シスタイガーの真実
“神獣”――。
ヘンゼルさんの話を聞いているだけで、とんでもない存在であることが伝わってくるが――それとは別に、俺は≪PANGAEA・THE・ONLINE≫というゲームの“プレイヤー”だった頃から、その単語を知っていた。
「“神獣”って、確か……ゲーム開始した時期から一度も倒されたことがない各エリアにいる超大型のレイドボスだったはず……!?」
“神獣”は超巨大な姿と圧倒的な強さを誇るレイドボスとして、俺達“プレイヤー”の間で有名な存在だった。
このゲームにおいて、全部で九体存在していると言われているのだが、高レベルプレイヤーがどれだけ挑んでも歯が立たず、ゲームのバランス調整ミスかバグとしか思えないほどの強すぎる“神獣”の仕様に批判が殺到。
その意見を受けた運営からは、ほぼ無条件と言わんばかりにその“神獣”戦限定で使用できる最上位クラスの装備が配布されたり、能力底上げイベントが行われたりしたが、それでも誰も“神獣”を討伐する事が出来なかった。
(今思えば、“神獣”っていう存在もこの弱く設定され過ぎていた“山賊”職同様に、ネタにならないレベルでゲームバランスを壊してるよな~……。ゲームの運営側もそんだけプレイヤー達を優遇するくらいに神獣を倒させたいなら、最初からもう少し能力値設定を甘くするか、抗議に対してプレイヤー側を支援するんじゃなくて、神獣側をそれなりに弱体化させるべきだろ?)
アイテムを配るのなら、レイドボス戦が解禁された当初からプレイヤー全員に配布しないと均等に配分されないだろうし、自分で装備を集めていくのも醍醐味のゲームで限定的な条件つきとはいえ、最強クラスの装備をほぼ無償で配布なんかすれば、普段の自分達が身に着けていた装備との機能の違いでプレイヤー達が馬鹿らしくなったりしてしまうのも分かり切っていたことだ。(現に、もちろんそういう不満も多々あったらしい)
“山賊”の方は、運営がもはや放置しているとしか思えない扱いといえたが、それに対して“神獣”はどうにも運営がゲーム中においてどうしたら良いのか扱い兼ねている……そんな印象を俺は受けていた。
そんな“プレイヤー”としての知識で語った俺に対して、ヘンゼルさんが頷く。
「そうだ。今リューキ君が言った通り、このシスタイガー大森林は、神獣の一体である“マヤウェル”が君臨している。マヤウェルは、自分に与する“転倒者”にはこの世界に存在するための力を、自身の支配下で生きるこの大森林の異種族や魔物には、特殊な加護を与えることでこの地に足を踏み入れたプレイヤー達を撃退させているんだ」
「なるほど……確かにこの大森林の奥に眠っている“修正パッチ”とかいうお宝を手に入れさせたら、プレイヤーがムチプリ♡お姉さん達で撃退する事も出来ずに手がつけられなくなるもんな。……プレイヤーの一人として、卑劣な色仕掛けで俺達の心を弄ぶマヤウェルって奴は絶対に許せないぜッ!!」
後半からは、感情を込めて憤慨の叫びを上げる俺。
それと同時に、絶対にこの大森林の最奥に隠されているという“修正パッチ”というアイテムを入手して、ヘンゼルさんや3ピース・ホロウのように、絶対に魅力的な女性達とShippori and the Cityな行為をしたい!という決意の炎を激しく滾らせる。
――だが、そんな俺に対して、ヘンゼルさんが愁いを帯びた眼差しで俺を見つめていた。
見れば、ヘンゼルさんだけではない。
周囲の男性プレイヤー達も彼同様に、同情ともいえる表情を隠そうともせぬまま俺に視線を向けていた。
一体、なんだってんだ?
困惑する俺に対して、ヘンゼルさんがゆっくりと呟く。
「……本来なら、隠しておいた方が僕達にとって都合よく物事を進められるのかもしれないが、ここまで協力してくれた君達には本当の事を話すのが、僕が出来る“誠意”ってものなんだと思うんだ」
――そうしてヘンゼルさんは、俺に対して力強く、かつ残酷な現実を突きつけてくる。
「リューキ君、落ち着いて聞いて欲しい。……このシスタイガー大森林には、君達プレイヤーが求めているような“修正パッチ”なんてアイテムは、全く存在しないんだ――!!」
…………………………なにを、言ってるんだ、アンタは?
じゃあ、俺は、一体、何のためにこんな場所まで、命の危険を冒して来たって言うんだ……!!
