表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/99

なにせ顔が良かったもので①

 古今東西、老若男女問わず刃物で刺されたら血が出る。

 そして受けた場所によっては、致命傷となり生死を彷徨うことになる。


 ───それは将来を約束されている、超が付くほどのエリート騎士だって例外ではない。





 西の空の雲が燃えるような朱色に染まっている。東の空には夜の帳が迫っている。

 けれど、街並みは夜の静けさを拒むように騒がしい。


 大通りには、これから飲みに行こうと誘い合う男の声や、遊び疲れて家路を急ぐ子供の甲高い声。

 そして婦人たちの夕餉のおかずの情報交換するやけに真剣な声がごちゃ混ぜになって響いている。


 そんな中、少し離れた路地裏では、一人の騎士の命が消えようとしていた。




「………くそっ」


 心の臓のすぐ近くに深手を負った宮廷騎士は片膝を付いたままの姿勢で、こんな状況に陥ってしまった全てに対して悪態を付いた。


 辺境伯爵の次男坊の生まれとしては、かなり順風満帆に生きてきたのに、本当にクソのような人生の幕引きだ。


 手負いの騎士は、そんなことを思いながら、傷口を片手で押える。


 止血の為に手を当てているが、ドクンドクンと心の臓の動きに合わせて吐き出される血液は、その大きな掌でも抑えることができない。


 ぬるりとした感触がやけに他人事に感じる。多分、いや間違いなく自分はここで死ぬのだろう。


 人の命などなんと脆いものなのだろうか。


 そんなことをつらつらと思いながら、騎士はほんの少し前の出来事を思い返していた。


 事の始まりは、部下の一人の失恋。


 一世一代の大告白をした挙句、木っ端みじんに砕け散った部下を慰める為に、3人の部下と共にバルへ行こうということになった。


 少し治安が悪いがかなりいい酒を出す店があると一人の部下が提案し、言われるままそこへ向かった。


 ただ運悪く、その途中で引ったくりを目撃してしまった。騎士は街の警護兵ではない。けれど、見て見ぬふりもできない。


 ………などと迷う余地はなかった。気付けば部下があっという間に犯人を捕らえていたからだ。


 これで一件落着。近くの警備兵の詰所に犯人を押し付ければ済むだけのこと。けれど、一つ困ったことがあった。犯人は子供だったのだ。


 先の戦争のせいで、この国にはいたるところに傷跡も残している。そして、この男児も戦争孤児なのかもしれない。


 不意によぎったそれを打ち消すことができず、騎士はしばし悩んだのち、軽く説教をして見逃すことを選んだ。


 だか、ここでも思わぬ誤算があった。


 ひったくり犯である男児を人目のつかない路地裏に連れ込み、それから目線を合わせ、説教を始めようとした。だがその途端、斬り付けられたのだ。あろうことか、その男児に。


 ───あのクソガキ。恩を仇で返しやがって。


 騎士は、路地に消えて行った男児の後姿を思い出して顔を顰める。

 次いで支えていた片膝が限界を迎え、地面に叩きつけられた。


「隊長っ」


「しっかりしてくださいっ。隊長」


「誰か、医者を呼んで来いっ」


 部下が口々に切羽詰まった声を出す。

 覗き込まれたその表情も、縁起でもない程に悲壮なものだった。


 そして、その一人が堪え切れず首を垂れた。バルを提案した騎士だった。


「……隊長、自分のせいです。申し訳ございませんっ」


 ───気にするな。お前のせいじゃない。それよりも、失恋した部下を慰めてやってくれ。アイツの方が今にも死にそうだ。それに後追いなんてされたら冗談じゃない。つまみ出すぞ。


 騎士はそう伝えようとした。

 けれど、深手を負った騎士は、部下たちに声を掛けることができない。


 もう、息も絶え絶えなのだ。

 

 視界がかすむ。自分の息が細くなる。今、意識を手放せてしまえば、二度と目を覚ますことができないだろう。そんな恐怖が全身を襲う。


 ───頼む。誰か、助けてくれっ。


 16歳で騎士となり、それから7年ずっと命と剣を国に捧げたつもりだった。

 けれど、いざとなったらこんなにも情けないことを心から口走ってしまう。


 なんて無様なのだろう。だが、まだ死にたくないっ。


 そう、騎士が声にならない声で叫んだ瞬間、


「どうかしたんですか?」


 鈴を転がしたような涼やかな少女の声が路地裏に響いた。




 路地裏に突如として現れた少女は、フード付きの短いこげ茶色のマントを身に着け、大きな籠を手にしていた。


 目深にフードを被っているせいで顔は良く見えない。

 その声と背格好からして、15,16歳といった感じだろうか。少女と呼ぶか娘と呼ぶべきか悩むところ。


 ただ、籠の中には、その姿に似合わない高価な酒瓶が2本覗いている。

 ついでに言うと齧りかけのパンも覗いている。


 言葉を選ばずに言うならば、とても奇妙な少女であった。


「あの……どうかしたんですか?」


 少女は小首を傾げながら、もう一度同じ言葉を紡いだ。

 

