≪PANGAEA・THE・ONLINE≫
――どうして、自分がこんな目に遭わなければならないのか。
そんな言葉は故郷の日本……いや、古今東西を問わず追いつめられた人間が口にしてきた典型的な天蓋を覆う意思に違いない。
無論、それは現実世界を離れた場所であるここにおいても例外ではなかった。
「ク……クソッ!!こんなところで、死んでたまるかよッ!!」
「ど、どうなっているのよ!?これって、本当に単なるゲームじゃないの!?」
周囲では俺と同じような初心者・低レベルプレイヤー達が、決死の表情を浮かべ悲鳴を上げながら、異口同音にそのような言葉を口にする。
俺達を取り囲んでいるのは、小悪鬼やマタニティキノコ、蜥蜴人などといった多くのモンスターによって構成された軍勢だった。
「ヒュルルッフ……フシャーッ!!」
蜥蜴人が雄たけびらしきモノとともに、手にした銛による高速の突きを魔術師系のプレイヤーに放つ――!!
「クッ……!?だ、誰か防御を!!……僕の能力じゃ、コイツを抑える事が出来ないんだ!!」
だが、その声にマトモに応える者はいない。
何故なら、他のプレイヤーも状況は似たり寄ったりであり、小悪鬼の集団を相手に苦戦したり、手足が生えたキノコ型の魔物であるマタニティキノコから放たれる胞子を吸い込んだ事によって、ステータス:『想像妊娠』状態になって身動きが取れなくなるなど、皆が他者に構っている余裕などなかったからだ。
モンスター達と戦闘しているプレイヤーから、魔術師の男性に向かってしきりに
「うるせー!さっさと一人でくたばってろ、このカスが!!」とか
「文句ばっか言ってないでアンタが何とかしなさいよ、この役立たず!!」
という罵声が飛び交う。
そんな醜いやり取りをしている間にも、レベルも装備も初期状態同然だったプレイヤーが敵の攻撃を一、二発受けてHPバーが消し飛び、瞳から生気を一瞬で失うとガクン、と糸を失った操り人形のように地面に崩れ落ちていく。
そうして彼ら倒されたプレイヤーの肉体はモンスター達に弄ばれたり、養分にされたりしていたが、一定時間が経過すると光の粒子となってこの場から消失していった……。
その光景を目にして、プレイヤー達が応戦しながらも顔面蒼白になる。
――無論それは、俺達も例外ではなかった。
既に俺の武器である刀は最初の一撃で破損し、大した攻撃力を持たないマタニティキノコの体当たり一発によってただでさえ少ない体力が早くも尽きようとしていた。
肩で息を切らせながらも何とか戦いを挑もうとするが、俺にはそのための手段や力などどこにもありはしない。
唯一の友人にして、このゲームに誘った”傾奇者”のプレイヤーであるヨースケこと板野 洋介が真剣な表情で槍を魔物達相手に構えながら、視線を外すことなくこの俺――リューキこと村上 龍樹へと呟く。
「リューキ……俺としては良かれと思ってこのPANGAEAに誘ったんだけど、まさかお前がログインしたその日にこんな事態に巻き込んじまって、本当にすまなかったな……!」
ヨースケの言う通り、俺はこの≪PANGAEA・THE・ONLINE≫というVRゲームに誘われる形で一カ月前にプレイヤー登録を行った。
ゲームとは思えない圧倒的なクオリティのリアル感を前に、珍しく声を上げて感じ入っていた俺だったが、その直後にまさかログアウト不可能なサバイバル状態に巻き込まれるとは夢にも思わなかった。
それ以降俺達のような初心者プレイヤー達は、この世界に残った他の強いプレイヤー達から奴隷同然の如く雑用や今回のような面倒ごとを押し付けられる日々を過ごすこととなったのだ。
誰も予期しえぬ事だったとはいえ、当初はこんな事態になった件について俺とヨースケは何度も衝突したりしていた。
でも、それもこの一カ月で苦楽を共にしたり、それ以上に精神が摩耗していた事もあり、互いに”仕方なかった”という結論で済んだはずだ。
……それを、この局面で口にするという事は……。
「ッ!?ヨースケ、まさかお前ッ……!?」
俺が静止の声を上げるよりも先に、ヨースケが颯爽と魔物達の前に飛び出していく――!!
