4
ティアが自分の中にある新しい気持ちに気付いた時、グレンシスも、また新たな発見をしていた。
ご存知の通りグレンシスは、超が付くほどのエリート騎士だ。
けれど、顔だけで順風満帆にエリート街道を歩んできたわけではない。
騎士は華やかに見えるけれど、蓋を開けてみれば野郎だらけの実力社会。
だからグレンシスが王宮騎士になれたのは、彼が見えないところで、人よりも懸命に努力した結果だった。
言い訳など無用。結果が全て。自分の取った行動は、すべて後から評価されるという信念に基づき、現状で満足せず、決しておごらず、常に高みを目指していた。
それ故に、自分の努力や失敗をひけらかすのは、恥ずべき事だと思っていた。
けれど、恋愛に関して、その考えは間違いだったことに気付いた。
誰かを好きになり、そして相手にも自分のことを好きになって欲しいと思ったら、まず、心を開く必要があったのだ。
それは、誰かを好きになるということは、人知れず努力をするだけではいけないのだということ。
そして、無様でも、カッコ悪くても、ありのままに自分の気持ちをきちんと伝えることがとても重要なのだということ。
その証拠に、ついさっき、情けないほどに飾れない自分の姿を見せたけれど、ティアが呆れることはなかった。
それどころか気まずい出来事を、双方がなんとか納得できる落としどころを見つけ、提案してくれた。
そんなティアをグレンシスは、心から愛おしく思った。
こんな優しさを異性から与えられたことは、グレンシスは、今までなかった。
しかも不思議なことに、これまでなんとなく感じていて、でも、埋めることができなかったティアとの溝がほんの少しだけ埋まったようにすら思えた。
ただ、どれほど自分が独りよがりの行動を取っていたのか。これまでの数々の出来事を思い出し、グレンシスは、とても恥ずかしかった。
とどのつまり、グレンシスは、ますますティアの事が好きになったというわけで。
3年間ずっと想い続けてきた、妄想で作り上げてきたティアの形が崩れ、全てが目の前にいる少女に上書きされていく。
──やっぱり、誰にも渡したくはない。ずっとずっと閉じ込めて、自分だけを見て欲しい。
そんな気持ちがグレンシスの胸の中で嵐のように暴れ回る。
けれどグレンシスは、それを押さえ込んだ。
そして、ティアがここに留まって貰えるように、もう一度やり直す為の言葉を必死に探した。
***
相も変わらず、カーテンは微動だにしない。
けれど薄暗い部屋でも、こんなに近くにいれば、互いの表情はちゃんとわかる。
ティアは、自分の顔が緩んでないか、とても不安だった。
口移し事件のことを、自分から救命行為としたのだ。ここで、変に嬉しそうにしてしまったり、もじもじしてしまったら、元も子もない。
ここは澄まして何でもない顔をするのが一番無難だ。
けれど、それがなかなか難しい。
平常心を保つために、頭の中でメゾン・プレザンの衣裳部屋の棚の数を思い出し、意味もなく数えてみる。当然だけれど、あまり役には立たなかった。
……と、ティアが一人相撲を取っていれば、グレンシスがコホンと小さく咳払いして口を開く。
そんな騎士様の表情は、どことなくメゾン・プレザンで面接を受ける青年のように見えた。
「なぁ、ティア。お前の承諾もなしにここに連れてきてしまったことは詫びる。それに、目覚めてすぐに、こんな事態になって気まずいかもしれない。だが、どうか、お前の体調が元に戻るまで……ここで預からせて欲しい。嫌か?」
そう問うたグレンシスの表情は、相変わらず、不遜な態度がどこかに消えてしまっている。
一心にティアを見つめるブルーグレーの瞳が、ただただ不安げに揺れるだけ。
「……」
ティアは、グレンシスの質問に答える代わりに、キュッと下唇を噛んだ。
本来なら、薬湯を口移しで飲まされたという事件が発覚して、すぐにでも娼館の自室に引きこもりたい。
……はずだというのに、ティアはグレンシスの屋敷にいたいと思っている。自分が思っているより、強く。それにグレンシスの主張は、そこまでおかしいものでもない。
