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エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい  作者: 当麻月菜
第二部 再開と再会の、秋

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1

 ロハン邸の玄関ホールには、使用人一同がティアを見送る為に集まっていた。

 その中には、仕事を放りだした者もちらほら。


 屋敷の主人であるグレンシスは、頭に葉っぱを付けたまま剪定途中で駆けつけたと思われる庭師がいても、ホウキを背に隠しているメイドがいても、咎めることはしなかった。


「お世話になりました」


 ティアは、わざわざ見送りに駆けつけてくれた人たちに向かい、丁寧に頭を下げた。


 顔を上げればミィナとアネッサが涙を浮かべていた。ルディオンはいつも通り慇懃に礼を取る。


「……ティアさま……」


 最年長のメイドであるマーサは、そこまで言って口を噤み、誰よりも深く腰を折る。


 腰を痛めていることを知っているティアは、慌ててマーサの元へ行き顔を上げさせた。そうすれば、反対にふわりと抱きしめられてしまった。


 もちろん、屋敷の主人は咎めることはしない。


 対してティアは、マーサのふくよかな身体に抱きしめられて、つんと鼻の奥が痛んだ。忘れかけていた、暖かさと柔らかさを思い出して。


 グレンシスに会えて、ここで過ごすことができて本当に良かった。ティアは心からそう思った。


 予想外の出来事から始まった、この偶然という出会いは、ティアに数々の大切なものを教え、与えてくれた。

 それは目に見えぬものだけど、とても尊きもの。


 たとえ、二度と会えなくても───この想い出は、全部忘れずにメゾン・プレザンに持って帰ろう。


 ティアは胸を突き上げてくる気持ちで、不意に涙が溢れそうになった。


 『今までありがとうございました』


 込み上げるものをぐっと堪えて、もう一度、使用人たちをぐるりと見つめる。

 次いでティアは、別れの意を込めて感謝の言葉を口にした。




 澄み渡る青空の中、夏の終わりを告げる涼風がロハン邸の屋根の上にいる風見鶏をくるくると回す。


 それに見送られ、ティアはグレンシスが用意した馬車に乗って、メゾンプレザンに戻った。




***




 ティアがメゾン・プレザンに戻った途端、『おかえり』と言われながら娼婦たちに頬ずりされて、『ただいま戻りました』と返したら、使用人たちに良かった良かったと涙ぐまれて。


 そして、約2ヶ月ぶりの地下の衣裳部屋は、惨憺(さんたん)たる有り様で。


 ティアは頬をひきつらせながらもこの部屋を見て、戻ってきて本当に良かったとしみじみと思った。

 ただ、衣裳部屋の片づけは、想像より26倍大変だった。

 

 そんなこんなで早、1ヶ月。

 あっという間に夏が終わり、気が付けばもう初秋の季節になっていた。





 ティアは、ぽてぽてとメゾン・プレザンに続く石畳を歩いている。


 3年以上前から愛用しているこげ茶色のフードを目深にかぶり、ビーズ装飾も刺繍もないフラットシューズを履いて、ぽてぽてと歩く。片手には籠を持って。 


「……すっかり、秋だなぁ」


 初秋の茜色の黄昏は、人や建物の影を長く伸ばしながらも1.5倍の速度で夜の幕を下ろす。


 まるでどこぞの宮廷騎士のようにせっかちだ。


「早く戻らないと」


 まだ夏の時間の感覚でいるティアは、歩調を早めて家路を急ぐ。


 ティアの片腕に掛けられている籠の中で、ライムと梨がコロンコロンと揺れる。

 ちなみに梨は、青果店のおかみさんがお使いのお駄賃でティアにサービスしてくれたもの。


 顔なじみである青果店のおかみさんは満面の笑みで「初物だから食べなっ」と勢いよくティアの籠に放り込んでくれた。 

 ただティアは既に梨は食べている。けれど、そのことは黙って、ぺこりと頭を下げた。


 どうやら今年は梨に縁があるようだ。


 そんなことを考えながら、ティアはぽてぽてと歩く。

 既にメゾン・プレザンの敷地内の整えられた森の中に居るので館まではあと少し。


 ───リーン、リーン、リリッ、チルッ、チルッ、チルルッ。


 スズムシとコオロギの鳴き声が至る所から聞こえてくる。

 日中はまだまだ夏の暑さを残しているのに、陽が落ちた途端に秋が強い自己主張を始める。


 それは毎年繰り返される事。


 なのにティアは自分の胸の一部が空洞になり、そこを木枯らしが吹きぬけるような、いいようのないもの悲しさを感じている。


「……はぁ、困ったもんだ」


 メゾンプレザンに戻ったら、あっと言う間に心も身体も以前と同じように戻ると思っていた。


 でもどれだけ身体を動かしても、ふとした瞬間、思い出してしまう。


 いつもニコニコと接してくれたミィナとアネッサの姿を。最後に抱きしめてくれたマーサの温もりを。濃いオレンジ色のノウゼンカズラを。


 それから、大小のクマの縫いぐるみを。円を描きながら伸びていく梨の皮を。苦い薬湯の味を。───たわわに実った、スモモの果実を。


 そう。ロハン邸で過ごした生活がもう二度と戻って来ないということを、ティアは頭では理解していても、心が全く理解してくれていないのだ。


 一番困るのは、気づけば、とある騎士の姿を探してしまうこと。

 いつの間にか桃色の宝石箱は朝晩撫でることが、ティアの日課になってしまった。


 ちなみに、あれから一度も娼館にグレンシスは訪れることはない。たまに行くお使いの途中でも姿を見かけたことはない。


 バザロフが娼館を訪れるたびにもしかしてと思ってしまうし、見送るたびにそこに誰もいないのを目にして毎度がっかりしてしまう。


 そしてそんなことを繰り返していても、慣れないことがこれまた厄介だ。


 とどのつまり、ティアはグレンシスに会いたいのだ。

 会いたくて、会いたくて、たまらないのだ。


「……はっ」


 馬鹿みたいだ、とティアは自分で自分を鼻で笑った。


 引き留めてくれて、求婚までしてくれたグレンシスの手を、自分から離したくせに。 


「よしっ。ナフリエ姐さまの髪飾り、今日はダリアの花かんざしにしよう」


 気持ちを切り替える為に、ティアはわざと声を出してそう言った。


 メゾン・プレザンで花形娼婦のナフリエは緩く波打つ赤茶色の髪がルビーのようだと称されている。

 

 そのため、ことのほか髪飾りに気を配る。だから、ティアも毎日、ナフリエの髪飾りを慎重に選ぶ。


「あっ、そうだ。リンドウの刺繍のドレス……あれも、誰か着たいだろうし、それから木の実のかんざしも、きっと用意しといた方が良いだろうな」


 これも同じく。

 脳裏に焼き付いて離れない、人の温かみが溢れた風見鶏があるお屋敷の光景に、ティアはそっと薄い膜を貼る。


 そしてメゾン・プレザンに戻ってから自分がやるべき仕事を、一つ一つ頭の中で組み立てれば、雨の日の窓ガラスに映る光景のように、ロハン邸での日々はぼやけて、手の届かない場所のように思えてくる。 


「そう、それで良い」


 ティアは、自分に言い聞かせるように呟き、更に歩調を早めた。







 ───一方、そのころ。



「ったく、遅い。いつ帰ってくるんだよ」



 メゾン・プレザンの裏庭ではお使いに行ったティアの帰りを、そわそわと落ち着きなく待つ者がいた。


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