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「いいか、お前の為に言っておくが、余分なことは喋るな。口答えなど言語道断だ。そんな発想すら今は捨てろ。とにかく言われたことには素直に頷け。良いな?わかったな?返事は?」
「……やだ」
「……っ、お前、死にたいのか?」
子供のように、ぷいと横を向くティアに、グレンシスは青筋を立てた───。
さて、ティアとグレンシスは現在、ウィリスタリア国の中枢、王都アルカイルダの小高い丘にそびえる白亜の城にいる。
いわゆる王城と呼ばれるところである。
正式名称は、トゥレムヴァニエール城。
ウィリスタリア国は要塞を兼ねて幾つかの城が点在しているが、ここだけは唯一、華やかで優雅な雰囲気が漂っている。
余談だけれど、この国の城は古代より住居よりも防衛施設の目的があって建てられている。
けれど、このトゥレムヴァニエール城は王族の居住であり、政務や外国使節の謁見、国家的な儀式などを行う建物でもある。
城と名が付いているが、宮殿と呼ぶべき建物であった。
そんな緑豊かな歴史と芸術をすべて集めたような敷地内で、ティアとグレンシスはその回廊を歩いている。
7日後、隣国オルドレイに嫁ぐ第四王女アジェーリアとティアを対面させるために。
歩きながら、グレンシスは片手でぐりぐりと自身のこめかみを揉む。
本日のグレンシスの小言は、めずらしくティアのことを思ってのこと。
雨でも降りそうなことではあるが、グレンシスはティアのことを本気で案じていた。
どうせいつもの気まぐれで口にしたであろうと思っていた王女の輿入れが、本当に決定事項であることに気付いてしまったから。
しかもあろうことか、アジェーリアはティアに興味を持ってしまった。
お供にすることも大賛成。
そしてその前に一度会いたい。是が非でも会いたい。御託はいいから、さっさと連れてこいと命令を受けてしまったのだ。
ウィリスタリア国の第四王女アジェーリアといえば、その美貌もさることながら、良く言えば気難しいことで有名であった。
また言葉を選ばずに言うなら暴君と呼ばれるために生まれてきたアジェーリアは、気分次第で無理難題を吹っかけてくる。
そして、恐ろしい程にワガママで意地が悪い。
このまま、アジェーリアが現物のティアを気に入ってしまえば、それは信用のおける供という立ち位置ではなく、一時的な暇つぶしの対象となる。
はっきり言ってしまえば、輿入れの道中、ずっと玩具にされてしまうだろう。
グレンシスは、2年前からアジェーリアのお目付け役である。
だから王女の暴君は身をもって知っている。
昨年消費した胃薬と頭痛薬は、王城に勤める者の中で右に出るものはいないと自負している程に。
グレンシスだって人の子だ。
年端もいかない少女に、王女のワガママという名の生き地獄は味合わせたくはない。
だからティアを人形のように大人しくさせ、王女が興味を失くすように仕向けなければ。
そんな親切心から出た言葉だったというのに、隣をぴょこぴょこ歩く小娘は、今日も安定の小生意気さだった。
まったく素直に、はいとだけ言えば良いのに。
グレンシスは、そんな苦々しい思いを隠すことなく表情に出し、ぎろりとティアを睨み下ろした。
反対に隣を歩くティアは青ざめていた。
グレンシスに睨まれたからではなく、自分の置かれた状況があまりにも奇想天外すぎて。
さて、ティアがこの3日間、何をしていたかと言えば、一言で言うならば、多忙を極めていた。……物理的にではなく、精神的に。
ティアは環境の変化に慣れていない。
なので、ロハン邸に到着したときは、目先の事しか考えることができなかった。
けれど、一晩経ってようやっと現状を理解したのだ。
かつて、命を救った名も知らぬ騎士の屋敷に、自分がいることを。
グレンシスの存在は、ティアにとって宝物のようなものだった。
時折思い出して、胸を温めて、そしてまた大切に心の底にしまう。そんな存在だったのだ。
なのに、今、リアルなグレンシスと並んで歩いている。
歩いているだけではない。
