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それから二週間。土井の曲作りは「難航」していた。メロディは浮かぶ。フレーズは浮かぶ。それは次から次へと。それらを組み合わせたりしつつ、ある程度一曲分の形にもなる。けれども「納得」という点では程遠い。
元来「完璧主義」。しかしそれは完璧主義とは少し違う。自信がないゆえの「完璧じゃないと怖い」という恐怖感。バンドを始め薄れてきたとはいえ、長年の経験で体に染み付いたものはそう簡単には拭えない。動画投稿の時もそうだった。完璧でなければ恥ずかしい。完璧でなければ叩かれる。だから徹底して練習して完璧に仕上げてから動画を上げた。それは自分で許せるかどうかではなく、他者の目、他者からの評価に対する不安。恐怖。それを基準にした行動。恥はかきたくない。できないと恥ずかしい。ただでさえ何もできないダメな自分。これまでも散々けなされてきた。それを唯一得意な音楽でも、好きな音楽でも叩かれたら、けなされたら。認められなかったら、その時は完全に折れてしまう。自分から何もなくなってしまう。その恐怖。
経験がないがゆえの不安もある。ギターはいい。ピアノはいい。客観的で絶対的に近い正解というものがある。練習すればするほどうまくなり、正解に近づける。でも作曲は、そうではない。正解などない。誰もそれを教えてくれない。提示してくれない。暗中模索。自分で探っていくしかない。そしてある程度の所まで来たら自分で「完成」とするしかない。
これでいいのか。これで大丈夫なのか。本当にいいのか。間違っていないか。絶えず不安がつきまとう。確認のために何度も聴き返すが、聴き返すたびにわからなくなっていく。何が正解なのか。何もわからない。答えなどない。一人では、答えなど出せない。
あらためてみんなはすごいと思う。ただ曲を作れるだけではない。「完成」させられる、その能力。完成を決められる能力。ここと決めて離れられる能力。そして何より、「これでいい」と自分自身で認められるその自信。
自信がない。結局自信。その自信はどこから生まれてくるのか。成功体験。できると思えること。できることには、自信を持てる。経験があることには自身が持てる。けれどもそれ以外は。何故なら、それ以外のすべては失敗の経験しかないから。それ以外の経験はすべて失敗と紐付けられているから。新しいことへの挑戦。思えばそんなことは、ここ何年もしてこなかった。失敗が怖くて、恥をかくのが怖くて避けてきた。挑戦から逃げてきた。
バンドは少し違う。バンド自体は経験などない大きな挑戦だったが、けれどもそこでやること、ギターに歌は経験のあることだった。ただやる場所が違うだけのようなもの。そして何より、仲間がいた。しかしこれは一人の戦い。全部自分で背負うもの。わからない、できないが蓄積していく。
それは歌詞においてはより如実だった。歌詞は、全然できない。わからない。何が正解なのか。そもそも歌詞を書くという行為、自分の言葉を形に外に出すというのは、恐ろしく勇気のいる行為だった。ひたすらに恥ずかしい。何を書いてるんだ自分は。こんな言葉、とてもじゃないが誰にも見せられない。
土井はずっと本音を避けてきた。自分の言葉など、思いなど、まったく口にせず生きてきた。自分なんかが何かを言っていいわけがない。何を言ってもバカにされる。自分の言葉は自分自身そのもののようなもの。それを否定されたら、拒絶されたら……考えるだけで恐ろしい。心が折れてしまう。二度と立ち上がれない。自分自身を、自分のすべてを否定されてどうやって生きていけばいいのか。
そもそも自分に言いたいことなんてほんとにあるのか? 歌詞にしたいことなど。何を書けばいい? 何もわからない。浮かんでこない。書いては消し書いては消し。こんな言葉が、本当に自分の思いなのだろうか。そもそも自分の思いなんてものはあるのか? 自分の考えなんて。考えれば考えるほどわからなくなる。考えないことが正解なのかもしれない。けれども考えない限り、何も浮かんできやしない。
一体みんなはどうやって歌詞を書いているのだろう。どうして歌詞など書けるのだろう。どうして自分に、自分の言葉に自身を持てるのだろう。「それを言っていい」と思えるのだろう……
そう、みんな。みんなだ。みんながいる。自分は一人ではない。バンドは、一人ではない。ならば、作曲だって一人じゃないはずだ。一人でやるものでは、ないはずだ。
