首尾よくいかない休日の午後 -1-
休日の午後。
外に出てみると空は抜けるように青く、ほんの少し肌寒い風が吹く中、心地のよい日差しが頬や少々薄着過ぎた肩に降り注ぎます。
だからこそ、心が重いです。
……昼過ぎまで眠ってしまいました。
えぇ。所長がもう、それはそれはしつこくて。
翌日(本日のことですが)、私が休暇日であると知るや、もっと話せ、さぁ飲めと、飲酒までさせられて。
私は、さほどお酒には強い方ではないと自覚しています。
もちろん、職場の者にもその旨は話しており、不必要にアルコール類を勧めないようお願いしています。
……が、所長にはそんな良識は通用しません。
私よりもはるかに年上のあの幼女は、小さなお子様特有の「もっともっと症候群」をよく発症するのです。
あの追求から逃れられる者は、そうそういません。平の社員たる私などでは、とても……
そういう理由で、休日の半分を無駄にしてしまった私は、せめて残りの半分を有意義に過ごそうと街へと繰り出しました。
特にショッピングが趣味というわけでも、何か目的があったわけでもないのですが、午前中をずっと寝て過ごしてしまったという罪悪感から家に閉じこもっていることが躊躇われたのです。
特にすることが見つからなければ、国立図書館にでも行って本など読んで過ごそうと考えています。
けれど、その前に大通りを歩いてみようと、珍しくそのようなことを思いついたのでした。
自分でも珍しいことだと思います。
私は、オシャレというものにはとんと興味がありません。
自分で言うのもなんですが、私は世の一般的な女性と比べても垢抜けておらず、男性から見れば面白みに欠けている……と、所長に散々言われたので、おそらくそうなのであろうと思っています。否定するだけの材料もありませんし、おそらくその通りなのでしょう。
相談員は、あくまで相談者様がご成婚なされることを第一に考えます。
相談者である女性がより華やかに見えるよう、相談員は基本的に控えめで地味な衣服を身に纏うようにしています。
私はなんとなく普段もそのまま地味な服装をし続けているので、きっとこういう飾り気のない格好が好きなのでしょう。正直なところ、よく分からないのですが。分からないということは興味がないということなのだと思います。
そんな私が、今日に限って珍しく大通りの、それもオシャレだと言われる服飾関連のお店が軒を連ねるこの区画に足を運んでいるのは、きっと、この胸のブローチが理由なのだと思います。
昨日、こちらの調査不足のために多大なるご迷惑をおかけしてしまった相談者、シオヤ・トラキチさん。
そのトラキチさんがくださったシルバーのアクセサリー。
ヒヨコをモチーフにしたブローチとのことでしたが、こう言うと失礼なのですが……目口の付いたお豆さんに見えます。ほんの少し不細工で、だからこそたまらなく可愛らしいお豆ヒヨコ。
このお豆ヒヨコさんは、私が生まれて初めて所有したオシャレアイテムです。
シルバーのアクセサリーといえば、誰もが一つは持っている――と、職場の女性が言っていたアイテムですので、これでようやく私は世の女性の言うところの『普通』に手が届いたということになります。
なぜでしょう。
心なしか、勝ち誇りたくなります。
少しだけ、いいでしょうか……
私。オシャレ、はじめました。
……自分で言っておいてなんですが、照れました。
ショーウィンドウに映る自分の姿を見つめると、日の光を反射してお豆ヒヨコさんがきらりと輝きました。
「……綺麗」
思わずこぼれた言葉。
これは素直な称賛です。
確かに、今この時点でトラキチさんの作成したアクセサリーに値段は付かないかもしれません。
ですが、たった一つのアクセサリーでここまで人の心を豊かに変えてしまえるというのは、一つの才能であると思えました。
きっと彼は、これから先どんどんと技術を磨き、素晴らしい銀細工をたくさん生み出すことでしょう。
このお豆ヒヨコさんを見て、私はそう確信したのです。
……と。
ここで冷静になり、ふと自分の行動を顧みました。
ショーウィンドウに自身の姿を映し、そして「……綺麗」などと呟く。
傍から見たら、とんだ『自己愛ヤロウ』ではないでしょうか? 世に言うナルシストという人種です。
途端に恥ずかしくなり、顔が真っ赤に染まりました。
自分の姿を見て「綺麗」だなどと呟けるほど、私の容姿は優れてはいません。それくらい自覚しています。
けれど、そんなことは私以外の誰も知らないのですから、今の言動を目撃された方には漏れなく「イタイ女だ」と思われたことでしょう。
