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会いに来いと言われたのだから、会うと言えばすぐに会えるとティアは思っていた。
なのに、今度はこちらから日時を指定すると言われてしまった。
これだからやんごとなき方々は、とティアは心の中で悪態を付く───……が、内心ちょっとだけほっとしているのも事実だったりする。
急かされば急かされる程、悪いことしか考えられなくなるから。
ただ待つ時間も、なかなか厄介なもので。
毎度のことながら、ティアは一人鬱々と悩んでいたりする。
つい先日、グレンシスに放った言葉を一語一句思い出して。
人間というのは不思議なもので、少し時間が経つと冷静になるもの。そして、そうすればわかることがある。
例えば、先日の自害する云々と言ったティアの言動、あれは、これまで抱えていた気持ちが爆発して、感情が制御できなかった故のもの。
ティアはグレンシスを困らすつもりも、責めるつもりもなかった。他に言いようがあったのに、感情を先行させてしまった。
わかりにくいことこの上ないが、ティアは不器用ながら、グレンシスに甘えてしまっていたのだ。彼が優しいことを知っているから。
まぁつまりティアは、控えめに言って、グレンシスに八つ当たりをしてしまったということ。
さてティアがロハン邸で再び生活するようになって、早10日。
晴天に恵まれた午後、ティアはロハン邸の庭にいた。
秋はバラが一年で最も美しい季節である。
咲く種類や多さは春のバラには劣るけれど、秋のバラには、また魅力がある。
気温がゆっくりと下がるので、色や香りがしっかりと蓄えられながら開花し、バラ本来の美しさが出やすくなる。
そして、春のバラに比べ少し小さめではあるが、色味がはっきりとしていて香りが強いのが秋バラの特徴。
特に赤や黒系の色が鮮やかに出ると言われている。
だから庭師ご自慢のバラ園は全体の景色を見ると数が少なく、寂しさを感じるかもしれない。けれど、一輪の美しさで言えば一年で最も美しい時期。
そんな甘い香りに包まれて、ティアはバラ園の東屋で一人、お茶を飲んでいる。
小さなテーブルには真っ白なテーブルクロス。
そしてその上に置かれているのは、バラの芳香と花びらが、茶葉の風味に自然に溶けこんでいる上品な紅茶。
ティアはティーカップを持ち上げて、庭をぐるりと見渡す。次いで視線を下に向けた。
そこにはロハン邸の番犬がいた。
「どうしたら良いのかなぁ……ねぇ、シノノメはどう思う?」
ティアは足元に居る、シノノメという名のドーベルマンに小さな声で問いかける。
細身で隙のない体形が特徴のドーベルマンのシノノメは、ティアの言葉に尖った耳を微かに動かして、すんと鼻を鳴らすだけだった。
ドーベルマンは勇敢さや警戒心の強さも持っているので、軍用犬や警備犬としてのイメージが強いけれど、実は、穏やかで落ち着いた性格の持ち主。
そして飼い主や家族への忠誠心は強く、愛情深い犬だったりもする。
だから一見つれない態度を取ったように見えるシノノメだけれど、問いかけたけれど実は答えを求めていないティアには一番正しい行動を取っていた。
「おりこうさんだね。シノノメは」
ティアはティーカップを置き、椅子から降りて、ぎゅっと番犬の首に腕を回す。
この番犬とティアはまだ顔を合わせて3日目の間柄。
けれど、何年も一緒にいるような親近感を覚えてしまう。
それはきっとティアがここに居ることに、以前のように違和感を覚えていないから。
ミィナやアネッサを始め、マーサもルディオンもティアと再会できたことを手放しで喜んでくれている。
また、初めて顔を合わせる庭師や他の使用人達もティアにとても優しい。
だから、ティアは人間の言葉を話すことができないシノノメに敢えて問うてしまうのだ。自分の心を見透かした言葉を吐かれるのが嫌だから。
また、ここを離れることができるかどうか。
ティアは自分の意志では、それがきっとできないでいるとわかっている。
わかっているから、悩んでしまうのだ。
「どうしたら良いのかなぁ」
ティアはもう一度同じ言葉を呟く。
答えなんてとっくの前から出ているのに、そう言わないといけないような気がして。
グレンシスは、これまでティアに嘘を言ったことがない。
だからきっと国王陛下は、自分のことをそれほど悪用しないのだろう。自害する必要もないかもしれない。
でも、そうなったらそうなったで、問題がある。
それはその後の自分の身の振り方について、だ。
ロハン邸でお世話になっているのは、一時的に避難するため。……ということになっている。
でも、グレンシスは以前、ずっとここに居れば良いと言ってくれたことをティアは忘れていない。
