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短剣の刃を喉元に突き付けようとしたティアだったけれど、もちろん死ぬ気などなかった。寸止めをするつもりだったのだ。
そうすれば仕掛けた本人───国王陛下が何らかのリアクションを取ると思っていた。
だから手首を掴まれた瞬間、てっきりグレンシスが見ていられらなくて止めに入ったのだと思った。
けれど、現実はそうではなかった。
今、ティアの視界には、縁もゆかり無い宰相がいる。そして物凄い力でティアの手首を掴んでいる。
動きにくい服を着ているのに、随分と素早い身のこなしだ。
あと、そんなに怖い顔で睨まなくても、とティアは、ユザーナをまじまじと見つめ、そんなことを思う。
けれど思うだけで、ティアは口に出すことはしない。
そして、感情を消したティアが何を考えているのかを読み取るのは、初対面では、なかなか困難なこと。
なのでユザーナからすれば、まだティアが自身を傷つけるを諦めていないように取れてしまったようだ。
「これを離しなさいっ」
「───……痛っ」
さらにユザーナはティアの手首を掴む力を強くする。その結果、ティアはあまりの痛みに耐え切れず短剣から手を離した。
───ぽふんっ。
高価でフカフカな絨毯は、包み込むように短剣を受け止める。
それをティアが目視する前に、頭上から耳をつんざくようなユザーナの声が降ってきた。
「どうしてこんなマネをしたんだっ。私が止めるのがあと、一歩遅かったら、君は怪我を……最悪、死んでいたんだぞ!!」
頭ごなしに怒鳴られて、ティアはとても不機嫌になる。
「いえ、死にませんよ」
売り言葉に買い言葉に近い勢いで、ティアは言葉を重ねた。
「ご安心ください。この絨毯を汚すつもりなんて、な」
「そんなことはどうでも良いっ」
「……っ」
てっきりユザーナは、絢爛豪華な謁見の間を汚すなという内容で怒り心頭だと思っていた。
けれど、その理由を一蹴されてしまえば、ティアは目を白黒させるしかない。
そんなティアとユザーナのやり取りを国王陛下は、面白おかしく見ている。
そしてバザロフとグレンシスは、『あーあ』的な何とも言えない表情を浮かべている。
……なんていう3人が浮かべている表情を、ティアはユザーナに遮られて見ることができない。
つまり、大変至近距離で、ユザーナから説教を受けている状況だったりする。縁もゆかりもない、初対面の男性から。
「君はわかっていないっ。移し身の術は、本人には使えないんだっ。そんなことも知らずに」
「あ、いえ、知っています」
血相変えて言い募るユザーナに、ティアはとうとう我慢できず冷静に片手を上げて制した。
「ん?」
些末なことかもしれないが、ユザーナは正確には『ん゛?』と言った。
大変苛ついているご様子だ。
だが、そのユザーナの態度が返ってティアを冷静にする。
ティアはヒリヒリと痛む手首を反対の手で庇うようにそっと撫でてから、口を開いた。いつも通りの落ち着いた声音で。
「私、はなから死ぬつもりなんてなかったです」
「……と、いうと?」
ユザーナは短い間でティアの言葉を理解しようと頑張った。けれど結局、答えを見付けられずティアに回答を求めることにした。
対してティアは、ちょっとバツが悪そうに、ユザーナからそっと視線を外して口を開く。頬をぽりぽりと掻きながら。
「えっと……なんか王様が一計を案じているようでしたので、便乗したまでです」
「は?」
「は?と聞かれても、実は私も詳しくは知らないんですけど……」
───どうやら王様は、宰相さまを騙そうとしていたようなんです。
そう言った後、狐につままれたような顔をするユザーナに、ティアは肩をすくめてみせる。
ちなみに、ティアはユザーナの質問に答えながら、じりじりと後退していた。
なので先ほどよりも視線が開けている。そうなればおのずと視界に入るものがあった。
口元に手を当て、必死に笑いを堪える国王陛下とか。
