12.夏・海・バンブービーチ 朝
夜が明けつつある。
空に色が差し、夜目の利く某に明かりが必要でなくなった頃。
広大なサークルマウンテン川に出た。なかなかの絶景にござる。
しかして、何かと絡んでくるエランがうざい。
「フッ。夜明け前の朝霧漂う川。凛々しくもあり、儚くもあり。ネコ耳によく似ている」
「黙って道を覚えておれ」
『フッ! ツンデレです』
「がんばれ、兄上!」
エラン以外は寝て良いと言っておいたのだが、皆起きておった。目を爛々と輝かせて。
『いえね、旦那と先生の仲が発展しないかってね。乙女の期待を込めてね』
「隙あらば刺そうと思っておる某が?」
「イオタちゃんはもう少し兄上に優しくして良いと思うの。はっ! これが噂のツンデレ!?」
「はっはっはっ! 何を仰るやらデイトナ殿。某とエランは友達でござるよ。黙らせる為に刃物を向ける程度に優しくしてござろうに!」
『そう、殺せば誰にも取られない。これがヤミデレ』
して――。
日の出の僅か前の朝霧漂う光景。なかなか出合うことは出来ぬ、珍しい景色でござる。
「なあミウラ、春はあけぼのと言われておるが、某思うに、あけぼのは夏でござろう? この時刻、この空気、この空の色。夏でなくてはこうはいかぬ」
『春は何ですかね?』
「春は寝坊にござる。或いはお布団。やうやう白くなりゆく山ぎは、まだまだ寒うて」
『では、秋が夜ですね? 虫の音の一つ二つ聞こえるとて。冬は雪。静寂なること、いふべきにもあらず』
「さすがミウラ。清少納言記にも通じるか!」
『恐れ入ります。13歳で修了致しました』
知性溢れるミウラ。その頃の某は、棒っ切れを振り回しておったぞ!
話戻して――、
進行方向左手が山で、右手がサークルマウンテン川でござる。川の向こう岸は開けておる。肥沃な田畑が広がっておるようだ。
『平野を少し戻ったところに蕎麦で有名なアウトストーンの町がございます』
「とろろで食べるアウトストーンの皿蕎麦か! 帰りに寄って昼飯にしよう!」
楽しみが増えたで御座るよ!
この川、海が近いお陰で流れがゆったりでござる。やたら川幅が広い。海に出るイカ釣り船まで係留されている。
町や街道と、川面がほぼ面一。ところにより土手より低い土地あり。水害が怖い地域でござる。
『実際、何年か前の台風で……野分けですね……、川が決壊しました』
やはり! お見舞い申し上げる!
して――、
海は目の前にござるが、馬車を山へと向ける。
つづら折りを上りきり、つづら折りを降りていると突然開けた場所に出る。海側にちょっとした広場が作られていた。
『海が見えます!』
未だ暗い海。遠くに、イカ釣り船の明かりが見える。
高台なので、水平線が弧を描いて見える。
ここを降りればバンブービーチにござる!
ここでいつも一息入れ、安物の缶コーフィを啜るのでござる。
旨い! ぬるくなったコーフィが旨い!
『ほほー、この崖道は、自衛騎士団工兵科の方々が切り開いたと。60年ばかし前の工事ですな』
広場に、立派な石碑が建っている。そこに彫られた文字を読んだのだろう。自衛騎士団工兵科の皆様、有り難うございます。
してててて――、
バンブービーチにござる!
つづら折りを降りきった!
波打ち際に沿うように造られた道を走っている道中で日が昇りきった。
白い光。白い世界でござる。
道を走る馬車の窓からでも海の底が見える。透明度抜群の海にござる。
やがて、馬車は目的地に着く。バンブービーチの最先端部。突きだした岬の根元に、三階建てのイセカイ風旅籠がござる。白亜の旅籠にござる。
いつもは民宿でござるが、今年はここが今宵の宿となる。いつかは泊まりたいと願っていた憧れの旅籠を予約しておいたでござる!
近づいていくと……岬というか、島が浅瀬で繋がったというか、そんな感じでござるな。
馬車は防風林を抜けていく。
さて、玄関先の駐馬車場に馬車を止め、みんな馬車から降りた。
晴天でござる。風が吹いておる。涼しげな朝にござる。
少し早いがホテルへ入っていった。
当然、荷物持ちはエランでござる。誰も助けぬ。
受付にて、来訪を告げる。
まだ早いので部屋には入れないが、荷物と馬車は預かってくれるとのこと。
受付の幼女が説明してくれた。
「そこの階段を下りれば、直接浜に出られますですよー。この下にもう一階層ありまして、更衣室やシャワー施設がありますですよー。ご自由にお使いください。直前の海はプライベートビーチになっておりますですよー。そこで楽しまれるもよし、浜の真ん中に行って浜茶屋を利用するもよし。でございますですよー」
三階建てと思ったが、地下に一階あるのでござるか! 四階建てにござるか!