そうして敵陣の只中に飛び込んだヨースケは、右手に持った槍を盛大に振り回し始める――!!
「あっ、てぇへんだ!てぇへんだ!!……てぇへん、てぇへん、底辺だ〜!!♪」
ヨースケが”傾奇者”のスキル:”名乗り上げ”を用いることにより、周囲のモンスター達の目を自身に惹きつける事に成功した。
他のプレイヤー達に襲い掛かっていたモンスター達も対象を変更し、ヨースケのもとへと一斉になだれ込んでくる――!!
『キシャアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
「ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
対するヨースケも負けじと叫びながら、次々と槍を眼前の敵へと突き刺していく。
ヨースケの槍は正鵠過たずに魔物達を貫いていき、敵のHPバーを豪快に吹き飛ばす――!!
……だが、圧倒的な物量差は覆しようもなく、ヨースケは押し寄せる魔物達にその身をかじられ、切り刻まれ、突き刺されながら見る見る内に瀕死状態へと追いつめられていく。
「ヨ、ヨースケ――ッ!!」
必死にヨースケへと呼びかける俺。
そんな俺に対して、ヨースケは魔物達にもみくちゃにされながら力ない笑みをこちらに向けて口を開く。
「チ……ティン、ポ……♡」
その言葉を最後に、ヨースケの姿は自身を取り囲む魔物達の中に掻き消えたかと思うと――その中心地から光の粒子が浮かび上がり、やがて消失した。
クラスでもロクに誰とも話そうとしなかった俺に気軽に話しかけてきた最初の時のように、どこまでもお調子者らしく振る舞おうとしていたアイツらしい最期……と言えたかもしれない。
だが、俺はその光景を前に納得できるはずもなく、逃げることも忘れて思わずへたり込む。
「脈絡のない下ネタとか……全く、笑えねぇよ。ヨースケ……!!」
そうしている間にも、魔物達の襲撃を逃れられた他のプレイヤー達は、状況が分かっていないながらもこれを好機と判断して我先にと逃げ出そうとしていた。
「や、やった!!何だか知らないが、敵が俺のもとから離れていきやがったぞ!!」
「今のうちに逃げまちょ、逃げまちょ♡」
彼ら彼女らがヨースケの犠牲に構うことなく、敵の注意が自分達に向く前に急いでこの場を退却しようとしていた――そのときだった。
「……ま、待てと言っているだろ!!さっさと僕を助けろって言ってるじゃないか!?」
そう怒鳴り声を上げたのは、先程の魔術師のプレイヤーである男だった。
ヨースケの”名乗り上げ”による挑発も絶対に敵を惹きつけられる、という訳ではなかったらしく、不運にも彼が相手にしていた蜥蜴人は、その手を休めることなくしきりに攻撃を仕掛け続けていた。
魔術師の男は、自身に防御魔術をかけたり回復アイテムを使っていたからなのだろうが、何とかギリギリで耐え忍ぶことが出来ていた。
だが、それもここまでだろう。
そんな彼に先程と同じように、「うるせー!テメェはそこでさっさと死んどけや!ギャハハハッ!」とか「ノロマなアンタが悪いのよ!アタシ等の足引っ張ろうとすんな!」と、口々に罵声を投げかけていた。
……そこまでで限界だったのだろう。
魔術師は我慢できないと言わんばかりに、防御も無視して目を見開きながら、杖を振り回して暴走し始める――!!
