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エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい  作者: 当麻月菜
王女様のお輿入れ

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22/99

7

 ティアは逃げられないことは悟った。けれど、全面降伏をする気はなかった。

 それに、せめてこれだけは言質を貰えないと、絶対に答えられない。


 そんな気持ちでティアは、おずおずとアジェーリアに向かって問いかけた。


「……あの……誰にも言ったりしませんか?」


「もちろんじゃ」


「絶対に……ですか?」


「もちろんっ、もちろんじゃ。()()()()()()()()誓おう」


 ティアは心の中で、げっとうめいた。


 アジェーリアのその宣言は、カードでいうジョーカーのようなもの。

 ティアにとっては断る理由を、全て取り上げられてしまったようなものだった。

 

 退路を完全に断たれてしまい、思わずティアは、アジェーリアを恨めし気に見つめてしまう。


 でも、一生誰にも言うつもりはなかったこれを吐露する相手としては、申し分ない。

 いや、身分不相応なほど、恐れ多い相手である。


 そしてティアは、既にアジェーリアに対して、この人にならと思わせるくらいの信頼は持っていた。


「……はい。私、恋をしています」


 恥ずかしさを通り越してしまったティアは、それが何か?と、半ば逆ギレ口調になってそう言った。

 若干、不貞腐れた顔もしてしまう。


 けれど、アジェーリアは気を悪くするどころか目を輝かせて、前のめりになる。


「つまり、その相手にだけ妙に素直になれなかったり、なぜかわからぬが嫌われるようなことを口にしてしまうと言うことか?」


「は、はい……」


「といっても、急に相手が視界から消えてしまうと妙にそわそわとしたり寂しくなったりするのか?そして、他の異性が傍に居たりすると、わけもなく胸がざわざわとするということか?」


 恐ろしいほど的確に、アジェーリアはティアの恋の症状を当てていく。


 まさか、アジェーリアは、自分の想い人が誰なのかわかっているのだろうか。

 それとも王族というのは総じて千里眼の持ち主なのか。ないしは、人の心を読む特殊能力が備わっているのだろうか。


 そんな勝手な想像をしてティアは、青ざめたり赤くなったりと忙しい。


「あの……アジェーリアさま、これくらいで勘弁してください」


 最終的に床に額を擦り付けんばかりに懇願するティアを、アジェーリアは華麗に無視をした。


 そして目を輝かせてこう言った。


「これはコイバナじゃな?」


「コイバナ!?」


 コイバナ、恋バナ、恋のおはなし。

 脳内で3段活用した結果、ティアは今度はひっくり返らんばかりに驚いた。


 それは自分の人生にとってもっとも縁のない話だ。

 しかも、遠目から見る機会すらあるかないかというやんごとなき身分の人間と、恋バナをするなど……こんなの現実なんかじゃないっ。


 ティアは頬をつねった。

 けれど、腹が立つほどに痛かった。

 そして、これは悪夢ではなく、現実だということを理解する。

 