恐怖はある。恐ろしい。バカにされたら。否定されたら。恥をかいたら……もちろんあの三人に限ってそんなことはありえない。それでも受け入れられない、認められない、否定される、ということはありえる。それはバンドのため。バンドのことを考えれば。それは十分にある。そうなった場合、自分は、どうなるだろうか……知らないことは恐ろしい。悪いことしか想像できない。
それでもやるしかないのだ。いつかは最初の一歩を踏み出すしかないのだ。そもそも自分ひとりで答えを出せないから頼るしかないんじゃないか。どうであれ、いつかは聞かせるんだ。
それでもこれまでと違う一歩を踏み出すには、恐ろしく勇気がいった。
*
夏休みも明け、久しぶりの学校。一応は「夏休みデビュー」をした土井であったが、それに気づくものなど一人もいなかった。それは無理もなく、見た目はたいして変わっていない。学校ではメガネはそのまま。髪も下ろしている。毛量が多少減った程度でありビジュアルに大きな変化はない。そもそも誰も土井のことなど見ておらず、気にかけてなどいない。友達は一人もいない。クラスには話す相手もいない。バンドのメンバーはみな他のクラスだ。
土井はそこではいないも同然。何も変わらない。何の変化もない。自分の生活と、あのライブハウス、スタジオ、それらとはまったく異なる場所。異なる世界。自分は結局、何も変わらない。何者でもない。何者にもなれない。ライブから離れ作曲で行き詰まっていることもあり、以前のように余計な言葉に、呪いの言葉に支配される。そういう言葉ばかりが頭に浮かぶ。誰とも話さないから尚更浮かぶ。やることもないので作詞や作曲を考える。でもうまくいかない。うまくいかなければなおさら余計な言葉ばかり浮かんでくる。そもそもこんなところ誰かに見られたら何を言われるか。何を思われるか。自分はここでは誰でもない、ただの根暗でコミュ障のキモオタなのだから。
放課後、久しぶりに自分というものがなんなのか「思い出させ」られた土井は一人意気消沈といった具合にうなだれながら昇降口を出た。そこで、
「あ、南戸さん」
メガネをかけた女子生徒、先輩の南戸を見かけ思わず声が漏れていた。
「え? ――あ、もしかしてだけど、土井くん?」
「あ、はい、そうです。前に一度だけお会いしましたけれど……」
「あーうん。あの時と違いすぎたからちょっとびっくりして」
「あ、そうですよね。すみません……」
土井は思わず頭を下げる。
「いいよ全然。謝るようなことじゃないし。こっちこそ気づかなくてごめんね」
「いえ、当然ですし。自分は学校じゃこんなんですし……」
「あ、そっか……」
「はい……なんかすみません……あの、南戸さんは今から塾とかですか?」
「あ、うん。私もせっかくだから土井くんと話したかったしちょっと歩こっか」
「え、いいんですか? 僕なんかと」
「もちろん。僕なんかじゃないよ全然」
南戸はそう言って笑いかけるのであった。
「それでどう? バンドの方は。文化祭いけそう?」
「はい、なんとか。一応それには間に合いそうです。みんなその、すごいんで」
「そっか。みんなとはうまくやれてる? 女子三人のところに入るなんて大変だろうからさ」
「そうですね……最初は大変でしたけど、でもみなさん優しいですし、今はもう全然。外田さんは最初はかなり怖かったですけど……」
「はは。確かに男子には厳しいかもね空ちゃんは。でもすごくいい子だよ。向上心もすごいし。私はギターで一緒だったからすごい助けてもらったしね」
「あ、そうですね……あの、南戸さんはどうしてギター始められたっていうか、あのバンド入られたんですか?」
「あー、それはね……私もちょっと土井くんに似てるんだけど、土井くんの話は少しだけどみんなから聞いてるからさ。私も小さい頃からピアノやってて。それで中学の時は合唱部に入ってたんだけどね。ピアノも好きだけど歌うのも好きだったし。そこのかっこいい、憧れの先輩がさ、ギターやってて。それですごく憧れて私もギターやりたいって思って。それでまあ最初はずっと一人でやってたんだけど、やっぱり自分も仲間っていうか、そっちの友達も欲しかったし、歌うのも好きだったからさ……その先輩が高校入ってバンド入って、それ見てやっぱりかっこいいし自分もやってみたいって思ったんだけど、私もそんな社交的じゃないしどっちかっていえば引っ込み思案だからなかなか踏み出せなくて。でもそういう話先輩にしたらさ、後輩にいい子たちいるから紹介してあげるよって。同じ学校だし年下ならあんたもやりやすいんじゃないのみたいに言われて。それで勇気出してあってみたんだけど、それがあの三人でね。みんなすごくいい子で、私のこと受け入れてくれて」
南戸はそう言って笑う。
