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エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい  作者: 当麻月菜
第二部 贅沢な10日間

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54/99

2

 ティアの部屋の扉を開けたのは、三十代半ばの男性───この屋敷を取り仕切る執事のルディオンだった。


 ルディオンは、暑い季節にもかかわらず、パリッとした執事服を身につけている。汗一つかいていない綺麗な立ち姿と、癖のない濃紺の髪を後ろに撫でつけた髪型は、執事としての控えめながらも凛とした気品を感じさせられる。

 ただ目元がとても優しげなので、近寄りがたい雰囲気ではなく、人の良さを感じさせる風貌だった。


 そんな執事であるルディオンは、手には水差しとグラス。そして銅製のコップの入った盆を手にしながら、大股で一歩足を踏み入れた。


「おや、お目覚めですか。良かったです」


 ルディオンは、屋敷の主人が独身女性に覆い被さっているのに、取り乱すことなくとても穏やかに安堵の息を吐いた。


 と同時に、盆に載った銅製のコップから立ち上がる湯気がふわりと揺れる。


「ああ、ついさっき目を覚ましたところだ」


 グレンシスも、やましさなど微塵も感じさせない声音で執事に応える。ただすぐに、身を起こした。


 もちろんティアが、その期を逃すことはしない。病み上がりとは思えない素早い動きで、半身を起こす。


 でも、まだ熱があるので、途端にティアはぐらりと眩暈を覚えた。

 けれど、そんなものは些末なこと。今、離れなければ、どのみち心臓が暴れ過ぎて死んでしまうのだから。


 そんな気持ちで、息も絶え絶えになりながらベッドの背もたれに寄りかかり、体勢を整える。


 やっと人心地が付けば、ルディオンと目が合った。すぐさま、にこりと笑顔を向けられる。


 けれどティアは気まずかった。

 実は、この男性の顔に見覚えはあるけれど、名前までは知らなかった。


 いや、ルディオンは以前、礼儀正しくティアに自己紹介をした。

 けれどティアは、もう会うことはないだろうという気持ちから、はなから覚える気がなかったというのが真相で。


 なのにここに来て、まさかの再会。

 名を覚えなかった申し訳なさから、ティアはそっとルディオンから視線を逸らす。


「ルディオンとお呼びください。ティアさま」


 ティアの気持ちをすぐさま読んだ執事は、嫌な顔などすることもなく、くすりと笑って軽く礼を取る。


「……さま?……あ、いえ。あの……どうも」


 自分の名前をさらりと様付けで呼ばれてしまい、妙に居心地が悪い。

 でもティアは、蚊の無くような小声でルディオンに挨拶をすると、ペコリと頭を下げた。


 客人とはいえ少し不作法ではあったけれど、ルディオンは既にティアが人見知りが激しいことを知っているので気にする様子もない。


 ただ少し眉を下げ、ティアに労わりのある眼差しを向けた。


「2日間もずっと意識が戻らなくて心配しておりました。意識が戻られて、本当に良かったです。……お仕事とはいえ、一ヶ月という長旅は相当お疲れになったでしょう」


 ルディオンの言葉で、ここでやっとティアは自分が帰路の途中で意識を失ったことを思いだした。


 瞬間、ティアの顔から血の気が引いた。


 なんていう失態だっ。自分は仕事を放棄したあげく、グレンシスに看病をさせてしまうなんてっ。


 ぎちぎちと音がしそうな程の拙い動きで、ティアがすぐ横にいる人物に目を向ける。少しの猶予もなく、ばっちりとグレンシスと目が合ってしまった。


「申し訳ありませんっ。あのっ、何てお詫びを申し上げれば良いのか……。本当に、ご迷惑をお掛けしましたっ」

「いや」


 言い訳ゼロ。ただただ土下座せんばかりにティアが謝罪をすれば、グレンシスは食い気味に首を横に降った。


 そんな二人のやり取りを微笑ましく見ていたルディオンは、再び眉を下げ、困った様子で口を開いた。


「グレンシス様。実はまだティア様がお目覚めとは思わず、薬湯をお持ちしたのですが……粉薬に変えましょうか?」

「いや、せっかく用意したんだ。これを飲ます」

「かしこまりました」


 そう言いながら、グレンシスはルディオンから薬湯の入った盆を受け取った。そして一旦、それをサイドテーブルに置くと、銅製のコップを手にする。


 けれど、すぐにはティアには渡さない。

 湯気の立ち方を見て温度を確認する。ティアが火傷をしないように。


 もちろん、ロハン邸の使用人は優秀なので、そんなヘマはしたりしない。

 ただ、グレンシスが過保護なだけということ。


「ティア、多分、大丈夫だと思うが……気を付けて飲め」

「え?……あ、は、はい」


 差し出されたコップをティアが、おどおどしながら受け取る。


 そのやり取りをにこやかに見守っていたルディオンは、うっかりこんなことを言ってしまった。


 ちなみにこの執事は、グレンシスがプロポーズに失敗したことを知らない。


「やっとティアさまは、()()でこれを飲むことができますね。ご主人さま」

「おいっ」


 慌てた様子でグレンシスがルディオンを諌めた。

 対してルディオンは、何故に?と言いたげな不可解な表情を見せる。


 ただここで、この執事を無能だと責めてはいけない。


 なぜならルディオンは、つい先日、まだグレンシスが任務から帰還する前に、急ぎの手紙を受け取った。そしてその内容は、伴侶となる女性──ティアの私室を急ぎ、けれど完璧な状態で用意しておくこと、と。


 そんな手紙を受け取ってしまったなら、ルディオンがうっかり失言してしまう気持ちがわからなくもない。


 グレンシスはもう26歳。

 そんなそこそこの大人が恋仲となったのなら、手を繋ぐなど当たり前。そしてキスの一つや二つしていても、可笑しくはないのだから。


 さて、ここでちょっとした説明もさせていただく。

 ティアは薬湯を飲んだ記憶は、ない。

 けれども、この執事の口調は、何度も飲んでいるかのような口ぶりだ。……ただし、()()()で。


 ティアは考えた。熱で回らない頭で必死に考えた。薬湯の入ったコップを食い入るように見つめながら。


 そして、一つの可能性を口にした。


「……くちうつし」


 ティアからすれば、何を馬鹿なことをと一蹴して欲しかったのだが……グレンシスは片手で顔を覆いながら……でも、しっかりと頷いてしまった。


 その瞬間のティアの表情をどう表現していいのかわからない。とにかく言葉では言い表せない程、複雑怪奇なものだった。




 さわさわと心地よい風が、これまでずっと少し開けている窓から入り込んでいた。

 けれど、ここでピタリと止んだ。と、同時にカーテンも動きを止め、陽の光を遮断し部屋を薄暗くする。


 まるで、様々な感情を抱えた3人の表情を隠すかのように。


 どうやら夏の風は、大変、空気を読める存在のようだった───。


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