 この時初めてティアは、貴婦人が持つ都合よく気絶する技を心から羨ましく思った。


「さて、ティア。そうと決まったら、わらわは今日は、眠るのを放棄するぞ。そなたも今宵は、寝ることは禁ずる」


 一方的に結論に達したアジェーリアは、長時間の着席を予測して、長椅子に置かれているクッションの位置を調整し始めた。


 ちなみにこの長椅子は、本日のティアのベッドでもある。


 言い換えるならアジェーリアがベッドに移動してくれない限り、ティアは眠ることができない。


 床で寝るという強硬手段もあるにはあるが、さすがにそれは禁じ手だろう。


「……そんなぁ」


 精一杯の反抗心で情けない声を上げてみたけれど、アジェーリアはゆったりと首を横に振った。


 その決意は固く、神の力を持ってしても覆すことは不可能だということは容易にわかる。


「さて、ティア。どういう経緯で恋に落ちたのかきちんと述べよ。しっかり述べよ。包み隠さずわらわに述べよ」


 そう言ったアジェーリアの目は爛々と輝いていた。


 まさに年頃の乙女の顔だった。大好物を前にした少女の顔だった。


 だがしかし、なぜここにきてアジェーリアは、そんな下々の人間のことに興味を持つのだろうか。

 ティアはふと、疑問に思う。

 そして認めてしまえば、てっきりこの話は終わるとも思っていた。


 なのに、これから夜通しその話題が続くなんてとティアは絶望に近い感情を持ってしまう。

 目の回るほど騒がしく忙しい夜は幾たびも経験してきたけれど、こんな恐ろしい夜をティアは味わった事はない。

 とても怖い。震え上がるような心持ちで、居てもたってもいられない。


 それに自分の恋バナなどさして面白くもないはずだ。

 悲しい程に一方通行で、呆れるほどに自己完結しているそれは話す価値すらないもの。


 こう言ってはなんだけれど、よっぽど女性向けの大衆小説の方がアジェーリアの好奇心を満たしてくれるだろう。


 ティアは恐怖でおののきながらも、とても困った。大いに困った。


 今ここで皿いっぱいのサンドウィッチを完食するか、自身のコイバナを語るかと聞かれたら、迷わずサンドウィッチを選ぶほどに。


 けれど、残念ながらここにはサンドウィッチなどなければ、アジェーリアからそんな提案すらない。


「アジェーリアさま、それだけはどうか……」


「……話してはくれぬのか?」


 急に寂しげな口調になったアジェーリアに、それはズルいと、心の中で悪態をつく。

 でも、ティアは利口にも無言を貫いた。


 ここでアジェーリアは、持ち前のオーラで無理にでもティアをうなずかせることができたのに、なぜか部屋には沈黙が落ちた。


 部屋の中は物音一つしない。

 けれど、ここは山岳地帯。外では我関せずと言わんばかりにフクロウのホーホーという鳴き声が微かに聞こえてくる。

 

 いっそ、自分の代わりに、アジェーリアに向かって『ほぅ、ほぅ』と頷いてほしいと、トンチンカンなことをティアは考えてしまう。 


 そんな身じろぎするだけで、衣擦れの音がやけに大きく響く部屋の中、アジェーリアは何か観念したように息を小さく吐く。


「実はな、ティア。これは二人だけの秘密じゃが───」


 そこまで言って、アジェーリアはティアに向かってちょいちょいと指でこっちに来るよう示した。


 そしてすぐ近くまで来たティアの耳に、そっと言葉を落とす。


 ───……ごにょ、ごにょ、ごにょ、ごにょ。


 語るアジェーリアの頬は僅かに赤らんでいて、藍色の瞳は泉のように潤んでいる。


「……そうですか」


 頷いたティアの表情からは恐れも困惑も消えていた。

 あるのは、今までの常識が崩れ去ってしまった、無に近いもの。


 そして、こう思った。

 なるほど。そういうことなら、アジェーリアが下々の人間のコイバナに興味を持つのは仕方がない、と。


 しかも、ここにはあいにくアジェーリアと同じ性別を持つものはティアしかいない。


 かてて加えて追い打ちをかけるように、アジェーリアは、眉を下げてこんなことまで言い出す。


「本当はノハエと、最後にコイバナをしたかったんじゃが……あれは、なぜか勘違いして初夜の指南書を山ほど抱えてきおったわ。わらわが知りたかったのは、もっとその前のことじゃったのに……」 


 アジェーリアは、ノハエから手渡された指南書の内容を思い出したのだろう。

 言葉にできない程、微妙な表情を作った。


 ティアは娼館育ちだけれど、そういうことには疎い。

 だからきっと、指南書を目にした時のアジェーリアの衝撃は言葉では言い表せることができない程のものだったのだろうと、しみじみと思う。


「あの……私の話など、アジェーリアさまの役に立つとは思いませんが……」


「良いっ。かまわんっ」


 ティアのその言葉で、感情が暴走しだしたアジェーリアはテーブルを軽くたたく。


 王族でなくても淑女であればそれは、かなり、はしたないことであったけれど、咎める者はいないし、暴走を止める者もいない。


 というわけでその後ティアは、根掘り葉掘り……まるで罪人の尋問のように情け容赦のなく恋バナを語らされてしまったのだった。


 ただティアは気合と根性で、なんとか移し身の術のことと、片思いをしている相手の実名だけは伏せた。


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