1.初夏。バードフェザーで貝料理
ここはイセカイ・ワールド。中世ヨーロッパに似た世界観ながらどこか日本に似た異世界である。
舞台はヘラス王国という小国。
とある港町の、乗り合い連結馬車停留所にて。
「割と短時間でバードフェザーの町に着いたでござるな」
ネコ耳サムライ美少女・イオタがこの地に降りたった。
黒髪のポニテが潮風に揺れる。
頭頂部には三角の耳がピンと立っている。フレキシブルに動き、周囲の音を拾い上げる。
お尻からは黒くて長い尻尾。ビロードのような黒い毛並み。
浅葱色の筒袖に袴姿。あれだ、女子大生の卒業の時の和装に似ている。
そして腰には一本の日本刀。
ちなみに、イオタはこう見えて、江戸時代よりTS転生した元お侍さんである。見た目は可憐なネコ耳美少女。中身は普通にスケベな男である。
イオタの足下で、雄のチャトラ猫がちょろちょろ動き回っている。
『特急乗合馬車で4時間もかかりませんでしたね。あいにくの曇り空ですが、初夏とも言えるこの時期です。日よけの下を歩いてると思えば良いでしょう』
雄のチャトラ猫が喋った。
喋ったといっても、その言が聞こえるのはイオタだけ。
ネコの名はミウラ。魔法を自在に操る。しかも頭脳はイオタを凌ぐ天才ネコ。
こやつは現代からTSネコ転生した元三十路女子である。
このコンビはイセカイのとある大陸を、あるときは魔物相手に死闘を繰りひろげ、あるときは土地土地の名物に舌鼓を打ちつつ旅を続け、タネラに落ち着き、一騒動起こした後、ヘラスの町に居を構えるに至った。
そこで起業し、生活に困らない程には儲けいていた。
「なんでも良いように解釈できるミウラは、良き者でござるな」
『たまの旅行です。理屈抜きの見て見ぬふり主義で楽しみましょうや!』
彼らがやってきたのは港町バードフェザー。入り組んだ湾の最外部。外洋と内海の境目の港町であった。
停留所から海が見える。幾つか小島が海に浮かんでいる。
海岸線に沿って松に似た木が植えられ、さらに整備された街道が走っている。
ネコ2匹が、何しにここへやって来たのか?
――――――――
「さて、名物の大アサリ焼きが美味いと聞いてここまでやって来たのでござるが……」
事前に案内などの書物が手に入らなかったため、出たとこ勝負でやってきたのでござる! だが、見事に右も左も判らないのでござる!
『現世だとジャラララン検索で一発なのですがっと! 魔力、貝類探知! 貝類反応アリ! 旦那! すぐそこから貝が焼ける良い匂いが!』
クムクムと鼻を鳴らしていたミウラが、前足で前方すぐそこの長屋? を指した。
「恐るべきはミウラの魔法でござる!」
さすが、大魔法使いにして賢者ミウラ! 訳のわからぬ魔法で、お食事処を探し当てたのでござる!
ミウラが指し示した先は、松林の一角に並んで建ってる十一軒の掘っ立て小屋郡。
それぞれ同じような店構え。
長屋程度の間口。店の前には、良い感じに古びた生け簀が置いてあり、生きた貝類がゴチャっと入れられておる。
小屋の中は狭い。小さな長卓が一つおいてあり、向かい合わせに丸椅子が三つずつ並べられた場末の光景。
隅っこの竈で貝を焼くのでござろう。
お昼前なので人通りが少ない。
「はい、いらっしゃい! お安くしておくよ!」
「大アサリ2個入りのまぜこぜセットで100セスタだよ!」
「うちは良いアワビが入ってるよ! 生でも食べられるよ!」
などと、おばちゃん達が客引きをしておる。
『あいにくの天気と、お昼前、11時ですかね? 時間が早いせいか、お客はわたしら2人しかいませんけどね』
まとまった客が来れば収容人数6人の小屋など一気に定員あぶれするが、どれもこれも同じような小屋が11軒並んでおるのだ。収容人数は66人と見るべきでござる。これほどの収容力を誇るお食事処は、王都タネラでも見かけぬぞ。
考えたでござるな!
