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翌朝、ティアはグレンシスと一緒にロハン邸の食堂で朝食を取っていた。
グレンシスは、決して大口を開けて食べているわけではないのに、食事を取る速度はものすごく早い。食べ方も綺麗だ。
そしてあっという間に食べ終わると、今度はティアに向かって、あれも食べろこれも食べろと口を出す。
ぶっちゃけ食事をしている時より忙しなく口を動かしている。
それを、はいはいと適当に聞き流しながらティアはいつもの量を食べ終えた。
そして未だ続くグレンシスの小言を聞きながら、ティアはアネッサが用意している食後のお茶が淹れられる様子をぼんやりと見つめる。
この食堂の壁紙は、清潔感を感じさせるオフホワイト地に水色を基調とした幾何学模様が等間隔に描かれたもの。
そして採光を取り入れる窓は大きく、気持ち良い一日の始まりになるよう朝日がふんだんに入るように設計されている。
けれど今日は、カーテンを開け放たれているのに、少し薄暗い。雨が降っているのだ。
昨日の晩、ティアが寝る前に見上げた夜空は雲一つなかった。なのに今は、絹糸のような雨が食堂の窓に映る景色を消していまっている。
つまり、女心と秋の空というように、秋の天気は変わりやすいということ。
けれど、騎士服の上着を脱いでいるグレンシスに新鮮さを覚え、性懲りも無くときめいてしまうティアの乙女心は相変わらずだし、昨日心に決めたことは今朝になっても変わらない。いや、むしろ強くなっている。
だからこれ以上、王様の命令について考えるのは不要なこと。
そう結論を下したティアは、アネッサがお茶を置いてくれたのと同時に、居ずまいを正して切り出した。
「グレンさま、昨日の件ですが、お伝えしたいことがあります」
「ああ」
すぐに察したグレンシスが神妙な表情に変わった。そして、ティアは目を逸らさず変わらぬ決心を伝えようとした。が、
───ボーン、ボーン。
食堂の壁にある柱時計が、無情にもグレンシスの出勤時間を告げてしまった。
グレンシスは時計とティアを交互に見つめ、しばらく黙考する。そして、申し訳なさそうに眉を下げ、ティアに向かって口を開いた。
「悪いが、帰ってからでも良いか?」
「……はい」
出鼻をくじかれた感は否めないけれど、騎士に惚れたティアが騎士の仕事の邪魔などできるわけがない。
慌ただしくグレンシスが身支度を整えるのを横目に、ティアはお茶を飲みながら、ひっそりと溜息を付く。
「本当にすまない。ただ、今日は遅くはならない。夕方には戻る。雨が降っているから、部屋で本でも読んでろ。あとは……昼寝でもしとけ」
しゅんと肩を落としたティアにグレンシスは、申し訳なさを滲ませて声を掛ける。
「……はい」
今日一日をどう過ごせば良いのかわからなかったティアは、グレンシスの提案は嬉しいはずだった。
けれども、やはり言わなければならないことを先送りにするのは辛い。それが良い話でなければ、特に。
そんな気持ちで浮かない顔をしているティアだけれども、グレンシスを見送るために玄関ホールには足を向ける。
対してティアから見送りを受けたグレンシスは、憂鬱な天気のはずなのに、職場に向かう足取りは軽かった。
グレンシスは、朝の言葉通り夕方に帰宅した。
そして着替える時間も惜しんで、すぐにティアの元へと向かう。
「今、帰った」
「お勤めご苦労様でした」
言われたとおり、昼寝をして長椅子で読書を再開していたティアは、軽いノックの後、すぐに顔を覗かせたグレンシスに立ち上がって丁寧に頭を下げた。
ただなぜかここで、変な沈黙が生まれてしまう。
伺うようにティアがそおっと顔を上げれば、口元を不自然に歪めるグレンシスと目があった。
グレンシスは、まるで無理矢理、別の感情を表に出そうとして失敗に終わったような顔をしている。
言わなくても良いことかもしれないが、それでもグレンシスはイケメンなので美しい。
ということで、ティアはそこに意識を向けることなく口を開いた。
「早速ですが、お話したいことがあるんです」
「ああ、聞こう」
コホンと小さく咳払いをして、生真面目な表情になったグレンシスに、ティアは自分の決心を伝える。
「私、王様が私に会いたいというなら、会います。会うだけですけど」
「お前はそれで良いのか?」
眉間に皺を寄せながら詰め寄るグレンシスに、ティアは表情を変えず、こくりと頷く。
「はい。相手は王様です。この国に居る限り、のらりくらりと逃げたところでいずれ捕まります。なら、ちゃちゃっと会った方が早いです」
「ま、まぁそれはそうだが……」
至極正論を言われ、グレンシスは珍しくたじろいでしまう。
「だが、会ってそれで終わりとはならないのはわかっているだろう?」
「はい。だから……」
ティアはここで言葉を止めた。
そして、より表情を消して、こう言った。
「利用されるくらいなら、自害します」
「なに!?」
驚愕したグレンシスに、ティアの翡翠色の瞳がくるりと動く。
まるで、どうしてそんなに驚くの?と問いかけるかのように。
けれども、ティアはそれを言葉にすることはせず、続きを語ることを選んだ。
「今は外交において、きな臭い話はないかもしれません。でも、それは今だけの話。いつかに備えて、王様は、きっとこの術を使える人間を繁殖させて、死なない騎士団でも作りたいんじゃないんですか?それか私を珍獣として、お城で飼いたいんだと思います」
小首を傾げて語るティアの仕草と、紡ぐ言葉があまりに違和感がありすぎる。
不気味さすら覚えたグレンシスは、思わずティアの肩を掴んで声を荒げる。
「お前何を言ってるんだ!?自分のことだろっ」
「はい。自分のことだから、余計、冷静にわかるんです」
肩を強く揺さぶられながらも、ティアは表情を変えずに淡々と言葉を紡ぐ。
「グレンさまだって、もう知っていますよね?」
「……」
グレンシスは賢くも、ここで沈黙した。
だがティアは、猫のようにすっと目を細めた。
そして、まるで射貫くようにグレンシスを見つめながら言葉を重ねる。
「この不思議な術はもともとオルドレイ国の秘術だということも、私が半分はオルドレイ国の血を引いていることも」
ティアの口調は決してグレンシスを責めているものではない。
けれど、グレンシスはなぜか急にこれ以上、ティアの言葉を聞いてはいけない予感がした。
だがティアのサクランボのような唇の動きは、止まらない。
「王様の言うことを聞かなければ、どのみち私は、投獄されるでしょう。ああ、この術を国外に出したくないから、もしくは処刑、でしょうかね。こんな術があることすら、他の国には知られたくないでしょうから」
一気に言い切ったティアは、ここで息を吐く。
そして、吹っ切れたように、口の端を持ち上げてこう言った。
「そんなことになるくらいなら、私は自害を選びます」
そう言い切ったティアの口元は、全てを諦めたような自嘲の笑みが浮かんでいた。
ぞっとするほど恐ろしい言葉を吐いたのに、とてもティアは美しかった。それがとても歪に見えた。
「……ティア、お前、どうしたんだ?」
グレンシスは、ここで違和感を覚えたのだ。
普段ならどんな内容であれ、グレンシスが大声を出せば、ティアはおどおどする。
なのに、今日に限って妙に冷静なのだ。まるで心がないようにすら思えて仕方がなかった。
窓を閉めていても、今朝、霧雨だったそれは強さを増し、ざあざあと流れる音が聞こえてくる。
その音を聞きながら、グレンシスは水底へ突きおとされたような淋しさと焦躁を抱いてしまった。




