「そうですね! ばっちりやりたいと思います! あ、そのウーロン茶多分俺です」
土井はそう言ってウーロン茶を受け取り、乾いた喉を潤すため一気に飲み込む。一瞬変な味がした気がしたが、ライブの後だし汗かいたし、などと深くは考えなかった。
そして十数分後。
「『懺悔』さん今日もまーじでかっこよかったすよー! あれ全部マジでやってんすかー? 犯罪自慢?」
「自慢じゃねーよ懺悔だよ! ホントのこと言わねえと懺悔じゃねーだろ! 本当の言葉だけがな、経験だけがみんなの心を震わせんだよー!」
「はっははー! ゆーてただのクズじゃないっすかー!」
「いうじゃねーかてめー! けど許―す! そんくらい今日のお前はすごかったー! かんぱーいい!」
「かんぱーい!」
「おうおうてめーあんなん文化祭で見せちゃったら一気に人気爆発モテ期到来じゃねーのー? どーすんだよ告られたらよーてめー!」
とすっかり出来上がっている高井も土井の背中をバシバシ叩きながら言う。
「いやーどうしますかねーマジでー。いっちゃいますー? やっちゃいますー?」
「言うねー童貞のくせに! おら先輩! 後輩に童貞卒業抜かれるぞテメーら!」
「俺は童貞じゃねーし!」
「どうせ風俗だろてめー上津ー! 素人童貞が威張ってんじゃねーぞ! てか無職のくせに風俗行ってんじゃねーよアホが! 金どうした!」
「無職じゃねーよバイトしてるし! 風俗はお馬さんのかけっこで当てた金で行くんだよバーカ!」
「トータルマイナスだろてめー! 土井―、こんなダメな先輩は見習うなよーマジで。金だよ金。安定したバンド活動のためにはさー。だからお前もこんなダメなプー太郎にならねえようにしっかり勉強して働けよー?」
「だーいじょうぶっすよ俺は! 金はあるんで!」
「なにーてめー金持ちか!? バイトでもしてんのかおい!? いいバイトなら紹介して!」
と人間。
「んなバイトなんか必要ないっすよーアホらしい。時代は動画っすよ動画。動画投稿! マジ金なるんすからー! ちょろいもんっすよ!」
などと言い土井はガハハと笑う。その様子を見ていた外田は、
「なんかあいつやばくねえか……?」
「キャラ変わりすぎだよねー。てか酔っ払ってない?」と古石。
「やっぱ? いや、でも酒飲むようなやつじゃねーし、あの酔っぱらい三人は、さすがにしてないと思うけどなあ……おい土井!」
「あーい? なんすかー?」
「お前まさか酒飲んでねーよな」
「さけー? んなもん飲むわけないじゃないですかー! ウーロン茶ですよウーロン茶! ウーロン茶しか飲んでませんってー!」
土井はそう答え何が面白いのか爆笑する。
「ウーロン茶……代々木さん!?」
「はいはーい」
と代々木が土井の飲みかけのウーロン茶を手に取り一口飲む。
「……ウーロンハイだね」
「マジかよ……やべーぞこれ……飲酒って、つか文化祭の前に……バレたら終わりじゃねえか! どうする!? どうするよおい!? 奥馬さん!?」
「……とりあえず水飲ませまくって覚まさそう。見たとこまだ一杯も飲んでないし、これ以上飲むのだけはなんとか防いで」
「吐かせられればいいんだけどあの量だとそこまでいくかな~」と代々木。
「とにかく隔離っすね! おい土井! こっち来い! 水がぶ飲め!」
「はい~? なんすか~外田さ~ん?」
などととろんとした目で返す土井。その横では高井たちがスマホを見ながら「嘘これマジ土井!?」「すげー!」「マジ女子じゃん!」などと騒いでいた。
「おうおうすげーよ土井! お前やっぱやるやつだったんだな!」
「これ俺も見たことあるやつだし! マジ女子だと思ってたわ!」
「これいくらよ金! この再生数で! ちょっと貸して!」
「ははは! いいっすよーいくらでも貸してあげますよー。俺はこれからビッグになるんですからねー!」
「何騒いでんだよバカが! バレたらマジやべえんだぞ! 大人しくしてろ! てか酒弱すぎんだろお前!」
「なに熱くなってんだよソラー。それよかお前もこれ見た!? てか知ってたん?」
「なんすかトビさん今それどころじゃないんすよ」