「よーし、早速水着にお着替えして海に出るでござる! デイトナ殿も水着に着替えるでござるよ!」
『旦那旦那!』
ミウラが前足でトントンしておる。その軽蔑しきった目をやめろ!
「フッ、ネコ耳の水着姿か……」
『先生先生!』
ミウラが前足でトントンしておる。
皆、いそいそフンスフンスと下に降りる。
水着に着替えてプライベートビーチで集合。
デイトナ殿の水着は某とお揃いの黒のフンスフンス! フンスフンス!
『デイトナ嬢の防御不可能攻撃を喜んでライフで受ける!』
あ、目眩が!
くらっと来た。膝から力が抜けた。さすがデイトナ殿。男を殺しにかかってきている。
「大丈夫かネコ耳?」
『さりげなく腕を取って旦那を支える先生。もちろん密着して。……もといして、旦那はほぼ徹夜でしたからね。HPが尽きたのでしょう』
「すまぬエラン」
「フッ、気にするな」
『先生の利益が莫大ですので、ホントに気にする必要は有りませんな! さて旦那。寝不足のまま海に入ると足が攣ったりして危険です。ここでしばらくお体を休められては如何ですか? 時間的に早朝ですし、今日一日と明日の午前がありますし。万全の体調でデイトナ嬢の水着姿を鑑賞できますし』
「そうは言っても――」
『濡れた水着。一遊びして息の上がったデイトナ嬢』
「それもそうでござるな。先は長い。万全の体調でデイトナ殿と波打ち際にてキャッキャしたい」
それに体調が悪いと、思わぬ怪我をするものでござる。
『体調さえ整えておけば、怪我はしませんて』
「そうでござるな、体調さえ整えておけば怪我はあるまいて!」
『これだけきっちり伏線を張っておけば大丈夫でしょう』
「うむ、これで怪我をするのは馬鹿にござる。では某、しばしお昼寝の後、皆の後を追いかけるでござる。よさげな海の家をとっておいてもらおう」
『では真ん中ら辺にある「浜茶屋・海が好き」で席を取っておきますから、その近辺を探してください』
「フッ、では私がネコ耳の看病で残ろう」
「某が寝ている間に何を看病してくれるのでござるか?」
「兄上、一緒に参りましょうか?」
「お、おう!」
『さすがに無防備な旦那の側に男を置いておけませんな!』
という事で、ミウラ、デイトナ殿、そして両名に引きずられてエランが浜の真ん中に向かって歩いて行った。
早朝でござるが、浜には大勢の人が出ておる。
観光化し、有名となったバンブービーチは、某が知っておる浜ではなくなった。それはそれで地元の人達が選んだ道。某がとやかく言うことはない。
妖精さんは何も言わず去って行く。
「さてと」
私設浜辺に添えられた浜長椅子に長手拭いを敷き、寝そべる。
うーむ、磯の香りに生ぬるい磯の風。足下から聞こえる波の音。
海水浴に来て、海で遊ばずのんびりするのも風流にござる。
良きかな良きかな!
体から力みが抜けていく。
瞼がすーっと……
ブオォーッ!
おおおー! 髪の毛が持って行かれる! 椅子が持ち上がる!
何でござるが? 突風でござるか?
慌てて飛び起き、空を見る。
今までの青天が嘘のよう。一天にわかにかき曇り、墨を流したような黒雲が、海から陸へ渦を巻いて流れておる。どこぞの術者が暗黒邪龍召喚の儀を執り行ったか!?
強風が吹きすさび、白波が立つ。雨まで降ってきた。
「痛ててて!」
バシバシと大粒の雨が体に当たる。雨の礫にござる!
海に入る前に雨で濡れたネコにござる。
また突風が!
遠くで砂が螺旋を描き、舞い上がっていくのが見える。
あっ! ミウラ達がいる辺りの浜からテントが空に飛んだ! パラソルも空を飛んでおる!
これは一体どうしたことか? エランは雨男でござったかな?
そこからがてんやわんや。
人々が蜘蛛の子を散らすように浜を駆け回る。こちらから迎えに行きたいが、この混雑の中、すれ違っては目も当てられぬ。
白い荒波を立てる灰色の海を見るしかない。エランの馬鹿よ、みんなを守っておくれ!
『旦那ーっ! 旦那ーっ』
ミウラの叫び声。
声の方向を見ると……謎の生物が!
「ミウラか? お主、本当にミウラか?! まるで針金でござるぞ!」
体が異様に細っこい未知の生物が駆けてきた。
『ネコの主成分のさらに80%はモフモフの毛で出来ておりますから、水に濡れるとこんなものです!』
「長年付き合ってきたが、ミウラの本体がかようであったとは知らなかった!」
『そんな事より! エラン先生が怪我を!』
「馬鹿でござったか!」
……そういやエランは某との馬鹿話に盛り上がって一睡もしておらんかったな。体調が万全ではなかったか……