しがらみを背負った彼女 クレイ・バーラーニ -3-
「腕輪が壊れようがなくなろうが盗まれようが、損害は金貨程度だ」
エリアナさんに金貨を出されてひっくり返っていた師匠が、『金貨程度』と言う。
目は真剣そのもの。
「だが、お前に何かあったらチロルが泣く。セリスが塞ぎ込む。俺も仕事が手に付かなくなる」
いつも笑顔に満ちているこの家から、笑顔が消える。
「俺はな! 毎日毎日笑って楽しく、幸せに暮らしたいんだよ、愛する家族とな!」
だから、家族を悲しませるな。
本当に、師匠は分かりやすい性格をしている。
まっすぐで、純粋で、心地いい。
「だから、俺から家族の笑顔を奪うようなことはするな」
胸倉を締め上げていた手から力が抜け、少し浮いていた足が床につく。
師匠の目も少し柔らかくなっていた。
「俺ぁ何よりも家族が大切なんだ。最愛の妻と、世界一可愛い愛娘と――」
そして、大きな手が僕の頭を覆い尽くす。
「――物覚えの悪いこのバカ弟子がな」
喉が詰まる。
胸倉を締め上げられていた時は苦しくもなかったのに、今は呼吸すらまともに出来そうにない。
気を抜けば、喉の奥が震えて情けない音が漏れそうになる。
僕を、家族だと……思ってくれて……いる、の、かな……
あぁ、ダメだ……まぶたが熱い。
今、真面目な話をしたり、場を和ませるための優しい冗談を言われたりしたら、きっと僕は声を上げて泣いてしまう。
そんな無様は晒せない。
大きく息を吸い込んで、無理やり頬を持ち上げて、精一杯の笑顔を作ってみせる。
師匠を見つめ返して、精一杯の感謝を込めて、今の僕が口に出来る唯一の言葉を向ける。
「では、ありがたくお借りします」
「おう。持ってけ」
ドンっと、腕輪を胸に押しつけられる。
重い。
なんだか妙にずしっと重みを感じた。
光を反射する美しいシルバーの輝きが、とても優しく感じた。
「まぁ、そういうわけだから、アレだ」
ごほんと大きな咳払いをして、師匠は早口で捲くし立てる。
「焦らずにな、いい出会いを求めるといいと思うぞ。ここになら、いつまでいてもいいんだからよ」
頬が少しだけ赤く染まっている。
やっぱり、ちょっと恥ずかしかったらしい。
あはは。ですよね。男同士で大切だなんだって、やっぱ照れますよね。
「ところでトラよ」
気恥ずかしさが抜けないのか、師匠が急な話題の転換を試みる。
「あの相談員さんとかどうなんだ?」
「へぅい!?」
「いやだってよ、気立てはいいし、別嬪だし、お前とも話が合うみたいだしよ」
コノヒトハナニヲクチバシッテイルンダ?
「いや、あの、カサネさんは……そういうのでは……」
「まぁそうか。おっぱいちっちゃいもんな、あの相談員さん」
「セリスさーん、お宅の旦那さんがよその女性の胸を観察……!」
「わぁ、バカ! 待て待て!」
デカい両手で口を塞がれた。
もはや顔全体が覆われている。
コノヒトハナニヲクチバシッテイルンダ? ン?
「だってよ、龍族の姫様もこの間の姉ちゃんもデカパイだったからよぉ、トラはそういうのが好きなのかと思ってよ」
「僕が希望したわけじゃないですよ。カサネさんチョイスです」
たまたまです、たまたま!
「んじゃあ、あの相談員さんにアタックしてみりゃどうだ? 見た感じ、向こうもお前のことを結構好いてんだろ、あれは」
「………………え?」
「まぁ、少なくとも、憎からず思ってんじゃないのか?」
「それは……まぁ、憎まれてはいないと思いますけど……」
そうなのか?
カサネさんが…………僕のことを…………?
『申し訳ありませんが、相談員が相談者様と必要以上に親密な関係になることはあり得ません』
ふと、カサネさんの言葉が蘇った。
あれはたしか、別の相談者さんにプロポーズされた時にカサネさんが言った言葉だ。
あの時、カサネさんは……少し困ったような顔をしていたっけ。
『私たち相談員と相談者様との間に、恋愛感情が生まれることはあり得ません。なぜなら、私たち相談員は相談者様と同じ立場でよいご縁をご紹介する者だからです。言うなれば、一心同体とも言えます』
前にここで、チロルちゃんにも同じようなことを言っていたっけ。
「カサネさんは、僕の結婚をサポートするために親身になってくれているだけですよ。優秀な人なんです、彼女」
そうさ。
カサネさんはとても優秀で、面倒見がよくて、とても優しい、敏腕相談員なんだ。
僕が変な感情を抱くのは、きっとカサネさんの迷惑になる。
あはは。
まいったなぁ……
割と平気だと思ってたんだけど、僕、結構ショック受けてたのかなぁ。
お見合いが立て続けに破談になると、いつも隣で親身になってくれる相談員さんに依存してしまう人が稀にいる――と、日本で相談員をしてくれていた佐藤さんが言っていた。
傷付いた心を紛らわそうと、依存する気持ちを恋だと思い込んでしまうのだと。
まさか、僕もそうなりかけていたのだろうか。
そりゃなぁ、エリアナさんもミューラさんもティアナさんも、みんな僕にはもったいないくらいに素敵な人たちばっかりだったもんなぁ。
破談の後も笑って過ごせていたのは、カサネさんや師匠たち家族が僕を支えてくれていたからなのかもしれない。
そっかぁ……あはは……まいったや。
これはいよいよ、やばいかもしれないな。
次こそお見合いを成功させなきゃ。
そうでなきゃ――
カサネさんに迷惑をかけてしまいかねない。
「師匠。僕、次のお見合い頑張ってきます! うまくいったら、家族として紹介させてくださいね!」
「ん~、そいつは嬉しいんだがよぉ、之人神だろ? どーすっかなぁ……」
「いや、きっといい人ですって! だって結婚相談所『キューピッツ』が紹介してくれる女性なんですから!」
少しの不安と、微かな期待と、大きな使命感に燃え、僕はお見合いの日を待った。
腕に嵌めた銀の腕輪の感触に、自然と頬が緩んでしまうのを感じながら。