「なんだとテメー先輩に向かって! いいから見ろ! 目に刻め土井のその雄姿を!」
と高井はスマホの画面を外田の顔に押し付ける。
「わかりましたわかりましたから離れてくださいよ! なんなんすかマジで」
外田はそう言って高井の体を押し離しスマホの画面を見る。そこに映っていたのは、アニメキャラのコスプレをしてギターを演奏し歌う人の姿だった。その首から上は映されていないので見えないが――しかしそのギターは、明らかに見覚えがあった。
「――なんすかこれ」
「だから土井の雄姿だっつーの! マジすごくね!? 再生数見ろよ再生数!」
「え、いや、ちょっと待ってください。土井の雄姿って、これ土井なんですか?」
「そうそう! すげーよな! てかやるー! 女装コスプレってマジハードだろ! というか完全に女のフリしてっからネカマだけど! 足の毛まで剃ってさ! てかこんなんやってりゃそりゃ女声出せるよな! ただもんじゃねーと思ってたけどマジでただもんじゃなかったわこいつ! マジでやべえ! 土井! お前ほんとすごい!」
高井はそう言って土井の背中をバシバシ叩く。その横では『懺悔』の二人が「お前らもこれ見てみろって!」とさらに他の人々にも「布教」していた。
「……え、土井。これマジでお前なの?」
「そーっすよー。マジ人気出ちゃってやばいんすよー! めっちゃ金入るしみんな本気で女子だと思ってますしー! ほんとサムネ女子のコスプレにするだけでこれっすからね! マジちょろいっすよー!」
そう言ってヘラヘラ笑う土井。
「どったのよソラ。何が土井だって?」と古石。
「……これ」
「どれ……わーお」
「……ヒデコ、お前もしかしてこれ知ってた?」
「あー、いやー、まあそのー、で、でも別にわざわざ言うことじゃないじゃん!? そもそも土井が隠したがってたし!」
「それはいいけど、てか普通隠すし。でも今全部自分でバラしてんじゃねえか。おい土井、ってもう寝てるし」
土井はいつの間にかその場に倒れ大口開けて眠りこけていた。
「マジ酒よええなこいつ……まあこれ以上悪化しなくてよかったけど。てか問題はこっちだよ。マジどうする? カワさん、どうしたらいいっすかねこれ」
「とにかく物的証拠残さないために一旦隔離だな。写真なんか撮られてるとマズイし。寝ちまったもんは仕方ないからとりあえず放置で、そんな飲んでないから熱中症とかは大丈夫だと思うけど。親にバレても当然マズイんだよな」
「そりゃそっすよ」
「じゃあ帰るまでになんとかするか泊まりにするか……とりあえず起きたら水飲ませまくって、銭湯行ってサウナぶちこんで全部流して、だけど、男子っつうのがなー……」
「あのバカ二人には任せられないしね~。余計状況悪くなりそうだし、それ以前にまともな対応ができるわけがないし~」
と代々木は絶賛酔っぱらい大騒ぎ中の『懺悔』の二人を見る。
「まともな大人の男の人に頼むしかないけど、二択だな」
奥馬と代々木はそう言い、顔を見合わせるのであった。
*
土井が目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。起きた瞬間、状況がまったく理解できない。ここは、というか自分は……
若干の気持ち悪さがある。喉が渇いている。無性に水が飲みたい。そうして体を起こすと、
「おう、起きたか」
そこにいたのは、ライブハウスの店長だった。
「――え、っと……」
「ちょっと待ってろ。奥馬―。こいつ起きたぞー」
「はいはーい。ありがとうございます」
そう言い、奥馬も土井の視界に表れる。
「起きたか。とりあえず水飲め。ガブガブ飲め」
と水の入ったコップと大きなペットボトルを差し出す。
「あ、はい。ありがとうございます」
そう答え、一気に飲み干す土井。飲めばなおわかるが、体が水分を欲している。恐ろしく水分を欲している。ズキン、と少しだけ頭痛がした。
「量は大事だけどゆっくりな。あと一応これも」
「なんですかこれ?」
「薬。漢方薬か? とりあえず二日酔いとかのだよ」
「二日酔い……?」
「土井どこまで記憶ある?」