『どこに入りましょうかね? へぇー、小粒だけど牡蠣も売ってるよ』
生け簀を覗いたり、張り出された料金表を読んだりと、キョロキョロしながら歩くミウラ。
某も目移りしながら店の前を歩いて行く。
片思いのアワビがウネウネと歩き、角を振り立てたサザエが赤い足を伸ばしておる。
とうとう端っこまであと二軒となったところ。
「いらっしゃいませですよー!」
ニット帽を深く被った、見た目が五歳の幼女。白磁のように白い肌。飴色の金髪。太い眉。碧の目。吃驚するくらい綺麗な幼子が呼び込みをやっておった。
「大アサリ2個に、サザエとサンライズ貝1個ずつ入れて100セスタですよー! 好きな貝と取り替えても100セスタのままですよー! ウチの貝はたぶん砂を噛んでませんですよー!」
「おっ!」
何となくお得感に足を止めた。作り笑顔……もとい、ニコニコ顔の幼女が生け簀に手を突っ込んでいる。
サンライズとは?
『日の出という意味です』
サンライズ貝とは……ホタテの小さいのでござるかな? 赤みがかっておるところが日の出っぽくてサンライズでござるかな? サンライズ貝、興味津々でござる!
『サンライズ貝に興味津々のネコが居ます。ところで、交渉でセット内容を変えられるようですね!』
「ならば! 大アサリ二個にサザエを一個、サンライズ貝を二個入れて百セスタにしては頂けぬか?」
セット品よりサンライズ貝が一個おおくなる。
「あと躾の行き届いたネコ同伴で」
「ネコは可愛いのでかまいませんですよー。でも、うーん! 値段が厳しいですよー! ……お酒飲むですよー。それならお伺いするですよー!」
「酒でござるかな? 望むところでござる! ではセットを某とネコのミウラ用に二つ頼むでござる」
『あ。暖簾くぐっちゃった!』
いそいそと手前の椅子に腰掛ける。
早速幼女が、竈に乗せた網に、ちっちゃい手で貝を並べていく。
「酒は先に飲まれますかですよー?」
「料理と一緒に出して頂こう」
「チューハイですかよー? ビール? ワイン? みんな果てしなく冷えてますですよー」
「貝には白ワインと言いたいところでござるが。ここはあえてビールでお願い申し上げる」
『わたし、お酒が飲めませんので。いえ、ネコとしてではなく三浦純粋としてですが』
ミウラは下戸でござる。飲めるけど少量で酔ってしまう。
そういえば、ミウラは前世の本名・三浦純粋という筆名で薄っぺらい本を刊行しているらしいが、なぜか某に読ませてくれぬ。解せぬわ!
作り笑……もとい、ニコニコ顔の幼女が話しかけてきた。
「ネコ耳の旦那! これだけじゃお昼ご飯に少し足りなくないですかよー? いっしょにイソ饂飩も如何ですかよー? うちの饂飩はネコちゃんも食べられるですよー、たぶん。一杯だけ注文して、分けて食べるといいですよー! お皿二つ用意するですよー」
イソ饂飩なら二回ばかり食ったことがある。変わった食感の饂飩でござった。この地方の名物でござったな。
『森羅万象二極一対! フレグランスリバー饂飩が腰の強さを求める右の雄なら、イソ饂飩はモッチリ感を究極まで訴求した左の雄!』
ミウラは物知り博士でござる。伊達に「にーと」やらを名乗っておらぬ! ちなみに前世では自宅警備員の職についておったから、腕の方もたつ!
「……自宅警備員とは何でござろるかな?」
『北面の武士みたいなものです』
さすがでござる!
「よし! イソ饂飩を一杯追加!」
「まいどありー! ですよー!」
やがて、店内に漂い出す豊かな香り。
芳ばしい磯の臭いと、焦げるショウユが混ざり合った香りが鼻腔をくすぐる。ネコ故に嗅覚は人より鋭い。故に受ける刺激は甚大でござる! ぶっちゃけ、早く食いたい!
『ま、まだなの? 早く来て! 早く出して!』
ミウラもクリームパン、もとい、前足をトムトムとテーブルにせわしなく打ち付けておる。
「もうすぐできるですよー。しばし待つですよー」
金髪の幼女は竈に向かい、背を向けたまま営業トークしておる。まるでネコのミウラの言葉が聞こえたかのような合いの手の入れようでござる。
「はて? あの幼女、というか店主。人間でござるかな?」
某はネコ語を操れる。ネコのミウラはネコ語しか扱えない。よって、某らの会話をただの人間が聞き取ることはあり得ない。……あらゆる言語を操る古竜だとか、高位のエルフだとかは別だが。
「うまく耳の先端をニット帽で隠しておるが、先っぽ、尖ってないか?」
『ですねー。どう見てもエルフ――』
「エルフじゃないですよー! ただの人間ですよー!」
いきなり振り向いた幼女が、ニット帽を深く被り直しながら叫んだ。
耳を隠すようにして。
『えー、あー、人間ですね。どこにでもいる人間です』
「わかれば良いのですよー!」
幼女は竈に向き直り、調理を再開した。
うん、生暖かく見守ろう。
「はい、おまちですよー!」
ことん、ことん、と焼き貝が盛られた小皿が出てきた。
旨そうな貝の身。身より染み出たお汁が貝殻の器より溢れんばかり!