「そうやって入ったんだ、『yacell』に」
「そうだったんですか……あの、南戸さんは医大目指して勉強してるんですよね。その受験勉強のために辞められたって聞いてますけど」
「うん」
「……その、後悔というか、やっぱりほんとはバンド続けたかったりしますか……?」
「……それはね、もちろん。できるものならずっとやりたかったよ。でもさ、自分で選んだ道だから。困難な道を選んじゃったからね。それはもうしょうがないよ。自分の学力っていうか頭はわかってるし。ほんとにがんばらなきゃ届かないことだからさ。バンドとの両立っていうのはもう、絶対できないだろうなあって」
「そうですか……」
「うん。やっぱりどうしても成績の伸び悩みとかあったからさ。うちは親も医者だし、姉も医大受かってて。今まではほんとに頼み込んでなんとか認めてもらってたけどさすがにね。でも別に親に言われてるから医大目指すわけじゃないよ。私子供の頃結構大きな病気しちゃって、その時入院とかもしてたんだけどその時すごく小児科の先生にお世話になったからさ。だから自分も同じように小児科の先生になりたいって思って。それはもう、ほんとに私の夢だから」
「そうだったんですか……すごいですね、自分の夢がはっきりしてて。自分なんかもう高二ですけど、まだ全然何もないですし……」
「そっか……もしかしてなんか悩んでたりする?」
「え?」
「いや、なんかあった時すごくうつむいてる感じだったから」
「ああ、そんなにわかりましたか……でも南戸さんに話すようなことでもないですし、お忙しいでしょうし」
「いいってそれくらい。時間はあるしさ。私だって先輩で君の先代なんだから。もしその悩みがバンドとかと関係あるなら一応私にも原因っていうか責任あることだし」
「そうですか……? すみません、ありがとうございます……実は今、作曲とかをしてるんですけど」
「ああ、なるほど。そりゃ悩むか」
「はい……まあ本格的にやるのは初めてなんですけど、もう何が正解かわからないっていうか、ほんとにこれでいいのかってすごく思って。もう自分でもいいのか悪いのかもわからなくなっちゃって。曲なんかまだいいですけど、歌詞なんてほんとにもう全然書けないですし、自分なんかが書いていいとも思えないですし……」
「そっか……初めてなんだもんね。多分みんなぶつかる壁だよ」
「そうでしょうか……あの、南戸さんは作曲も、作詞もしてたんですよね」
「うん、一応ね」
「その、どういうふうにやってたっていうか、どうやって完成させてたんですか?」
「私はね、とにかくみんなに見せてたかな」
「みんなに?」
「うん。曲も歌詞もそうだけど、初めから自分一人でできるわけ無いと思ってたし、自分ひとりでやるものだとも思ってなかったから。みんなに聞いてもらって、そうすれば意見もらえて正しい答え、完成に近づけるし。土井くんはみんなに聞かせた?」
「いえ、まだです。それ以前の問題っていうか……」
「でも一人じゃ煮詰まってるんだよね。煮詰まるっていうか行き詰まるだけど。じゃあなおさら聞いてもらうべきだよ。そうしないとわからないところまできたってことだろうし」
「……でも未完成で自分でもわからなくてダメかもしれないようなものを見せてもいいんでしょうか」
「それを決めるのは土井くんじゃなくてみんなだしね。受け入れてもらえなかった時が怖い?」
「……はい」
「大丈夫だよ、あの子たちはそんなことしないから。どんな曲だろうとみんなでそれを良くしようって力尽くしてくれるし。もっとみんなを信じなよ。みんなも、自分もさ」
「……はい。そうしてみます。どのみち自分じゃもうわからないんで。ただ歌詞だけはその、ほんとにそのレベルじゃないっていうか、どうすればいいか全然わからなくて。南戸さんはどういうふうに歌詞書かれてたんですか? 思いつくっていうか。みんなの歌詞も手直しっていうか、ブラッシュアップされてたらしいですし」
「うん……私は結構小さい頃から詞とか書いてたからね。本読むのも好きだったし。ただ当然それを人前で発表するっていうのは別だけど。詞はね、もちろん思いつくっていうのは当然だけど、日頃からそういうのメモしてて、日記みたいにつけてて。これだけじゃ参考にならないだろうけど。
それを歌詞にして歌う、見てもらったり人に聞いてもらうっていうのはさ、最初はやっぱりすごく恥ずかしかったよ。こんなの見せられないっても思ったし。でも勇気出して、みんなに見てもらってね。それで褒められて、受け入れてもらえて、そうすれば自信もついたし。
一番はさ、ほんとのことだけを書くんだよ。ほんとのことだけ。本当の、本物の言葉だけ」
