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これはグレンシス達がサチェ渓谷を後にする直前のおはなし。
※今回は、グレンシス視点でのお話です。
グレンシスは、関所の一室を借りて、慌ただしく便箋にペンを走らせていた。
その内容は、今回の任務の報告書。
そして、机の上には無事に王女を迎え入れたというオルドレイ国からの書簡もある。
本来、報告書は帰還した後に作成をするものなのだが、善良でお騒がせな市民の一件があった為、急ぎ王城にアジェーリアの意向を伝える必要があったのだ。
そういうわけでグレンシスは、必死にペンを走らせる。
なにせ、すでにティアは馬車の中で待機をしているのだ。待たせてしまうのは申し訳ない。
───カリ、カリ、カリ、カリ、カリ。
規則正しくペンが紙を滑る音が、しんとした部屋に響く。そして、窓から差し込む夕日が、部屋の家具の影を少し伸ばした頃、ようやっとグレンシスは手を止めた。
「……よし」
一通り報告書を見直して、漏れがないかを確認したグレンシスは、納得した様子で一番下の欄に自身のサインを入れた。
これで、報告書は完了である。
ただ、グレンシスは、息つく暇もなく新しい便箋を手に取った。
そして、先ほどより滑らかな筆圧で文字を綴っていく。
ちなみにこの手紙は、自身の屋敷の執事に宛てたもの。
「きっとティアは、驚くだろうな。……だが、手段は選ばない」
グレンシスはペンを走らせながら、ひっそりと笑う。
その笑みは、悪知恵を働かせる子供のようであり、愛しい人へ向ける艶やかなものでもあった。
ティアが3年前に自分の命を救ってくれた女性であったこと。そして、上司が囲う娼婦でなかったことを知った時点で、グレンシスは既に決めていることがあった。
ちなみに、この執事に宛てた手紙は、自分達が帰還する前に、少々手配を要することがあり、それを依頼するためのものであった。
そんな策を練る前に、すれ違っているティアとの関係をきちんと修復すべきなのであるが、今のグレンシスはそれに気付いていない。
あと、つい昨晩、公明正大に生きてきた自分が道を踏み外すなんて、うんちゃらかんちゃら……などと葛藤していたけれど、そんなものは今は遥か彼方に吹き飛んでいたりもする。
それは騎士という職業が、後ろを振り返ることなく、常に前を向き続けることが美とされているせいなのか、それとも、剣を握る者は総じて気性の荒い部分を秘めているからなのか。
はたまた、彼の性格が、これと決めたら一気に突き進むからなのかはわからない。
わからないけれど、とにかくグレンシスは、あっという間にそれを書き上げ、封をする。
するとタイミング良く、部下の一人がノックと共に顔を出した。
「ロハン隊長。いかがでしょうか」
部下の一人は既に正装から、遠征服に着替えている。
グレンシスは、部下に視線を向けると幾つかの書簡を手にして自ら立ち上がる。次いで、部下の元まで足を運んだ。
「ああ。今、終わったところだ。これを急ぎ王城へ届けてくれ」
「かしこまりました」
部下の騎士は敬礼をしてから、丁重にそれらを受け取った。けれど───
「あー……あと、悪いが、ついでにこれを、わが家に届けてくれないか?」
さりげなく渡したのは、自身の屋敷に宛てた手紙だった。
「もちろんです」
部下は詮索する素振りなど見せず、再度、敬礼をしてからグレンシスに背を向けた。そして早足で、関所を後にした。
さて、任務を終え帰還する騎士達は、2つの班に分かれている。
1つは、急ぎ王都へ戻り、重要な書簡を届ける班。
もう1つは、ティアを乗せた馬車を引率する班。
補足だが部下を信頼しているグレンシスは、書簡を届ける重要任務を他者に任せて後者の班である。
間違っても、個人的な感情で後者を選んだわけではない。……と、いうことにしておこう。
「では、こっちも向かうとするか」
執務机に戻ってあらかた片づけを終えたグレンシスは、部下の騎士と同様に、正装から遠征服に着替える。そして、マントを手にしたまま、関所の外へと出た。
既に門には、グレンシス達の馬とティアの為の馬車が用意されており、いつでも出立できるようだ。同行する部下たちも既に遠征服に着替えている。
ちなみに王女が使用した豪奢な馬車は、関所の兵が後ほどロハンネ卿の元へ返却してくれるらしい。
そして代わりに用意されたのは、丈夫で武骨な砦で使用する馬車。それを御するのは、ぽっちゃり体系が印象的なトルシス。
そしてトルシスは、すでに御者席に乗り込み、グレンシスの出立の声を待っていた。
「待たせたな」
グレンシスは、軽い口調でトルシスに声を掛けた。
対してトルシスは少し困った感じで眉を下げる。
「いえ、私達は全然……。ただ中にいる、お嬢さんは、少々待ちくたびれたご様子ですね」
その言葉で何かを察したグレンシスは、そっと窓から車内を覗く。
そこには、猫のように身体を丸めて眠っているティアがいた。
その姿があまりに可愛らしく、思わずにやけてしまう口元をグレンシスは、そっと隠す。そして、トルシスに声を掛けた。かなり、小声で。
「……あまり、揺らすなよ」
「かしこまりました」
心得たと言わんばかりに大きく頷いたトルシスは、そのままグレンシスに向かってこう言った。
「隊長。なんか自分、また恋がしたくなっちゃいました」
かつて、一世一代の告白をして撃沈したトルシスは、茶目っ気のある笑みをグレンシスに向けた。
「お前、それならまず痩せろ」
グレンシスの代わりに応えたのは、グレンシスの忠実な部下であるカイル。かつて、トルシスの大失恋の慰め会で治安の悪いバルを提案した者でもある。
そして失恋からのやけ食いを揶揄されたトルシスは、途端にむっとした表情を作る。
けれど、すぐ横から軽い笑い声が聞こえてきた。
「いや、俺、お前の体形が好みの女の子知ってるから、紹介してやるぞ」
そんなふうに横から口を挟んだのも、同じくグレンシスの部下であるバルータ。以前グレンシスに深手を負わせたひったくり犯を捕まえた騎士でもあった。
グレンシス他、この3名がティアの馬車を引率する騎士達。
そして偶然にも、このメンバーはかつて3年前のとある出来事を目撃した騎士達でもある。
お察しの通り、この班の人選はグレンシスがしたもの。
けれど、こうなったのは偶然である。まかり間違っても、エリート騎士さまが個人的な感情を優先したなど断じてない。まったくもって、有り得ないことだ。……多分、おそらく。
そして、グレンシスはティアへの想いを微塵も匂わせない空気で、部下に向かって声を掛けた。
「お前たち、しょうもないことを喋るな。行くぞ」
マントを羽織ったグレンシスは、ぴしゃりと部下にそう告げ、馬に跨る。
そして意味ありげに視線を交わす部下たちをガン無視して先頭を進み出した。
それに合わせてティアを乗せた馬車も、ゆっくりと動き出した。
3頭と1台は、歩道に長い影を伸ばす。
これは王都へ向けての帰路の始まり。そして、このお話の第二の幕開けでもあった。