そして、今でもここは自分を甘やかしてくれる場所だと言ってくれたことも。
そんなふうに言ってくれたグレンシスが、『用が済んだから出て行け』と言うのだろうか。多分、言わないだろう。
───なら、自分はどうすれば良いのだろう。
ティアはぎゅっとシノノメに抱く力を強くする。くぅんと、シノノメはティアを非難するのではなく、慰めるような甘えた声を上げる。
一生結婚しないと決めた相手を屋敷に住まわせて、彼はそれで良いのだろうか。
娼館育ちの自分と違って、グレンシスは、エリート騎士だ。そして貴族の次男坊でもある。
お気楽な立場では決して無い。それゆえの責任も、しがらみもある。
だから自分は、またメゾン・プレザンに戻るべきなのだ。
でも、ティアの気持ちは、べきとしたいことが真逆でいる。それが、本当に困ってしまうのだ。
そんなふうに、相も変わらずぐるぐると同じことばかり考えているティアは、背後から忍び寄る人影に全く気付いていなかった。
「───……ここにいたのか」
声と同時に、ぽんとティアの頭に大きな何かが柔らかく乗った。
でもティアはその声の主が誰かわかっているので、別段、驚くことはしない。
「……はい。おかえりなさいませ」
ティアはシノノメに抱き着いたまま身体を捻り、グレンシスを見上げた。
「あ、ああ」
歯切れの悪い返事と共に、頭に乗っている大きな手がぐしゃぐしゃとティアの髪を撫でまわす。
今朝、せっかくミィナに結ってもらった髪が台無しになってしまった。
けれど、いつの間にかグレンシスの後ろに控えているミィナは、むっとする表情など浮かべず、ニコニコと笑っている。
そして、グレンシスも、歯切れの悪い口調とは裏腹に柔らかい笑みを浮かべている。
グレンシスは、日中、ティアが屋敷で何をしていても、どこにいても文句を言ったりしない。むしろ、伸び伸びと過ごしていることを嬉しく思っている。
───甘やかすにもほどがある。
ティアは、溜息を付く代わりに、唇をへの字に曲げた。
先日の事だってそうだ。
八つ当たりをしてしまったと気付いたティアは、グレンシスに謝った。それはもう低頭平身で。
そんなティアを見て、グレンシスは『お前は、謝るようなことはなにもしていない』と言って苦笑を浮かべるだけだった。
そして出来の悪い子犬がやっとお座りを覚えた時のように、嬉しそうに笑った。
「……そろそろ、手を止めてください」
「もう少しだけ」
ぐしゃぐしゃと撫でまわされることにティアが恥ずかしさを覚えて、抗議の声を上げてもグレンシスの手は止まらない。
そしてシノノメがティアの腕から逃れて、グレンシスに鼻を寄せたのをきっかけにようやっとその手が離れた。
そうすれば自然な流れでミィナが、ティアの向かいの席の椅子を引く。
そしてシノノメの頭を軽く撫でてから流れるように座ったグレンシスの前に、ミィナは同じバラの香りのするお茶を置いた。
ついでに自分のも淹れ替えてくれたので、ティアは慌てて席に着く。
それから優雅に飲み始めるグレンシスを見て、ティアはイケメンというのは、本当にすごいとしみじみと思ってしまう。
顔が良ければ大抵のことは、許すことができるし、どんなに落ち込んでいたり悩んでいたりしても、その姿に魅了されてしまうので、ふさぎ込んだ気持ちを忘れさせてくれる。
ある意味イケメンは生きる万能薬だ。
むせかえるバラの香りの中、ティアはまた一つイケメンの使い方を知ってしまう。
「……ん?どうした?ティア」
理由はわからないけれど、ティアにじっと見つめられているグレンシスは、柔らかく目を細めて問いかけた。
「存在だけで人の役に立つって、すごいなぁって思いまして……」
「俺は、お前の役に立てればそれで良いんだが?」
「そ、そうですか」
二度聞きしたら悶絶してしまうこと間違いない台詞を吐かれたティアは、赤面する気持ちを誤魔化す為に、お茶を一気に飲み干す。鼻に抜けるバラの香りは、やっぱり素晴らしい。
ただ視界の端に、ミィナが自分の代わりに赤面してくれるのがチラッと見えた。けれど、それは目の錯覚だと自分に言い聞かす。
そして視線を感じて視線を前に戻せば、自然にグレンシスと目が合う。
「今日、謁見の日時が決まった」
「いつですか?」
食い気味に問うたティアに、グレンシスはわざとそっけなく答えた。
「明日だ」
「……明日」
オウム返しに繰り返せば、グレンシスは深くうなずくだけだった。
そして話は終りと言わんばかりに、再びティーカップを口元に運ぶ。
対してティアは、これだからやんごとなき方々は、と再び心の中で悪態を付く。
けれど真綿で首を絞められるような 、じわじわと責め立てられる時間はうんざりしているのも事実。
だからティアもグレンシスと同じように無言でいる。
───そして、翌朝、王城へと向かった。グレンシスと共に。




