第8話
宮中、ソラの自室にて。
「うー……」
ソラは目の前の惨状に頭を悩ませていた。無惨に散った兵、圧倒的な戦力差、そして今にも殺されようとしている王。それらを救う手段は無かった。
「ほら、姫様の番ですよ」
「ちょ、ちょっと待って。あともうちょっとで活路が見えるから!」
「でももう選択肢ないじゃないですか? どうやったって私の勝ちですよ」
ソラはあぐらをかき、唸って悔しがる。その姿を見て、対戦相手の少女は呆れた顔をした。
「もう、姫様。お行儀が悪いですよ」
「も、もう一戦だけ! もう一戦やろう!」
「そう言いだして何回目なんですか?」
「う……」
何も言い返せないソラを尻目に、少女はいそいそと次の勝負のために板状に駒を並べ始めた。それを見たソラは目を輝かせる。
「や、やってくれるの? ありがとう、タマヲ!」
「ええ、とことんおつきあいしますよ」
そう言ってタマヲと呼ばれた少女は優しく微笑んだ。
二人がやっていたのは『カナン』と呼ばれる、チェスにオセロの要素を混ぜ合わせたものだ。駒の動きの大体はチェスによく似ているが、自分の駒が相手の駒に挟まると、駒が相手方に寝返ってしまう。このタイミングと相手の駒を使った戦略が肝だ。
「でも、私が言うのも変な話だけど、君はこんなところにいていいの?」
「ええ。今、仕事無いですから」
「そっか」
カツンカツン、と駒を盤に置く小気味良い音がソラの広い部屋に響く。
因みに、今仕事がないというのは真っ赤な嘘だ。本当はこの裏でアマネの誘拐作戦が進行中している。ソラの側近であるタマヲの仕事は、ソラを部屋に留め、任務を悟られないこと。今のところは順調と言える。
「あれからどう? みんな、無理してないかな」
「心配してくれてるんですか? ありがとうございます。でも、みんな貴女を心配しているんですよ」
「そうなの?」
「そうです。本来なら御所への侵入などあり得ぬこと。しかもニンゲンの侵入が全く分からなかったなんて。姫様が傷だらけでいるところを見つけて、私がどれだけ驚いたことか」
「だから何回も言ったじゃん、私の怪我はアマネのせいじゃないって!」
「姫様、もう二度と、ニンゲンを擁護するような発言をおっしゃらないでください。一國の姫が、ニンゲンを擁護するなどいけないことです」
「でも、私は彼女に助けてもらったんだ」
「それでもです。ニンゲンは敵なんですから。……そもそも、なんであの夜は抜け出したりしたんですか? 私としてはそっちの方がまだ怒り足りないんですけど」
タマヲはぷくりと頬を膨らませた。
「それは……なんというか、何かに呼ばれた気がして……。でも、おかしいんだ。いつのまにか意識がなくなったっていうか、気づいたらアマネの膝の上だったというか」
「それでもです! これからは本当に、本当に夜間の外出は禁止ですからね!」
「は、はい……」
怒られたソラは弱々しくうなだれる。その姿を見ながら、タマヲが駒を強く打った。
「はい、姫様の番ですよ」
「うん……え!? ちょっと……ええ……?」
盤面は容赦なくソラの完敗。なすすべもなかった。
目の前に茶の入ったコップが置かれる。タマヲが淹れてくれたものだ。澄んだ色の茶から湯気が上がっている。
「ありがとう」
「お構いなく」
礼を言って一口飲んだ。ふわりと香る心地よい匂いと、気持ちのいい暖かさが喉を通る。
「やはりタマヲの淹れてくれたお茶が一番美味しいよ」
「身に余る光栄です」
「そういえば、他のみんなはどうしてるんだ?」
「イロハは実家に帰省中、キョウは自室待機、カミタは……寝てるんじゃないですか?」
「カミタはまたか」
「自分の分のお仕事はきっちりしてくれますから。それに、我ら近衛の中でも随一の実力者ですからね。このくらいの怠けはまぁ、許容範囲です」
「……ところで近衛といえばマスケが見当たらないんだけど、何処にいるか知ってる?」
タマヲは一瞬ギクリと肩を震わせた。マスケは現在出征中で、宮中にどころかこの世界に居ない。それはソラには秘密にしなければならないことだ。
「どういう御用件です?」
心の動揺を悟られまいと恐る恐る切り出す。
「久し振りに剣の稽古をつけてもらおうと思って。昨日外の露台でお酒呑んでたから、暇なのかなって」
「いや、マスケ隊長は外でお仕事があって……」
────あのサボ隊長、いつもいつも副長に自分の仕事押し付けて! これだからフタバが真似するんだから!