違うのです、と弁明したい。
しかし、いきなり見ず知らずの方に、それもこの場にいたすべての方に説明して回るのは、相手の方にご迷惑になりますし、何より現実的ではありません。
ならば、それは誤解であると表明するべきなのでしょうが、ここで変に「このブローチは本当に綺麗ですね」などと大きな声でしゃべり出したら、……私は独り言が癖になっている一風変わった女であるという評価が下されるでしょう。それはそれで困ります。知り合いにそう思われでもしたらきっと腕のいいお医者様を紹介されてしまいます。
で、あるならば、下手な言い訳は愚策。するべきではありません。
私が取るべき行動は……そうです。まずは何より、目撃者の有無を確認しましょう。
今ちょっと恥ずかしくてショーウィンドウから視線を外せずにいますが、勇気を持って視線を周りに向けるのです。
そうして、私の奇妙な言動を目撃した人物が本当にいるのか否かを確認するのです。
もしかしたら、今日に限って大通りには人っこ一人歩いていない可能性だってあるのですから。
そう自分に言い聞かせて、振り返ると――
「あ、カサネさん。お買い物ですか?」
――トラキチさんがこちらを見ていました。
なんということでしょう……
「違います。私にはまだ腕のいいお医者様は必要ないのです」
「え? お医者様? あの、どこか具合でも悪いんですか?」
「違うんです。お豆ヒヨコ……いえ、ヒヨコさんなんです」
「あの、すみません……よく分かりません」
なんとか弁明を試みようとしているのですが、一向にこちらの思いが伝わりません。
どうしましょう。
毎秒顔の温度が上昇しているようです。このままでは、私は湯たんぽになってしまいます。
「私は、湯たんぽではありません」
「え? ……~っと…………ミ、ミートゥー」
なんだか分からない言葉を返されてしまいました。
トラキチさんは時々、このように訳の分からないことをおっしゃいます。少しだけ困ってしまいます。
「カサネさん。今日もお仕事ですか?」
「いえ。今日は休暇日なので、少し大通りを歩いてみようと思ったのです」
「休暇……なんですか?」
トラキチさんが驚いたような表情をして、私の衣服に視線を向けます。
……着ているものが就業時と変わらないので分からなかった、ということでしょうか。
申し訳ないのですが、私はこういう服以外持ち合わせていないのです。……いや、別に申し訳なくはないのではないかという気がしてきました。
「トラキチさんは、昨日とは随分と雰囲気が異なりますね」
「はは。あんな高い服、普段からは着られませんよ。汚しそうで、緊張しちゃいます」
汚れれば洗えばいいのではないでしょうか?
緊張する要素が見当たらないのですが……けれど、今のトラキチさんの服装のようにラフな格好の方が楽であると考える方は男女問わずに多いようです。一定の理解は出来るというところでしょうか。
「まさか、カサネさんは寝る時もその格好……なんてことはないですよね?」
「……バカにされていますか?」
「とんでもないです! ごめんなさい!」
いくらオシャレに疎いからといって、衣服の知識がないわけではありません。
就寝時には寝巻きに着替えるくらいの常識は弁えています。失礼です。……むぅ。
…………果たして、私の寝巻きは一般的な常識の範囲に入っているのでしょうか? 『100%間違いなく常識的である』とは、断言できかねます……少し、不安になってきました。
「トラキチさんは、どのような寝巻きを着用されているのですか?」
「寝巻きですか? ん~……普通ですね」
普通!?
普通とは一体どのようなものなのでしょうか?
職場の女性たちもよく「普通」という言葉を口にされますが、果たしてそれは、皆一様に同じものを指しているのでしょうか?
だって、もしみなさんがおっしゃる「普通」が同じものを指しているのだと仮定するならば、職場のオシャレな女性たちとトラキチさんは同じ寝巻きで就寝しているということになります。
「……レースやフリル、ですか?」
「えっと……バカにしてます?」
不快感を与えてしまったようです。
職場の女性たちは、レースやフリルがあしらわれた寝巻きを着ていると聞いたことがあったのですが……
「では、トラキチさんの寝巻きは『普通』ではない可能性がありますね」
「いや、普通だと思いますけど……」
少々自信なさげに、トラキチさんは苦笑を漏らしました。
とはいえ、「では拝見させてください」と言えるはずもなく、この話題は結論が出ることもなく終息するのでした。