 首を動かした拍子に、フードからブラウンローズの髪が一房零れ落ちる。

 サクランボのような艶のある唇は、言葉を紡いだ後はきゅっと一文字に結ばれている。


 次に放つであろう騎士の言葉を、待っているのだろう。


 けれど騎士たちは無言のまま食い入るように少女を見つめている。妙に人を惹きつける魅力を持つ少女だった。


 瀕死の騎士の部下たちは、10代後半から20代前半の青年でもある。

 きっとこれが全く違う状況なら、フードの奥に隠された顔を覗いてみたいと思うだろう。


 ただ、この状況でそれはあまりに場違いな考えであり、この出会いは望まない邂逅であった。


「どうもしていないっ」


「娘、さっさとここから離れろっ」


「今、見たことはすぐに忘れろ」


 我に返った部下の騎士たちは、しっしと羽虫を払うように少女にあっちに行けと指示を出す。


 上司であるエリート騎士が無様に倒れているところを見られたくないという気持ちもあり、少女に助けを求めても的確な行動を取ってもらえることはないと判断したのだろう。


 その口調は横柄で、高飛車なものだった。


 補足だけれど、彼らの日頃、騎士として、市民には礼儀正しく接することを常としている。とはいえ、今は緊急事態。荒々しい口調は致し方無いことであった。


 けれど、少女は怯えることも素直に立ち去ることもしない。少しだけ肩をすくめただけ。


 それからすぐに、なぜかすんすんと鼻を鳴らした。


 そして、ぽてぽてとまるでお使いの帰り道のようなしっかりした足取りで、路地裏に足を踏み入れた。

 向かう先はどうやら現在進行形で倒れている騎士の元。


 慌てて少女を止めようと部下の3人の騎士たちが、瀕死の騎士の前に立ちふさがる。が、少女は右に左にそれをすり抜け、最後はへたりと座り込んだ。


 そこはちょうど瀕死の騎士の前。


 どうやらこの少女はどんくさいように見えて、リスのように素早い動きをするようだ。


「あら、この人深手を負ってますね。人間は身体から三分の一の血液を失うと死ぬと言いますが……そろそろ危険な状態ですね」


 手にしていた籠を地面に置きながら、まるで他人事のように少女は言った。


 もちろん初対面の少女にとって、これは他人事ではある。

 が、人が生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、その口調はいささか冷たいものであった。


 騎士たちは侮辱されたと言わんばかりに顔を赤らめた。


「おいっ、娘、いい加減にしろっ」


 怒りに任せて一人の騎士が声を荒げる。


 けれど少女は、それを右から左に聞き流して瀕死の騎士の顔を覗き込む。次いで、小さく息をのんだ。


「これは、ヤバいわ」


 さっきまでとは別人のように、切羽詰まった声を上げた。

 その声音は、今すぐにでも世界が滅んでしまいそうな程の悲痛なものであった。


 そしてすぐに次の言葉を放つ。


「今すぐ助けないとっ」

 

 そう言うが早いか、少女は瀕死の騎士の傷口に手を当てた。

 ぺちゃっと血で濡れた騎士の服に躊躇いなく掌を置いたのだ。


 もちろんこれも他の騎士が止める間もなかった。


「おい、ちょっと待てっ」

「待てません。この人には何が何でも生きてもらわないとっ」


 少女は今にも泣き出さんばかりに口元を歪め、首を激しく左右に振った。


 しつこいようだが、ついさっきまで人の死を他人事のように見つめていた人間とは到底思えない素振りであった。


 はっきり言ってしまえば、瀕死の騎士の顔を見た時から、少女の態度は一変していた。


 ちなみに瀕死の騎士は、かなりの美丈夫であった。街の女性と10人すれ違ったら、10人が振り返る程に。


「……お、おい」


 あまりの豹変に騎士たちの方が怯んでしまう。


 そんな彼らを一瞥した少女は、少しだけ口元を緩め、軽く息を吸い、ゆっくりと口を開いた。


「オイデ オイデ ココニオイデ ツタエ ツタエ ワタシノモトニ イタミモ ツラサモ アワトナリ キラキラトカシテ ミセマショウ メザメルトキニハ ヤスラギヲ アナタニイヤシヲ アタエマショウ」


 節をつけて紡ぐその言葉は、歌というよりも不思議な呪文のように聞こえた。


「……っ」


 騎士たちは同時に息をのんだ。


 風など吹いていないのに、少女の髪がふわりと揺れたのだ。


 次いで目深にかぶっていたフードがはらりと落ち、夕陽に照らされた少女の横顔がはっきりと映る。


 瀕死の騎士に視線をそそぐ少女の瞳は金色だった。  


 このウィリスタリア国では、色素の濃い瞳と髪が主流だ。

 ブラウンローズの髪ですら珍しいというのに、金色の瞳など未だかつて見たことが無い。


 それに何より少女はとても美しかった。まるで天使かと見紛う程に。


 慈愛に満ちた金色の瞳。そして柔らかい弧を描く唇。

 そして少女の手のひらから溢れる温かみのある金色の光。


 それらを目にしながら3人の騎士たちは、同時にこう思った。

 

 すえた匂いのする、空き瓶や古い張り紙があちらこちらに散らばる薄汚い路地裏でのこの光景は、奇怪なものというよりは、とても神聖なもののようだ、と


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