「い……嫌だ、嫌だ、嫌だ!!何で僕ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないんだァァァァァァッ!」
そう言うや否や、彼らの方に向かって強い殺意を込めた瞳を向ける。
「お前も!お前も!……みんな、死んじゃえェェェェェェェェェェェェェェェッ!!」
そんな絶叫と共に、力強い詠唱が彼の口から響き渡っていく――!!
「――しっかり召しあがれ!――”ラブスパイス♡メテオ”!!」
初心者級のプレイヤーとは思えない高火力の攻性魔術スキル:”ラブスパイス♡メテオ”が、他のプレイヤー達に迫る!!
「ッ!?よ、よせッ!!やめろ暴力は良くないグアァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「アンタ本当に何考えてんのよ、って嘘、嘘ッ!?こっち来んなァッ!!」
極大の火球が立て続けに彼らの姿を呑み込んでいき、その後も手当たり次第にプレイヤー・モンスターの区別なく放たれていく。
俺は彼ら以上に最弱の性能であったため、ロクに逃げたり防御する事も出来ず、ただ無様なほどに頭を隠してうずくまることしか出来なかった。
(糞、糞ッ!!……今の俺には、こんな事しか出来ないって言うのか!?)
現在進行形で自身の命が脅かされている事に対する恐怖もある。
だが、それ以上に今の俺の胸を支配しているのは、自身に対する激しい憤りだった。
――俺が何も動けない状況の中、ヨースケが敵に嬲り殺しにされ。
――俺がへたり込んでいる間に、勝手に敵も味方も憎悪や狂乱の中で死んでいく。
重要な局面において、全く関与することなくただ流されることしか出来ていない自身の無力さを前に、俺は泣きたくなるほど絶望していた。
そして、この事態を終わらせたのも、俺なんかではなかった。
「そうだ、死ね、死ねッ!!……グハァッ!?」
そんな断末魔ともいえる声とともに、火球の猛攻が終わりを見せる。
恐る恐る攻撃が飛んできた方向に向けて顔を上げると、そこには蜥蜴人の銛に貫かれて絶命したらしい魔術師の姿があった。
防御術式が切れたのか、ようやく蜥蜴人の攻撃が通って、彼は完全に力尽きる事になったのだろう。
「…………」
銛から魔術師の身体を引き抜き、それを地面に放り投げてから黙々と死体をあさり始める蜥蜴人。
見ればこの場には、俺とその蜥蜴人以外、プレイヤーもモンスターも誰一人、一匹として生き残ってはいなかった。
蜥蜴人はその後も次々と、”ラブスパイス♡メテオ”の猛攻で死んだ者達の遺体を物色していく。
やがて、全ての倒れた者達が時間の経過によって光の粒子となって消えていくと、後には大量の装備やアイテムを抱えた蜥蜴人と、何も持たない無力な俺だけが残された。
こんな時にも関わらず、モンスターって俺達みたいなプレイヤーと違ってアイテムボックスとか所持していないから大変なんだな……と場違いなことを考えていた。
俺は最弱の性能であるため、逃げるための敏捷性もこの状況を切り抜けるための攻撃力やスキルもなく、ただ奴の出方を伺うしかなかった。
無言で見つめあう俺と蜥蜴人。
「…………」
「…………」
どのくらい時間が経っただろうか。
先に動きを見せたのは、蜥蜴人の方だった。
フン、と鼻息を一つついたかと思うと、背中を見せてこの場からのっそりと立ち去っていく。
情けをかけられたのか……あるいは、単純に多くの戦利品を抱えた状態で下手なリスクを負いたくなかっただけなのか。
モンスターの心境など分かるはずもないが今現在はっきりとしているのは、ただ一つ。
”雑魚狩り”として割り振られた低レベルプレイヤー組の中の唯一の生き残り。
それが、最底辺職”山賊”であるこの俺である――という、誰にとっても救いのない現実だった……。