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3

 娼館は客同士が顔を合わせることが何よりのタブーとされている。


 だからメゾン・プレザンは巨大な迷路のように入り組んだ作りになっている。


 なので、ここで働く従業員は客のあしらいを覚えることよりも、まず、この建物の構造を覚えるのに一苦労する。


 けれど、ここで生まれ育ったティアにとっては、勝手知ったる庭のようなもの。しっかりとした足取りで廊下を幾つも曲がり、階段を登って降りる。そしてまた登る。


 その間にロムに忠告された通り、髪を纏めている麻紐を解き、エプロンを外す。

 それらは適当に置いておくわけにもいかないので、一先ず丸めて小脇に抱える。


 それから一際豪奢な扉の前でティアは足を止め、軽くノックをした後、静かに扉を開いた。



 扉を開けたその先が、キャンドルだけの暗く黄昏のような照明でも、この部屋がどれだけ豪華なのかがわかる。


 娼館は言葉を選ばずに言うならば、男女が擬似恋愛を楽しむ場所。

 そして成人した男女の恋が行き着く先は、身体を重ね合わせること。


 だから、娼館の部屋の家具はベッドがメインとなる。


 けれど、この部屋はベッドがない。

 いや、あることにはある。出入り口とは別の扉の奥に。


 つまりここは二間続きの客室。最上位の客をもてなす部屋なのだ。


 さて、この最上位の客をもてなす部屋は、出入り口の扉を開ければ、まるで客間のようなくつろげる空間が広がっている。


 キャンドルの灯では分かりにくいが、壁一面には、アイボリーとモスグリーンのダマスク柄のエレガントな壁紙が貼られている。


 部屋を彩るテーブルやチェストなども、全て落ち着いたマホガニー調の家具で統一されている。


 そして部屋の隅に設置されているポールハンガーには、客の持ち物であろう上着とマント。そして床には剣が立て掛けられている。

 そのどれもが、素人が見てもわかる程、仕立ての良いものだった。


 そんな大貴族の邸宅のような一室の中央に、ソファが置かれている。成人男性なら2人。子供なら3人は余裕で座れる猫足のカウチソファだ。


 そこに、一人の初老の大男が腰かけていた。


 かつては癖のない黒髪であったであろうそれは、年相応に白いものが混ざっている。

 けれど、がっしりとした体躯と、ブラックブルーの硬質な瞳は、まったく老いを感じさせない鋭さがある。


 何よりこの男、恐ろしく顔が怖かった。


 肉食動物のような獰猛な目つき。眉が太く、太い 鼻梁から頬にかけて深い傷跡がある。これがまた怖さに拍車をかけている。


 街を歩けば頼んでいなくても、左右に人が分かれて道が開けていく程に。

 そして子供と目が合えば、九分九厘泣かれてしまう程に。


 そんな厳つい男に向かって、ティアは丁寧に礼を取る。


「バザロフさま。お待たせして申し訳ありません」


「いや、さほどは待っていない」


 シャツとズボンだけの姿でいる男は、鷹揚に手を挙げて答えた。


 ほっとしたように肩を撫でおろしたティアは、引き寄せられるかのように、男の元へと歩みを進める。


 男は手を伸ばせば届く距離に来たティアに向かって、少し眉を上げて口を開いた。


「さっそくだが、頼む」


「はい。かしこまりました」


 カウチソファの下には、クッションが置かれている。

 もっと細かく伝えるならば、大男の足の間にクッションが置かれているのだ。


 ここは高級娼館メゾン・プレザン。

 そしてこの男は、ティアの唯一の顧客。

 

 ならば、ソファであろうとも、やることは一つしかない。


 ティアは従順に男の足元にあるクッションに膝を置く。

 そして、そのまま手を男の足の間に伸ばす───と思いきや、  


「オイデ オイデ ココニオイデ ツタエ ツタエ ワタシノモトニ イタミモ ツラサモ アワトナリ キラキラトカシテ ミセマショウ メザメルトキニハ ヤスラギヲ アナタニイヤシヲ アタエマショウ」


 おいで、おいで、ここにおいで。

 伝え、伝え、私の元に。

 痛みも辛さも泡となり、

 キラキラ溶かしてみせましょう。

 目覚めるときには、安らぎを

 貴方に癒しを与えましょう。



 ティアは、男の片膝に手を置き、3年前に、騎士を救ったあの不思議な言葉を口にした。


 そしてあの日と同様に、風も無いのにゴールドピンクの髪が揺れ、翡翠色の瞳が金色に変わる。


 ティアの手のひらから溢れる光を見下ろしていた男の厳つい顔が、僅かに和らいだ。

 それにきちんと気付いたティアは、囁くように男に向かって口を開いた。


「こちらも?」


「……ああ、頼む」


「かしこまりました」


 短い会話の後、ティアは今度は男の右肩に手を置き、よいしょと身体を持ち上げた。


 男は慣れた仕草で、手を伸ばしてティアの背を支える。

 その光景は、まるで幼い娼婦が口付けをねだる仕草か、覚えたての睦言を耳に落とすそれ。


 しつこいようだけれど、ここは王都でも屈指の娼館メゾン・プレザン。


 今度こそティアはそのどちらかを、男に向かってするかと思いきや……男の左肩に手を置き、先ほどと同じ呪文を口にするだけだった。


 ───そう。ティアはただただ移し身の術を使って、この大男バザロフを癒していただけ。


 近衛騎士団長兼宮廷騎士団総括 バザロフ・イーネ。


 25年前、このウィリスタリア国は隣国オルドレイと領地をめぐる大きな戦があった。


 その際、鬼神のような戦いぶりをみせたバザロフは、その功績が湛えられ爵位を拝受すると共に、現在の役職に就いた。


 ただその戦で右足と左肩に深手を負ってしまった。

 幸い傷は完治したが、季節の変わり目や長雨の際には、うずくような痛みが走る。


 残念ながら、古傷の痛みを消す特効薬はない。

 そのため、定期的にティアに移し身の術を依頼しているというわけなのだ。

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