タマヲの心中は穏やかではない。しかしそんなことをおくびにも出さない────無意識のうちに頬をかいた。
「そうなんだ。仕事の邪魔したらダメだし、また今度にしようかな」
その言葉に内心ホッとした時、扉を叩く音がした。
「どなたですか?」
タマヲが返事する。
「イロハでーす。ただいま戻りました」
「いいよ、入って」
ソラの返事を受けて、扉が開く。そこには、ソラの側近の1人、実家に帰省していたはずのイロハが立っていた。
「イロハ、帰省中じゃなかったっけ」
「ちょっとお父さんの様子見に行っただけですから。それより、タマヲ。今いい?」
タマヲはソラを見る。ソラは頷いた。
「すいません、少し行ってきます」
「うん」
タマヲはイロハと共に部屋から出て行った。ニコニコしていたイロハの顔が一転、険しい真剣な顔になる。
「姫様、どう?」
姫の部屋から少し離れた廊下の角で、心配そうにイロハが尋ねた。
「うん、大丈夫そう。大分元気になられたよ」
それを聞き、イロハは一安心したようにため息をついた。
「よかったぁ。……マスケさんとカミタ、上手くやってるかなぁ」
「……『アマネ』の暗殺計画ね」
タマヲがボソリと呟く。アマネを異界に連れてきて、ソラの側近にするなどただの方便。本当の目的はアマネを尋問しニンゲンの意思を確認すること。しかしタマヲは即刻処刑することを求めている。
「それは違うってば。あくまで目的は『アマネ』の真意とニンゲンについて新たなことを知ること。殺すことなんてできないよ」
「甘いよ。ニンゲンは敵なんだから。イロハだって隊長だって、カミタだってキョウだって間違ってる」
「……タマヲ」
イロハが軽くタマヲを睨む。タマヲは観念したように目を瞑った。
「……分かってるよ。ごめん。ちょっと気が張ってるみたい」
「そっか。じゃあ今から私も居るよ。今日はパーッと遊んじゃおう! あとでこっそりお菓子持ってきてさ!」
「うん、そうだね」
二人は姫の部屋へと戻る。しかし、ドアを開けたそこには、もぬけの殻となった部屋。そして、開け放たれた窓が残されてた。
部屋から上手く脱出したソラは、宮殿の裏からあの神殿が見える高台を目指していた。
「マスケが外で仕事とか、カミタがサボってるとか、今回に限っては嘘だ」
ソラはそう言われた時のタマの仕草を思い出していた。
「タマ、自分では気づいてないかもしれないけど、嘘ついた時右の頬をちょっとかくんだ」
宮殿の庭を、影に混じりながら走る。気づくものはない。普段から戦闘訓練を受けているソラの気配遮断に対応できるのは、この國でも少数だ。
「アマネを酷い目に合わせようとしてる。絶対止めなきゃ」
宮殿を巡回している兵士の目を潜り抜け、進む。宮殿には東西南北の四つの門があり、周りには高い垣根に囲まれている。だから宮殿から出るには、この四つの門のどれかを通り抜けるしかない。
「私には、意味ない、よ!」
大きくジャンプする。垣根を駆け上がり、飛び越え、音を立てず着地。市街地に出て、そのまま走り出す。
「早く……!」
人が多い街の大通りを進むわけにはいかない。人目を引くため、アズマに乗るわけにもいかない。宮殿へ行くための長く大きい階段にも、多くの兵が居るため近寄るわけにはいかない。気配を消しながら、ソラは裏路地を進んだ。路地を一本出れば歓楽街だ。しかしその喧騒に混じり影を進むソラに、道行くノウナは誰も気づかない。
しかし、事はそう順調に行かなかった。
「何してるんですか?」
前方から声が聞こえる。立ち止まって声の主を見る。近衛隊の制服を着て、髪をボーイッシュにカットした少女。ソラは努めて厳しい声で言う。
「リリ、どいて」
「ダメです」
リリ────近衛隊の若き副長は細い路地から動こうとしない。じりじりと距離を詰めてくる。