「はい、ビールおまちですよー!」
ジョッキに入ったビールが出てきた。
まずは駆けつけ一杯でござる!
「ングングング! ぷはーっ!」
二口頂いた。
ふー、生き返る! まだ死んでおらぬし疲れてもおらぬが!
まずは当地探訪の主目的、大アサリより箸をすすめんとす!
大きな貝殻にて淡く光を放つがごとき白き汁の中に、プックリとした身が浮かんでおる。
身を箸ですくう。身離れが良い!
口に放り込んで……あちち! ……咀嚼!
プリッとした歯ごたえ。口中に広がる貝の旨味! 甘さ、塩気、もう一度旨味が来る!
ごっくん!
で、ビールを一口。
「んぐっ!」
合うッ! 貝にビールが合う! よく冷えておる!
もう一口。
「んぐーッ!」
ビールは二口まで。次はサンライズ貝に箸を延ばす。
見た目ホタテ。貝の色は赤。身は象牙色。
これも身離れがよろしい。ヒモと一緒に身を頬張る!
大アサリとは違った旨味を噛みしめる。甘い! そしてまろやか!
その甘さを充分堪能してから、ビールの残りを一気に飲み干す!
「ング、ングッ! ぷはーっ! ビールおかわり!」
「あいよですよー! はいビールですよー!」
進む進む! ビールが進む! 食も進む! 輪廻転生『違います』転輪王『百億と千億ですか?』でござる!
さて、ここまで大アサリとサンライズ貝を一個ずつ。残りは大アサリ一個、サンライズ貝一個、サザエ一個でござる。
これより如何箸を進めるか? 調和を取ってサザエに手を伸ばすか、あるいは大アサリ、またはサンライズ貝の残党に進軍し、各個撃破していくか!?
未経験のサザエに手を出すのが定石でござろう。
しかし、ものは勢いという。大アサリとサンライズ貝をこの勢いで仕留めるという手もまた定石!
うーむ! 道を誤ると取り返しがつかぬ。これは大難局でござる!
「えーい、悩んでいてもしかたない! 拙者は武士にござる! 武士に後退はござらぬ!」
サンライズ貝に手を出した!
二個、連続のサンライズ貝でござる! 戦は勢いが大事でござる!
もちっ! ぐちゅわー!
「うまうま!」
そして予備兵力のビールを投入! もはや戦にござる!
ゴキュゴキュと喉が鳴る!
「次の相手はサザエ!」
蓋と貝殻の隙間に箸を突っ込み、ひねり上げるようにして身をほじり出す!
ズルリと音を立て、白い身が! 黒いワタが!
某にかかれば一ひねりにござる!
「あ、旦那! わたしもサザエを剥いてください」
迂闊でござった。ミウラはネコ。その前足は手とも言うべき器用さを発揮するが、サザエの身をほじり出す程ではない。
「おお、気がきかんですまぬな!」
「いえいえ、あ、わたしは黒いワタが苦手ですんで、切り取ってください」
「え? この苦みが美味しいのに」
『甘いは美味い。苦いはマズイ。定説です』
この美味さがわからんとは! 人生の半分は損しておる。あと酒が飲めない事で人生の半分は損しておる。合わせて人生全損でござる!
某はワタごとサザエをパクリ。甘い! 芳ばしい! 磯の味! 新鮮な苦み!
噛みしめて呑み込んでビール! んぐんぐ!
残りは大アサリ。大トリの大アサリでござる!
好物は最後に! しかも、最初に大アサリを食っておる。挟撃でござる! 挟み撃ちでござる! 勝ち戦でござる!
とどめでござる!
まずは残されたビールを飲み干す!
流れる動作で大アサリを口へ放り込む。広がる旨味。幸せはいつも口から来る!
口中に大アサリの旨味が残る。それが徐々に消えていく。
残滓が消える寸前! 大アサリの貝に残された汁を啜る!