「記憶……えっと、ライブして、打ち上げ……あれ、打ち上げ?」
「そこまでか。お前酒飲んで潰れてたんだよ」
「酒? え、いや、僕酒なんか飲んでませんけど!?」
「ウーロン茶飲んだろ?」
「あ、はい、多分……」
「あれウーロンハイだった。多分誰かのと間違えたんだろ。もしくは店が間違えたか。まあ事故なのは間違いないと思うよ」
「え、あれお酒だったんですか……?」
「そ。でも一杯だけ、それも四分の三くらいだったからね。そんな飲んでないから大丈夫だとは思うけど、でもそれであんだけ酔っ払ってたしな。すぐ寝たし。まあすぐ寝てくれてこっちも助かったけど。とにかくお前めちゃくちゃ酒弱いから成人なっても絶対飲まないほうがいいぞ」
「そうだったんですか……」
「ああ。それでまあ当然飲酒だしな。学校や親にバレたらやばいだろ。いくら故意じゃないっていってもさ。こっちとしてもああいう場で未成年飲酒発生しちゃやばいし。とりあえず隔離ってことで近いからここまで運んできた。わかるだろうけどここライブハウスね」
「あ、はい……」
「あそこにそのまま置いとくわけにもいかなかったからさ。写真なんか撮られて証拠残されたらアウトだし。でまあ一応私が着いてきて、んで男の店長にも無理言ってついててもらって」
「そうだったんですか……あの、店長さん、ほんとに申し訳ありません」
と土井は深々と頭を下げる。
「いいよ。こういうの、酔っぱらいの相手なんてよくあることだしな。お前の場合は事故なんだからしょうがねえだろ。そういうのみるのも大人の責任だ」
「はい……ありがとうございます」
「で、こっからの話とか補足。まず残りの三人、ヒデコたちはもう帰ったよ。あっちはイツチに任せてな。高校生だし。それでお前の方だけど、とりあえず親にバレんのはマズイだろ。もう酔いからは醒めてるだろうしあの量なら酒臭いとかもないだろうけど、服にだって臭いは残るし一応な。そういう証拠になりそうなもんは全部なんとかしたほうがいいからさ、とりあえず着替えて服はこっち残して」
「今の服はこっちで洗っといてやっからよ。着替えも一応あっからな。忘れもんだのなんだのが大量によ。パンツまでありやがんだよ」
と店長が言う。
「それでとにかく水分とりまくって、銭湯行って汗流して出しまくる。サウナとかな。そういう流れだけどオッケー?」
「はい……その、何から何までありがとうございます。ほんとにご迷惑おかけして申し訳ありません」
「いいって。こういうのが年上の役目なわけなんだし。みんなそうやって受け継いでくわけだしね。あんただって好きで飲んだわけじゃないんでしょ?」
「はい……その、そういえば確かに味が変だった気はするんですけど、でも自分お酒なんか飲んだことなかったんでわからなくて、それにそんなに、多分強くなくてあんまりお酒って感じもしなかったですし……」
「こっちもちゃんと確認してなかったのが悪いからな。みんなの責任だよ。ま、そういうことだからここからは男の店長にバトンタッチ。私も帰るから。っとそのまえに悪いけどさ、さすがに親には連絡しとかなきゃいけなかったからあんたのスマホ指紋認証勝手に使って親にチャット送っといたから。確認してもらえればわかるけど汗かいたし友達と一緒に食事して銭湯行ってから帰ります。大人もいるので大丈夫です、とか書いて送っといたから。勝手して悪いけど」
「いえそれは、逆に助かりました。ほんとにありがとうございます」
土井はそう言い再び深くお辞儀をする。そうしていると店長が立ち上がった。
「んじゃ行くか。遅くなるとヤバいしな」
店長はそう言ってビニール袋をばさっと投げ置く。
「銭湯行くぞ。その前に着替えだ。着替えたもんはそん中入れとけ。こっちで洗っといてやっからよ」
そう言い、店長と奥馬は部屋を出るのであった。
*
着替え後。土井は店長が運転するハイエースの助手席に座っていた。目指す先は銭湯。そしてそのまま車で家まで送ることになっていた。
夜の町中を走るハイエース。静寂が広がっている。
「窓全開にしろ。悪いがタバコ吸わせてもらうぞ」
店長はそう言い窓を全開にしタバコに火をつける。