彼が生活している空間に自分がいるのだ。
それに気付いてしまえば、大パニックに陥ってしまった。
用意された部屋の至る所に、グレンシスを感じてしまう程に。
ティアはどうしていいのか、わからなかったのだ。
ただわかることと言えば、なし崩しにここに来てしまったけれど、グレンシスはティアを歓迎していないということだけ。
だから、嬉しいなんて思ってはいけない。
いるだけで不愉快にさせてしまっているのだから、なるべく気配を消しておこう。
そう決めた3日間は、とにかく与えられた部屋で引きこもっていた。
けれど今朝、メイドに叩き起こされ、あわわ、あわわとしている内に今まで着たこともなき清楚なドレスを着せられ、馬車に押し込まて、ここに連れてこられてしまったのだ。
そんなティアは、グレンシスの言葉をまともに聞ける状態ではなかった。
ただ、素直にはいと言えないのには理由がある。
自分の置かれた状況を理解した今、一生懸命、グレンシスに関わらないようにしている自分を嘲笑うかのように、この騎士様は上から目線でものを言ってくれるのだ。
正直言って、どうよ?と思ってしまう。
そして、ティアに代わって、それを伝えてくれる者は誰もいない。
いるのは最高潮に不機嫌な騎士様だけ。
「ティア、これは最後通告だ。絶対に王女に向かって口答えをするな。お前は今から【はい】という言葉以外使えないと自分に暗示をかけろ」
グレンシスは、膝を折ってティアにそう言い聞かせる。
離れた場所から見れば、年の離れた兄が、精一杯、妹を諫めている図。
けれど、グレンシスの目は慈愛など皆無。脅迫、強請り、といった表現のほうが似合っていた。
「………」
そおっと視線だけずらしたティアは、無言のまま別の事を考えていた。
顔が良ければ、たいがいのことは許せると娼館のお姐さまが口を揃えて言っていたのは、本当なのだなと。
つまり、グレンシスは怒っていても、やっぱりカッコいい。
そして、怒られていても、ティアはムッとするよりも、見惚れないようにすることのほうが忙しかった。
なにしろ今日のグレンシスは、過去3回見た中で一番カッコいい。
それはきっと、回廊に等間隔にある明り取りの窓から差し込む陽の光のせいだ。
これから暑い季節を迎えるべく、太陽の輝きは強さが増している。
だから、グレンシスをより輝かせて見せるのだ。
パリッとした、濃紺の騎士服も憎らしい程に似合っている。
ティアは、絶対に死んでもグレンシスの顔なんて見てやるもんかと意固地になって、さらに首を捻った。
けれど、それはグレンシスにとっては、煽るようにしか見えなかった。
「ティア、死にたくなければ言うことをきけ」
マジギレ3秒前。
そんなことをティアは心の中で呟く。
けれど、2年もワガママ王女のお目付け役を務めているグレンシスの眼力は、生半可なものではなかった。
娼館という箱入り娘で育ったティアは、その冴え冴えとした眼力に抗うことができず……嫌々ながらも口を開くことを選ばざるを得なかった。
「死にたくもないですが、矢継ぎ早に命令されるのも嫌です。だから、絶対に頷きません。ただ、言われた通りにはします」
「………素直に頷けば良いだけの事を………このクソガキ」
グレンシスは小声で、でもしっかりティアに伝わるように呟いた。
もちろん、すぐ隣を歩くティアの耳にも届いた。
けれどティアはむっとした表情をしたけれど、口を開くことはしなかった。
なぜなら、王女の自室が目の前に迫っていたから。
グレンシスもそれに気付いたのだろう。表情を引き締める。もともと姿勢は良いけれど、それでも気持ちの上でしゃんと背筋を伸ばした。
次いで、グレンシスは、王女の私室と思われる扉の前にいる衛兵に声をかけた。
「王女に伝えてくれ。例の少女を連れてきたと」
「御意」
グレンシスの言葉に衛兵は慇懃に礼を取った。
そしてその一人が王女の私室へと消えて行った。
それからしばらくの間、扉の前では沈黙が落ちる。
「───……どうぞ、お待たせいたしました」
ティアがいっそ帰ろうかと思う程、さんざん待たされた後、豪奢な扉がゆっくりと開いた。