あまりの絶望的な知らせを聞いて、俺の感情は完全に喪失していたに違いない。
それでも、ヘンゼルさんは俺の両肩に手を置きながら、なおも言葉を続ける。
「ここにいるプレイヤー達もこの事実を聞いたときは、君と同じく茫然自失となっていた。だから皆、君の気持ちは痛いほどよく分かってくれるはずだ。……そして、そんな君や他のプレイヤー達の気持ちを弄び、この大森林で命を落とすように虚偽の情報をこの大森林の外部に流した者がいるんだ!」
ヘンゼルさん曰く、ムチプリ♡な異種族お姉さん達にプレイヤーが対抗できるようになる可能性のある唯一のアイテム“修正パッチ”を入手するために、ヘンゼルさんはこれまで数多くの獣人やエルフのお姉さん達とのShippori and the Cityな戦闘行為が終わったあとの時間に、それとなく修正パッチの話を彼女達から聞き出していたらしい。
だが、とぼけたり演技するでもなく、彼女達は本当に修正パッチなどというアイテムの存在など知らず、独自に調査した結果、この大森林にはそもそも最初からそんなアイテムなど存在しない、という結論に至ったのだという。
意識が朦朧とする中、俺は振り絞るような声で何とかヘンゼルさんに訊ねる。
「……そんな、悪質なことを一体、誰が……?それも、“お菓子の家の魔女”か?それとも、“マヤウェル”っていう奴の命令なのか……!?」
「僕達も最初はそう思っていた。だが、マヤウェルや異種族達は確かにプレイヤー達を敵視しているが、神獣や彼女達は自分達のテリトリーから相手が逃げだせば、深追いしない性質を持っている。確かに彼女達はShippori and the Cityな行為を通じて、相手から精力を吸い上げたり、繁殖したり、単純にそういう事を楽しみたいだけだったりと、プレイヤーという存在を利用している節はあるが……彼女達は、この大森林で生まれる数少ないショタ系獣人や男の娘エルフ、たまに外部から連れてきたNPC男性で足りているらしく、少なくとも、そういう行為を一度しただけで光の粒子になって消滅する“プレイヤー”という存在をわざわざ誘い込む必要性は皆無なんだ」
なのに、とヘンゼルさんは続ける。
「――逃げられないように道に迷わせたり、出口を見つけられなくする術式を施してまで、相手を全滅させるような……こんな“還らずの森”としてプレイヤーとの間に確実に軋轢が生じるようなやり方は、この森林の中で生態系が完成しているはずの彼女達にとって、迷惑以外の何物でもないはずだ」
「……じゃあ、異種族に協力している“お菓子の家の魔女”の独断専行ってのはないんですか?魔女なら、そういう魔術を使ってもおかしくないでしょう?」
「……それもない、と僕は判断する。その理由はさっき屋敷内で話した通り、この森にかけられた術式の性質が『“プレイヤー”や“転倒者”を逃がさない』ように作動している事なんだ。……そして、この術式で外に出れなくなっているのは、どうも僕達だけでなく、異種族側についている“転倒者”達も例外ではないらしい」
……確かに、『ナハバツ』の町を襲撃している獣人の話は聞いたけど、あそこでライカのような“転倒者”みたいな圧倒的な存在が来たって話は聞かなかったな……。
「でも、それも何か自分の企みを持った魔女が、異種族達から勝手な事をしていると疑われないように、自分達も通れないようにすることで、誰がそんな罠を作ったのか分からなくした……とかそういう演技の可能性ってないですかね?」
「恐らくだが――彼女は、そんな器用なことは出来ないし……やれたとしても、そんなことはやらないと僕は思う。何より、彼女達“転倒者”を支援する“神獣”という存在に、バレたら確実に不興を買うような事をすれば、どうなるかは考えるまでもない事じゃないかな」
……?
なんだろう。最初の頃から違和感があったけど、ヘンゼルさんと因縁のあるはずの“お菓子の家の魔女”という存在を口にしていたときは不自然なくらいに無反応だったかと思えば、ここで魔女の事を意味ありげに話したりするし……。
俺達の世界に伝わっている事が全部真実だとは思わないけど、ヘンゼルさんと魔女の間には、俺達が知らないような何かがあるのか?
そんな俺の考えに気づいているのかは分からないが、ヘンゼルさんは真剣な表情で自身の結論を述べる。
「僕達は、この『修正パッチという幻のアイテムが、シスタイガー大森林に存在する』という虚偽の情報を流してこの地に招き寄せている者と、『大森林に入り込んだプレイヤー達や転倒者が、一切抜け出せなくなる術式』を施した者が同一人物、もしくは同一の勢力なのだと確信している。……この大森林に囚われている僕達では相手の尻尾を捉える事すら出来ていないが、僕や君達は、マヤウェルやその支配下の者達だけでなく、正体不明の“第三勢力”にも狙われているかもしれない、という事を覚えておいてほしい……!!」
ヘンゼルさんからもたらされた情報を前に戦慄する俺。
存在しない修正パッチ。
おまけに、何が目的かも分からずにこちらに敵意を向けているらしい謎の第三勢力。
……そして、このシスタイガー大森林を根城にしている“神獣”勢力の強大さ。
ライカ戦でのひとまずの勝利が霞むかのような、不安&絶望的な現実の数々を前に、俺の精神はもはや崩壊寸前だった――。
「しばらく、考える時間も君達には必要だろう」
そう提案してくれたヘンゼルさんによって、とりあえず、俺達はその場から解散する事になった。
ヘンゼルさんが、手配してくれた建物に向かう途中の道すがら、オボロが俺に問いかけてくる。
「色々難しそうな話していたから、口を挟まなかったけど……リューキ、とりあえずこれからどうする?」
それは至極当然の疑問だったかもしれない。
だが、俺からすればそんなものは疑問にする必要がないくらいに、決まりきっていた事だった。
――何か事情がありそうながらも、俺達に真剣に向き合おうとしてくれていたヘンゼルさん。
――ロクローをはじめとする、スケベながらも、俺達みたいな変わり者集団を受け入れてくれた気の良いプレイヤー達。
そんな皆の顔を思い浮かべながら、俺はゆっくりと呟く――。
「とりあえず、さっさとここを出て帰ろっか」
……いや、流石に“修正パッチ”もないうえに、俺達みたいな低レベルプレイヤーでどうにか出来る事態じゃなさそうだし、こればっかりは流石に仕方ないだろ……。




