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諦観するわけ -1-

 吐く息は白く、妙に冷えるなと思ったら空から小さな雪の粒が舞い始めていた。

 師匠が言うには、「日中は持つだろうが日暮れ時には大雪になるかもしれねぇな」という天気になるらしい。

 的中率の高い師匠の天気予報なので、おそらくその通りになるのだろう。


 ……と、思っていたら、もう雪が降り出してしまった。まだ舞っている程度だけれど。


「立ち止まっていると凍えちゃいそうですね。行きましょうか」

「そう、ですね」


 ぎこちなく笑みを浮かべたクレイさんの口元から、白い息が漏れた。


 クレイさんは僕よりも10センチほど背が低い。

 照れ屋なのか控えめな性格なのか、俯くことが多い。だから、あまり顔ははっきりと見られない。

 けれど、前髪の隙間から覗く鼻は鼻筋がすっと通っていてとても綺麗な形をしている。


 瞳と同じく灰色の髪は湿気の多いこんな悪天候の下でもさらさらと流れるように揺れて、曇り空の中にいるのに微かに輝いているように見えた。

 肩に届くくらいの長さの髪はクセ一つない綺麗なストレートで、耳の上辺りにヒイラギに似た赤い実の植物を模した髪留めが一つ留められている。

 真っ赤な果実を模した髪留めは、クレイさんの綺麗な灰色の髪によく映えていた。


 鼻の頭が真っ赤になりそうなほど寒いのに、クレイさんの肌は真っ白なままだった。

 舞い散る雪に紛れてしまいそうなほど白い。

 寒くないのかと思えば、乱暴に触れれば折れてしまいそうな細い肩が細かく震えている。


「寒いですね」

「え……はい。少し」


 話しかければこちらを見上げ、返事をする時には視線が逃げていく。

 楽しくないのかと思いきや、じんわりと赤みを増していく耳が見えて、ちょっと嬉しくなる。

 そんな照れ方は反則だと思います。


「まずは、手袋を買いに行きましょうか?」

「え…………あ」


 僕を見てから、視線を自身の手袋に向けるクレイさん。


「すみません。こんな汚れた手袋で……汚い、ですよね」


 手袋についた汚れを隠すように両手をぎゅっと握りしめる。

 違う。

 そういうことを言いたかったんじゃない。


「誤解です」と一言言えば済んだ話なのに、なぜかその時の僕は頭にカッと血が上ってしまった。

 なんだか蔑まれたような気がして。「あなたもソッチ側の人間ですよね」と、思われたような気がして。そんなこと、クレイさんは一言も言ってないのに。

 なのに僕はムキになって、クレイさんの手を強引に取って、握りしめた。


「あ……っ」


 驚いたような顔で声を漏らすクレイさんに、子供じみた自己主張をぶつける。


「嫌じゃないです、全然」


 汚いからさっさと処分しろだなんて、そんなことを思ったんじゃない。

 僕はただ、いつまでも血の付いた手袋をクレイさんにしていてほしくないから…………あれ? それって結局汚いって思ってるってことと一緒、かな? あれ……?


「あの、変な意味じゃないんです。決して。クレイさんの取った行動は、すごく優しくて、僕はすごいなって思いましたし、でも、折角オシャレしてきたのに汚れちゃって、なんだかもったいないというか……いや、そうじゃなくて、嫌じゃないんですけど、なんというか、その……」


 うまく言葉が出てこない。

 たぶんそれは、僕自身が何を伝えたいのかはっきりと分かっていないからで、変な意味じゃないことだけは伝えたいけれど、変な意味じゃないならどんな意味だって言われたら、やっぱりうまく説明できなくて……これって、偽善? ただの言い訳、なのかな?


「あ、あの……離してください」


 ぐっ! ――と、クレイさんが腕を引いた。

 今にも泣き出しそうな顔で必死に抵抗している。


 しまった。

 いくらなんでもいきなり手をつなぐなんて失礼過ぎた!

 手袋越しとはいえ、初対面の、どこの馬の骨とも知れない男に手を掴まれるなんて不快に決まってる。

 これじゃ、痴漢と変わらないじゃないか。糾弾されたら言い訳のしようがない。


「す、すみません! これは決して痴漢ではなく……!」


 慌てて手を離そうとした時、僕の手のひらに凄まじい熱が広がった。


「熱っ!?」


 腕の神経が緊急離脱を命じる。

 条件反射が過剰反応したのではないかと思えるほどの勢いで自分の腕が動いて、僕自身が驚いている。

 手のひらの痛み以上に、胸にじわりと広がった言い様のない不安感に頭がくらくらする。


「すみませんっ、大丈夫ですか?」


 焦り、泣きそうな顔で僕を気遣うクレイさん。

 所在なさげに持ち上げられている手は、僕に触れようとする衝動を必死に抑えているように微かに震えていた。


「クレイさん、手袋が……」

「え? ……あっ」


 僕の指摘に、クレイさんがぎゅっと手を握る。


 先ほど見えたクレイさんの手。

 手袋の手のひらの部分が大きく破れていた。焼き切れたような、高温で溶けてしまったような状態で。


 本当に、クレイさんの手のひらが高熱を発したのだろうか?