「殿下。私は、殿下をこの街から逃がさないようにと隊長から言われています」
「私は行かなきゃいけないの」
ソラの変わらない意志を察して、リリは悲しそうな顔をする。
「どうしてですか、殿下。なぜそこまで奴らのことを思うのです」
「まだ明確な理由は分からない。私はニンゲンの野蛮な姿しか見たことがなかった。けど、アマネはとても優しかったよ。私を想って涙を流してくれた。だから!」
「いい加減に目を覚ましてください!」
リリが一喝する。
「前までの殿下はこうじゃ無かった!」
「じゃあ、それは私じゃ無かったんじゃない?」
「ニンゲンにそんな価値はない!」
「────ごめん、行くね」
ソラは踵を返し走り出した。走り出しから助走をつけず、いきなりトップスピードまで加速。一気にリリを振り切ろうとする。目にも留まらぬ速さだ。
「殿下!」
リリはソラを追いかける。ソラは勢いを利用し壁を駆け上り、家々の屋根まで登った。そしてリリを無視して先へと急ぐ。
リリは同じように屋根へと跳躍し、さらにソラを追いかける。
「殿下、お待ちください! 私は貴方を傷つけたくない!」
「どうして殿下、なんて呼んでるの? 昔はよくソラって言ってくれてたのに!」
「……私とあなたじゃ身分が違うからです」
「そんなの関係ない! 私達、幼馴染で友達だったでしょ!」
「もう違います!」
リリは言い切ってしまった。口を突いて飛び出した言葉にハッとなったが、すぐに持ち直す。
「私はもう戦士なのです! テンが連れ去られたあの日から、私はあの惚けた私では、ない!」
「それでふさぎこんでちゃ世話ないよ!」
「ではなぜ殿下はニンゲンを許せるのですか! 自分の家族を攫われて、どうしてあんなことを言えるんですか!」
「許してない! 許してないけど、でも、全部が全部周りの言う通りじゃない! 私はあの日から、外に一歩も出てないんだよ! 私は何も知らない────貴方も、みんなも、何も知らないでしょ!?」
「私は!」
リリは手に持った槍をソラに向かって投げつける。間一髪で避けた直後、スピードが緩んだところをリリは逃さない。
「うっ……!」
リリから強烈なタックルを喰らったソラは、屋根に突っ伏し、そのまま転がって裏路地に落ちる。
「私は、許せない……」
リリは息を整えつつ、ソラを逃がさないように手を拘束し、馬乗りになる。
「さぁ、帰りましょう、殿下。殿下はこの國の姫君なのです。軽はずみな行動は、謹んで下さい……」
「どいてよ、リリ!」
「ダメです!」
その時、遠くの空が光り輝いた。
「門? なんで!?」
「しまった……!」
作戦がソラにバレたことで、リリは歯噛みする。その隙を見逃すソラではなかった。
「うぅうああっ!!」
「っ!」
リリの拘束を力づくで逃れると、門に向かって、あの森を抜けた高台に向かって、再び走り出した。
「早く行かないと……!」
しかしそう簡単には行かせてはくれなかった。ソラの眼前に一本の槍が降ってくる。槍は地面に深々と突き刺さり、ソラを阻んだ。
「……殿下」
背後からリリの声が聞こえる。先ほどまでのグズッたような声ではない。冷たく、人を突き放すような声。
「私は、あなたを、行かせるわけにはいかない」
リリの右手の周囲に透明な、かすかな輝きを放つ粒が舞っている。それが集まり、一本の槍が生成され、リリの手に収まった。
「さあ、武器を取ってください、殿下。私は武器を持たない相手とは戦いたくありません」
抜き身の刀。そんな使い古された表現にまさに当てはまる。突き刺さるような明確な戦いの意思。凶暴にして冷徹な剣気に、ソラは思わず生唾を飲む。
「……戦わないって選択肢は?」
「なら、私は殿下を気絶させ、宮殿へお連れするだけです」
