心を解く甘い味 -2-
「あっと、いけない」
気が付けば五分もの時間が経っていました。
茶葉を蒸らし過ぎてしまいました。
お湯を熱めにしたため、かなり渋みが出てしまっていることでしょう。
疲れた体に渋いお茶。
……気分が滅入ります。
とりあえず、ティーカップに注ぎ一口…………渋いです。
再びため息を漏らし、ノートに視線を落とします。
お見合い開始間もなく書き込まれた文章。
『犬耳が好き』
……ふふ。
思い出して、自然と口元が緩みました。
トラキチさんのあのはしゃぎようが、なんともおかしくて……
「うふふ……」
会場ではさすがに笑えませんでしたが、その時笑えなかった分、今になって無性に愛くるしく思えてしまいます。
犬耳が好きって……まるで子供のようで…………
この『世界』に住まう幾多の人種。
共通点の少ないそれら数多の人種たちに存在する数少ない共通点。それが、『子供の頃はふわふわもふもふした柔らかいものが好き』というもので、生まれたての赤ん坊にはそのようなふわふわしたタオルケットやぬいぐるみを贈るのが習慣となっています。
それを、トラキチさんは、隠すことなく、恥ずかしげもなく、むしろ胸を張って…………
「ふふふ……っ」
そんな姿が、無性に似合ってしまうから困ります。
トラキチさんならきっと、もふもふした服でも華麗に着こなすことでしょう。女性で、そういうふわふわした衣装をあえて身に纏い『子供っぽい可愛らしさ』を演出する方は一定数いるようですが……おそらく、その誰もがトラキチさんの足下にも及ばないでしょう。
なんなら、トラキチさんはご自分で犬耳を生やしても似合うはずです。
少し、想像してみます……
「…………」
…………
「…………」
…………
「…………」
……………………はっ!? いけません。
今、帰りに首輪を買って帰ろうとか考えていました。
ウチのマンションはペット禁止です。無理です。
「……もう」
申し訳なくて、反省して、今度謝罪に伺おうと、そのようなことを考えていたはずなのに……
「なぜ、いつもあなたは私を笑顔にさせてしまうのですか?」
あんなにも重かった心が、少しだけ軽くなっていました。
私は、シュガーポットの蓋を開けて無造作に一つ、角砂糖を摘まみ上げます。
「…………黄色」
このシュガーポットから無作為に取り出した角砂糖にはなんの細工もされていないことが証明されました。
今日は、グレーですから。
だとしたら、やっぱり……
「…………えい」
少しの小憎らしさを感じつつ、私は渋くなってしまったハーブティーに黄色い角砂糖を落としました。
見る間に解け消えていく甘い塊。
ティースプーンでかき混ぜ口に含むと――
「……おいしい」
――心が落ち着く甘さでした。
渋みが少し邪魔をしますが、この香りとこの甘さは、もしかしたら相性がいいのではないか。そんなことを思ってしまう、奥深い味わいでした。
「本当に……理解が及びませんね」
エキセントリックかと言われれば、そういうわけでもなく。どちらかと言えば平凡で目立たない雰囲気のトラキチさん。
なのに、どうしてこうまで記憶に残るのでしょう。
彼の一挙手一投足が、まるで芸術的な絵画のように心に刻み込まれ、高尚な一編の詩のように何度も脳内に蘇ります。
「…………不思議な人」
いつかも似たようなことを呟いた気がしますが、いまだに彼の底は見えていません。
もう少し、私はトラキチさんについて深く理解する必要があるようです。
私に理解しきれるのか、それは分かりませんが……
「やぁやぁ、カサネ君。今回もダメだったそうじゃないか」
ハーブティーを飲み干したところで、所長が私のデスクへとやって来ました。
背後にモナムーちゃんを引き連れて。……モナムーちゃん、可愛い。
「こらこら。いくら私の背が可愛らしいミニマムサイズだからといって、視線を合わせないのは不敬だよ、カサネ君」
……そうでした。報告がまだでした。
「ダメでした。以上です」
「そうかそうか! 今晩は何が食べたい? 夜は長いんだ。語ろうじゃないか!」
嬉々として出前のメニューを物色し始める所長。
……この人はなんのために結婚相談所を経営しているのでしょうか。
「まぁあれだ。君はまだまだ若いからね。一人で考えて分からないことは、私のような先人に意見を仰ぐといいと思うよ。こう見えて、ソッチの経験も豊富だからね。ぬっはっはっ!」
『ソッチ』というのが『どっち』かは分かりませんが、この幼女に聞いて何か得になる情報が得られることはまずないでしょう。
……いや、そう決めつけるのも早計でしょうか。
生きている期間が私よりもはるかに長いという点では疑いようもないことであり、目に見えた成長をしていなくとも経験という面では私よりも豊富な知識を有している可能性も否定は出来ません。
それに、人に話すことで糸口が見つかることもある。と、昔読んだ本に書いてありました。
「では所長。質問してもよろしいですか?」
「なんだい? なーんでも聞いてくれたまえ!」
先ほど内容を確認していたノートを見やり、トラキチさんとはどのような方なのかを尋ねます。
ミューラさんが素の表情を見せた後、トラキチさんが熱く語った言葉。あの時のトラキチさんの言葉に、嘘はなかったと確信しています。それが、トラキチさんの本心であると。
その話をして、所長がどのように感じるのか、聞いてみたいと思いました。
ただし、個人のプライバシーに関わりますので、トラキチさんのことであるとは悟られないように――
「女性にわがままを言われるのが嬉しくて、約束を破られても二時間程度待ちぼうけを食らわされても気にせず、激しく罵られることでより強い絆が築けると言った男性がいるのですが」
「……どういう男なんだい、それは……?」
それをこちらが聞きたかったのですが……確かに、情報が少な過ぎたかもしれません。
では、私が思っている客観的なトラキチさんの特徴を付け加えましょう。
犬耳好きな子供っぽいトラキチさんは……客観的に言うなれば……
「首輪が似合いそうな男性です」
私からの情報を聞き、所長は「そうか」と短く呟いた後、はっきりとした口調で断言しました。
「その男は、ドMだね」
……なんということでしょう。
見る人が見ればそのように映るのですね。
ということは、『リードされたい』や『強い女性が好き』というのは…………そういう意味だったのでしょうか。
「なるほど……」
私は、新たに得られた情報をノートに書き留め、この次のお見合いに生かそうと心に決めたのでした。