「あの……わたし……」

「トラキチさん」


 カサネさんが一歩、前へと進み出る。

 事情を知っているようで、クレイさんを背に庇うように僕たちの間に立つ。

 今にも泣き出しそうなクレイさんに代わって、カサネさんが僕に説明をしてくれた。


「クレイさんが之人神であることはすでにお伝えしていると思いますが、彼女は以前いた世界では『死神』と呼ばれる存在でした」


 死、神……?


 って、あの死神?

 クレイさんが?


 自然と視線がクレイさんへと向かう。

 僕の視線から逃げるように、クレイさんは顔を俯け、肩をすくめて背を向ける。


「本来なら、お見合いを始める前にお伝えするべきことでした。説明が遅れて申し訳ありません」


 カサネさんが深く頭を下げる。


「いえ、そんなことは……」


 別にどうでもいいんです、けど。

 けど、死神って……


 鼓動が速くなっていく。

 これは、……恐怖?


 怖い、よ……そりゃ。

 だって死神って……


 不安と恐怖の間を行き来するように感情が揺れる。

 この仄暗い感情に飲み込まれたらきっと叫び出してしまう。そんな嫌な予感がじりじりとにじり寄ってくる。


 ごくりと、固いツバが喉を押し広げて腹の底へと落ちていく。


 恐る恐る、もう一度クレイさんに視線を向けると……


「…………」


 クレイさんはまぶたを閉じて震えていた。

 眉毛が曲がって、今にも泣き出しそう……いや、それは恐怖の表情に近かった。


 そうか。

 クレイさんも怖いんだ。

 自分が、死神として恐れられるってことが。


 そりゃそうだろう。

 考えなくても分かる。

 きっとこれまで、何度となく、幾度も幾度も畏怖の目を向けられ、時には心無い言葉を向けられて……酷い迫害があったかもしれない。

 そんなものなかったって言い切れるほど、僕は楽観的な性格じゃない。


 人が他人へ向ける悪意のおぞましさくらい、僕にだって覚えがある。


「……やっぱり」


 クレイさんの唇が小さく動く。

「やっぱり、今回のお見合いはなしにしましょう」、そんな言葉が続きそうで、僕はクレイさんの言葉を拾って別の提案を口にする。


「やっぱり、手袋を買いに行きましょう」

「……え?」


 自分の言いかけた言葉を盗られ、あまつさえまったく別方向の話にすり替わってしまったことに、クレイさんは灰色の瞳を真ん丸くして無防備な表情を僕に向けた。

 驚いた顔は、落ち着いた雰囲気とは異なって、すごく幼く見えた。


 なんだかその顔があまりに子供っぽくって、思わず笑ってしまった。


「寒いでしょ、手?」


 破れてしまった手袋を示すように、自分の手のひらを指さして言う。

 ふわりと漂うようにクレイさんの視線が破れた手袋へと向かい、きゅっと拳を握る。

 破れた穴を恥ずかしがって隠すように。


 なんか分かるなぁ。

 靴を脱いだ時に靴下の穴を見つけたら、なんか妙に恥ずかしくなって必死で隠したりするもんなぁ。指先の方ならちょっと摘まんで指に挟んでみたり、かかとの方なら正座して隠してみたり。


 親近感が湧いた。

 たったそれだけのことで、恐怖の感情はどこかへ行ってしまった。

 この人は死神として生まれた。ただそれだけだ、と思えた。


 きっと特殊な力を持っているのだろうけれど、そんなこと、今のこのクレイさんの真っ赤に染まった照れ顔の前では些細なことのように思えた。


「僕のせいで破れてしまったので、弁償させてください」

「そんなっ、……トラキチさん、……の、せいでは、ありません」


 くぉぉおう……

 僕の名前を呼ぶ時、一瞬照れたぁ!

 可愛いなぁ、もう!


「手袋は、自分で買いますので……」

「じゃあ、手袋を買いに行くというところまでは合意が取れましたね」

「へ……っ?」


 にっこりと笑ってみせると、クレイさんはまた驚いた顔をして僕を見た。


「一緒に選びましょう」


 僕がそう言うと、クレイさんは一度俯いてきゅっと唇を噛みしめ、微かに潤んだ瞳を柔らかく細めて頷いてくれた。


「……はい」


 賛同してくれた。

 ここで「でも」とか「やっぱり」って言葉が出なかったということは、少なからずクレイさんは今日のお見合いを前向きに捉えてくれていると考えられる。

 それに、細められたあの潤んだ瞳を素直に受け止めるのであれば、結構楽しみにしてくれていたっぽい。……って思うのは、ちょっと思い上がりが強いだろうか。


「というわけで、カサネさん。お見合い開始でお願いします」


 何も問題はない。

 瞳でそう伝えると、カサネさんは数秒じっと僕の顔を見つめた後、「分かりました」と静かに二歩後退った。



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