1-5 おっさんと
「ああ、畜生。
いきなりひでえ目に遭った。
しかし、こいつはまったくどうなっているんだろうなあ」
「ねえイーグル。
これって、やっぱりゲームの中なんだよね」
イーグルと呼ばれた男は、胸をはだけた黒革の上下の格好のまま、半ば腕組みをしつつ顎に手をやり唸った。
軽く茶髪に染めた短髪と、そこそこいい男といった感じの容貌の男だ。
一番特徴的なのは、非常に豊かな耳たぶに下げられた鷹の意匠のピアスだろうか。
「そうなんだろうなあ。
リアルな感触だけど、リアルとは違って装備強制解除コマンドは使えるし、再装備もちゃんとやれた。
アバター用の日常装備として持っていた服装なんかには普通に着替えられるしな。
しかし、ログアウト系の機能は全滅だし、リアルとのコネクトは緊急回線を含めて一切無理だ。
運営め、一体何をやっているんだよ」
「そういやあんたって、アバターは初期の物さえ抹消して潔くそれ一本だから、こんな状態でも強制的なジョブチェンジが無かったのね」
「ああ、そうみたいだな。
ここまで来るまでに会った連中は、本筋じゃないレベルの低いようなジョブに強制的に変更させられてしまっていたって嘆いていたぜ」
「あたしは遊び人だから本望だったよ」
「あのなあ……」
「でも顔や体付きなんかも含めて、やけにリアルだよねー。
装備や持ち物も普通に使えるみたいだし、インベントリから自在に出し入れできるし。
あたしのガンスリンガーのジョブで入手した武器も全部使えるみたい。
またアバターの動きが妙に人間くさいっていうか、生々しいっていうか。
感覚も、ゲームよりもリアルな気がしない?
それっ」
「あいたっ。
ミミ、抓るんなら自分のほっぺにしろよ~」
イーグルが叫んでいたが、美美もこぼしていた。
「でもこのままずっとゲームにいると、リアルの方がえらい事になりそうよ。
あたし、椅子に座ってゲームしているままだしさあ」
「そうなんだけどなあ。
俺なんか畳の上に寝っ転がっているままのはずなんだが。
今のところ、自分じゃどうしようもないぜ。
今頃はもう、畳の目がくっきりと顔にプリントされている頃なんじゃないかな」
「そのうちみんな、リアルの本体の方が病院に運び込まれて、たくさん管に繋がれちゃいそうだね」
暢気に美紅が言うと、皆も想像して顔を顰めた。
「そいつだけは嫌やー」
「う、それは俺も考えたくねえ!」
だが、オカマさんは二度ほど手を打ち鳴らした。
「はいはい、みんな。
ここにいてもどうしようもないし、順繰りに各ギルドへ行ってみない。
何か情報があるかもよ」
「そうだね。
とりあえず、そこの冒険者ギルドへ行ってみる?」
「行こ行こ」
そして四人で歩き出すが、通りにある店から誰かが飛び出してきた。
どうやらアバラ骨の浮き出た痩せぎすのおっさんのようだ。
しかも、その格好ときたら。
「おわっ」
「おっさん、あんたなんて格好を~」
それを見た女性陣二人が悲鳴を上げた。
そして中から頭を五分刈りに刈っているガタイのいい男が出て来た。
「うちの店から物を盗もうだなんて、ふてえ野郎だ」
店主の男は指をボキボキと鳴らした。
「く、くそ。
緊急避難っていう言葉を知らんのか。
こんな格好で一体どうしろというのか」
見れば、おっさんは見事にパンツ一丁のスタイルだった。
靴さえ履いていない。
この全年齢仕様のゲームに裸のアバターは存在しないので、パンツだけは無事に残ったようだ。
だが、美美たちは知っている。
お着替えの時に試したのだが、このような状況になった今でも脱ごうと思えば、ちゃんとパンツまで脱げる。
あくまでアバターでは、そういう仕様になっているというだけの話で。
なおパンツあるいはその他の服なんかも、設定で脱がされないようにロックしておけるらしい。
当然ながら、女子勢は上下共に下着はロック済みだ。
「あー、あんた……デフォのスタイルの他に、そんなネタっぽい素のアバターを作っていたのかよ、おっさん……。
しかも、その何も装備していない素のアバターに換装してしまっているっていう事は、たぶんデフォ以外はそれ一つだけしか作っていないんだよな」
足元も裸足のままのそのおっさんは、屈辱に身を震わせながら事情を語り始めた。
「くう。
む、息子がこのMMORPGをやりたいっていうから、気になるので先に私が様子見で覗きに来ただけだったのに、何故かこんな事に。
なんだかよくわからない内に設定をタップして先に進んでしまったら、この格好がアバターとして登録されてしまっていたんだ。
このアバターのジョブは確か、『ただのおっさん』だったはず。
あとは普通にデフォルト設定で見本通りのサラリーマン風の格好があったはずなのだが」
「いや『ただのおっさん』って、あんた」
美美は呆れたように言ったが、まさにそれそのものなのだ。
正確にはパンツ一丁のおっさんだ。
どうやら子煩悩なだけが取り柄の、文字通りのただのおっさんのようだ。
「く、おっさんか。
こう見えてまだ三十七歳なのだがな……」
「うーん、さすがに見苦しいな。
なあ兄ちゃん、このおっさんに何か服をやってくれないか、ほらこの予算でさ」
イーグルが武士の情けとして差し出したのは、金色に光る一枚の金貨。
リアルに一万円くらいの価値で使われているゲーム内だけで通用する通貨だ。
もちろん、当然の話だが日本円との互換性はない。
「う……む。
それはいいんだけどな、うちには婦人服しか置いていないのだが……そのおっさんにそれでいいのか?
個人的には物凄く抵抗があるのだが」
だが、その言葉に女の子として当然の反応をした美美。
「そ、その迫力のある格好で婦人服のお店を!?」
「あ、いや。
俺はデザイン学校の専門校生でな。
勉強のために女性アバターを使って、ここで店を開いているんだ。
メインジョブは『ハウスマヌカン』さ。
こうなった今ではお笑いもいいところだがな。
常連客に対する言い訳が非常にしづらい……」
「マジかあ。
いや、話せばきっとわかってくれるって。
まあ、とりあえずおっさんの着替えはそれでいいや」
他人事なので、あっさりとそう言い切った美美に、さすがにおっさんも婦人服店のお兄ちゃんも微妙な顔をしたのだが、おっさんはその場で諦めた。
「済まん、さすがにいい大人がパンツ一丁のままでは辛い。
ここは是非そちらの方のご厚意に甘えたい。
お願いだから、婦人物でも何でもいいから服をください。
よければ、あまり不自然でない組合せの帽子や靴とセットで。
出来たら顔が隠れるものがよいです。
ゲームのくせに、あまりにもリアルな現実世界での容姿なのだ。
もし会社の人間や取引先の方にでも見られようものなら……」
むしろ、そっちの方を知り合いに見られた方がアウトなんじゃないのかと思った女子二人なのだが、出された少し年配のおばさんが着るような婦人服を装備したおっさんを、なんとか見られるように整えてやる優しい二人なのであった。