「それは嫌だな」
ソラの周りに青く輝く粒子が舞い、それらが身体に集まり、武器と化した。
ソラの腰には長剣が下され、背中には装飾を施された弓矢が装備される。ソラは抜剣し、剣を振る。剣身には紋様が刻まれ、淡く光っていた。
「手加減、しないでよ。戦士なんだから」
ソラが剣を構え、リリを睨みつける。二人の間に灼けつくような緊張感が生まれた。
一歩踏み出すのも躊躇われる中、先に仕掛けたのはソラだった。
「やぁっ!」
一瞬で近づき、強く踏み込む。地鳴りが響き、剣が振り下ろされる。その勢いで舗装された地面が破壊された。リリはそれを紙一重で避けた。もし少しでも遅れていたら、確実に地面とともにえぐれ、絶命していただろう。
ソラはリリを視界から離さず、そのまま横に剣を振り抜く。強烈な一撃をリリはそれを柄で受け止め、さらにジリジリと力を加えながら接近する。
「くっ……」
振りほどきたくても振りほどけないソラは、わざと力を緩めバランスを崩し、足を引っ掛けリリを転ばそうとする。しかし、それを読んでいたリリはソラの胴体を蹴った。
「あぐっ」
さらに石突で追い討ちを掛けようとするが、剣で払われる。なんとか踏み止まったソラは距離を詰め、突きを繰り出す。リリは攻撃をいなす。ソラはわざと足を強くふみ鳴らし、さらに距離を詰めようとする。先ほどの一撃がまだ意識に残っていたリリは一瞬身体が強張った。瞬間、ソラの姿が視界から消える。
「!」
リリが消えた姿を探す、その隙すら与えなかった。ソラは屈み、リリの視界から外れていたまま下から剣を振り上げる。リリは勢いに押され、槍で受け止めたが、かすかによろけた。
「はっ!」
ソラは今度こそ距離を詰め、猛攻を仕掛ける。突き、払い、フェイントを織り交ぜ、少しずつリリを押していく。ついに壁際まで追い詰めた。しかしリリは飛び上がり、壁を蹴り上げ、逆にソラを壁際に追い詰める形に逆転した。
「……くそ」
リリは槍を突き刺そうと構える。槍の一撃が放たれる寸前、ソラは剣を投げた。思いがけない攻撃に、リリは防御を余儀なくされる。ソラは壁を蹴り上がり、再び屋根まで上がった。
「何を……!?」
ソラが顔を出す。その手には弓が構えられていた。
矢が番られる。
矢が鋭く一瞬光った。
矢が放たれた。
「くそっ」
察したリリは間一髪で転がり避ける。先ほどまでリリが居た場所には矢が深く刺さり、地面が爆発したように破壊されていた。ソラは次々と矢を放つ。リリは矢を刃で受け止めるが、衝撃が伝わり吹き飛ばされ、壁に激突する。刃が吹き飛んだ。
「……」
槍を消して作りかえたいが、間髪入れずに襲ってくる矢の暴力がその隙を与えない。
リリは物陰に入り、射線を塞ぎつつ槍に力を込める。槍が光り輝いた。
満を持してリリは躍り出る。リリの周囲には薄く膜が見張られていた。
膜は矢を弾く。リリは前進した。
ソラは歯噛みした。こうなったら止められない。リリのあの光る膜は短時間しか保たないが、一切の攻撃を通さない無敵の防護だ。ソラも渾身の力を矢に込め、放つ。こうなったらリリの膜の効果が切れるまで撃ち続けるしかない。
膜と衝突し、地が揺れる。凄まじい轟音が鳴り響く。粉塵が巻き上がり、リリの姿が見えなくなった。
「どこ!?」
むやみに力を消費するわけにはいかない。一旦矢の連投を止め、必死に周囲を探すが、気配がしない。
見つからないと焦り始めた時、突如として、背後から殺気を感じた。
「動かないで」
後ろに鋭い感覚。槍が突きつけられている。
「リリっ……!」
振り向こうとすると、首に鈍い衝撃が走った。身体の力が急激に抜け、地面が近づく。
「ぁ……」
遠くなっていく景色の中、ソラが最後に見たのは、どこか悲しそうに自分を見下ろすリリの姿だった。
「……ソラ……」