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母と話していると、とてつもなくイライラする。一度怒りに火が付くとイライラしなくていいことにまでイライラする。怒りが爆発して殺してしまってもおかしくない。

時間が経てば、なぜあんなにイライラしたのかと自己嫌悪に陥る。次こそは冷静にイライラすることなく落ち着いて接しよう。普通にしていればいいのだ。おれも大人なのだから、なにもあんなことでイライラすることないじゃないか、と思う。しかし、頭ではわかっていても心がついていかない。やっぱりイライラする。何度もこれを繰り返した。わかった。これは病気だな。


母とはわかりあえないだろう。未来永劫わかりあえない。心が通い合うことはない。もうそれはいい、望まないようにする。

放任と放棄との違いがわからず、子供は自由に育てたと言えてしまう親である。子供がわがままを言わず、自分の言うことを聞くいい子だったと語る。まるで自分の子育てがよかったとでも言いたげに。

それは違うよ、反抗期がないのは危険信号だよ、と言ってもわかろうとしない。というより、わたしの話を聞かない。聞こうとしない。無意識に聞くことを拒んでいるようだ。

わたしが話すと背を向けて声のギリギリ届かない位置まで距離をとる。これは無意識に行っているようだ。まるで絶妙の距離をとるアウトボクシングのようだ。みやたくんを相手にしているようだ。相手のパンチの届かない距離を保ち、自分のパンチは当てにくる。

話しかけてきたのが母でも同様に距離をとる。聞きたくないんだなあ、とよくわかる。聞きたくないならこちらも話さなければいい。だが、母親への幼児的欲求からか、話を聞いてくれないとわかるとイライラが芽生える。聞いてもらいたい、そんなこちらの気持ちは伝わらない。聞こえないからか結構な頻度で返事がない。しかばねのようだ。聞いてくれないからますますイライラする。そして、怒りに支配される。

わたしがもし釣り船の手伝いをしていたなら、すでに何百発ものデンプシーロールが母親を襲っているし、わたしが戦闘民族の王子なら母親で打ち上げたきたねぇ花火で神宮花火大会を開いている。シェンロン、母を不死身の超回復キャラにしておくれ。そしたら気兼ねなく何度も殺せるから。


最近わかったことだが、あの人は自分の間違いを認めない、それと被害妄想、それと無責任である。責任放棄とも言える。自分が責任を負うのを極端に嫌がる。その結果、自分の安心を最優先させ、他者の気持ちはその次になる。

逸話がある。

母は私を大学に行かせたかったらしいが、父が反対したらしい。父としては自分で稼いだお金を自分以外に使われるのが苦痛だったのだと思う。母は親せきから借りてでも行かせようと思ったが、思っただけだったのかわたしは大学に進学しなかった。私自身、高校時代に勉強を諦めた自分が大学に行って勉強できるとは思えなかったので就職の道に選んだ。

まあ、今思えば、大学から頑張って勉強してもよかったのかも、と思っている。それはさておき、

そんな話を去年ぐらいにされた。進学させなかったことを悔やんでいると言われた。

解せない。

大学に行きたいなどと言ったことはない。なのになぜ、そんなに進学させたかったのか、聞いてみた。

母はその方が安心できるからと答えた。その答えも解せなかった。この解せないは失望である。こんな人だったとは。私の気持ちや考えはどこにあるのか。この人の中には子供の気持ちを考えようとする、いや、他者の気持ちを汲み取ろうとする感覚が欠如している。

母は我々兄弟にもっとちゃんとした教育を受けさせたかった、と言った。ちゃんとした教育ってなに?と聞いたら、高いお金のかかる塾だそうだ。そこに通っていれば自分はもっと安心できたと言った。

こういう母親と親子の愛情を築ける気がしないし、実際築けていない。


こんな母親はどこにでもいるだろう。暇つぶしや自己満のために子育てをする。保護者の義務と親の愛情を勘違いしながら。


ここまで書いてよくわかるが、私自身が母親の愛情に飢えている。僕のことをもっとよく見て、もっとよくわかって、と書いている。しかし、それは諦めなければならない。小さな天使のような時代の私を愛せなかった親が、うるさいおじさんとなった私を愛せるはずもない。

母親に対する敵意の本質はこの叶うことない甘えなのではなかろうか。もっとかまってほしい、という愛情欲求。それをまったく意に介さない母親。子供は駄々をこねる。わたしの敵意は駄々に似ている。子供のイライラに似ている。実は頭ではわかっている。心がついていかない。頭で言い聞かせてもどんなに怒りを感じることを我慢できない。恐ろしいことだ。


もし仮にこれが母以外の他者にも向くものだったらどうだろう。おそらくわたしは今頃塀の中か死んでいる。これほど他者に怒りを感じながらまともに生きることはできない。何度もの我慢の果てに我慢できずカッとなって相手を殺しているか、怒りを抱く自分に失望して、苦しみから解放されたくて死ぬ。


もう、母への怒りを我慢しない。本当に怒りを我慢しないとなると本当に殺すことになるから、精神的に自分を変える。怒りを覚える自分を否定しない。あとあとになって怒りを覚えたことで自分を責めることはしない。あの人はあの人、自分は自分と割り切る。必要以上に話さない。私は真の自立に向かって立ち上がらなければならない。

接しなければ問題ない。遠くにいるだけなら、元気かなと心配もできる。一人で暮らすのは寂しいだろうな、と思うこともできる。


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