「本物の言葉、ですか……?」
「うん。自分が本当に信じてることだけ。自分が本当に、心から信じてることを。自分の本当の理想を。それを信じて、本気で信じて書くんだ。自分を信じるんだよ。自分の言葉を、感情を。その言葉で自分がほんとに感動するかどうかを。ほんとに感動するならさ、その感情を、本気で信じるんだ。そうすれば書けるし、見せられるし。何よりそういう言葉じゃない限り、本当に人の心を動かすことなんて無理だろうから」
「……自分の言葉を、感動を、信じてもいいんですか……?」
「もちろん。誰だって信じていいんだよ。誰にでもそれは許されてるんだから」
南戸はそういい笑った。
「それでもどうしても書けない時はさ、別に書かなくてもいいし。ほかのみんなに任せてもいいし、別にインストでもいいわけだし。いいんだよなんでも。だからとにかくさ、自分とみんなを信じてね。曲だって歌詞だって自分一人じゃなくてみんなで作るものなんだから。だってさ、バンドって、みんなって、『yacell』ってそういうもんじゃん」
「――わかりました。やってみます。それとあの、ほんとにもしお時間あったら、ご迷惑でなかったらで構わないんですけど、俺が書いた歌詞、南戸さんにも見てもらってもいいでしょうか?」
「もちろん。それくらいの時間はあるし、みんなの、『yacell』のためならね」
「ありがとうございます。多分どれだけ信じても、それでも単純に才能とか能力がなくて完璧な歌詞とか書けないと思うんで、その時はみんなと同じように、南戸さんに手直しをお願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろん。私でよければ」
「ありがとうございます……! 今日も、お話させていただいて、すごく助かりました」
「いいよこれくらい。私も少しでもみんなの助けになりたいからさ」
「はい……あの、何度も聞いて申し訳ないんですけど、やっぱり南戸さんはみんなとバンド、『yacell』やりたいんですよね……?」
「……うん、それはね」
「ですよね……あの、それでもできないっていうか、南戸さんが自分の道を選んだことは重々承知です。けどみんなも、あの三人も南戸さんとやりたいっていうのも、すごく思ってるはずです。勝手に代弁するのもあれですけど、ほんとにもしよければ、文化祭で一曲くらい、ほんとに歌うだけでもいいんで、一曲だけでもいいので一緒にやりませんか……?」
「そうだね……それは私も、みんなから声かけてもらってるし。実際それくらいなら大丈夫だし、やりたいと思ってるけど、でも土井くんはいいの?」
「俺は全然。というよりそれは俺の望みでもあります。俺だって南戸さんが歌ってるとこみたいですし、みんなと一緒にやってるところ見たいんで。それに俺は南戸さんの代わりにはなれないですけど、代わりになれるなんて思ってもいないですし、代わりになろうとも思ってないですし、俺は俺のできることを、俺は俺として、自分として、あのバンドの中に居場所を、自分自身としてそこに、いようと思ってるんで」
「そっか……『yacell』の新メンバーがさ、土井くんでよかったよほんと」
「そう、でしょうか……」
「うん。今ははっきりそう思う。まだ何も見てないけど、すごく楽しみになってきたし。私の方もさ、一つお願いっていうか、いいかな」
「もちろんなんなりと」
「はは。もちろんまだ何もわからなくて、全部不確定だけどさ、もし私がちゃんと大学受かったら、その時はまた私も一緒にやってもいいかな」
「当然です。みんなも喜びますよ。だってあそこは南戸さんの居場所で、南戸さんのバンドですから」
「ありがとう。ただほんと、何もわからなくてね。医大っていっても近くの受かるかわからないし。入れるところなんて限られてるからさ。学費考えてもできるだけ国公立のほうがいいし、そうなると入れるとこ受かったとこがものすごく遠いなんてこともあるから。そうなると今まで通り一緒にやるなんて叶わないし。それでもそういう希望があるだけで、全然がんばれるから」
「そうですね。たまにでも、帰ってきた時にほんとにたまにでも、みんなは絶対喜びますよ。俺だって大歓迎なんで、いつでも南戸さんの場所は開けて待ってます。いつでも、何がどうなっても。俺が言うことじゃないですけど、そこは多分永遠に南戸さんの場所だと思いますから」
「――ありがとう。文化祭まで、がんばってね。応援してるし、私も一緒にそこに立てるよう、がんばるから」
南戸はそう言って笑った。その顔は、太陽の日差しで光り輝いていた。