けれど、ティアは今すぐにでも帰るべきだと思った。
そうしなければ、離れがたい気持ちを捨てられないかもしれない。そんなの想像するだけで、とても恐ろしい。
グレンシスと一緒に過ごした日々は、幸せだったけれど任務と割り切れた。甘く優しい時間に限りがあることをちゃんと理解できていた。
けれど、このままズルズルとここに居れば、ここが居心地の良い場所だと思ってしまうかもしれない。
必ず別れがあるというのに。終わりを迎えることは決まっているというのに。
だから自分の傷を浅くするためにも、グレンシスの提案を断るべきだった。
だがティアは、べきを忘れて、ちょっとだけ自分に甘やかすことを選んだ。
「ご迷惑を掛けてばかりで申し訳ないですが、……あの、嫌じゃないです。お言葉に甘えさせていただきます」
そう言ってぺこりとティアは頭を下げた。次いで顔を上げれば、グレンシスと目が合った。
グレンシスは、何かに許されたかのような、安堵の表情を浮かべていた。
そしてその表情のまま、形の良い唇を動かした。
「そうか。……これから、よろしく」
「……はい。お世話になります」
つられてティアが答えれば、グレンシスは微笑んだ。
それはさっきより、ほんの少し深く、肩の力が抜けた笑みだった。
周知の事実だが、ティアはグレンシスの顔にめっぽう弱い。
だから、イケメンから、そんな飾り気のない笑みを向けられたら、ティアは、爆死寸前である。
だから自己防衛のために、そぉーっと掛布団を掴む。そして、もぞもぞと潜り込み……前回同様、ベッドの中でカタツムリのように、引きこもろうとした。が──
「おい、ちょっと待て」
急に厳しい口調になったグレンシスが、それを阻止する。
「な、な、なんですか?」
対してティアは、唯一の防御壁をもぎ取られ、抗議の目を向ける。
けれど、今回に限っては、グレンシスの行動は咎められるものではない。
そしてティアもどうやらわかっているようで、翡翠色の瞳が『バレたか』と雄弁に語っていた。
見つめ合うこと2秒。グレンシスは、ベッドから離れ、サイドテーブルに移動する。
「寝るのは、コレを飲んでからだ」
コレとは、薬湯のこと。
そしてグレンシスは、それが入った銅製のコップを手にして、ティアに渡す。
「……わかっていますよ」
嫌々ながら受け取ったティアは、露骨に溜息を付いた。
薬湯はまだ冷めておらず、手渡された銅製のコップからゆらゆら湯気が立っている。そして、薬湯独特のキツイ匂いが鼻を付く。
控えめに言って、まずそうだ。飲みたくない。だからこのまま、流れで飲まなくて良いならラッキーなどとティアはちゃっかり思っていた。
けれど退路を断たれたティアは、ちゃんと飲んだ。
「……苦い」
一口飲んだ瞬間、予想より20倍ほどの苦さが口いっぱいに広がって、思わずティアは顔を顰めた。
そんなティアを見て、グレンシスは同意をするかのように笑う。
「だろうな。確かに俺も口に入れた時、苦かったな……あっ」
「……」
グレンシスは墓穴を掘ってしまった。
カーテンがふわりと揺れ、部屋に風が再び入り込む。まるで、沈黙の間を繋ぐかのように。
そして一際強い風が、部屋に入り込んだと同時に、カーテンが大きく揺れる。
一気に部屋が明るくなって、グレンシスの赤くなった顔がはっきりと見えた。
その瞬間、ティアは気付いてしまった。自分とグレンシスが、同じ顔をしていることに。
ティアはソワソワ、もじもじ、落ち着かない気持ちになる。身体が火照る。それを誤魔化すために、まずいまずい薬湯を一気に全部飲み干した。
ただ、さっきより苦みは薄れていた。
一方その頃、ルディオンは使用人達を厨房に集めていた。そして事の次第を、丁寧に、詳細に、わかりやすく、皆に伝えた。
そうすれば厨房はたちまち会議室と化し、そこにいる全員が本気で今後の傾向と対策を練ることになった。
ただそれは、ティアのあずかり知らぬところ。知ってはいけないところ。