「臭いつくかもしれないけどこんだけ窓開けてれば大丈夫だろ。一本ならよ」
「そ、そうですね……」
土井はひたすらに気まずさを胸に抱えながらもそう返す。
「……まあ色々気まずいかもしんないけどよ、あんま深く考えなくていいぞ。こっちだって風呂ついでだしな。俺だってお前らの文化祭ライブは応援してるしよ。こんなんで台無しになってこの三ヶ月の苦労が水の泡じゃやるせねえだろ」
「はい……ほんとにありがとうございます」
「ああ。今日のライブもな、すげえよかったぞ。ほんと目を見張る成長だよ。たった三ヶ月でよ。まあ元々腕はあったけど、気持ちの方が変えるのは難しいしな。俺も最初お前見てほんとにこんなオタクみたいなので大丈夫かよって思ったけどな。やっぱガキの成長ってのはわかんねえもんだよな」
店長はそう言ってハッと笑う。
「思ったよりずっと根性あったよお前は」
「ですかね……自分はただ、やっぱり音楽が好きだってそれだけだったと思いますけど……」
「それわかってるしそれがあるだけ十分だろ。それさえあればこの先もなんとかなるんじゃねえか。それとは別に女ばっかのとこってのはなかなかキツイだろうけどよ」
店長はそう言い、銭湯の駐車場に車を入れるのであった。
銭湯の浴場の中。こうして人と銭湯に来たことなどない土井には戸惑いがある。マナーとしてどう振る舞えばいいのかわからない。それは単純に「一緒に来た人と行動を共にすべきか」ということ。しかし店長の方は土井など待たずさっさと入り自由に行動していたため、自分も自分のペースで回ることにする。とにかく水を飲むことだけは忘れず、長くお湯に浸かり汗をかく。そうしているとたまに店長が隣にやってくることもあったが会話などなく、沈黙が二人の間に流れていた。それはサウナの中でも同じこと。他の客もいるとはいえ、密室の中でただ沈黙だけが二人の間にはある。
そうして風呂も上がり、再びハイエースに乗り帰路につく。
「――今日は本当に、ありがとうございました。大変お世話になって」
「気にすんな。俺もよ、まあこういうもんかって思ったからな」
「……といいますと」
「……俺にもよ、一応お前くらいの子供がいてな。つっても女だし離婚してっからたまにしか会わねえけど。でも男だったらこうやって一緒に風呂はいることもあったかもなって思ってな。ま、自分の子供はもっと男らしいやつのほうがいいけどよ」
「はは、それは、そうですね……」
「ああ。けど俺と同じで音楽好きで音楽やってくれてりゃそれでいいって気もするけどな。お前の新曲もよかったぜ。俺はもっとハードコアな方が好みとはいえよ」
店長は運転しながらそう言う。こういう、家族とかとはまったく異なる大人と会話するということも、今まではありえなかった。あのまま生活していればそんな経験もなかっただろう。こんな二人きりで、車に乗って、銭湯に行って……それはとても不思議なことのように思える。想像もしなかった、ありえなかった未来。それがほんの少し変わっただけで、バンドを始め外に出ただけで、大きく変わった。自分一人では、絶対にありえなかった未来。
「家ここか?」
「あ、はい、そうです。ありがとうございます」
「いいってことよ。お前もよ、明後日、正確には明日か? いや、ぎりぎり日付変わる前につけたな。とにかく文化祭がんばれよ。俺は見に行くことはねえけど応援してっからよ」
「……はい。本当にありがとうございました」
土井はそう言い、車を降りる。こんな深夜の帰宅。そんなことも、自分の生活に起こりうるとは思ってもいなかった。そもそも酒を飲むことだって、そうして潰れることだって……
何かを忘れているような気もした。とはいえ忘れていることしかない。打ち上げの記憶、酔っている時の記憶は一切なかった。それを恐ろしいとも思う。知ってはいたけど、酒とはこういうものなのか。完全なる記憶の欠落。その間、自分は一体何をしていたのだろう……
土井はブルッと震える。記憶がないってこんなに怖いことなのか。自分は絶対お酒は飲まないようにしよう。そう誓い、家に入るのであった。