旨味復活!
貝のお出汁は最高級品とされておる。
第二戦開始でござる。この戦こそ本命であったと後の歴史家は言う。
続けて、サンライズ貝のお出汁を啜る。サザエのお汁を啜る。返す刀でもう一個のサンライズ貝。最後はやはり大アサリ。
「うまうま!」
『うまうま!』
いやはや堪能いたした。
『量的にもの足りませんが、美味しく食べようとしたらこの位で丁度よいのです』
その通りでござる!
「はい、イソ饂飩できあがりですよー!」
取り皿と共にトンと置かれた一杯の鉢。中は汁がない。真っ白な饂飩。その饂飩に黒々とした醤油が掛けられていた。
皿にミウラの分をとりわけ、イソ饂飩に箸を入れる。
イソ饂飩は茹ですぎて伸びた感を出してしまえば失敗作。いかにして柔らかさの中に餅のようなモッチリ感を出すか? そこがキモでござる。美味いか不味いかの天王山でござる!
適量を口に入れ、恐る恐る咀嚼……。
「あ、うまい!」
『モッチリ感を確認致しました!』
今まで食ったイソ饂飩の中でも、第二位の美味さでござる!
『いつだったか、お陰サマー横町で食べたイソ饂飩はいけませんでしたね』
「うむ、あれは只の茹で饂飩を茹ですぎただけの饂飩でござった。タレもしょっぱいだけだったし」
ずるずると音を立て啜る。これが饂飩の正式な食事作法でござるゆえ。
人生第二位のモチモチ感を充分に堪能できたでござる。
「ちなみに、ここのサザエでござるが、角の数が少なくて細くて短いでござるな?」
見知ったサザエより角が貧弱だ。数本しか生えてない。それも上半分にだけだった。
『外洋から遠く離れた湾ですし、しかも入り組んだ湾の内側です。海流らしき海流がありません。元々、サザエの角は流されぬよう突っ張りとして使う物。穏やかな海で鋭い角は必要有りません。よって、この程度の角で充分なのです』
「したり!」
ミウラは便利なネコでござるな!
「ではそろそろお暇しよう。お勘定お願いするでござる」
「有り難うございますですよー! お客さん、これからどちらへ? 今日はお泊まりですかよー?」
「いや、大アサリを食いに来ただけでござる。このあと腹が落ち着いた頃を見計らって帰るでござるよ。乗り合い特急連結馬車で」
「ですかよー?」
変わった生き物に、変わった生き物を見る目をされたでござる!
すぐに帰るとは言うものの、周辺ぐらいはぶらぶらする。
「そこに日和山があるが、登るには高すぎる」
『港の側に「日和山」という名称の山や丘が多いのですが、なぜでしょうね?』
「お天気に関係有りそうでござるが、難しい事は学者の先生方にお任せし、某らは観光と洒落込もう」
なにせ、すぐそこに波が打ち寄せておるのだ。風光明媚でござる。湾に点在する島々も美しい。
『あそこ! 湾内を巡る遊覧船ですよ! 乗りませんか?』
「どれどれ……」
舳先に女神様の代わりに乙姫様。屋根には亀に跨がった浦島太郎の巨像。ごてっと胃にもたれそうな飾りが多数。全体的に金色。
武士の生き様と正反対にござる!
「時間が無いでござる。それと……ほら、料金が高い」
『あ、ほんとだ。高価なわりに一周する時間が短い。やめときましょう』
同意して頂いてよかったでござる。
とうわけで、銭のかからぬ散歩に切り替えた。
『あれ、あれ! 真珠生産に特化した小島ですよ。料金払えば上陸できるようです』
「ミウラよ、あそこを見ろ。創設者らしき男の立像がござるよ」
高さ三十尺あまり『10メートルですかね』の象が、こちらに尻を向けて立っておる。
つまり、内側に……島に入った人向けに……。
『あー……、わたしああいうのダメです』
「某もダメでござる。この先に土産物屋がある。そこを覗いてから馬車に乗ろう」
岸壁を散策しながら土産物屋へ足を向けたのであった。
魚が安い! ばかでかい縞鯛が売られている!
『でも持ち帰ると腐ってしまいますよ』
諦めるでござる!
お土産に「らんぐどしゃ」なる菓子を買って乗り合い特急連結馬車に乗り込んだのでござった。
『しまった。冷凍魔法を使えば新鮮な魚を持って帰れたんだ』
「それ以前に、我らが居住地ヘラスは海の町で御座る」