10.夏・サイレントヒル・アリーナとビーチネーム湖の鰻
『ビーチネーム湖とは、もとは砂州によって境される淡水湖が大昔の地震とそれにともなう高潮により、外海と通じ汽水湖となった湖です。ここは生物が非常に豊富で魚類401種、甲殻類59種、軟体動物84種と全国一の生物が生息しているとの調査報告(要文献特定詳細情報)がございます。湖の面積としてはヘラス王国で10番目の大きさでございます。湖は4つの水域を持ち、湖の周囲長はヘラス王国で3番目の長さとなります。また、汽水湖としてはヘラス王国一長いのです。以上、isekaipediaより抜粋』
「……うむ!」
要は、海水と淡水が混じった大きな湖で、美味しそうな魚とかが沢山住んでいると!
ビーチネーム湖を左回りにぐるりと一周した。
最南端の道は左右を海と湖に挟まれた絶景でござった。
有名なビーチネーム競艇所もここにござる。
して――、
ビーチネーム湖北東に面する有名一流鰻屋に入った。
ここの駐馬車場は小さい。開店前というのに既に満車。横に、駐馬車に丁度いい空き地があるが、ここは隣の旅籠の土地にござる。
少し離れたところに公営の観光駐馬車場があったので、そこへ馬車をとめておく。
これが後に利いた。
開店前なのに長蛇の列。某とミウラは中程に並んでおった。予約が出来ない店なので並ぶしかない。
この人数では一回転してからでは入れぬのではないかと心配しておった。ミウラも同意見でござった。なにせ鰻は焼くのに時間がかかる。初回で入店できなければ、待ち時間が一時単位の大層なものとなる。
して――開店。
店の女中さんが顔を出し、勤めて事務的な声で問いを発した。
「皆様、馬や馬車はどこにおとめになっておりますか?」
店先の駐馬車場は三台もとめれば満車。詰めても五台。だのにどうみても、十組は並んでおる。馬車より推定される人数より多い。
隣の旅籠の地にとめておる馬車もおれば、路上駐車しておる馬車もある。この馬車の持ち主でござろう。
「お隣と道路に駐車されている方は、近所迷惑となりますので入店できません。この先の公営観光駐馬車場にとめ直してからお並びください」
大半の客が列を離れた。それも某らの前に並んでおった客ばかり。
よし!
某らは、三番目に繰り上げ当選でござる!
「残りの方、ご案内致します」
いそいそと入店。ネコ耳とネコが入店。
店内は狭いが、とても綺麗にござる。
『さて、メニューを開きましょう。何でも良いですよ』
ネコのミウラのおごりでござる。
うな重上で二百五十セスタ。うな重極上で三百三十セスタにござる。
ひつまぶしに心を引かれるが、ここはうな重一択でござる。
「上をお願い致す」
『極上でもよろしいのですよ』
「さすがに極上は気が引ける」
『変なところで律儀ですね?』
上でも肝吸いが付いておる。お新香と蜜柑も付いておる。これで充分にござる。
して――、
ここから調理場の一部が覗ける。蒸し器が添えられておるところから、焼いて蒸すか蒸して焼くかのどちらかでござろう。なあに、簡単な推理でござるよ。
『イーストランド風に背開きで、白焼きして蒸してから焼くタイプでしょうね』
「侍として、ウエストランド風腹開きは好まぬ。験が悪い」
『セプクに繋がりますからお侍さんは嫌がりますよね』
その通りでござる。鰻は背開きに限る!
して――、
鰻は待ち時間が長い。客の注文を聞いてから捌くからどうしても長くなる。逆に、早く出てくる店は、何処か手を抜いておるといえる。どちらが美味いかは言うまでもなかろう。
鰻屋で急かすのは野暮。
酒のアテに白焼きをとるなど、野暮中の野暮。次の日から恥ずかしくて表を歩けなくなる。
待ち時間を優雅に過ごすのも通の嗜みでござる。ふと、卓上の調味料入れに視線を落とした。
「おお、さすが高級店。置かれておる山椒もお高そうでござるな」
『山椒といえば辛み成分の一つであるサンショオールを使った漁がありまして……』
「どうやって魚を捕るのでござるか? 山椒で?」
『毒流し漁をご存じで? 河川や海に毒をまいて魚を捕る方法ですが、漁に使われる毒の一つがサンショオールなのです』
「毒でござるか?」
『だいたい、唐辛子や胡椒や山葵などの辛み成分は痛み成分でして、植物が動物に食べられないよう攻勢防御を進化させた結果です』
「ほほう!」
『人類は求めて食っておりますが』
「身も蓋もないのう」
『人類の解毒能力は生物学的にチートなのです。犬ネコ畜生にとってタマネギとかニンニクとかネギ類は毒物ですからね。銀杏なんか猛毒だし、生姜も食中毒になっちゃうし、ヨモギやミントに含まれているシネオールも毒だし、コーヒーやお茶のカフェインも中毒起こしちゃうし、人以外の動物がアボガド食べると痙攣や呼吸困難になって最悪死に至ります!』
「某、アボガドに山葵のっけて食べるのが好きでござるが」
『毒に毒乗っけて食べてるのは人間だけです』
「あれだ、ミウラよ、食事前に毒の話はやめよう。せっかくの鰻が不味くなる」
『そうそう、鰻の血も毒ですよ。ただしタンパク質の毒なので加熱することによって無毒化しますがね。タンパク質にとって熱は天敵!』
「ハイお待ちどうさま! 上うな重2人前です!」
お盆にのってお重がやってきた。
『来た来た! 加熱処理して無毒化されたイクシオトキシンを含むうな重だ! わーい!』
「う、うむ……」
小綺麗なお盆に四角い重箱が乗っておる。蓋付きのお椀と、香の物付きでござる。
お重の蓋を開けると、フワリと立ち上がる白い湯気。
そこには! 一面に敷き詰められた鰻の蒲焼きが! 背開きにござる! ご飯が鰻に隠れて見えない。何匹乗っかってるのででござるか? 大ぶりの肉厚のが二匹でござる!