やれやれと言いたげな、皮肉気に片方の頬を持ち上げているバザロフとか。
ちなみにグレンシスは言葉にできない程、変な顔をしている。
少なくとも3人にとってこれは想定外の出来事ではないようだった。そして、国王陛下の表情を見るに、謀が成功したともいえる。
ただティアは、なぜこれが国王陛下にとって正解の展開なのか、まったく意味がわからなかった。
でも、ティアを省いた3人は、王様の意図がわかるようで、ユザーナはみるみるうちに、眉間に皺を刻んだ。
そしてムッとした表情で、ユザーナが国王陛下に振り返った瞬間、
「まったく、お前はつくづく頑固者だな」
ユザーナが何かを言う前に、国王陛下の声が謁見の間に響いた。
そして、国王陛下はとても呆れた声で、言葉をつづけた。
「私をこんな悪人に仕立てるなど、ウィリスタリア国広しといえど、お前だけだぞユザーナ。感謝しろ。感動の再会を演出してやった私に」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ始めた国王陛下に、ユザーナは『そんなこと頼んでいません』と吐き捨てた。
ちなみにティアは、まったくもってその会話の意味が分からず、ぽかんと突っ立っていることしかできない。
そんなティアに向け、国王陛下は柔らかい笑みを浮かべた。
「ティア、お前の本当の名はティア・ノスタリビア。そして、この宰相の名は、ユザーナ・ノスタリビアだ」
「……は?」
点と線が上手いこと繋がらないティアは、間の抜けた声を出してしまった。
そうすれば国王陛下は、表情をほんの少しだけ生真面目なものに変え、ゆっくりとこう言った。
「ここにいる宰相が、お前の父親だ」
「!!!!」
国王陛下の言葉があまりにも衝撃的なもので、ティアは息さえできなかった。
でも驚いて目を見開いたティアは、しっかりユザーナを二度見した。
「私の……お父さ……ん?」
誰に向けて問うたか、ティア自身わからなかった。
だが、目の前の推定父親であるユザーナは、ひどくゆっくりと、まるで痙攣したかのように小さく頷いた。
「……先ほどは勘違いをしてしまい、本当に失礼した」
王様の策略を知らなかったユザーナは、なにも悪くない。
なのにティアを乱暴に扱ったことに対して、深い後悔を抱いていることがその表情でわかった。
「あ、いえ。私こそ……」
ごにょごにょと歯切れの悪い言葉を紡いだ後、ティアは沈黙する。
そして、目の前にいる男を見つめる。
申し訳ないが、あまりに突然すぎて、感動は皆無。驚きしか浮かんでこない。
恋愛に疎く一生独身宣言をしているティアとて、子供がどうやったら生まれるのかくらいは知っている。
だから自分が生まれるには母親と父親が必要なのことも。
でも、自分の人生において、父という存在はバザロフだった。血縁関係はなくても、似ていなくても、それでもバザロフだけだった。
なのに、いまここに、本当の父親がいる。
瞬きをゆっくりと繰り返すティアの心の中では、様々な感情が津波のように襲ってきている。
たけれど、でもやっぱり一番の感情は、驚きだった。
「ふっ……驚くとゆっくり瞬きをするのは、父親に似たんだな」
堪えきれないといった感じで薄く笑った後、可笑しそうに目を細める陛下を見て、ティアはすぐにユザーナに視線を移す。
ユザーナは嬉しいような悲しいような、それでいて拗ねているような感情が複雑に混ざっているようで、表情はいまいち読めなかった。
でも、これだけは間違いなくわかる。
この国で最たる存在であるド偉い御仁は、ユザーナと自分に向けて、一計を案じていたということ。
つまり短剣を喉元に当てようとした時点で、自分はフラグを立てていたのだ。
それに気付いたティアは、とんだお笑い草だと悔しそうに口元を歪めた。
でも今、アジェーリアが時折見せた”してやったり”という表情と同じものを浮かべる国王陛下を見て、こうも思った。
この親にして、この子あり、と。