鰻を食べる前にお吸い物の蓋を開ける。某らはネコ故、ネコ舌持ちでござる。早めに冷まさねばならぬ宿痾を持つ。
さて、鰻に戻る。
濃い飴色の鰻。所々のお焦げが芳ばしそう!
最初は山椒をかけず、箸を、こう……ホロリと身が崩れる。柔らかい!
タレがかかったご飯ごと一口。
ふんわりとした身が口中でほぐれる。甘辛濃いめのタレ、身の甘みと油、ご飯、これらが噛めば噛むほど金糸の錦を織り上げていく!
これは違う!
鰻ではござらぬ!
もしくは、今まで某が食べてきたのが鰻ではなかったかのどちらか!
「うまうまでござる!」
『極上のうまうまです! ぴえんこえてぱおんでゴン攻めでびったびたにございます! 鰻しか勝たん! バイブスパないッス!』
ミウラの語彙力がおかしい!
二口三口食べてから、初めて山椒をフリフリ。
さらにばくり!
山椒の香りが鰻の香りを引き立てる。
初めて知った。山椒とは、鰻の臭みを消す為ではなく、鰻の香りを引き立たせる為の道具にござる!
うまうまと食べ進めること、お重で半分。強敵鰻重と戦うも半ばごろ。気合いを入れ直さねば負け戦に繋がる。
漆塗りの椀を一口。鰻の肝吸いでござる。
濃縮された鰻の成分を吸い物として程よく分散。濃厚な鰻の味を流しつつ、口中に鰻を残したまま。具として入れられたキモを一口。
うむ! マロっとした食感。ムリョッとした歯ごたえ。
さらにお吸い物をすする。
さっぱりとしたお吸い物は重めの鰻重に合う。互いが互いを引っ張り合う。左右に引き合う綱引きではござらぬ。至高という山を登る為の命綱。お互いがお互いを上へ上へと、同じ方向へ引っ張り上げあう仲間にござる!
うまうまの一蓮托生!
さて、残りは半分。もう半分。いや、未だ半分残ってくれておると考えよう。
さらに箸を進め、新香をポリポリ。
残り四分の一。このままの勢いで攻め落とすか? 一旦攻略の手を緩め、じわじわと攻めあげるか?
勢いに任せるの一手でしょう!
食べる食べる、味わう味わう、呑み込む呑み込む!
気がつけば、重箱の隅にタレで茶色くなった米粒が三粒。箸でこそげるようにして口に掻き込む。これぞまさに重箱の隅をつつく、でござる!
「ふぅー、堪能致した」
『量も多かったですね。満腹です』
白い柔毛で覆われた腹部を前足でポンポンするミウラ。お行儀が悪い。
『もともと、鰻なんて下賤な魚でした。濃い口醤油がなければの話。お上品にいただくことこそ無粋というもの。蕎麦のような美学はいりません』
ミウラが言うとそれっぽく聞こえるのな。
温かいお茶を飲んで一息。すっかり冷めてしまったが、ネコ舌の某らにとって、この位の熱さがちょうどよい。
「御馳走様! お勘定をお願い致す」
「毎度有り難うございます!」
ミウラがどこからか財布を取り出し、銭を出した。
それを某が払い、お釣りをもらう。
端で見ていると、某がヒモのように見える。
『旦那はTSとはいえ女の子なんですから、TSとはいえ雄のわたしが支払うのは自然の摂理にございます』
何となく引っかかるところがあるような気がするも、「それでは甘えさせていただこう」と、声に出し疑念を払った。
「満足にござる。上鰻重は強敵にござったが、まだまだいける。極上鰻重でも戦える自信が付いた。来るなら来い!」
『まもなく今年のイセカイ丑の日ですが、コンビニ鰻なんか食べられませんね』
ビーチネーム湖観光駐馬車場より馬車を引き出して乗り込んだ。
遠回りになるがここまで来たついで。湖の北側をぐるりと周り、イーストネーム高速馬車道へ入った。
『またいつか美味い鰻を食べにここに来たいですね』
「今日の感動を忘れぬために、もうここへは来ないという選択肢もあるでござるよ』
『これは問題ですね』
「うーん、格好いいかとあまり考えず口にはしたが、確かに大問題にござる」
ウンウン唸りながらネコ二匹は高速馬車道を西へと走らせるのであった。
そして今年のイセカイ丑の日。
「出張のお土産だ」
イオタの宿敵エランが、紙の包みを抱いて遊びに来た。
アッパーフィールド休憩所で販売されていた100セスタの鰻重弁当を美味そうに頬張るイオタとミウラであった。